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蜀将討議スレッド12

1 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 18:24:04
蜀における武将、人材に関して総合的に語り合うスレ
とりあえずただの煽り合いは抜きの方向で。
正史準拠、演義準拠での発言は極力避ける事。

<前スレ>
蜀将討議スレッド11
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1110602773/

<過去スレ>
蜀将討議スレッド10
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1108629096/
蜀将討議スレッド9
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1098807561/
蜀将討議スレッド8
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1091196164/
蜀将討議スレッド7
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1090156694/
蜀将討議スレッド6
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1089022105/
蜀将討議スレッド5
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1088188865/
蜀将討議スレッド4
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086984613/
蜀将討議スレッド3
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086376565/
蜀将討議スレッド2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086111941/
蜀でNO.1の名将は誰か?
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1085319730/



2 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 18:30:02
孔明は天下の奇才なり

3 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 18:33:56


4 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 18:34:55
<関連スレ>
どの程度の人材がいたら蜀が統一出来たのだろうか3
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1104243588/
魏延の長安攻めを孔明がオーケーしていたら
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1110191365/
孔明死後の姜維の北伐は無駄だったのか?【第三次】
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1088084730/

魏の名将・良将を語るスレ 其の七
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1109393677/
魏の参謀ベスト10を決めよう
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1087734165/

呉総合スレ2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1113543167/

5 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 18:38:32
>>1


6 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 18:43:13
蜀漢って日本の戦国時代に例えると
真田昌幸が、伊達及び奥州の諸侯を糾合し手を組んで秀吉を退けた後に
秀吉を牽制しつつ伊達を出し抜いて北条家を乗っ取るという荒技って感じだよな。

7 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 19:19:42
>>1


俺はずっと立てようか立てまいか迷ってたヘタレです

8 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 19:38:05

立つの待ってたよ

9 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 19:46:13
>>4


10 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 22:56:33
スレが立ったは良いが、なかなかスレが進まないな。
前スレから時間が経ち過ぎたか?

11 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 23:58:08
前スレは、蜀で軍事能力に長けてた人物って誰よ?
とかそんな流れだったっけ?

12 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 00:10:23
1位 劉備
2位 諸葛亮
3位 関羽
4位 魏延
5位 姜維
6位 張飛
7位 王平
8位 黄忠
9位 張ギョク
10位 趙雲

順位は気にせず蜀の人物について語りましょう
語り尽くした感もありますが
スレの存在に意義があるという方向で

13 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 00:10:26
ネタ投下
関羽 事績
・本籍からタク郡に出奔した。
・劉備が兵を集めると張飛とともに護衛官となった
・劉備が平原国の相となると別部司馬となった
・劉備が高順に撃破されると劉備らとともに曹操の下へ逃げ込んだ
・下ヒの包囲に加わった
・劉備が車冑を殺害して除州を手にすると、下ヒに駐留して太守の事務を代行(統率+政治+)
・曹操が劉備を征伐、劉備逃走、沛県に取り残した妻子は捕縛され、下ヒに駐屯していた関羽も孤立し降伏
・曹操は関羽を捕虜としたが、偏将軍の位を授けるなど厚遇
・天下統一を目前にした袁紹軍の先鋒を任された顔良を斬る(武力+)
・劉j降伏を受け逃走、友軍を待っていたが、漢水にて楽進、文聘に撃破された
・続けて漢津にて徐晃、満寵に撃破され、荊城の水軍の一部を焼かれた
・劉備から荊州を任され統治、運営(統率+政治+)
・呉の縁談の使者を罵倒する(政治−)
・孫権の挑発行動に手紙で行き過ぎた恫喝をする(知力−)
・孫権により派遣された荊南の三郡の太守を追い返した(政治−)
・諸将の前で肘を切開しながら酒を酌み交わす(武力+)
・陸遜のへりくだった手紙に慢心する(知力−)
・魏の救援軍(于禁・[ホウ]徳)を撃破(武力+統率+)
・曹操は許からの遷都を考慮したが、司馬懿・蒋済に諌められる(武力+)
・樊城攻めの援軍、補給を要求するが全て断られる(統率−政治−)
・船を使い樊城を包囲、襄陽には別将を派遣
・呉との国境線にある倉から無断で兵糧を持ち出す(政治−)
・敗走の最中、 朱然と潘璋を派遣して関羽の退路を断たせ、関羽とその子の関平を臨沮で斬り殺させた
・春秋左氏伝を諳んじていた(知力+)
・程イクに兵一万に匹敵すると称される(統率+武力+)
・周瑜に勇猛無比の将と高く評価される(統率+武力+)
・廖立に思い込みのみで突進するから何度も負けると酷評(統率−武力−)

14 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 00:13:26
>>13
ザコだな


15 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 00:22:23
関羽は良くも悪くも人間くさいよなぁ
ま、劉備や諸葛亮・姜維やら、トップの人間臭さが本当の蜀の魅力なのかもしれんが

16 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 00:32:04
人間くさいというより
個性が強すぎる印象
劉備じゃないと、まとまらない

17 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 00:35:42
劉備はむしろ神懸っている

18 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 00:42:42
劉備が直卒した時(ほとんどそうだが)は
けっこう強いしね
赤壁以降は結果残してる
蜀将って言うより劉備軍団
劉備死亡後の諸葛亮の苦労がしのばれる


19 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 01:04:33
劉備 左将軍、豫州牧、漢中王、蜀漢昭烈帝
・鄒靖に従って黄巾討伐に手柄を立てる。「武力>統率」
・安喜の尉の時、督郵を縛り上げ杖で二百回打ち据える。「武力」
・毋丘毅に同行し、下ヒで遭遇した賊相手に奮戦、軍功を立てた。「武力>統率」
・高唐の令の時、賊軍に撃ち破られて公孫サンの元に逃亡。「統率マイナス」
・英雄記にいう。曹操と沛国に戻り兵を募集して軍勢を糾合したとある。「統率」
・公孫サンの元、田楷と共に袁紹にあたり戦功を立てた。「武力>統率」
・魏書にいう。外には暴徒を防ぎ内に対しては恩恵を与えた、とある。「統率>武力と政治」
・徐州に袁術が来襲すると、淮陰でこれを阻んだ。「統率>武力」
・楊奉、韓暹を迎え撃って、これを斬った。「統率>武力」
・小沛に入り、兵を一万余人集めた。「統率」
・小沛で呂布(高順、張遼)に敗れ、曹操の元に身を寄せる。「統率マイナス」
・高順に敗れる。「統率マイナス」
・下ヒに戻った後、朱霊が帰還すると刺史の車胄を殺害した。「武力」
・曹操は劉岱、王忠を派遣したが劉備に勝てなかった。「統率>武力」

