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【武田】2万5千で上洛【信玄】その32

1 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 21:38:05
前スレ
【武田】2万5千で上洛【信玄】その31
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1117827440/

2 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 21:38:50
また2万5千かよ!

3 :可児坊 ◆YVkAG1cfOM :2005/06/18(土) 21:39:04
前スレの結論
武田信玄の、2万5千で上洛は、可能だった!
武田信玄の、2万5千で上洛は、可能だった!

4 :魔玉坊 ◆F8GULYGZvk :2005/06/18(土) 21:48:47
4様

5 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 22:44:30
武田信玄ごときが天下を獲れるわけがない

6 :中常侍 うんこ ◆knhfo7S6wc :2005/06/18(土) 22:46:02
6天魔王

7 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 23:20:34
(´・ω・`)しらんがな

8 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:14:05
各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)
ちなみに、万石あたり250人は比較的低い動員率、
無理すればもっと動員できるだろうがそういう兵力は基本的な守りに残すと解釈。

関東
上野:49万6千石/12400

甲信・中部
甲斐:22万8千石/5700
信濃:40万8千石/10200
飛騨:3万8千石/950
美濃:54万石/13500
近江:77万5千石/19375

東海
駿河:15万石/3750
遠江:25万5千石/6375
三河:29万石/7275
尾張:57万2千石/14300
伊勢:56万7千石/14175
志摩:1万8千石/450

北陸
越後:39万1千石/9775
越中:38万3千石/9500
越前:49万9千石/12500(慶長検地では68万石)
若狭:8万5千石/2125

9 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:15:00
畿内
山城:22万5千石/5625
大和:44万9千石/11225
摂津:35万6千石/8900
河内:24万2千石/6050
和泉:14万1千石/3550
伊賀:10万石/2500

四国
讃岐:12万6千石/3150
阿波:18万4千石/4570
淡路:6万2千石/1550

10 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:15:50
1572年(元亀三年)十月三日(信玄、古府中を出立)の各勢力の状況

●武田
・甲斐…100%(5700)
・信濃…90%(9180)
*飯山周辺は残す。
・上野…36〜43%(4450〜5375)
*倉賀野、松井田、箕輪など領地は広げているが、ほとんど北西山間部なのがネック。
 面積で言えば4割だが、石高では三分の一程度とする意見あり(上野の平野部は南東)。
 14郡中武田は吾妻郡 碓氷郡 甘楽郡 群馬郡の半分 故に石高的に3分の一 の説。
 利根川以西を領土とすると、これに録野、片岡、多胡郡が加わる。(約四割)
・駿河…100%(3750)
・飛騨…10%(95)
*72年7〜8月に飛騨諏訪城を落としている。これ以前の直接の軍事行動はなし。
 もともと飛騨の豪族は越中の対一向一揆で上杉と仲がいい。諏訪城主江間氏も逃亡
 して上杉氏を頼る。
・越中…?
*68年に松倉(富山)城主椎名氏が武田に降っているが、71年には謙信に落とされている。謙信は73年
 には加賀まで攻め寄せているから、その頃までに越中の武田勢はなくなっていたとみるべきか?
・遠江…7.8%(500)
*遠征前に陥したのは71年に国境の榛原郡小山城(この時高天神や掛川も攻めるが落せず)と犬居の天野氏のみ 天方等はこの時点では未攻略 。
 武田が本格的に東に出てくるのは、氏康が死んで同盟復活する71年後半(正式な復活は71年12月)。
 遠征後は20%ほどに増大

11 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:16:35
・三河…12%(850)
*足助城を落とし、賀茂郡一部・設楽郡ほぼすべて・八名郡一部を支配。ただし全て山地なのがネック。
・美濃…5〜10%(675〜1350)
*秋山信友が岩村城を落すのが72年11月。 それ以前に落していた恵那郡の小城を、どの程度に見積もるか?
 18(22?)郡中これだけでは5%もないとする意見もあり。

総計25200〜26800
後北条と同盟。義昭や顕如ら畿内の反織田勢力と連絡を取り合う。背後に上杉と上野方面を巡って火種。
ただし、もともと高税率のうえ、69年以降は戦もそれまでの二倍以上となり、さらにこの作戦にあたっては
さらなる臨時税から借入まで。領国の疲弊はすでに始まっていたと思われる。継戦能力にも疑問。

12 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:17:25
●織田
・尾張…100%(14300)
・美濃…90%(12150)
*美濃 21(18郡?)郡中武田は恵那郡岩村周辺のみ 郡上郡遠藤氏は武田織田を秤にかけて日和見。
・志摩…100%(450)
*ただし、戦力としては水軍衆がほとんどと思われる。
・近江…70%(13563)
*浅井・六角は追い詰め中。他には甲賀郡の土豪と野洲郡のいつ蜂起するか判らない一揆衆。
・伊勢70%(9923)
*桑名・三重郡の一揆衆。配下からも寝返られ、本城も明け渡され乗っ取り進行中の北畠氏を除く。
・三河…10%(728)
*水野氏など、桶狭間以前から織田についていた豪族。

総計51114
この他、畿内各地に協力勢力と敵対勢力あり。義昭とは抜き差しなら無いところまで。堺などの都市も抑える。
若狭の豪族たち(逸見・粟屋・内藤)、大和の筒井他、摂津河内和泉の細川畠山池田荒木和田など、淡路の安宅
などが味方勢力として存在。

●徳川
・三河…78%(5675)
・遠江…92.2%(5875)
*両国とも、武田にどの程度侵略されているか。また調略如何によっては動員はさらに下がるかも。

総計11550
三方ヶ原の戦力を考えれば妥当か。ただし武田軍撤退後、特に遠江では支配率は グンと下がっているだろう。上杉と同盟。

13 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:18:12
その他の勢力 東国

●長尾上杉
・越後…100%(9775)
*ただし、揚北衆特に本庄氏の扱いは微妙。
・上野…10%(1240)
*沼田・厩橋近辺と考えるとこれぐらいか? 武田・北条におされ気味。
・越中…20〜25%(1900〜2375)
*神通川以東(新川郡)松倉・富山は1573年正月まで攻撃中。72年〜73年にかけての遠征によって、越中の大部分を支配下に収める。
この時は越中から加賀にまで攻め込み、顕如から信玄へ援軍要請が行われた。
・飛騨…三木氏や江間氏とは友好的。1572年の富山攻めでは江間氏が援軍派遣してる
・信濃…10%?(1020)
*飯山城とその周辺は保っていた模様。

総計13935〜14410
・遠征能力○
遠征能力は高いが、北陸へ出陣中。仮に北信・上野に出陣するとしてもメリットは薄い? ただし史実
ではこれ以前も以後も関東への出兵を繰り返している。武田・北条・加賀を敵に回して織田・徳川と同盟。
関東の諸将(佐竹ら)とは疎遠になった。

●後北条
・遠征能力○
武田・上杉と並ぶ大国だが、武田とは同盟中。今回の武田西上でも援軍(二千~三千?)も出している。
数年前まで戦っていたとはいえ、手切れをしてまで武田を攻める事は無いだろう。北関東には他に敵
もいる。

14 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:19:12
その他の勢力 畿内

●朝倉
・越前…100%(12500)
*寺社領は議論中。慶長検地から、+18万石くらい?
・若狭…?
*守護武田氏は抑えているが意味なし。有力国人である逸見氏・粟屋氏などはこぞって織田について抗争中。
 朝倉軍の一部は粟屋氏の居城を攻撃していた模様。(武藤氏が反織田に回ったが、この時期の動向は不明)

総計12500+?
・遠征能力○
遠征は10000程度は可能か? 現在、越前にフラフラ様子み。70年の講和以降、浅井への援軍以外に
出兵なし。経済疲弊。一部軍役拒否の状態。若狭の支配圏は低下中、むしろ抑えるための兵力派遣
が必要。

●浅井
・近江…9.5〜13%(1850〜2550)
*伊香郡、高島郡の半分、浅井郡の小谷、山本山城しか残っていない。
高島郡はもう少し高いとみる説あり。

総計1850〜2550
・遠征能力△(朝倉が来れば助力可)
単独での侵攻は辛い。木下隊に苦戦。小谷城の眼前に虎御前山砦を築かれて押し込められる。

●六角
・近江…?
*愛智郡鯰江城で逼塞状態。甲賀の土豪がどれほと力になるか?

15 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:19:55
●松永・筒井(反松永)
・大和(11225、ただし双方合わせて)
*寺社勢力は心情的にも筒井派。土豪も多くが筒井につく。
・遠征能力×(両派とも)
大和で両派が泥沼の抗争中。お互い支援を求めて織田や三好と手を組むことに。
元亀三年の時点では織田の支援を受けた筒井側に有利。松永は押されっぱなし。

●長島一向宗+国人
計20000?
遠征しないが尾張は目と鼻の先。ただし動きは鈍い。守備力は高い。

●石山本願寺+雑賀衆?
計23000?
遠征準備は謎だが、近江まで歩いて1日。 ただし動きは鈍い。守備力は鬼。本願寺自身は織田と直接
軍事衝突は行っていない(するのは後年)。信長との外交ルートあり。
※もともと本願寺と一揆は別ものであり、絶対的な命令権があるわけではない。各地の一揆はそれぞれ
の権益を守るために支配者に抵抗した。また、兵力には老幼婦女が多数含まれていると考えられる。

●北畠
・伊勢…30%(4253)
*大湊など、伊勢湾の海上交易に大きな影響力をもつ。かつては南伊勢五郡を有したが、織田へ離脱
 するものが出る。
計?
・遠征能力×
織田による内部からの乗っ取り進行中。そのため勢力としては身動きとれない。隠居させられた北畠
具教は面従腹背。武田と接触をとっているが(根拠は不明)、実質どれほど動かせるかは不明(後年、
具教が討たれたときに北畠残党が挙兵するが、一族などの一部に留まる)。
ほとんど織田の一部とみなしてもいいとする意見あり(ただし、信雄が正式に跡目を継いで北畠軍が
織田の一環として行動するのは74年以降)。

●伊賀
六角に協力したり北畠についたり。基本的には中立。

16 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:20:47
その他の勢力 三好

三好一族の主だった頭(各国の支配率は不明、動員数は100%の場合)

 畿内
・本家:三好義継 三人衆との関係から信長に従っていたが、義昭と共に敵対する
・三人衆:三好長逸、三好政康、石成友通 これも一枚岩ではない。義継や久秀と
抗争の為に行動をともにしていただけ。特に石成は一人信長についた時期もある。
・三好笑岩 基本的に、四国三好家にちかい。信長以前は本家と戦い続ける。
・三好政勝 管領細川家の家臣。長慶を親の仇と長年争い続ける。

・摂津(8900)
・河内(6050)
・和泉(3550)
*ただし、この全てを三好一族が抑えていたわけではなく、細川、畠山、池田、和田、荒木、伊丹、
 その他在地勢力が根を張り、反三好から織田につくものも多数いた。