20 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 01:05:07
・曹操が自ら来襲し、これに敗れる。「統率マイナスでよいのだろうか?」
・袁譚を茂才に推挙した。「政治」
・袁紹の命で、劉辟らと汝南を荒らす。「武力>統率」
・その後、曹仁に敗れる。「統率マイナス」
・再び袁紹の命で「キョウ都」らと合流、曹操の派遣した蔡陽を破る。「統率>武力」
・その後、曹操に敗れる。「統率マイナス」
・博望で、夏侯惇らを逃走と見せかけ陽動、伏兵で撃ち破った。「統率=武力と知力」
・曹操の烏丸征伐に乗じて、許を襲撃するよう劉表に説いた。「知力」
・当陽で曹操に追いつかれ民衆や輜重を捕獲された。「これは仕方ないだろう」
・周瑜、程普らと力を合わせ、曹操を赤壁で破る。「統率>武力」
・上表して劉キを荊州刺史にした。「政治」
・荊州南部四郡を降伏させる。「統率>武力」
・京城に赴き、孫権との誼を深める。「政治」
・殷観の策に従い孫権の蜀進出を妨害、中止させた。「知力」
・法正の策に従い益州に入り、劉璋と会見した後、葭萌に入り、恩徳を施し人心を収攬した。「政治」
・劉璋と不和になると楊懐を呼びつけ、これを斬った。「武力」
・黄忠、卓膺らと共に「フ」に至り、城を占拠した。「統率>武力」
・冷苞、張任らを破り緜竹まで退かせた。「統率>武力」
・諸将を派遣し、属県を平定。「統率>武力」
・軍を進めて「ラク」を包囲し、これを落とす。「統率>武力」
・李恢を派遣し馬超を帰順させた。「知力」
・成都を包囲し、劉璋を降伏させた
・定軍山に陣を築き、黄忠に命令して夏侯淵を討たせた。「統率>武力」
・漢中に攻め寄せた曹操相手に要害に立てこもり、これを防いだ。「統率>武力」
・成都に役所を置き、魏延を抜擢し漢中太守とする。「政治」
・諸葛亮を丞相に、許靖を司徒とし百官を置き宗廟を建立した。「政治」
・馬良を派遣して五溪蛮を味方に付ける。「政治」
・陸遜に敗れ諸将を失う。「統率マイナス」
・孫権と和睦する。「政治」
・陳羣の諫めを聴かず袁術と戦い、呂布に下ヒを奪われた。「政治マイナス」
・陳羣を茂才に推挙。「政治」

21 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 03:40:20
>・安喜の尉の時、督郵を縛り上げ杖で二百回打ち据える。「武力」
ここでまず笑った

22 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 12:09:42
エキセントリック
エキセントリック
エキセントリック蔣琬と費禕
今日も蜀が平和なのは
エキセントリック蔣琬と費禕がいるからさ

23 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 22:48:01
>>11
その流れで姜維を推す声が高まりつつ、多少の議論が行われたが、最後はケ艾の話に移った。

24 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 00:12:44
個人的に姜維は孔明に心酔する爽やか系青年将校なんかじゃなく、
餓狼のように血と争いを求める、呂布から純朴さを抜いたような人間であって欲しい。

25 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 00:50:31
たぶん姜維は前者でも後者でもない
そもそも活躍しだしたのは50前後であるからして・・・

26 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 00:57:03
姜維は、軍人としての栄光をただひたすらに追い求めていただけのように感じるがな。

27 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 00:59:50
ぶっちゃけ、ちょっと依怙地になってただけだと思う

28 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 20:01:34
あんまり伸びないね。
「蜀で一番の戦上手(劉備除く)」という前スレ最後の話題は忘れるという方向か?

29 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 00:26:55
蜀ファン求む
期待あげ

30 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 00:30:27
姜維が「左大将軍」などという実在しない職にあったとする過った説を訂正する件について

31 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 00:32:57
ちょっと懐かしい話題だな。

そういや、最近むじん氏を見かけないな。サイトも更新されてないし。

32 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 00:35:20
むじん氏は尊敬しているが、左大将軍の件ではがっかりした

33 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 01:02:11
ぶっちゃけ、姜維は故郷に帰りたかっただけだって。
故郷を蜀に併合できていたら、
その後は無茶をすることもなかったような気がする。

34 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 01:48:22
>>33
姜維のあの素敵レターを無視する気か?


35 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 01:52:15
>>34
鍾会と反乱起こす時に劉禅に送った密書の事か?

36 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 17:36:43
>>35

ママンに送った手紙のことでは?

37 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 17:44:09
>>36
「ひたすら将来の希望を追う者は、故郷に帰る気持ちは持たないものです」
ってやつか、すっかり忘れてた。
素敵レターって言うから、蜀への忠誠を表すような手紙かと思った。

38 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 18:02:45
しっかし、善悪はともかく個性的な手紙だよなぁ…
もう少し資料残っておいてほしかったもんだが

39 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/16(月) 01:17:20
姜維って、心境としては劉備に似てるんじゃないかと思う時がある

40 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/16(月) 01:43:29
>>37
まさに魏に投降した後の劉禅の心情そのものだな

41 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/16(月) 03:42:11
むじん氏は尊敬しているが凌統の年齢の事ではがっかりした。

42 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/16(月) 20:58:14
>>39
劉備に似てる?どうして?

43 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 07:26:55
大望のためにいろいろなものを捨てている点

44 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 12:17:57
いや。全然違うし

45 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 11:14:32
(Д)゜゜

46 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 12:01:23
>>41
どうゆう事??