総計18500-敵対勢力
・遠征能力×
反織田という形で立場は同じになったが、指揮が統一されたわけでもなく分裂状態のまま。
統一行動は難しいか。

17 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:21:29
 四国
・阿波三好家:三好長治-篠原長房 基本的に、主筋になる細川家と争ったり講和したり。 畿内には
あまり関わらず。播磨方面で抗争があった模様?
・讃岐十河家:十河在保 阿波三好家と行動を共にす。
・淡路安宅家:安宅信康 四国三好家についていたが、1572年には信長につく。

・阿波(4570)
・讃岐(3150)
・淡路(1550)
*安宅信康が織田についてしまったので、これは三好には加えられない。

総計9270-安宅氏の勢力
・遠征能力×
お互いに争ったり結んだり。このころには篠原長房との確執が表面化しだす。73年4〜5月に長房が
討たれた後は抑えられていた豪族たちが反旗を翻すことになる。
四国の三好家関連は、後にほとんど信長に属することになる

 おまけ
●足利将軍家
・山城…?
*北山城の国人が義昭に呼応し、明智の配下から離脱者が出たとの記録あり。また細川藤孝や石成友通
などの勢力もあり。細川・明智は織田勢力とみなしてもいい。

総計不明
・遠征能力×(史実でも城に篭った)

18 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:22:47
 ■この情勢をもとにした推測。

織田は
近江に浅井・朝倉への抑えとして木下、磯野で合計七千ほど、
江南の抑えと京へのにらみに八千ほど、
北伊勢への抑えと尾張の守備に五千ほど、
美濃では岩村への抑えに三千ほど抑えに置くとすれば、
(基本的な任務は守備、現状維持)
計算上は2万8千ほどを対武田に向けられるのでは?

武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、
北条の援軍が二千〜三千で、
合計ニ万〜二万五千ほど?

19 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:23:38
 ■三方ヶ原の戦い後の情勢。

1572年
十二月 二十二日 三方ヶ原の戦い

1573年
一月  三日 武田軍野田城を囲む
北山城や摂津河内の国衆から義昭に付く者が続出する。信長は村井、島田、朝山日乗を講和の使者に出すが義昭は一蹴。
近江志賀郡の石山、今堅田に兵を入れる。
二月 十五日 武田軍野田城を落とす。
二十四日 柴田、丹羽、明智、蜂屋の軍が近江を攻撃。石山、今堅田も数日で開城。

三月 二十五日 信長、岐阜を出陣。
   二十九日 細川藤孝、荒木村重が逢坂に信長を出迎えて忠誠を誓う。

四月 三日〜四日 上京焼き討ち。二条御所を包囲。
   七日 調停の仲介により信長と義昭との和睦なる。
   八日 信長、京より岐阜へたつ。
十二日 武田信玄死去
柴田、佐久間らは六角氏が立て篭もっていた近江愛知郡の鯰江城を攻略。さらに百済寺も焼き討ち。

七月 足利義昭京より逃れる。

八月 朝倉・浅井両家滅亡。

20 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:25:29
 ■三方ヶ原の戦い後の情勢。

1572年
十二月 二十二日 三方ヶ原の戦い

1573年
一月  三日 武田軍野田城を囲む
北山城や摂津河内の国衆から義昭に付く者が続出する。信長は村井、島田、朝山日乗を講和の使者に出すが義昭は一蹴。
近江志賀郡の石山、今堅田に兵を入れる。
二月 十五日 武田軍野田城を落とす。
二十四日 柴田、丹羽、明智、蜂屋の軍が近江を攻撃。石山、今堅田も数日で開城。

三月 二十五日 信長、岐阜を出陣。
   二十九日 細川藤孝、荒木村重が逢坂に信長を出迎えて忠誠を誓う。

四月 三日〜四日 上京焼き討ち。二条御所を包囲。
   七日 調停の仲介により信長と義昭との和睦なる。
   八日 信長、京より岐阜へたつ。
十二日 武田信玄死去
柴田、佐久間らは六角氏が立て篭もっていた近江愛知郡の鯰江城を攻略。さらに百済寺も焼き討ち。

七月 足利義昭京より逃れる。

八月 朝倉・浅井両家滅亡。

21 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:26:26

織田合戦一覧(1/2)
1538 那古野城攻略
1540 安城城攻略
1542 小豆坂の戦い
1544 稲葉山城攻撃
1547 古渡城下の戦い・吉良大浜の攻撃・加納口の戦い
1548 小豆坂の戦い
1549 柏井の戦い
1552 赤塚の戦い・萱津の戦い
1553 安食の戦い
1554 清洲城攻略・村木城攻略
1555 守山城攻撃
1556 稲生の戦い・寺原の戦い・斉藤道三救援
1558 品野城攻撃・浮野の戦い
1559 岩倉城攻略
1560 桶狭間の戦い・西美濃侵攻
1561 梅ガ坪・伊保城攻撃・森部の戦い・ 十四条・軽海の戦い
1562 小口城攻撃
1563 新加納の戦い
1564 犬山城攻略
1565 宇留摩・猿啄城攻略・ 堂洞・関城攻略

22 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:26:54
織田合戦一覧(2/2)
1566 河野島の戦い
1567 稲葉山城攻略・北伊勢侵入・楠・高岡城攻略
1568 北伊勢攻略・近江箕作・観音寺城攻略・勝龍寺城攻略・芥川城攻略・池田城攻略
1569 北畠氏攻略・六条本國寺の攻防戦
1570 野田・福島城攻略・朝倉氏討伐・姉川の戦い・宇佐山城攻防、坂本の対陣・石山本願寺挙兵
1571 佐和山・小川・志村・金が森城攻略・比叡山延暦寺焼き討ち・長島一向一揆
1572 三方ヶ原の戦い
1573 若江城攻略・江木戸・田中城攻略・一乗谷攻略・小谷城攻略・なまず江城攻撃・石部城包囲戦
    第二次長島一向一揆・東美濃方面の戦い・石山・今堅田城攻略・上京焼き討ち・二条城攻囲
    山城槙島城攻略
1574 伊丹城攻略・石部城攻略・長島一向一揆帰討戦・石山本願寺攻め・河内飯盛の戦い
    明智城救援作戦・高天神城赴援出兵
1575 高屋城攻略・石山本願寺攻め・越前一向一揆帰討戦・三河赴援出兵・長篠の戦い
    岩村城攻撃&攻略・黒井城攻撃
1576 石山城下の戦い・木津川口の海戦
1577 伊勢森城攻略・信貴山城攻略・第一次・第二次紀伊雑賀攻め・竹田城の戦い・福原城の戦い
    上月城攻略・加賀出兵、手取川の戦い
1578 有岡城攻略・石山本願寺攻め・和泉淡輪沖の海戦・八上城攻め・園部城攻略・三木城攻め
    上月城攻防・神吉城攻略・第二次木津川口の海戦・月岡野の戦い
1579 八上城攻略・宇津城攻略・黒井城攻撃・弓木城攻め・嶺山城攻略・伊賀侵入
1580 花隈城攻略・石山本願寺平定・三木城攻略・寺畑城攻防・英賀城攻略・長水山城攻略
    加賀平定戦・菱脇の戦い
1581 湊川口の海戦・鳥取城攻略・岩屋城攻略・小出城攻防・七尾城攻略・伊賀平定・高野山征伐
1582 冠山・宮地山城攻略・高松城水攻め・天神山の戦い

23 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:27:31
31スレの概要
>>1-24テンプレ
>>36-889兵農分離 他各大名の兵事情 農繁期の出兵例 戦国の農村都市状況 知行の与え方
 江戸時代の知行制等について
>>62-65 >>143-144織田合戦一覧

24 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:27:56
尾張

天保郡別
愛知郡 :8.98万石
春日井郡:13.17万石
丹羽郡 :6.96万石
葉栗郡 :7.39万石
中島郡 :8.22万石
海東郡 :8.88万石
海西郡 :2.88万石
知多郡 :7.11万石

総計  :63.59万石

戦国推定
愛知郡 :8.1万石
春日井郡:11.9万石
丹羽郡 :6.3万石
葉栗郡 :6.7万石
中島郡 :7.4万石
海東郡 :8.0万石
海西郡 :2.6万石
知多郡 :6.4万石

総計  :57.2万石

25 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:28:25
上野

甘楽 6.7万石  5.2万石
禄野 3.1万石  2.4万石
多古 1.3万石  1.0万石
片岡 0.4万石  0.3万石
碓氷 4.1万石  3.2万石
吾妻 2.6万石  2.0万石
利根 3.1万石  2.4万石
勢多 7.7万石  6.0万石
群馬 12.1万石 9.3万石
那波 2.6万石  2.0万石
佐位 2.1万石  1.6万石
山田 3.7万石  2.8万石
新田 6.7万石  5.2万石
邑楽 8.1万石  6.3万石端数
計  64.3万石  計49.6万石 0.77

26 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:29:04
遠江

引佐 7.7万石  4.3万石
浜名 0.12万石 0.07万石
敷智 5.0万石  2.8万石
?? 0.25万石 0.14万石
長上 3.1万石  1.7万石
豊田 6.4万石  3.6万石
磐田 0.14万石 0.08万石
周智 2.7万石  1.5万石
山名 4.0万石  2.3万石
佐野 2.9万石  1.6万石
城東 6.9万石  3.9万石
榛原 6.0万石  3.4万石
計 45.21万石  25.5万石 0.564


三河

屋美 6.7万石  3.6万石
八名 8.7万石  4.6万石
設楽 3.0万石  1.6万石
宝飯 6.7万石  3.6万石
播豆 7.0万石  3.7万石
碧海 9.7万石  5.1万石
賀茂 6.7万石  3.6万石
額田 6.2万石  3.3万石
計 54.7万石   29万石 0.53

27 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:29:47
近江

坂田 9.2万石  8.4万石
浅井 7.7万石  7.0万石
伊香 3.6万石  3.3万石
高島 7.4万石  6.7万石
滋賀 4.6万石  4.2万石
栗田 6.8万石  6.2万石
野州 6.7万石  6.1万石
甲賀 7.8万石  7.1万石
蒲生 14万石  12.7万石
神崎 4.8万石  4.4万石
愛知 6.4万石  5.8万石
犬神 6.1万石  5.6万石
計 85.1万石  77.5万石 0.91

28 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:30:13
伊勢

度会 5.5万石  4.3万石
多気 4.8万石  3.7万石
飯野 2.7万石  2.1万石
飯高 6.1万石  4.8万石
一志 10.9万石  8.5万石
安濃 6.2万石  4.8万石
庵芸 4.8万石  3.7万石
河曲 3.4万石  2.7万石
鈴鹿 6.7万石  5.2万石
三重 6.7万石  5.2万石
朝明 3.3万石  2.6万石
員弁 5.0万石  3.9万石
桑名 6.6万石  5.1万石
計 72.7万石  56.7万石 0.78