47 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 12:33:08
両刀の享年はむじんというか、29歳が正しいだろ

関羽の部下呂布や李儒の経歴は怪しいし、姜維の左大将軍は間違いだが

48 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 21:03:41
李恢って「なにがむむむだ」だけではなく、なにげに名将だったんだね。

49 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 12:46:09
やっと理解したか

50 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/23(月) 14:32:53
ところで陳式って伝はともかく季漢輔臣賛にも名前が出てないんだろう?
諸葛亮に派遣されて陰平・武都の2郡を平定するという大功をたてたのに。
魏延や並み居る諸将を差し置いて抜擢されたんだからなにかしら記録が残っててもしかるべきだと思うんだが。

51 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/23(月) 20:25:55
実は違う名前で出ている説

52 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/23(月) 20:53:11
>>51
http://www.geocities.jp/korasouko/upload314013.jpg

53 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/30(月) 14:27:10
保守

54 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 05:13:32
●:・∵;(ノД`)ノ

55 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 05:33:55
      |:::::::::::::::
      ∧_∧::::::::::::
     (´・ω・`) ::::::::
◎ー)  /     \:::::::::
 |  | (⌒) (⌒二 )::::::::::::
 ~~~ /⌒ヽ( ̄、  ヽ___
   /    Lヽ \ノ___
   ゙ー―――(__)---

56 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 16:32:02
最盛期には横綱はじめ関取が数えあまたであった某部屋も
関取の中で一番の雑魚であった五剣山がいまや筆頭という惨状。

三国志でいうと、関羽や趙飛や黄忠や馬超らが次々と死んでいって
しまいには魏延や馬岱や夏侯覇もいなくなっていよいよ人材が枯渇し、
パシリであった張翼や王平や馬忠ら雑魚しかいなくなったような状況だ。

弱小部屋への転落の道はまさに坂がころげおちるが如し。
もうモンゴル人でもスカウトしてきて綱とらせた方がまだ望みがありそうw


57 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 16:38:31
>>17
芳樹にいわすと劉備の強さの源は謀臣であった法正とホウトウの
2人が参謀として活躍したからで2人がなくなると劉備は戦争に
勝てなくなったといっているね。

BY中国武将列伝上巻

58 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 17:15:00
>>17は16を受けて劉備の人を纏め上げる能力を賞賛してるのかと思ってた。

59 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 17:15:25
芳樹は別板でやってくれ

60 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 17:19:11
>>56
>しまいには魏延や馬岱や夏侯覇もいなくなっていよいよ人材が枯渇し、
>パシリであった張翼や王平や馬忠ら雑魚しかいなくなったような状況だ。

死んだ順番 魏延→王平→夏侯覇→馬忠→張翼
馬岱・記述なし

61 :60:2005/06/03(金) 17:21:15
と、ミスった 夏侯覇も没年書かれてなかったな
馬忠→張翼の間であったことはたぶん確かだ

62 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 17:29:30
>>56
張翼や王平、馬忠が雑魚ですかそうですか………

63 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 19:45:40
芳樹が好きな向朗は芳樹曰く趙雲は万を指揮する権限がない近衛の長に
過ぎず、演戯での評は過大評価だ、向朗こそは蜀の4将軍に告ぐ
第五の名将だと持ち上げているね。
しかし、具体的な戦功が蜀伝に記されておらず忘れ去られたと
芳樹はいっているが、このへんどお

64 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 19:49:00
べつにええやん
あれこれ想像して楽しむのも歴史の楽しみ方

65 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 19:54:10
いや戦功が記されていないのなら何を根拠に名将と持ち上げたのかなと
思ってさ。
将来芳樹も三国志やりたいみたいな事をどこかで書いていたから
それまで持ちネタは明かさないのかも知れんけど。

66 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 19:54:44
何処をどう考えたら向朗になるのか分からんなあ

67 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 19:55:45
そら個人的な楽しみ方で
批評には値しない
ところで四将軍ってなんだ。関張馬黄か

68 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 19:57:28
芳樹曰くそういう意味らしいけど。
趙雲を入れるのはまちがっているといっていた。

69 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 19:57:58
>>63
尚朗じゃなくて尚寵じゃねえの?

だとしても
> 向朗こそは蜀の4将軍に告ぐ
> 第五の名将だと持ち上げているね。
ってバカじゃねえの?芳樹?

70 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 19:59:15
ガイエが書いた夏候覇の小説の中で触れているな<尚寵

71 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 20:04:51
ショウチョウは名将っぽ
カクシュンは惜しかったな

72 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 20:08:56
ミニ張遼霍峻

73 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 20:15:00
自分の創作の内にそーいうの取り入れるのは別に自由だが、批評でやられるとちょっとな

74 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 20:33:29
ソースを明示してくれればどれだけトンデモっぽい説でもいいんだけどな

75 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 20:41:24
で、ショウチョウの戦歴ってマジな話ぜんぜん残ってないの?

76 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 20:43:21
>>75
夷陵の時に向寵の陣営だけ無傷だった事くらいかと。

77 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 20:44:41
ほかは全然ないの?

78 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 20:48:25
>>77
228年、北伐の際、中領軍に任じられ首都を任された。
240年、漢嘉郡の蛮族討伐で戦死。

これくらい。
以前のスレでソース・真偽のほどは知らんが(華陽国史?)もうちょっと詳しい記述があった。

79 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 22:07:20
>>78
前々スレのコピペ

988 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 05/03/11 04:48:09
>>985
向朗の族弟。劉備が荊州を治めると私兵を率いて帰服し、中郎将となる。
益州入りに従って功有り、偏将軍に任命される。
張飛に従って宕渠で戦い、劉備か漢中王となると征虜将軍・漢嘉太守に昇進した。