29 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:31:06
美濃

不破 4.03万石  2.9万石
多岐 3.57万石  2.6万石
石津 2.86万石  2.1万石
安八 9.37万石  6.8万石
池田 2.40万石  1.8万石
大野 5.35万石  3.9万石
本巣 4.01万石  2.9万石
席田 0.57万石  0.4万石
方県 3.56万石  2.6万石
厚美 4.16万石  3.0万石
山県 2.63万石  1.9万石
武儀 3.41万石  2.5万石
郡上 3.13万石  2.3万石
加茂 4.57万石  3.3万石
恵那 4.03万石  2.9万石
土岐 2.15万石  1.6万石
可児 3.25万石  2.4万石
各務 2.03万石  1.5万石
羽栗 2.17万石  1.6万石
中島 3.45万石  2.5万石
海西 3.17万石  2.5万石 端数

計 69.97万石  54万石 073

計算上は54を73.87万石で(例のごとくまた数え間違えたようだ)誰か修正してくれ

30 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:31:54
信濃
佐久 9.67万石  5.1万石
諏訪 4.46万石  2.4万石
伊那 13.4万石  7.1万石
築摩 8.21万石  4.4万石
小県 7.70万石  3.8万石
埴科 2.36万石  1.3万石
更科 5.63万石  3.0万石
安雲 6.01万石  3.2万石
水内 10.9万石  5.8万石
高井 8.50万石  4.8万石 端数

計 76.77万石 40.8万石 0.53

31 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:33:10
浅井
伊香郡、高島郡の半分、浅井郡の小谷、山本山城

伊香郡:3.3万
高島郡:3.4万(6.7万の半分)
浅井郡:3.5万(一応半分で算出)
計10.2万石 13%
よって、兵力は2550。

伊香郡:3.3万
高島郡:3.4万(6.7万の半分)
浅井郡:0.7万(10%案)
計7.4万石 9.5%
兵力は1850

がでたが高島郡は織田が73年に攻めた城、浅井滅亡後服属した国人などから
前スレ27?で高島郡:4.5万(離反者を除く)
が有力視されている

32 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:33:55
遠江
遠征前
周智郡:0.8万(1.5万の半分)犬居の天野氏のみ 天方等はこの時点では未攻略
榛原郡:1.2万(三分の一) 駿河国境沿いの一部のみ 71年に駿河国境沿いにある小山城を落としたこと
計2万石 7.8%で
兵力は500

遠征後
周智郡:1.5万
榛原郡:1.2万(三分の一)駿河国境沿いの一部
豊田郡:1.2万(三分の一) 天竜川沿いの諸城を落としたことから
磐田郡:0.08万石
引佐郡:1.1万(四分の一) 山県が伊平小屋を落としたこと 三方ヶ原後その辺に布陣していることから
佐野郡:0 佐野郡は掛川城周辺だから
計約5.1万石 20%
兵力は1275

33 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:34:43
三河
遠征前
賀茂郡:1.2万(三分の一)足助城周辺から美濃国境設楽郡側を領有と考えて
額田郡:0万 額田郡は岡崎周辺だから
設楽郡:1.3万(80%)信濃国境から長篠周辺までと考えて
八名郡:0.9万(20%)長篠以北と考えて約20% 八名郡の中心は下流域だから
計3.4万石 12%
兵力は850

遠征後
賀茂郡:1.2万(三分の一)足助城周辺から美濃国境設楽郡側を領有と考えて
額田郡:0万 額田郡は岡崎周辺だから
設楽郡:1.6万(100%)
八名郡:1.5万(30%)野田以北と考えて約30% 八名郡の中心は下流域だから
計4.3万石 15%
兵力1075

34 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:36:59
以上テンプレ。

個人の一存で織田合戦一覧を加えてみたけど、
要らないというのなら次のスレからテンプレから外す方向でお願いします。
あと>19,20が二つあるのはミス、申し訳ない。

35 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 01:24:18


武田の美濃領に関しては「最大でも5%」となっていたような。

36 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 12:23:42
同様に上杉の信濃領が10%は多すぎだよね。

37 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 13:18:06
たしか、前々スレくらいあったと思ったが。

38 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 13:49:00
当初から多すぎと言われていたが、
なぜかテンプレは修正されなかった。
まあ、信濃の上杉領は5%もいけばいいところでしょう。

39 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 13:54:54
テンプレ乙

40 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 16:16:19
貼り忘れてるぞw

武田

・甲斐 25万石
・信濃 50万石
・西上野 20万石
・飛騨過半 5万石
・駿河 20万石
・遠江、三河 5万石程度
計約32500

41 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 16:16:35
織田

・尾張…100%(14300)
・美濃…90%(11000)
・志摩…100%(450)
・近江…40〜50%(8600)
伊香郡と高島郡、浅井郡しかのこっていない浅井。
鯰江、甲賀、蒲生の六角。志賀、野洲郡で、すぐに鎮圧されるけどいつ反乱起すか判らない一揆衆。
・伊勢55〜65%(9200)
桑名・三重郡の一揆衆、北畠を除いて。弟死亡
三河…0%(0)
水野氏などは長らく徳川に派遣中、見方ヶ原後に処分

総計42000

42 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 16:19:00
徳川
・三河…70〜85%(5000〜6200)
・遠江…60〜75%(3750〜4800)
*両国とも、武田に侵略されまくり。領地は戦前のもの
計約10000

浅井
伊香郡:3.3万
高島郡:5.7万(離反者を除く)
浅井郡:3.7万(虎御前山の位置からして、こんなものか)
江北にはそもそも小谷、山本山城くらいしか城は無い
12.5万石 3100、思ったより少ないか

朝倉
越前68万石 17000

43 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 16:19:14
遠征開始時点での情勢

織田及びその従属勢力
織田42000+徳川10000

織田包囲網勢
武田32000+朝倉17000+浅井2800+長島一向宗20000
大阪本願寺23000+美濃国人3城主+六角、三好、北畠他6000〜12000(ぐだぐだ)

52000VS75000+30000 
ただし、徳川は海道一の弓取りで信長は天才

44 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 20:07:29
いい加減哀しくならないかい?

45 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 20:33:43
というわけで、テンプレの10〜13の修正を上げます。
まあ美濃と信濃の部分を改めただけだが。

46 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 20:34:21
>>10

1572年(元亀三年)十月三日(信玄、古府中を出立)の各勢力の状況

●武田
・甲斐…100%(5700)
・信濃…95%(9690)
*飯山周辺は残す。
・上野…36〜43%(4450〜5375)
*倉賀野、松井田、箕輪など領地は広げているが、ほとんど北西山間部なのがネック。
 面積で言えば4割だが、石高では三分の一程度とする意見あり(上野の平野部は南東)。
 14郡中武田は吾妻郡 碓氷郡 甘楽郡 群馬郡の半分 故に石高的に3分の一 の説。
 利根川以西を領土とすると、これに録野、片岡、多胡郡が加わる。(約四割)
・駿河…100%(3750)
・飛騨…10%(95)
*72年7〜8月に飛騨諏訪城を落としている。これ以前の直接の軍事行動はなし。
 もともと飛騨の豪族は越中の対一向一揆で上杉と仲がいい。諏訪城主江間氏も逃亡
 して上杉氏を頼る。
・越中…?
*68年に松倉(富山)城主椎名氏が武田に降っているが、71年には謙信に落とされている。謙信は73年
 には加賀まで攻め寄せているから、その頃までに越中の武田勢はなくなっていたとみるべきか?
・遠江…7.8%(500)
*遠征前に陥したのは71年に国境の榛原郡小山城(この時高天神や掛川も攻めるが落せず)と犬居の天野氏のみ 天方等はこの時点では未攻略 。
 武田が本格的に東に出てくるのは、氏康が死んで同盟復活する71年後半(正式な復活は71年12月)。
 遠征後は20%ほどに増大

47 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 20:35:02
>>11

・三河…12%(850)
*足助城を落とし、賀茂郡一部・設楽郡ほぼすべて・八名郡一部を支配。ただし全て山地なのがネック。
・美濃…ほぼ0〜5%(0〜675)
*秋山信友が岩村城を落すのが72年11月。 それ以前に落していた恵那郡の小城を、どの程度に見積もるか?
 18(22?)郡中これだけでは最大5%もないとする意見。

総計25035〜26635
後北条と同盟。義昭や顕如ら畿内の反織田勢力と連絡を取り合う。背後に上杉と上野方面を巡って火種。
ただし、もともと高税率のうえ、69年以降は戦もそれまでの二倍以上となり、さらにこの作戦にあたっては
さらなる臨時税から借入まで。領国の疲弊はすでに始まっていたと思われる。継戦能力にも疑問。

48 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 20:35:45
>>12

●織田
・尾張…100%(14300)
・美濃…90%(12150)
*21(18郡?)郡中武田は恵那郡岩村周辺のみ 郡上郡遠藤氏は武田織田を秤にかけて日和見。
・志摩…100%(450)
*ただし、戦力としては水軍衆がほとんどと思われる。
・近江…70%(13563)
*浅井・六角は追い詰め中。他には甲賀郡の土豪と野洲郡のいつ蜂起するか判らない一揆衆。
・伊勢70%(9923)
*桑名・三重郡の一揆衆。配下からも寝返られ、本城も明け渡され乗っ取り進行中の北畠氏を除く。
・三河…10%(728)
*水野氏など、桶狭間以前から織田についていた豪族。

総計51114
この他、畿内各地に協力勢力と敵対勢力あり。義昭とは抜き差しなら無いところまで。堺などの都市も抑える。
若狭の豪族たち(逸見・粟屋・内藤)、大和の筒井他、摂津河内和泉の細川畠山池田荒木和田など、淡路の安宅
などが味方勢力として存在。

●徳川
・三河…78%(5675)
・遠江…92.2%(5875)
*両国とも、武田にどの程度侵略されているか。また調略如何によっては動員はさらに下がるかも。

総計11550
三方ヶ原の戦力を考えれば妥当か。ただし武田軍撤退後、特に遠江では支配率は グンと下がっているだろう。上杉と同盟。

49 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 20:36:33
>>13

その他の勢力 東国

●長尾上杉
・越後…100%(9775)
*ただし、揚北衆特に本庄氏の扱いは微妙。
・上野…10%(1240)
*沼田・厩橋近辺と考えるとこれぐらいか? 武田・北条におされ気味。
・越中…20〜25%(1900〜2375)
*神通川以東(新川郡)松倉・富山は1573年正月まで攻撃中。72年〜73年にかけての遠征によって、越中の大部分を支配下に収める。
この時は越中から加賀にまで攻め込み、顕如から信玄へ援軍要請が行われた。
・飛騨…三木氏や江間氏とは友好的。1572年の富山攻めでは江間氏が援軍派遣してる
・信濃…5%?(510)
*飯山城とその周辺は保っていた模様。最大見積もってもこの程度。

総計13425〜13900
・遠征能力○
遠征能力は高いが、北陸へ出陣中。仮に北信・上野に出陣するとしてもメリットは薄い? ただし史実
ではこれ以前も以後も関東への出兵を繰り返している。武田・北条・加賀を敵に回して織田・徳川と同盟。
関東の諸将(佐竹ら)とは疎遠になった。

●後北条
・遠征能力○
武田・上杉と並ぶ大国だが、武田とは同盟中。今回の武田西上でも援軍(二千~三千?)も出している。
数年前まで戦っていたとはいえ、手切れをしてまで武田を攻める事は無いだろう。北関東には他に敵
もいる。

50 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 22:40:01


51 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 22:52:06
今川は桶狭間の時どうやってあれだけの人数集めたの?

52 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 23:07:08
知るかバカが

53 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 23:28:23
>>51
まぁ実際は2000人しか集まらなかったらしいよ。2万て言うのは織田の捏造。

54 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 23:28:44
一万六千〜三万五千まで諸説あるが、いずれにしろギリギリ無理をしての動員だったのは間違いない。
一気に尾張を支配下に入れるつもりだったのだろう。

55 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 23:47:14
後背を気にしなくて良いから、
百石当たり2.5人とけちくさいこと言わず、4人くらいは動員したのではないか。
百石当たり3.5〜4人なら二万五千は何とかなる。

56 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 23:53:13
ただ、織田とぶつかった本陣にいたのは5千程度って話も

57 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 00:12:53
>>55
その理屈なら、三方ヶ原の徳川はもっと人数集まったんじゃないの?

58 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 00:17:29
うん、そうらしいが、それがどうした。
馬廻り+αなら多いくらいだ。
逆に聞くけど、その時今川方の有力武将達は何処にいたと思っているんだ?

59 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 00:23:50
>>57
集められただろうな。そして、実際に集めただろう。
しかしそうやって集めた兵は、浜松以外にも配備しなければならないわけで。

60 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 00:42:09
>>59
ということは、浜松には半分程度しか配備されてなかったってことか?
桶狭間の今川も自領を完全にカラにしたとは思えないし

61 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 00:54:53
>>60
浜松以外にも守るべき城はいくつもある、ということだ。
その中で最重要拠点である浜松には守備兵以外に野戦軍も集められた、と。

桶狭間の今川は、通常なら守備に回される兵力も遠征軍に組み入れたということだな。
それでも、完全に空にしたわけではないだろうが、領内は随分と手薄になっていた
だろうな。
同じ事は、信玄の遠征にも言える。
通常の軍役で二万五千を集めたのではなく、さらに重い軍役で無理やり二万五千を集めた
と考えるべき。

62 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 00:57:19
後年の太閤検地から更に割引いて算出しても、今川の軍役はかなり
無理をしていたと思うよ。
なんせ当時の駿遠三の支配領域(厳密には動員可能領域)から五人役で
動員したって二万五千に届くかどうかってあたりなんだから。

63 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 01:14:02
>>62
つまり、
氏真が仇を討つ意志がなかったのではなく、
国内が疲弊していたから動けなかったんだよ!


とか言ってみる。

64 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 01:17:00
>>61
じゃあ、浜松以外の拠点の最低限の守備兵(桶狭間の今川ベース)プラス7、8千は
三方ヶ原でボコられた人数以外に温存していたったことか
こりゃ信玄も大変だな、同時に家康は先走り過ぎだな
武田の2万5千は北信濃、上野方面はある程度除かれてるんじゃなかった?
となるとより重い兵役だってことか

って地震キター

65 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 03:03:45
>>55
まあその理屈なら、信長は今川義元に苦戦する理由がなくなるな。

66 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 04:02:01
アクエリオンとかエウレカ

67 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 04:20:50
>>65
信長が今川に苦戦したのは、
駿遠三だけでなく、尾張南部まで侵食されたこと、
尾張北部に敵対勢力を残していたこと、
美濃の斉藤家と敵対していたこと、
家督相続後の内紛と織田家の威信低下
これらに寄るところが大きいかと。

もし尾張を完全掌握しつつ、
後方の勢力と結べていれば、五分とは行かなくても
もう少し兵力差は縮まっていただろう。

68 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 04:36:00
もう言い出してるっぽいぞ

端午節(陰暦の5月5日)は中国の伝統的祝日だが、韓国起源だと反発
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/05/10/20040510000078.html

69 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 10:15:52
http://basci.net/dol/translation.php
ここと韓国の大航海時代公式サイト見て来い
公式サイトはハングルだから翻訳通せよ

70 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 10:55:47
悲しかったこと
俺の姉貴が人気のあるAV女優だったこと。
親にばれて修羅場になったが、
親父が密かに姉貴のビデオを持っていたこと。
姉貴は昔のネームバリューを活かして、
しばらく吉原の高級ソープで働いてたこと。
俺の友達が姉貴を指名してセックスしたこと。
高級ソープだから洗ってない友達のチンコを即尺したらしいこと。
もちろん挿入も生だったらしいこと。
俺はその友達を殺してやろうかと本気で腹をたてつつも
姉貴がバックから生で犯されてるのを想像して何度もオナニーしたこと。
2年ぶりに会った姉貴が小遣い10万円もくれたこと。
「俺だって姉貴とセックスしたい」といったら姉貴が泣きそう顔したこと。
姉貴が先月自殺したこと。
住んでたマンションから覚せい剤が見つかったこと。
レイプされてできた韓国人の子供をおろしたらしい事。

71 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 17:03:17
>>70
切ないな・・・
ネタとしても

72 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 21:34:19
>>67

で、織田は桶狭間のときなんで数千しかいなかったの?
水野や犬山城あたりの領地引いても1万近くはいておかしくないと思うが。

73 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 21:42:27
>>72
小勢で大勢を打ち破ったっていう美化でしょ。
総数では劣ってたかもしれないけど、直接ぶつかりあった数はそんなに変わらないはずだよ。
桶狭間は奇襲攻撃なんかじゃないのは、もう定説でしょ。

74 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 22:11:49
>>72>>73
>織田は桶狭間のときなんで数千しかいなかったの?
>小勢で大勢を打ち破ったっていう美化でしょ

美濃や尾張南西部〜伊勢へのおさえ。
一箇所に戦力を集中できるほど、当時の信長をめぐる情勢はやさしくは
なかったよ。

75 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 22:12:29
総数で負けていたのを、直接ぶつかったのは同数レベルにまで持ち込んだというのは
戦術的にいくら賞賛されてもいいくらいのことだと思う。

76 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 22:13:05
つったって、今川止めないとどっちみち尾張なんだから、
集められるだけ、ギリギリまで集結させてたはず。

77 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 23:04:21
いくら籠城はしないにしても、本城たる清洲にはもうちょっといても
良かったような気はするね。

78 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 23:09:12
>>72
いくら勝者が美化するためとはいえ、あらゆる史料が数千以下だから説得力ないのでは?
今川が過大に評価されていたというなら分かるが。

>>74
美濃や伊勢のために総兵力の半数以上を割くのですか・・・。
前線の鳴海砦や鷲津砦でさえ数百なのに?

79 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 23:11:16
結局テンプレはグニャグニャした物差しってことだよ

80 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 23:37:41
あのな

信長の勢力圏がどれほどにしろ、当時の今川と織田を比べた場合
織田が圧倒的不利なのは事実だった訳だろ?
すると信長の勢力下の中小の国人なんぞは、信長の出兵要請に全てが全て従うのかという問題もあるんだよ

実際、水野という織田方の最大豪族が日和見しただろ>桶狭間
水野に関しては今川に寝返ってたという藤本氏の説も有るくらいだ

つか、鳴海や鷲津のとりでは数百と公記の記述はそのまんま採用すんのに
信長の兵力は公記の記述は否定するのはおかしくないか?

81 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 01:06:36
>>80
まずスレよく読め。

水野と犬山城除いても1万弱は集められたはずなのになぜ数千しかいなかったのかが疑問なわけだ。
そう簡単に他の中小の国人が従わないなら、石高による兵力の算定はあてにならないのでは?





82 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 01:34:40
>>81
桶狭間時の尾張には織田信長以外に、
丹羽郡犬山の信清、海西郡の服部がいて、
春日井郡の一部の松平、海東郡蟹江城の今川勢力、知多郡の鳴海大高城などの今川勢力があって、
信長領は3つに分断されかけていた上、美濃斉藤氏と敵対し、伊勢の海賊衆も今川に味方している。
更に、内乱が長く続いた上に尾張上4郡を支配していた岩倉織田家を滅ぼしてからまだ1年。

83 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 01:44:12
>>81
丸根、鷲津、中島、善照寺、丹下、竜泉寺の各砦に各500人として3000人。
信長の直率軍が、約2000人。
あとは想像だが、本拠・清洲城に、ざっと1000人。
その他のいくつかの主要な城の警備に、計2000人。
美濃方面の守備に、おおむね2000人。
ほら!ジャスト10000人!

84 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 08:02:27
>>81
そもそも石高から兵力を換算しようってことになったり理由が、
文献に書かれた兵力は必ずしもあてにならないから、だったわけだが。

多分織田軍と今川軍の兵力は言われているほど激しい差はなかったのだと思うよ。

85 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 08:58:48
>>84
兵力差がないのなら、自ら義元も尾張に攻め込もうとは思わないだろう。


86 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 09:41:06
>>84
太閤検地にある国別石高の方を信用するから
史料にある記述は信用できない、ってのは頭悪いぞ。

>多分織田軍と今川軍の兵力は言われているほど激しい差はなかったのだと思うよ。
こんな珍説を打ち出している人間、他に誰も居ない罠。

87 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 11:42:57
”頭悪い”とか、”珍説”とか、>>86の方が端から見てて恥ずかしい気が……

88 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/21(火) 11:45:52
名前書き忘れた…

89 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 12:21:33
石高から判断しても織田軍は1万程度で、そこから各守備隊を割けば直率が数千、史料とも一致すると思うが。
それに今川だって全軍が信長の部隊と戦ったわけじゃないし、
各砦への攻囲部隊、前線支城の守備兵に知多郡の包囲部隊に輸送部隊、実際に義元が率いていた部隊は
信長の直率部隊とそう差があるわけではないと思う。

もっともそれでも信長の部隊よりは兵が多いと思うが。

90 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 12:21:45
おまえも恥ずかしいな・・・

91 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 12:47:26
ここは>>90が必死なインターネッティングですね

92 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 12:54:32
信玄厨が必死なスレッディングですね

93 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 13:51:31
>>89
家の一大事にしては、瑣末な守備の数が過大すぎやしないか?
それに一応は海道一の弓取りとまで称された男が
>各砦への攻囲部隊、前線支城の守備兵に知多郡の包囲部隊に輸送部隊
へ手間掛けすぎて本隊に人居ない、なんてヘマをしないと思うが。