東征に従い、諸軍が壊滅する中で唯一軍を全うする。
劉備が永安に帰ると護軍に抜擢され、永安を守備した。
諸葛亮が北伐すると、仮節・中領軍となって、成都防衛の任にあたった。
諸葛亮が没すると、衛将軍に昇進。引き続き近衛の諸軍を統率した。
越雋郡回復の命を受け、進軍途中に漢嘉で蛮族の軍と遭遇。
流れ矢に当たり、戦死した。

80 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 22:09:41
こうやって列挙されると、確かになんか凄そうな感じはする

81 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 22:12:06
正直、まだ趙雲のほうがマシに見える

82 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 00:27:54
>>79
経歴みていると守将という感じで地味だなあ。
全滅を避けているから統率力は高いと思うけど。

ちなみに征虜将軍って蜀の序列でいえば他の将軍らと
比較とするとどのぐらいえらいの。

83 :全部演戯系の話だが:2005/06/04(土) 00:45:44
>>62
王平って横山版の三国で孔明の北伐時に街亭の敗戦の追撃戦で
わざと冠を置いたほうを追撃して取り逃がし、王平から報告を受けた
孔明は労をねぎらったが、彼を探させた後、「これが関羽だったら、
計略にかからず分かれ道であえて冠とちがう道を選んで捕縛したろう」
といった意味の事を回想させて蜀の人材払底のエピソードにされちゃった
かわいそうな奴だな。
魏延がたびたび反抗するから、彼を切るか降格すべきだが、蜀には
人材がいないマズーという話と同じぐらいしょぼん太な話だよな。

84 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 00:48:26
>>83
待ってくれ、それは王平ではなく廖化だ
ちなみに王平と違って廖化は立派な凡将だよ

85 :全部演戯系の話だが:2005/06/04(土) 00:49:06
>>56
寥化という武将がずっとおって、しまいに将軍になったんだが、
蜀建国時の第一線の将軍らが次々とあぼんしてしまいに寥化
ぐらいしか(あるいは寥化でも)将軍になるぐらい人材がなくなる
事を揶揄した格言がなんかあったと思う。
詳細忘れた。
思い出したら書く。

86 :全部演戯系の話だが:2005/06/04(土) 00:50:39
王平だったように思うが、勘違いだったかな?横山版10年以上見ていないので詳細忘れているかも。

87 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 00:51:01
>>85
すぐ気づくと思うが、それが>83なw

88 :全部演戯系の話だが:2005/06/04(土) 00:54:54
>>83
ちなみにたしか冠をおいてのがれたのは仲達で、指揮下にいた奴でほら、カンプクやエンショウから
主君変えて曹操に使えた奴いたろ、あれを死なせたときの話だ。

89 :全部演戯系の話だが:2005/06/04(土) 00:56:46
>>87
いや、>>85の話はまた別。横山版とは関係なく、演戯の話が後世できた時に寥化が将軍になった事を揶揄してなにか格言ができていたと思う。
詳細はまだ思い出せんけど。

90 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 00:58:57
ちなみに諸葛亮の時代で良質な人材が枯渇することはなかった。
人材が途絶えたのは費禕の時代あたりからね。

91 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 01:01:01
>>89
廖化当先鋒

92 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 01:01:35
>>82
乱暴な言い方をすれば関・張・馬・黄に次ぐ2番手グループ。
あくまで征虜将軍・漢嘉太守と言うのが本当ならね。
ただ実際には将軍号なんて飾りみたいなもので他の要素の方が大きい。

93 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 01:08:19
黄忠って演戯では夏候淵を定軍山で切ったり、関羽と一騎打ちしたり夷陵でハッスルしたりしてるけど、正史ではどういう活躍したの。老黄忠の起源になるのが相応しいぐらいの猛将だったのは事実?

94 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 01:08:53
うん

95 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 01:10:05
ネットで黄忠伝みられるところある?

96 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 01:11:33
うん

97 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 01:13:26
http://mujin.parfait.ne.jp/search2.cgi?text=shu6-4;lang=JpCh
正史でも実際に淵を切ったのか。スゲー

98 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 01:38:58
久々に投入。

劉敏
泉陵の人。字は不明。
蔣琬の外弟にあたり、若い頃から名を知られていた。(蔣琬伝)
231年、李厳罷免の上表に行右護軍・偏将軍の署名あり。(諸葛亮伝注)
同じ行○護軍には費禕などもおり軍官僚として順調に出世していたと思われる。
後に左護軍・揚威将軍に任じられ王平と共に漢中の押さえとして赴任。(蔣琬伝)
244年、駱谷の役の際、王平の意見を支持し魏の大軍を防ぐ。(王平伝、蔣琬伝)
雲亭侯に封じられる。

野戦タイプではなさそうだが、中堅の将としてはなかなか?

99 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 02:37:41
>>98
Koei的に表すと武60前後、統60後半、知70前後、政60前後くらい?

100 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 06:59:47
王平は蜀では魏延の次ぐらいの良将なんだけどなあ
知名度はともかく功績では趙雲・黄忠よりも上だと思うんだけど
つーか五虎将以外の評価が不当に低すぎるんだよ

ところで、向寵って馬謖の脱走見逃して降格させられたってエピソードなかったっけ?
あれは向朗?

101 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 09:18:43
っていうか関・張・馬・黄を評価したのは劉備だからなー
その次に評価したのが張飛をさしおいて太守に任命した魏延。

黄忠に関していえば、
>>97を見ると黄忠を馬・関と同格において諸葛亮の意見を退けて
関羽には朕自ら説明するとまで評価している。
劉備の人物鑑定眼は結構正しいのでまずは実力どおりの評価で
ないかと。

後、王平はたしか劉備が亡くなってから魏から蜀に鞍替えしたから
劉備の時にはよくあった抜擢人事が無くなった事も関係するんかも。




102 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 09:27:46
>>101
王平が劉備に降ったのは曹操と漢中を争った時。
生前ですがな。

103 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 11:47:09
遅レスだが
>>79のコピペはガセっぽいんで注意
ま、分かってると思うけど念のため

104 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 12:03:48
じゃ真実はいかに。 

105 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 12:11:34
>>103
華陽国志の先主志にも後主志にも載ってなかったからな。
益州人士では無いので、先賢志や後賢志にも載ってない。

少なくとも華陽国志がソースというのは嘘だろう。

106 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 13:27:04
三国志の向朗伝に書いてるのが向寵のほとんど全てだよ
荊州人なんで、もしかしたら襄陽記になんか書いてるかもしれんが期待薄

107 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 16:03:43
・劉備の時代に牙門将になる
・シ帰の敗北の際に軍を全うする
・223年に都亭候に封じられ、のちに中部督となり近衛隊を指揮
・出師の表で軍事において有能と持ち上げられ、中領軍に昇進
・240年に漢嘉郡の蛮族を討伐に向かい、戦死

三国志にある、向寵についての記述はこんなもん。

108 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 18:22:06