94 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 18:48:20
>>86
史料の数字はその作者が字さえ書けば幾らでも変えられるからね。
実際信長公記では今川軍は4万5千になっている、
幾らなんでもちょっと多すぎだろう。
つまりあまり信用できないと。

95 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 20:07:19
駿河、遠江、三河全部根こそぎ集めても3万がいいとこ。

96 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 22:19:53
http://www.mmogchart.com/Chart1.html
http://www.mmogchart.com/Chart2.html


97 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 22:46:15
>>93
人がいない、なんていっていないと思うが。

98 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 23:24:58
アホか
そりゃ単に軍役で計算しただけだろ

100石で3人しか軍役なかったかどーかわからんだろ
100石で6人とかいう数字もあるんだぞ

99 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 23:27:52
数字がいい加減だっていう、いい例だな

100 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 23:28:01
んー、たしか、発端は、織田軍が五万とか七万という軍を出している数字にたいして、
「そんなもの信用できない」といわれたのに対して、「もっと信憑性のない武田二万五千
はどうして信じられるんだ?」と反論があったからだと。

101 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 23:33:29
だから軍勢の数字の多少は、一概に是非問えない


102 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 23:42:25
>>100
武田の場合は川中島のときから2万を動員してたぞ。

>もっと信憑性がない
こんな指摘はなかったと思うが。

103 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 23:46:01
だから武田の川中島の時の2万という数字もわかんねーの

上杉みたいに、はっきり軍役帳残ってりゃべつだが

104 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 00:12:58
ちなみに上杉年譜では上杉勢1万8千、武田1万6千
海津の城兵とあわせて約2万らしいな

105 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 00:28:02
物見が目算で敵の総勢を数えてたとかいう世界なんだから、かなり適当と思われ。
もしかしたら、大体どれくらい程度で、自軍の兵数だって完全にはわからなかったかもよ。

106 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 00:38:52
まあわからないなりに、俺らに推測できる限りで推測してみる、てことでしょう。
そうすると結局、三方原後の信玄vs信長の直接対決では恐らく

・兵力は同程度(少くとも、史実の長篠みたいな圧倒的兵力差にはならない)
・場所は尾張or美濃

てことでOK?

107 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 00:53:22
で、よくわからないから、
石高による兵力動員を統一的な基準として用いてみようって話になったわけだ。

108 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 00:58:22
・兵力は同程度
・場所は尾張or美濃
・鉄砲数で織田が有利? 戦略では武田が上?

このスレ前の方から見てないんですまんが、
三方ヶ原の後、織田・徳川方から離反者が相次いだというのは本当?

109 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 01:05:49
義元は前年から準備をしているぐらいだから、
やはり普通に動員しただけでは完全勝利は覚束ない相手だったんでしょ。信長は。
尾張の国力を舐めちゃいけないってこったな。

110 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 01:29:50
>>108
嘘、織田で実際に離反したやつはほとんどいない。また徳川も城主クラスは寝返ってない。

また尾張美濃で織田武田が戦うなら、徳川無視しても兵数は織田が有利になる可能性が高い。
鉄砲の数は不明、
戦略ではが何を指しているのか理解できないから答えられん。
実際の戦術では実績から考えて信長有利、というより信玄ならこの状況で戦いを挑むような
馬鹿な真似はしないだろう。

111 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 01:41:34
畿内の親織田勢力にも、三方ヶ原後に寝返った勢力はいないからな。
史実を見ればわかるが、信長の戦術は鬼。少数で多数を撃破したことが一再ではない。
逆に信玄は勝利のほぼ全てが敵より多数の兵を揃えており、少ない敗戦時も敵より多数
を揃えていた。

なのに世間のイメージは「信長は数でゴリ押ししただけの戦下手」「信玄の戦術は神」と
まさに真逆。

112 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 02:00:37
>>111
そうかぁ?
武田は結構、周りに敵が多かったのは事実だろう?
実際にぶつかった際の戦力いってるのなら、信長だって同じ部類だと思うんだが。

113 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 02:18:28
>>93
>手間掛けすぎて本隊に人居ない
何処にもそんなこと書いてないと思うが…
信長公記だと信長が義元の部隊(?)を大敵と言い、家臣も攻撃に反対してるから、各部署に
兵を配備しても通常なら信長の部隊と戦って負けることのないような兵力を有していると考えられるが。

>家の一大事にしては、瑣末な守備の数が過大すぎやしないか?
当時の信長の状況からは瑣末な守備とは言えないと思うが、それに義元には松平清康のように品野城から
守山に攻めるルートや、信長の村木砦攻めの逆ルート、蟹江城海西郡から攻めるルートなどもあるから、
信長は兵を分散させなければならないだろうし。

あと桶狭間の戦いは信長は別に決戦のつもりで戦ったわけじゃないだろ、『信長公記』を信じるなら、今川の
先手に多少損害を与えとくとか、相手を牽制するとか、威力偵察だったとか、だからまだ兵を集めることは可
能だったと思う。


114 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 02:19:34
信長公記って、数字的には全然信用できないと思う。

115 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 02:33:17
>>112
戦場で実際にぶつかった際の戦力では、信玄は北条戦の一部除いて常に相手を上回る兵力

信長は戦場でも劣勢な兵力で勝った経験もあるし(4回?)、互角な兵力でも勝ったことがある。無論
劣勢な状態では勝ちより負けが多いが。

また国力で比較すれば、信玄の相手は北条上杉以外は格下の相手。村上はやや弱い程度だが。
信長のほうは桶狭間までは相手は格上、斉藤も5分の勢力、それ以降は格下ばかりだがw

上杉は長尾時代は格下だっただろうけど、関東管領になった直後は国力的にはかなり優勢な相手だろうな。

116 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 02:34:50
>>114
数字は信用できないが(信長公記に限った話しじゃないけどw)、自分より多い少ないは信用しても良いと思う。

117 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 02:59:33
>>116
まあそれぐらいは信用してもいいだろ

118 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 03:06:49
>>115
駿河戦くらいか、北条が武田を上回ったのは。
詳しい事はわからないけど。
他はないかもな、
あの三増峠ですら後北条で実際に矛を交えたのは、武田の半数以下だったしな。

119 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 03:10:31
敵は多く見えるものだし、
敵の正確な数まで、この時代に把握できるとはおもえん。

120 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 03:34:24
>>118
駿河戦くらいだろうな
信玄が自分より多数の軍と対峙することになったのは。

121 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 03:41:56
初っぱなの甲斐防衛戦は?

122 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 04:33:42

http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20050621/rfo.htm


123 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 05:40:18
>>111が馬鹿過ぎる件について

124 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 08:49:45
信玄ほめまくれば。
自然にそれに劣勢な軍事力で負けなかった
家康がもっとすごいって事になる。

125 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/22(水) 08:58:25
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         ト、     !.     〈/     }   /      ,.イ
         ヽ、___ヽ、  ./ カパッ   ̄レ'   _, ‐'
  、             " `,二ヽ!        r''二  ̄
    ` ‐- 、..__,. -‐─┴─'         ゙─‐'--''─- 、..___ ,.
                    ‖‖
                    ‖‖

                     ∧_∧
                    (`・ω・´) シュタッ!只今参上
.                   ノ|__|>
                  Σ ノ  ゝ

126 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 09:17:32
>>124
ん? 家康は信玄に負けてないか?滅ぼされてはいないが・・・

127 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 11:58:59
>>113
そこまで行くと、ほとんど妄想としか思えん‥
今川の先手に多少損害を与えとくとか、相手を牽制するとか、威力偵察とか
その程度の相手に、義元は討ち取られたと‥しかも、まだ兵を集めることは可能だったと。
それが妄想じゃないとすると、今川義元に関する評価を全部書き換える必要があるでしょ

名門今川の当主、1560年、長年安定統治した駿遠三を背景に
上洛の志を抱いて尾張に侵攻したが、様子見に来た信長に討ち取られる。なんてね‥

128 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 12:01:55
>>126
だから、なおさら信玄を褒めちぎる必要があったんですよ江戸時代の人たちは

129 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 12:18:30
家康が旧信玄家臣団雇いまくったのは
旧信長領の信濃・甲斐接収してからで
そこを安定さす為じゃないのかな。
信長健在な時にそんな事できんだろうし。

130 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 12:21:56
武田信玄は凄い
   ↓
家康は一歩の引かず互角に渡り合った
   ↓
徳川家康は凄い

武田軍は凄い
   ↓
徳川軍には武田勢出身者がいっぱい
   ↓
徳川軍は凄い

131 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 12:25:56
>>127
>上洛の志を抱いて尾張に侵攻したが
とっくの昔に否定されたことを持ち出されてもねえ。
小説以外の歴史論文も読んだら?

132 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 12:37:25
>>131
それ以外は認めるってことかな?
よく使われるから枕詞にしただけで、重箱の隅を突付くなよw

133 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 12:41:52
>>132
>113 の発言は信長公記にはこう書かれている、というものであって、それを妄想と
断ずるのなら著者に対してするべきでは?

134 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 12:56:41
>>133
信長公記には、先手に多少損害を与えとくとか、相手を牽制するとか、威力偵察だったとか
そんな風な記述は無いが?まして、まだ兵を集めることは可能だったと思う
などというのは、妄想に近いとおもうが。

135 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 14:02:37
>>134は確たる記述以外は認められない、という手合いか?

限られた状況証拠の中から妥当な考察を導き出す、ってことが
できないなら史学も研究もなにも意味をなさなくなるな。

136 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 14:08:02
>>135
全然妥当な考察じゃねーし

137 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 15:12:33
信長公記に書かれてるのは、家臣達が信長に無謀だとか言うが、それに対し信長は

桶狭間山に布陣している部隊は、城攻めで疲れ切っている、それに対し自分たちは
新手であるから、例え兵力で劣っていても大軍を恐れる事はない。

とか言い放っている。この言葉をそのまま信じるならば、信長は義元の本隊と気づかず
先手の部隊と勘違いしているということになる。
だったらそこから>先手に多少損害を与えとくとか、相手を牽制するとか推測するのは
妥当な推測だと思うが…




138 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 15:15:50
信長が天候を自由に操れる人間でない限りは、
運良く大雨と追い風にならなかったら普通に負けてたわな。

139 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 15:39:37
>>137
信長公記には、義元へ向けて」とあるし
先手の部隊と対するのに、命を賭して、運は天にあり
なんて言わないだろ。。。ありえねー

140 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 17:36:23
>>139
信長公記では大高城に兵糧をいれ、さらに鷲津・丸根を攻略した疲れた軍だから
今川勢が多勢でも勝ち目はあると言ってんの。
この記述は当初信長は桶狭間山の軍を義元本陣と認識してなかった証拠。
>命を賭して
こんな記述はないし、
>運は天にあり
は普通に言うだろ。

それと、戦闘状態になってから「旗本は是なり」というのはある。
これは旗本を視認したからだろうし前後の文章からもここで初めて本陣であると
信長が認識したことが伺えるけど、この場面の以前に「義元へ向けて」なんて記述は無い。



141 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 19:26:43
最初から今川本陣を狙った奇襲ではなく、
前衛を狙ったところ前衛が大きく崩れ本陣まで混乱し、
結果義元本人まで討ち取られてしまった。
って説は良く聞く話だね。

142 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 19:26:57
信長公記の信長の発言は、兵士を鼓舞する為の嘘っぱちかも知れんし
額面通りに思ってたのかも知れん
これはどっちとも取れるよ、藤本氏は額面通りに受け取ってるようだが
しかし、牛一が桶狭間当時に信長配下だったかどうか、誰から聞いたのかという疑問が残るがw

それとさ、今川が上洛戦じゃないのは、ほぼ間違いないので
尾張侵攻戦か、最悪、大高城の後詰かもしれん
>>109の前年から準備というのも、どうも藤本氏のこじつけに見えるし

143 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 19:28:53
>>139
突撃前に信長が「運は天にあり」と言ったと記述があるのは、悪名高い武功夜話です。
信長公記とごちゃまぜにしないように。

144 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 19:41:28
142だけじゃ何言いたいかワカランネ

今川が大高城の後詰での出兵と考えた場合、動員兵数は少なくなるだろうし
尾張侵攻戦の場合は、ほぼ総動員しなきゃならん

信長が今川勢を、単なる後詰と捉えてた場合、大高城周辺の今川の軍勢を多少蹴散らせばいいだけなので
動員兵数は少なくなるだろう
尾張侵攻戦と捉えてた場合は、国外に少ない兵力で迎撃に出るのは、信長勢力の内情不安から無謀に等しいとなるが、
一戦して相手の出鼻を挫いてみようか的な行動だったのかもしれん

ま、こりゃ調べれば調べるほど意見が分かれるところなんでしょーけど

145 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 20:38:10
>>142
そういう解釈をする人もいるけど信長が義元本陣の情報を掴んでた証拠なり史料なり
というのは存在しないし、本陣なんてどこにあるかわからないのが一般的だから
信長公記に書いてあることから読み取るのが普通だと思うけどね。

146 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 00:37:30
まあ今川はいいとして、

結局、武田vs織田の直接対決はたぶん兵力が拮抗する程度だったので
どっちが勝っていたかはわからない、と。

147 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 00:44:43
そうなると、有利なのは自国でバックアップの受けやすい織田だろうな。

148 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 00:48:27
将軍を追い出すまでは
山城・大和・摂津・河内・和泉は
将軍の管轄なんだよね。

149 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 01:22:38
>>144
まあ、家康の一言坂の時のような気分で戦おうとしていたのかもしれん
あの戦いも家康は総兵力じゃないのに武田に攻撃しかけている。

150 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 03:11:16
>>143
横スレだけど。
>突撃前に信長が「運は天にあり」と言ったと記述があるのは、悪名高い武功夜話です。
「運は天にあり。此の語は知らざるや。」
と、普通に信長公記にもある。

151 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 04:05:11
今川義元の所在は、桶狭間の始めに今川義元沓懸へ参陣、とあり、
善照寺まで出てきた後に、今川義元がおけはざま山に居る事や、鷲津・丸根の陥落、
それを気を良くした義元が謡を謡っている様子などの記述がある。
で、そこで信長は危険を犯してまで、中島にむかって進んでおり、
他方では家康が大高城まで来てるのにも関わらず、山際を進んで義元へ一直線。

あの武者、宵に兵粮つかひて、夜もすがら来なり、大高へ兵粮を入れ、鷲
津・丸根にて手を砕き、辛労して、つかれたる武者なり。こなたは新手なり。其
の上、小軍なりとも大敵を怖るゝなかれ。運は天にあり。此の語は知らざるや。
懸らぱひけ、しりぞかば引き付くべし。是非に於いては、稠ひ倒し、追い崩すべ
き事、案の内なり。分捕なすべからず。打拾てになすべし。軍に勝ちぬれば、此
の場へ乗りたる者は、家の面日、末代の高名たるべし。只励むべし

そして突撃前の信長のこの言葉、出陣前の敦盛といい、並々ならぬ決意が伺える、
これらの事から、信長が義元を討ち取れるとまで思っていなかったとは思うが、
義元が居る事を予測又は補足して、本体に急襲を掛けたのはではないだろうか。

152 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 04:31:56
>>151
つまり信長は嘘を付いて、家臣達に勝てると思わせたと。

153 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 08:21:01
>>151
沓掛城な。
それに後世に書いたものだから桶狭間山に義元がいると書いてても不思議ではないぞ
信長が本陣の把握をしてた記述があるならともかくね。

と言うか信長公記に記述されてるのを素直に読めば本陣と認識してないだろ
>>145でも書いてるけど認識してたと読み取れるものは何一つ無いのだから。

154 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 09:56:26
>>153
義元本陣と認識せずに、包囲される危険をおかして進軍したって主張?

逆説的に考えて矛盾がある

155 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 10:03:49
>>153
信長公記に記述されてるのを素直に読めば、普通は本陣と認識してると
読むでしょう、無理に曲解しない限りは。

つーか、後世に書いたものだから〜と言いつつ
信長公記に記述されてるのを〜とか、好き勝手に解釈しすぎかと。

156 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/23(木) 10:08:31
>>151
義元の本陣を知っていたってのはどうかと思う…

>>152
軍全体の士気に関わるから勝てると思わせるのはよくある話だね

157 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 11:36:53
信玄スレでなんで桶狭間の話やっちゅうねん

158 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 12:26:59
100万石あれば人口50万人以上は
いるかと思うので、国の破綻ギリギリ
総人口の5%動員で2万5千はいけるね

159 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 12:56:24
>>158
織田厨乙

160 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 16:03:13
>>151
>これらの事から、信長が義元を討ち取れるとまで思っていなかったとは思うが、
>義元が居る事を予測又は補足して、本体に急襲を掛けたのはではないだろうか
だったら
>あの武者、宵に兵粮つかひて、夜もすがら来なり、大高へ兵粮を入れ、鷲
>津・丸根にて手を砕き、辛労して、つかれたる武者なり。
こんなセリフが出るわけ無いだろ。

161 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/23(木) 16:14:36
>>160
そんなセリフもどこまで信じて良いのやら…

162 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 16:54:11
>>160
151じゃないけど、あなたの言ってる意味がよく分からん。

163 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 18:17:45
>>155
曲解してるのは君のほう。
信長の言葉通り桶狭間山の軍を丸根・鷲津を攻略した兵と見誤ったなら
包囲の心配はないと判断できるし。

>鷲津・丸根にて手を砕き、辛労して、つかれたる武者なり
これは他ならぬ信長の言葉だよ。どこをどう素直に読んでるの?

164 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 19:57:50
「鷲津・丸根にて手を砕き、辛労して、つかれたる武者なり 」
この科白を、信長の本心と見なすか兵の士気を上げるための演説とみなすかで分かれているわけだが。

個人的には、演説なら「直ぐ目の前に敵総大将が(自分たちとさほどかわらぬ数で)いる。あれを討てば
我々の勝利だ」とするほうが兵のモラールは上がると思うが。

165 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 20:10:13
>>164
だね。
本陣だとわかってたなら、わざわざ嘘をつく合理性がないよね。

166 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 20:45:39
>>153
原文では、今川義元沓懸へ参陣、とある。

>信長が本陣の把握をしてた記述があるならともかくね。
俺はこれに、今川義元沓懸へ参陣 、桶狭間山に義元がいると書かれている事を挙げたのだが、
後世の〜、と言ってるが、信長の行動を見ればある程度補足してると思われる行動をとっている。
まず信長が危険を犯して深入りしてる事は明らかで、
背後に鳴海城、西には丸根・鷲津と包囲される形なるのに
中島砦へ進軍して、そこから桶狭間山まで進んでいる、
これは威力偵察、先手に〜、という分を超えての進軍をしてる、
ちょっと失敗すればあっという間に包囲殲滅の形が出来上がるからね。
だから信長は今川義元の本陣をある程度把握して行動してると思われる。

167 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 20:52:21
>>160
何故?それは今川の総勢を指して発した言葉とすれば別に矛盾は無い。
今川義元は水掛を出発しおり、桶狭間山で人馬の休息しているという記述もあるし、
しかもその後に続けて、
是非に於いては、稠ひ倒し、追い崩すべき事、案の内なり。
分捕なすべからず。打拾てになすべし。
軍に勝ちぬれば、此の場へ乗りたる者は、家の面日、末代の高名たるべし。只励むべし
とまで言っている、単なる先方を〜とか、威力偵察ではないのは明らか。

168 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 20:53:41
桶狭間山の部隊が本陣じゃないなら何に突撃するつもりだったんだかw

169 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 21:05:25
あと義元が桶狭間山に着陣した後、佐々隼人正等が今川勢に突撃して、
50騎余りが討ち取られ、これを見た今川義元が喜んで謡をうたわせた、
という記述もあり、そして信長はこれを知って中島へ強行した、
信長は今川勢が大高城に兵糧を入れた事も把握しており、
敵を誤認したとは考えにくい。

170 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 21:30:56
>>166
すべて推論で確たるものは何もないね。
信長公記にある記述を覆すには推論では無理があるし。
第一、>>164の指摘はどう考えるのかな?

>>169
ああ、「沓懸へ参陣」とか信長公記に書いてある義元の動向は全て信長が把握してた
ものと捉えてるんだ。それは無理があるしもう一度読み直してみれば?

171 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 21:46:15
>>163>>166
>信長公記にある記述を覆すには推論では無理があるし。
>鷲津・丸根にて手を砕き、辛労して、つかれたる武者なり
これは他ならぬ信長の言葉ではないし
同じ文脈に、今川義元は、桶狭間山に、人馬の休息これあり。
という一文があるから、今川義元の本陣をある程度把握していたと考えるのが普通。

172 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 21:47:05
間違えた‥>>166>>170宛です

173 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 22:01:09
>>171
忘れちゃいけない。信長公記は太田牛一が江戸時代に入ってからまとめたもの。
つまり、当時の信長は知らなかったが、後世(という程のものでもないが)の牛一は
知っており読者への状況説明として義元の動きを記述した。

174 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 22:09:32
>>171
いやだから、公記は事実を淡々と書いてある史料なわけだ。
その史料中に信長が義元の動向を掴んでたという文はないし
>>166なんかは状況から把握してたと主張してるけど
他ならぬ信長自身が本陣を鷲津・丸根を攻略した部隊であると言ってるわけだ。
>>164の指摘にもあるけどあの時点で信長が嘘の言葉で兵を鼓舞する合理的な
理由もないし。

175 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 22:10:25
>>173とちょっとかぶったね

176 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 22:42:30
>>170
広く見れば義元も鷲津・丸根に参加しており、
「戌亥に向つて人数を備へ、鷲津・丸根攻め
 落し、満足これに過ぐべからざるの由〜」
という記述からも、信長公記は義元をカウントしてる事は読み取れるし、
今川が一連の作戦行動で疲れてるぞ、と読み取るべきだろう。

兵の士気の上げ方多様なので、総大将〜、が必ずしも皆がやる訳じゃないし、
既に書いたがm末代までの面目〜、とか言ってるので鼓舞の仕方に別に疑問点は無いと思うが。

>>170
無理がある、とかく場合は何処がどう無理があるか書くべきだな、
もう一回読めば、では話にもならない。

177 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 22:44:02
>>170じゃないや、>>171だ。

178 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 22:46:02
>>174
事実を淡々を書いてるなら、
佐々隼人正等が今川勢に突撃して、
50騎余りが討ち取られ、これを見た今川義元が喜んで謡をうたわせ、
それを見た信長が中島へ軍を移した事も事実な訳だが。

179 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 23:03:59
>>176
>広く見れば義元も鷲津・丸根に参加しており、
これこそ曲解。

>「戌亥に向つて人数を備へ、鷲津・丸根攻め
 落し、満足これに過ぐべからざるの由〜」
これは戌亥、つまり西北(中島砦)にむかって兵を配置して、鷲津・丸根陥落の報を
聞いてこれ以上の満足はないと義元の立場から言ってるだけだが?