爵位の序列としては県侯>都郷侯>郷侯>都亭侯>亭侯>関内侯みたい。
で劉禅が即位した時に、
都郷侯:李厳、劉エン
都亭侯:魏延、尚寵
各亭侯:趙雲、陳到
関内侯:楊洪
それぞれ叙されてる。

勿論単純には言えないがこれから見ると呉懿や輔匡、劉ヨウ、李恢などと比べても尚寵はよく遇されてるようだ。
また劉エンは飾りだから東方の李厳、北方の魏延に次いで中央の尚寵というくらいの重みがあったっぽい。
それに次ぐのが南方の李恢って感じ。

趙雲との比較で言えば爵位では尚寵の方がやや上。
中部督と中護軍はどちらが上かは判然としない。
ただ北伐時には尚寵は中領軍に就いており中領軍は中護軍より格上。
とはいえ趙雲は鎮東将軍に上がってもおり北伐にも従軍していることからそれに絡んだ人事でもありそう。
トータルで言えばやはり尚寵の方が地位的にはやや上か?

109 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 20:45:36
趙雲、陳到って魏延、尚寵よりも下なんだ・・・・。

110 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 20:48:39
ちなみに蜀の場合食い扶持はどういう風にもらうの
爵位に応じた棒給が定められていて現金でもらうわけ?

それとも領土あるいは徴税権をもらって自分で領内を経営して
いくわけ?

111 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 20:48:56
魏延は普通に名将なのでは
向寵は上のレス見てもよくわからんが

そういえば、どっかで趙雲は劉備(劉禅)の親衛隊長みたいな感じで
劉備の傍近くいる人間が位階が高すぎるのを忌避したのではないかって意見を見たなー

112 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 20:51:53
108の訂正。
都郷(亭)侯>郷(亭)侯じゃなく郷(亭)侯>=都郷(亭)侯みたい。
要は具体的な地はないが郷(亭)侯として遇する場合、都郷(亭)侯としたのかな?

ということは微妙ながら趙雲の方が尚寵より地位的に上だったようだ。

113 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 20:59:06
趙雲は諡号もらっているからいいじゃん。

114 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 21:01:56
更に訂正。
つまり中央の諸葛亮、東方の李厳、北方の魏延という感じの序列で趙雲は諸葛亮の下についていた。
そして北伐の敢行によって北方の諸葛亮、その指揮下に魏延と趙雲、東方の李厳という形になり、留守の中央の軍は尚寵に任された。
そういう形なのではあるまいか?
ただあくまで諸葛亮は中央の責任者でもあるので尚寵も諸葛亮の指揮下にあり微妙ながら権限としては魏延、趙雲らと同等くらいだったのではなかろうか?

115 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 21:20:12
そう考えると李厳の失脚というのは大きな政変だよな。
いきなり庶民におとされるんだから、兵糧の遅滞という
重大過失があったとはいえ、権力抗争の二次産物と
いう穿った見方もしようと思えばできるのかな。

116 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 21:27:09
庶民に落とすってのも微妙な処置なんだよな
首切っても文句言えないことしてんのになんで、みたいな
そこら辺が妄想のネタになってしまうんじゃないかと
実際は李厳の影響力を諸葛亮が慮ったせいだとは思うんだけど

117 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 21:32:53
というか馬謖は街亭の敗戦の責任を問われて切ったが、
李厳は助命された。共にこれ以上の進軍が出来なくなった
点では変わりないのに処置の差は荊州閥と益州閥の暗闘が
背後にあるのかなと電波飛ばしてみる。

118 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 21:36:47
更に電波飛ばしてみる。楊義と魏延の対立というのは度々の詰り、荊州人と
益州人の対立軸のひとつでなかったのかと。
>>114を見ると魏延とは政府の要人で重職についている。何より抜擢したのは
先帝だった。 そんな魏延とと楊義の対立は更に穿ってみると当時の蜀内でも
いろいろあったのでないかと思われる。

119 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 22:21:58
>>85
蜀中無大将、廖化当先鋒
蜀の人に喩えられたら、阿斗と言われたら無論侮辱だが、
廖化も一応褒め言葉にはならない。
鬼も十八、番茶も出花って感じだから。

120 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 23:01:45
四将軍に並んで伝が立てられている趙雲。
しかしそれに次ぐ名声があったとされる陳到には伝さえ立っていない。
本当に蜀将は謎だな。

121 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 23:09:20
>>118
楊儀も魏延も荊州出身なんだけどね。関係ないけどついでに
李厳も。

122 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 23:26:29
荊州閥と益州閥というか、
劉璋時代から益州で権力を握ってる集団とその他との対立って感じ?
何れにしても、楊儀と魏延の対立はこの派閥には含まれない極々私的なものだと思う。
李厳についてはわからんけど。

123 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 23:32:02
楊儀と魏延はそもそもなんで仲が悪くなったんだ?
オキニの女の取り合いでもあったんか?

124 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 23:36:06
んなもん追求してどうすんだ

125 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 23:38:35
人が人を嫌うのに理由なんかないさ
特に理由なんかないのになぜか険悪な空気になってしまうことはよくある

俺も今、チーム組んでる相方と特に理由もないのに妙にギスギスした空気に(ry


126 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 23:43:21
李厳ってもともと出身は荊州でしょう?
先に益州入りして劉璋政権で重んじられていたようだけど。
そういえば、李厳は益州豪族でもなく諸葛亮による荊州閥にも入っていなかった
模様なのに、よく政権の重鎮になれたな。

127 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 23:45:16
諸葛亮による荊州閥にも入っていなかった

裏読みすると敗戦の責任を全部おしつけて
政権から排除したと読み取れなくも無い。

128 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:14:59
>>126
劉璋政権で重んじられてたってことは、当時の益州に権力基盤が存在してたってことでは?
実際どうだったかは不明だが、出身よりもそっちのほうが重要だったんでないかね

129 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:37:46
劉璋政権の人材を見てると思うんだが、
劉璋は益州豪族を甘やかしてはいたが
身内や益州外の人材を中心に置く事で
ある程度の抑止はしてたんじゃなと思ったりする。


130 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 09:23:10
それくらいはしないと、完全に豪族たちの傀儡になってしまうからな。
南北朝で皇帝が門閥貴族への対抗に寒門出身を登用したようなもんだ。

ふと思ったが、劉表が劉備を厚遇したのって、一族の強化につかって豪族への
牽制にするためってのもあるだろう。

131 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 09:30:34
つーか、徐州を譲渡したこと自体、劉備に豪族たちの力を弱らせておいて
統治が簡単になった徐州を息子たちに継がせるためだったんじゃないかとすら勘繰ってる俺

132 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 10:18:11
劉表は劉備を厚遇してはいない。
むしろ豪族が劉備へ人望をよせる事に対して警戒してる。

133 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 10:33:59
>>129
劉璋自体、半分外様みたいなもんだからね。