>今川が一連の作戦行動で疲れてるぞ、と読み取るべきだろう
どこをどう読めばこんな見解が出てくるんだ?

>兵の士気の上げ方多様〜
そう士気のあげ方は多様。
だけど本陣と知ってたならこの時点で嘘をつく理由がないし、限りなく不自然。

>無理がある〜
つまり>>173が指摘しているとおりで状況説明として義元の動きを記述しただけで
何度も言うが信長が動向把握してた記述がないのに、公記に出てくる義元の動向を
信長が把握してたと考えるのは無理がある。


180 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 23:24:29
は?記述が無いからって理由なら把握してない事こそ記述されて無いだろ

181 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 23:26:01
出鱈目乙。

正午、北西に向って人数を揃え軍を出し、
鷲津・丸根攻め落とし、これの以上の満足は無いので、

訳せばこうなる。

>どこをどう読めばこんな見解が出てくるんだ?
書いた。

だから別に嘘じゃない。

>50騎余りが討ち取られ、これを見た今川義元が喜んで謡をうたわせ、
>それを見た信長が中島へ軍を移した事も事実な訳だが。

こういうのもあるし、記述記述言ってる割には、桶狭間山の部分を否定したり、
文の訳に意訳を入れたり、お前さんはダブルスタンダートなんだよ、
しかも行動からの推測も出来ないのかい。

182 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 23:26:50
>これの以上の満足は無いので
訂正、
これ以上の満足は無いので、だな。

183 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 23:32:56
なんか、小説で例えると。
小説のキャラクターが知っている事と、小説の地文で描写されていることを
混同しているぞ。

184 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 23:39:17
正直、例えば武功夜話の記述を持ち出して「信長は義元の動向を把握していた」と
主張するのならまだわかるんだが、信長公記の記述でそう主張されると想像力過多
としか言いようが無い。

185 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 23:51:15
>>181
おいおい、出鱈目はどっちだよ。
鷲津・丸根はもともと松平と朝比奈の軍が攻めてて
>「戌亥に向つて人数を備へ、鷲津・丸根攻め
 落し、満足これに過ぐべからざるの由〜」
この記述の前(午前中)にすでに落としてるんだよ。

>50騎余りが討ち取られ、これを見た今川義元が喜んで謡をうたわせ、
>それを見た信長が中島へ軍を移した事も事実な訳だが。

この抜粋も都合のよいようにしてるね。
「信長御覧じて」はその一つまえの佐々らの討ち死にを指してるものとも
捉えることができるし後述の信長の鷲津・丸根の誤認発言とも符合する。

>だから別に嘘じゃない
いや、嘘だよ。この指摘に対して鼓舞の仕方は多様では説得に欠けるし。

>文の訳に意訳を入れたり、お前さんはダブルスタンダートなんだよ、
しかも行動からの推測も出来ないのかい。

意訳をいれてるのは君の方。時系列で追ったらわかるから。
行動からの推測というが公記記述を推測で否定してる君よかましだろ


186 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 23:59:06
>>180
それを屁理屈と言うんだよ

187 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 01:08:35
スレ違い。
このスレは織田厨も多くいらっしゃってるんですね。

188 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 02:32:08
【奇襲か】桶狭間合戦の真実【正面攻撃か】
というスレを立てたら、盛り上がりそうだにゃ(w

189 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 02:37:45
>>187
別にこのスレじゃスレ違いでも無いだろ、かつては信虎だけで500レスぐらい続いたこともあるぞ。
論破されたからって相手を厨呼ばわりするような真似はするなよ。

はたから見てると信長が当時の状況を把握していたと主張してる文のほうがダブルスタンダード
に見えるが。

190 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 03:27:41
>>189
前スレは兵農分離だけで900ぐらいまでいったしな。
上洛の話題なんてほとんど出なかったw

191 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 07:19:10
上洛は無理ってことでFAでる

192 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 07:34:39
拠点攻撃をともなわない上洛ならと言う話もあったな

193 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 07:42:27
今川と違って、信玄の場合は上洛目的で完全にFAなの?

194 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 08:20:15
義元と違って信玄はあちこちに上洛する手紙出してたからいいんでないの。

195 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 08:37:09
それがハッタリって可能性は?
織田が自分のところの守りも固めるよう、画策したとか・・・
徳川に全力で助太刀されるのを避けたとか。

196 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 08:41:16
>>191
上洛じゃないのかな
半信長勢が一番暴れてる状態だし
最大のチャンス。
上洛狙いじゃなかったら。
三方原の勢いで浜松城落として(小田原城と違って。囲んだら落とせるでしょ)
遠江を確実に領国にしたでしょうな

197 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 08:50:12
織田をある程度、叩いておきたかったのかも知れない。
自らが今回、京に上れなくても、武田が織田と争うことで、他勢力の攻勢を導きたかったなど。

198 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 08:54:22
>>195
もちろんハッタリの可能性も充分にある。
でも信長と敵対し戦い続けるのであれば、
最終的には上洛しちゃうだろうよ。
信長を追い落として京都は誰かに譲る計画なんて
有り得んだろうて。

199 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 08:56:49
>>195
本願寺や朝倉、義昭にも上洛の手紙だしてるからハッタリではないでしょ

200 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 09:02:25
もちろん、最終的には京都に上るつもりだったけど、
まずは信長を血祭りに上げて、最終的に手中に収めれば、一時的に誰かがあがっても――とか考えててもありかなと。
織田と分断して孤立した浜松はいつでも落とせるから、
先に書状の通り織田との戦いを第一として、他勢力と協力してふくれあがった織田を攻撃。
武田だけに集中できなくなれば、戦力は分散して、尾張と美濃あたりは勢力下に置ける計算があったかもしれない。
加えて、織田からの支援がなくなった徳川を落とせば、一気に勢力は拡大する。
そうすれば、勢力的にかなりのものになって、たとえその頃誰かが京都を奪っていたとしても、
さらに自分が取り返せる自信もあっただろう。

もちろん、かなり新説(珍説?)なのはわかってるけど、色んな考え方もできるなーとね。

201 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 09:10:03
それまでの信玄の戦いからして
そんな急いだ戦略をとるのはあんまり考えられないんだけどな
自分の体調の悪さからのあせりか

202 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 09:19:33
>>201
個人的には、自分の死期が近いことを悟ってて、
夢に見た上洛を一度は目指してみたいってことで、軍を起こしたんじゃないかなとも思ったり。
結果としては>>200みたいに、武田の領土の拡大に繋がって、跡目が上洛を果たしてくれれば……ってコトで。

203 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 09:24:48
上洛の話しになったけど桶狭間の話しはもう終わり?

204 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 10:10:25
終わりでいいんじゃないの。
「今川義元沓懸へ参陣。」「今川義元は、桶狭間山に、人馬の休息これあり。」
「佐々隼人正〜義元へ向かって」「義元が文先には、〜陣を居られ候。信長御覧じて」
を見れば、義元の本陣を判ってたと解釈するのが自然だろうし。

205 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 10:59:53
>>204
釣り?それともまた論破されてみる?


206 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 11:39:31
>>205
論破してみてくれ。是非

207 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/24(金) 11:42:41
ここは釣堀ではありませんよwww

208 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 12:14:41
>>204の記述は全部地文で作者による状況説明。
>183にもあるとおり信長が知ってることと地文の説明はまったく別。
それとも信長公記は信長がリアルタイムで執筆したとでも思ってるのかな?

あと、>>185などの反論を是非聞かせてほしいな

209 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 12:25:05
結局釣られてムキになる馬鹿が現れる…

210 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 12:25:09
もう桶狭間はよくね
ループしだしたし一部粘着してるけど信長が状況を把握してたと
考えるのは無理があると思うし


211 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 12:51:44
>>208
>>204の3段目は、信長が義元本陣を察知してたという状況説明でしょ
そもそも、事の発端は>>113>>137にある
>信長は義元の本隊と気づかず先手の部隊と勘違いしているということになる。
だろうが、これに関しては信長本人の発言も、状況説明も一切記述が無いね。
これは地文の作者による状況説明、他ならぬ信長の言葉、でも無く単なる憶測。

信長公記に書いてあることから読み取るのが普通だと思うけどね。

212 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 13:04:14
>>211
もうほんとループだな
お前さんには何を言っても無駄だと悟ったよ

213 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 13:20:25
>>185
何話そらしてるんだ?記述をまともに訳せばあの文になるんだよ、
つまり信長公記では広義で見れば義元も鷲津・丸根攻めの軍と
カウントしてるって事なんだよ。

それはお前の都合のいい意訳だろ、
義元の行動まで書いてから、信長御覧じて、と文が続いてる、
討ち死にだけだったら、佐々木らの討ち死にを御覧じて、
とかになる。

別に欠けないが、あの言葉が今川総体を指してると俺は解釈してるし、
常に、あれが本体〜、という訳でもあるまい。
首は打ち捨てにしろ、勝てば末代までの功名、
とまで言い切っているのだから、単なる先方を崩す戦でないのは明らか。

記述記述と言ってるお前が、出された文を自分の都合のいい意訳に
してる事をダブルススタンダードと言ってるんだよ、
しかも公記の記述を否定してないしな。

214 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 13:24:53
あと、義元の桶狭間山での休息の記述、その前から抜き出せばこうなる。

(前略)
御人数立てられ、勢衆揃へさせられ、様体御覧じ、
御敵今川義元は、四万五千引率し、おけはざま山に、人馬の休息これあり。

善照寺まで着いた信長は、軍勢を立て直した後戦況を観察してから、
今川義元がおけはざま山に休息してる情報を入手したと解釈できる文になる。
文脈から見れば、単なる状況説明ではないんだよ。

215 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/24(金) 13:27:24
みんなムキになってカワイイな( ^∀^)ゲラゲラ

216 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 13:51:29
小説や漫画じゃ本陣の位置が判らず、
四苦八苦してる様子で描かれるの多いから

妙な先入観があるんじゃないの?