134 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 20:44:28
劉備政権は益州に入った当時、劉璋時の身内と益州豪族では
劉璋時の身内の方を重用して、彼等に劉璋時代と同じく
益州豪族を抑えさせていたんじゃないかと思うんだがどうだろう?


135 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 22:10:11
まぁ張任が死んだくらいだからな

136 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 02:45:07
名将・劉循

137 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 12:06:58
いわゆる武将ではないが。

楊洪
ケン為郡武陽県の人。字は季休。
劉璋の時代、諸郡の官吏を歴任。
214年、劉備が蜀を平定すると李厳の功曹となるが意見が合わず、李厳の推薦で蜀部従事となる。
219年、漢中をめぐり曹操との対峙が長引くと劉備は増兵の要請をしてきた。
この件に関して諸葛亮にたずねられると漢中の重要性を述べ躊躇うべきではないと意見した。
この意見を良しとした諸葛亮は留守の法正に代わり蜀郡太守代行に推薦。(後に本任となる)
222年12月、劉備が夷陵の戦役で敗れると漢嘉太守黄元が叛乱。
諸葛亮の留守を預かる楊洪は的確に情勢を読みすぐさま劉禅に言上、将軍を派遣し翌年春にはこれを鎮圧。
223年、劉禅が即位すると関内侯となり、再び蜀郡太守・忠節将軍となる。
のちに越騎校尉に昇進。太守の職は兼務。
227年、北伐の際、留府長史に張裔を任用したいと言う諸葛亮にやんわりと反対した。
当時やっかみから反対したのかと疑われたが、後に張裔が岑述と不和になると楊洪に私心がなかったことが理解されることとなった。
228年、在任中に死去。

上の者に対しても直言するなど筋の通った性格。
状況を的確に読み今一番重要なことは何か判断する能力。
張裔の一件、何祗を推挙するなど人を見る目の確かさ。
地味ではあるが蜀にとっては貴重な得がたい人材の一人であったことは間違いないであろう。

138 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 16:14:38
この楊洪の話を見ると孔明も文官の見る目はあるなと思う

139 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 21:26:15
>>137
俺が蜀で好きな人物といえば、董和と楊洪の二人。
三戦じゃほとんど語られないんだろうけど。

140 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 18:18:52
董允みたいな感じな人か

141 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 08:01:18
age鱒

142 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 14:04:56
徐庶に比べ董和は地味だな・・・。
両人とも諸葛亮の尊敬する人物なのに。

143 :893:2005/06/10(金) 20:50:47
>>139

俺は二人とも大好きだぞ。

144 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 18:35:30
age鱒

145 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 19:29:20
さすがに12スレ目にもなると伸びなくなるなあ

146 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 20:02:21
飽きた

147 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 00:15:45
普通に考えれば入蜀に功績が大きく、劉備の信任も厚かった法正が益州閥の首領に収まるべきところだが、昔の恨みにきちんと報復したりする奴だから、益州閥を強固に組織できそうにもない。
次いで資格がありそうな黄権もああいうことになった。
んで結局有力豪族である費詩が、益州閥筆頭になる。蜀内部での益州閥はあまり強くないのかもしれないな。

148 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 00:32:48
>>147
法正は益州閥に受けが悪いだろう。
それに雍州の涪風郡の出身だし益州閥とは言えないんじゃない?

149 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 00:36:46
>>148
涪風郡って何だよ……
扶風郡だね。ごめん。

150 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 00:40:52
益州閥とか荊州閥とか、誰かが言い出すとさも既成語であるかのように
使いだされるのだな…

151 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 00:44:46
いいんじゃない?
ここまで想像力を働かせて架空の政争ゲームをこしらえられるんなら
それはそれで三国志の一つの楽しみ方だろ
俺は全くお付き合いする気にならんがなw

152 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 04:03:45
法正や孟達なんて益州のあぶれ者じゃん

153 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 14:09:11
黄忠の字は漢叔だって説があるらしいっすよ。
叔と升の混用はよくあることらしいっす。

154 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 22:00:27
へー
でも升を否定して叔を取る根拠はあるの?

155 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 22:36:32
ない。
単に「意外三国志」してみたいだけ。

156 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 22:53:34
根拠はないw
太平御覧っていう本が三国志を引用してて、そっちが漢叔になってるらしっすよ。
太平御覧が引用んとき間違えたのか、本家の方がコピー段階で間違えられたのか・・・?
どっちかが写し間違えてるんだろうけど、どっちが正しいのか分からないよと。
後漢書のだれとかも両説あるみたいよ?

157 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 06:04:53
揚げ鱒

158 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 09:42:27
蜀No.1は黄忠、No.2は魏延でしょ。

159 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 09:47:18
>>158
そう思うのならめいっぱい語ってくれ

160 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 10:36:40
李厳と諸葛亮がもう少し仲良くやってればなあ。
法正が長生きしてれば、益州代表は法正だったかも?

161 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 11:23:16
>160
法正が益州代表は無理だよ。
元々、外来者で前政権では品行の悪さが理由で干されてるし、劉備時代も劉備の股肱ってのを笠にして嫌いな連中を獄死させたりと好き勝手にしてる。
劉備あっての法正であって、法正個人で益州グループを纏められる人望は無いと思う。

162 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 12:48:35
諸葛亮とうまくやってけそうな、益州代表人って誰がいるんだろ?


163 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 17:37:30
蒋エン、費イとか後の世代でしょう。

164 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 18:55:58
>>163
そのふたりは歴とした荊州人。

165 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 19:57:40
伝が立てられてるなかでは、内に張裔、楊洪、外に李恢、馬忠といった連中かな。
王平も一応は巴西出身だから益州閥と言えないこともないか?
あと季漢輔臣賛あたりをみてけば該当者はいるだろうけど益州閥の代表者といえるような人物はいない感じ。

166 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 22:26:13
益州の代表者ということならやっぱり名臣タイプになるんじゃないかな。
魏なら華歆、王朗、呉なら張昭、顧雍みたいな。
王謀と何宗は身分が高かったけど劉備時代には干されてた感じだから、
蜀でも重用されたというと黄権、張裔、楊洪あたりに絞られるんじゃない?
黄権が一番いい感じなんだけど夷陵であれだから・・・。
あと気になるところとしては王氏(王甫、王士)とか李氏(三竜)とか。

167 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 23:48:46
益州の代表者というか影響力を持った人物は名臣というより譙周などの学者系かもしれん。

168 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 01:13:19
しかし譙周は孔明の北伐に早くから反対してたしな
劉備が生きてた頃は上手くやってたのかしらん

169 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 15:12:03
ということで、劉備入蜀前の武将まで広げると、誰あたりが適任か?
やっぱ張任なんか惜しい人材だったよな

170 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 15:34:26
劉璋時代だったらやっぱ王商じゃないかな。

171 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 20:09:30
呉壱じゃない?

172 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 20:27:47
>168
譙周が諸葛亮の北伐に反対してたなんてはじめて聞いた
どこにのってる?

173 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 00:19:46
俺の脳内

174 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 02:39:45
>>172
三国志Wikiに「諸葛亮に北伐の中止を求めたことがある」と載ってるから、>>168のネタ元は多分これ
Wikiのソースがなんなのかは俺は知らない
随分はっきり書いてあるから妄想の類ではないと思うが、少なくとも正史にはなかったと思う

175 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 12:44:09
>>156
亀だが。それは避字じゃないのか?
太平御覧とかいうのが何時の頃のもんだかわからんとなんとも言えんが。

と思ったら宋の太宗の頃か。避字でもないのかな……。

176 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 12:54:21
避字ってなんだよ、俺。避諱だな。

177 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 21:30:09
>174
ありがとう
検索して見てみたよ。読んだ感じ演義での話ぽいね。
蜀に仕えたのも劉備の時代と書かれていたし。


178 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 21:41:08
演義で譙周が諸葛亮の北伐反対するシーンなんてあったっけなあ・・・

179 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/20(月) 22:34:40
少なくとも、横山にはあったね
渡り鳥が漢水に落ちたり、天文みるとよくなかったりって。

演義は読んでないので知らんが・・・

180 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 00:48:00
譙周が北伐に反対する話は演義にあるよ。第九十一ね。
「北方の気が盛んだからおやめください、丞相も天文にはお詳しいはずなのに」
「天文は変化するものだから、とりあえず漢中に行ってからよくなるのを待とう」
みたいなやりとりがある。

181 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 01:03:47
やっと結論出たか。
>>168は演義厨なのが確定したので退場のこと。

182 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 06:09:33
譙周は諸葛亮が没した時、誰よりも早く現地に駆けつけたような男だからな。
諸葛亮を尊敬してたことは間違いない。
ただ蜀末期には度重なる出兵で国力が疲弊してたので、それに対しては『仇国論』などをもって批判してる。
だから諸葛亮の北伐についてもそれが国力を疲弊させるようなものだったら公に批判はしたかもしれない。

183 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 06:13:02
ああ、上は譙周が諸葛亮の北伐に反対してたという事実は、少なくとも記録の上ではない、ということを踏まえた上でのもの。
別に記録にはないけれど事実としては反対してたかもしれない、などと主張するようなものではないので。

184 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 15:21:52
>>175
いあ、たぶん字が似てるからだと思う。叔は崩し字にすると結構アレ。

185 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 17:47:32
>182
諸葛亮の北伐が蜀にマイナスにしかならないなら批判していてもおかしくないだろうね。
まあ、諸葛亮時代にショウ周にそこまでの発言権が存在するかは怪しいけども。

ところで、三国志Wikiでショウ周が蜀に仕えたのは劉備の時代となっていたんだが、
ショウ周伝だと諸葛亮が益州牧になった時に仕えた事になってるので
劉備死後に出仕したんだと思ってたんだが、先主伝の劉備の皇帝につく際のやり取りだと
すでに勤学従事としてショウ周の名前が上がっているんだな。
どちらが正しいんだろう?

186 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 19:29:54
>>185
劉備の時代なのか劉璋以前の時代なのかはわからないが、出仕はしなかったが師友従事の官を与えられたとある。
あと劉禅即位後、諸葛亮が任命したのが「勧」学従事。
劉備が帝位に就く時の上奏の時は「勤」学従事。
両職は違うし、「勧」学従事も「初めて」任官したとあるわけではないので、普通に劉備の時代から仕えていたと思うよ。

187 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 19:47:48
>>186
さっき漢籍電子文献で確認したけど、譙周伝、先主伝共に勧学従事だったぞ。

188 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 20:31:06
譙周の『仇国論』を全部読めたりする本やサイトってある?

189 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 20:49:35
>>187
そうか?ちくまのヤツでは違いがあったよ?
http://members.at.infoseek.co.jp/valentyne_suite/san-gokushi/teisei.html
にも載ってなかったけど、どっちがあってるんだろうな?

190 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 21:11:58
今、電子文献の方も確認してみた。
確かに電子文献ではどちらも勧学従事だね。
電子文献の方が正しいとしたら、諸葛亮が譙周を勧学従事に再度任命したということになるのかな?

191 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 21:14:59
志村!校記、校記!

どっちも中華書局本をベースにしてるんだから
まず中華書局本の校勘記を見るのが一番早い。
あと百ノウ本も確認してみ。

192 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 21:15:22
辞めた記述無しに再任命てのはあるのかな?
むしろ陳寿のミスとかだったりしないだろうか?

193 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 21:22:00
もう少し調べてみた。
劉備即位の時の上奏文については勧学従事は張爽までかかって尹黙や譙周にはかかっていないとか。
と思ったら尹黙伝には先主は尹黙を勧学従事に任命したとあるから、当然譙周も勧学従事であり先主伝の勤学従事は誤字でFAみたいだね。

194 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 21:24:58
てか、ネットで豆知識なんかあさってないで、
集解くらいチェックしてくれよ…
「何シャクいわく、譙周が晋の泰始6年72歳で死んだことから考えると、