217 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 14:01:20
>>213
「辰の刻に源大夫殿宮のまえより東を御覧じ候へば鷲津・丸根落去と覚しくて煙上り候」

この公記の記述は午前8時頃に鷲津・丸根は陥落したとある。

>正午、北西に向って人数を揃え軍を出し、
鷲津・丸根攻め落とし、これの以上の満足は無いので、

これはあんたの書いた訳だけど上記の公記記述と違いがあるのに気づいてる?

>義元の行動まで書いてから〜

「信長御覧じて」は直訳で「信長は見なさって」となるが義元は信長が直視できる所で
歌読んでたんだ。じゃあ義元は相当間抜けだねw
・・・まあ、普通に考えれば佐々らの討ち死にを御覧になったと解釈するな。

>別に欠けないが〜

「あの武者、宵に兵糧つかいて、夜もすがら来なり、大高へ兵糧をいれ、鷲津・丸根に
にて手を砕き、辛労して、つかれたる武者なり」
この記述は公記内の信長の言葉として書かれてるけど、この言葉が今川総体を指してる
と解釈するにはどこをどう読めばいいのかな?

>記述記述と言ってるお前が

はたして俺に読解力がなく、そのために曲解してるのか
それともあんたが都合のいいように解釈してるのかどっちなんだろうね?


218 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 14:13:04
>>214
>様体御覧じ、

これも同様。信長は善光寺から見えたんだ・・義元が

219 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 14:17:25
「様体御覧じ」は善光寺に集まった軍勢のことを指すのか、
どちらにしても次の文章とは脈絡がないね。

220 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 14:18:14
あ、217=218=219です

221 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 14:19:12
>>217
おまえに読解力がない、
“広義”で見れば、と何度も書かれた俺の文が読めないのか、読まないのか?

何を自信満々なのかは知らんが、
御覧じて←これは御知りになって、という感じで解釈すべき文だ、
どちらにせよ“義元”へ向って突撃した佐々木隼人正等なんて、
善照寺に居る信長が視認出来る訳が無いのだから。

あとは上に書いたな、嘘ではないが本当でもない、
嘘半分・本当半分の演説と言ったところだろう。

>>218
お前も同じだな、どのみち見えん。

しかし、佐々木等が“義元”に突撃した様子を知っているならば、
義元の居場所を知れる、知っていた事になるがな。

222 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 14:20:56
>>217
オマエさんは都合のいいように解釈してる、アンタさんは少し読み間違えて曲解してる

〜陣を居られ候。とまで書いてから、信長御覧じて〜
と書いているから、普通に考えれば佐々らの討ち死に〜の部分だけを御覧になったとは読みにくい。
何にしても、オマエさんがダブルススタンダードなのは気になる。

223 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 14:32:16
広義か・・・
「あの武者、宵に兵糧つかいて、夜もすがら来なり、大高へ兵糧をいれ、鷲津・丸根に
にて手を砕き、辛労して、つかれたる武者なり」
この言葉は具体的に攻撃対象を示してるんだがね。

>御覧じて←これは御知りになって〜

これを曲解と言うんだよ。辞書で調べてみ「御知りになって」なんて無いから

>>222
ふ〜ん、そう。信長は善光寺から義元が歌読んでるのが見えたんだ、すごいね。

224 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 14:33:34
×善光寺 
○善照寺

225 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 14:48:46
通りすがりですけど、ちょっといいかな。

「鷲津・丸根にて手を砕き、辛労して、つかれたる武者なり 」

これなんだけど、その後に家康が「大高に居陣なり」とあるのに
本心だとは思えないのでは?
これって普通に考えれば、信長が誤解していたか本心を秘匿していたか、
にならない?

もうひとつ、信長が義元の在所を心得ていたか、だけど、信長は鷲津・丸根が
陥落されたさなかに善照寺砦に入り、更にそこから中嶋砦に移っている。
次に、
「無勢の様躰、敵方よりさだかに相見え候」とあるのは、今川勢から信長の
動向を把握されていたという事で、事実、善照寺砦〜中嶋砦間の地形は
軍勢を隠匿できるような地形じゃない。
戦況不利な中、自らの行動を露呈させているのに、ある程度の見当はあった
としても、義元を討つ意思があったとか、在所を熟知していたとは思えないん
ですけど……。

226 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 14:51:51
>>223>>225
>御覧じて←これは御知りになって〜
>これを曲解と言うんだよ。辞書で調べてみ「御知りになって」なんて無いから
??俺はそういう意味で使って無いが‥ 曲解ですか?
まあ多分、俺ともう1人を同一人物だと妄想したんだろうけどw


227 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 14:54:08
>>223
あ〜スマン、俺じゃないのか‥読解力不足だったw

228 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 15:03:09
「あの武者〜」
信長の言葉が敵を矮小化させる口上なのに
現状を厳密に語っていなければ、可笑しいのか?


229 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 15:06:40
>>223
>ふ〜ん、そう。信長は善光寺から義元が歌読んでるのが見えたんだ、すごいね。
この言い分が通るなら
ふ〜ん、そう。信長は佐々木等が討ち死にしたのが見えたんだ、すごいね。
ってことになるけどねw 実際は端折っただけだろ?

230 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 15:08:13
>>227
こちらこそアンカーつけ忘れすまん。

>>228
少なくとも矛盾はあるな。
桶狭間山の軍を義元本陣と認識してたならあの時点でなぜ嘘の演説をしたか
納得できる合理的理由は示されてないな。

231 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 15:10:50
視力5.0くらいあれば見えたんじゃないかなw

ちなみに佐々木じゃなくて佐々(さっさ)

232 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 15:20:57
「牛の刻、戌亥に向かって人数を備へ」
この部隊と衝突したなら或いは見えたかもな

233 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 15:21:53
>>230
一理あるけど、義元本陣と認識せず先方だと思っていたなら
あそこまで大げさな演説を打つ、家臣が諌める程の危地へ飛び込む
その、納得できる合理的理由も無いよね。

234 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 15:23:50
>>230
何度も既出だが嘘のつもりなんてないだろ
夜中行軍して後詰めに着た今川軍は疲れているって言いたいんだろう

それに軍議中の言葉ではなく兵に向けた鼓舞だし
この時厳密でなければならない理由って何?
東海一の弓取りの今川義元と戦うって言ったほうが士気が上がるのか?

235 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 15:52:44
>>233
信長は尾張を統治して日が浅く豪族に対しても確たる信頼があるわけでなく
離反など防ぐためにも目先の勝利が欲しかったと考えることもできる。
さらに戦場では一部隊の敗走が全体の敗走を導くこともあり、そのことも視野に
いれてたと考えてもおかしくない。
敵の弱いところを攻撃するのは戦の常道。事実、鷲津・丸根を攻略した部隊は
疲弊しており信長にとって一番叩きやすい部隊だった。

>>234
>何度も既出だが嘘のつもりなんてないだろ
夜中行軍して後詰めに着た今川軍は疲れているって言いたいんだろう

それはあんたらが勝手にそう解釈してるだけで文章を素直に読めば
信長がいってるのは鷲津・丸根を攻めた松平隊、朝比奈隊を指してると
とるのが普通だろ。

>それに軍議中の言葉ではなく〜

いや、だから。わざわざ嘘の演説をする合理的理由は何?
別に厳密である必要はないが嘘を付く理由はないだろ。
それに鼓舞なら>>164の指摘どおりにするのが普通だと思うぞ
本陣を壊走させれば勝ちなんだし。



236 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 16:06:04
>>235
>鷲津・丸根を攻めた松平隊、朝比奈隊
このことが分かるなら、義元本隊が配置されている位置もある程度分かってたと思うけど。

それに、上の段の説明は動機として弱いよね
あれだけ丁寧に論って檄を飛ばすのは、重大事だからでしょ。
>>164みたいな演説は、当時の義元の威勢を考えると下手だと思うし。

237 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 16:16:32
>>235
ダブルスタンダード君は文章の矛盾に気がついてないのか?
レスする相手毎に立場がばらばらですよ

238 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 16:21:11
>>236
>このことが分かるなら〜
わかってたんじゃなくて本陣を松平隊、朝比奈隊と誤認してたの。

>上の段の説明は動機として弱いよね
信長はどうしても不利なんだからリスクを負う必要があって
鷲津・丸根攻めで疲れた軍を狙うしかないでしょ
なぜなら何もしなければジリ貧だし、時期的に考えてもこれを逸したら
松平隊、朝比奈隊には回復され中島砦に差し掛かる頃には今川勢に集結
されるだろ。

239 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 16:23:48
>>237
あ〜、お前はもういいや。
矛盾や間違い指摘してもそれには答えないでレッテル貼りや
自分の主張しか言わないから

240 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 16:47:34
ファビョルなよ
>>238
のレスにしたって誤認しているなら
>松平隊、朝比奈隊には回復され中島砦に差し掛かる頃には今川勢に集結されるだろ。
と察知することは出来ないはずだぞ

もしこのことが察知出来たのだとしたら、義元が最前線に出てることを
何の疑問にも思っていないことになる

241 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 17:01:04
>>238
松平隊の記録は、大高へ〜云々の部分だけだよね?
この部分も状況説明だから、先懸と誤認したって意見は疑問。
それに先懸を打ち破っても、本隊が近くに在る状況じゃ
大きな戦果は挙げられない可能性が高いし位置も掴まれるから、あえてするかな?
打撃は与えられるから、一概に良い悪いは言えないけど。

先懸は本隊の安全を期する為にいるものだから
織田軍を確認するまでは、合流しないと思うけどなぁ‥

242 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 17:03:09
>>240
誤認というのは義元本陣を信長は松平隊、朝比奈隊だと思っていたこと。

>松平隊、朝比奈隊には回復され中島砦に差し掛かる頃には今川勢に集結されるだろ。
と察知することは出来ないはずだぞ

前提を読め。何もしないか、あるいは時期を逃した場合とかいてあるだろ

243 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 17:08:29
>>241
>大高へ〜云々
ここが違う。もう少し先の文で桶狭間山の軍を指して
「あの武者、宵に兵糧つかいて、夜もすがら来なり、大高へ兵糧をいれ、鷲津・丸根に
にて手を砕き、辛労して、つかれたる武者なり」
という事を信長の言葉として言ってる。

244 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 17:52:52
>>243
「あの武者」が義元を指してると考えても、違和感は無いんちゃう?

245 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 17:53:42
なるほどー
桶狭間山の弱った松平、朝比奈部隊を倒そうとしたら、そこにはなんと今川義元が居て
運良く討ち取れちゃってラッキ〜だったんですね

織田信長は智将ではなく池沼だったのかぁ

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