昭烈帝即位の歳にはわずか23歳であった。学問を奨励する役職に加われるはずがない。」

195 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 21:30:58
>>194
それなら劉禅即位の時は25歳になるわけだけど、25歳なら良くて23歳ならありえないなんて言えるものなの?
と思ったが建興年間であって建興初年とはないわな。

196 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 21:51:54
>194
そうなのか、すまんな。集解は持ってないからそんな意見があること知らなかったよ。
でもそうなると、当時はショウ周は観学従事以外の官職だったのかな。
全く無官の人間が皇帝の即位に関わる文章を上奏するとも思えんし。

197 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 22:39:19
なにげに譙周も謎の多い人物だな

198 :むじん:2005/06/21(火) 22:52:01
先主伝の「譙周」というのは書き間違いだという説が有力ですね。
上奏文中にも「臣父羣」とあります。

199 :むじん:2005/06/21(火) 22:57:43
ところで、いつの間に集解読んでないことを責められなきゃなんなくなったの?
もしかして集解厨がトレンド?

200 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 23:08:00
集解は和訳されてないし、輸入図書しかないようだから、読んでる人は少ないと思うが。
自分も読んだ事ないしな。ネット上に電子テキストでも転がってりゃ別だけど。

201 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 23:09:20
むじんですか

202 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/21(火) 23:41:10
>>198
譙周と周羣の子周巨の取り違え?
でも周羣は劉璋に師友従事に取り立てられており、譙周も劉璋の時かどうかは定かではないがやはり師友従事の官を与えられている。
周羣の子が劉備即位の上奏文に係われるなら譙周も係われて不思議ではないような気もする。
譙周に関しては陳寿の師匠マンセーフィルターがあるのかな?
ようわからん。

203 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 00:00:20
陳寿自身は蜀に深い拘りがあったみたいだけど、
蜀の滅亡に最も直接的に関わったのは師である譙周なんだよな。
その辺、陳寿はどう思ってたんだろう。

204 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 00:16:32
>>198
本物なら一つお願いが
姜維んとこの「左大将軍」ってのは訂正してよ
三国志中に書かれていない将軍位つくっちゃいかんでしょ

205 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 00:22:16
>198,202
おお、そんな説もあるんだね。ありがとう。

ところで、師友従事に関してはショウ周の父親が与えられたんじゃないかな?

206 :むじん:2005/06/22(水) 00:31:38
>>202
集解に引かれたものだけでも諸説紛々ですよ。
だから全部を紹介することはできないけど、
「臣父羣」を「周巨の父周羣」と読む説もあります。
沈家本説がもっとも説得力を感じます。たぶん盧弼が押してるのもこれ。
譙周は周羣の間違いで、「臣父羣」は本来「臣羣父」だったというもの。
師友従事になったのは譙周の父ですね。

>>204
右大将軍が存在する以上、単に大将軍とあれば自動的に左大将軍なんですよ。
閻宇が右大将軍でなかったと証明できれば、話は別ですね。
とりあえず閻宇以前については左を削りました。

207 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 00:42:27
>>206
返答ありがとう。
でも悪いがその理屈全然わからんね。
一度たりとも「左」付きの大将軍が史料上に出て来てないのに、よく断言できるなー
「左大将軍」という表記が見つからない限り、姜維は左の付かない大将軍と考えるしかないでしょ。

208 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 01:04:14
>>207
やめとけ。噛み付くな。
むじんの方は間違いなくお前のことを
「史料を網羅した俺様が2chで煽ってくる奴ごときの相手してられるか」
と思ってるぞ。

209 :むじん:2005/06/22(水) 01:22:43
>>207
あなたの企図によってこちらの対応は変化します。
もしご自身の見解を他人に押し付けたいだけなのであれば、
geocitiesあたりでむじんの間違いを「啓蒙」してください。
もしあなたがお互いを高めあうような議論を希望されるなら、
こちらも喜んでお付き合いいたします。「私を納得させてください」

とりあえず、
テキストそのものと、それに基づく解釈を一般向けに説明するのとでは、
おのずとその扱いに差が出てくるのは当然のことと思います。
電子テキスト化の際は、中華書局が勝手に削った字句を戻したりもしてますよ。
たとえば朱霊の息子とか、沛国公武周とか、あの摩陂の呂布とかですね。
それをどう解釈するかについては解釈する側の裁量次第でしょう。

210 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 01:23:43
忠告ありがたいが、
問題は史料の読み方や種類じゃないからな。
肝心の論理に穴があるんだから。

「大将軍」姜維
「右大将軍」閻宇
「左大将軍」誰か
の三人がいた可能性だって否定できないわけで、そこを見逃してるのは彼だから。
まして、敢えて見ない振りしてるなら、不誠実な態度は改めてほしい。

211 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 07:58:14
>>210
それ同意。俺もその部分は??と思って見てた。
まあ、むじん氏に限らず
正史厨は断片的でしかない史料の記述を
憶測で脳内補完して「新説」をこしらえるが好きだからな。

212 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 08:31:59
基本的に議論の場ならともかく個人のサイトで
何をどう記述しようが個人の自由だと思うぞ。
間違ったこと書いてるサイトなんていくらでもあるわけだし。
210も振るなら、「左大将軍」がありえるかありえないかを論じればいいんじゃないか?
個人のサイトの内容を2ch内で訂正しろって言っておいて不誠実な態度も何もないだろう。

213 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 11:22:00
>正史厨は断片的でしかない史料の記述を
>憶測で脳内補完して「新説」をこしらえるが好きだからな。

こういったレスをするアホはなんでこのスレに涌いてくるんだろうな
無双や演義スレでオナってればいいだろうに

いちいち「正史厨」なんて書かなきゃ意見も吐けないのが哀れ

214 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 11:50:41
左大将軍云々は、訳編の中での「個人の解釈」じゃないのか?
>>206の、「自動的に左大将軍」には少し強引にも感じるものの、
個人サイトに載せる、今の時点での解釈としては別にあってもおかしくはないと思うが。

要は、
「閻宇が右大将軍。左大将軍と明記されている者は(現時点で)見当たらないが、
 他に大将軍として姜維が記載されている」事に対して、
閻宇・姜維のツートップ大将軍位として解釈→むじん
もっと多い複数の将軍位として成立していたかもしれないとの解釈→>>204
可能性としては、どちらも考えうる―――というより、
片方を完全に論破・是正できるだけの材料が無い、てなところまでなのでは。

もう一歩踏み込んで、最終的な結論を出すとしたら、
むじんは「姜維が左大将軍であった」と確実に記された資料を提示しなきゃならんし、
>>204は、別にいたとする「左大将軍が誰か」という部分を捜し当てにゃならん。

それが出来ない以上、お互いひとつの考え方・論説としての可能性を尊重しなければいかんかと。
ましてや、そういう個人の解釈まで自分の言う通りに訂正しろ、のは無理がある。
例えば今後、別の資料が出てきて「○○が左大将軍」と確たる論述が出てきたなら、
改めてそちらを優先させりゃいい。

215 :214:2005/06/22(水) 12:06:34
スマン、1つ訂正。
>例えば今後、別の資料が出てきて「○○が左大将軍」と確たる論述が出てきたなら、

例えば今後、別の資料が出てきて
「○○が左大将軍」(これには姜維が入るかもしれんし、別の将かもしれん)、
もしくは「右大将軍だけで左大将軍位は存在しなかった」
との確たる論述が出てきたなら〜

216 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 13:14:41
ちんこ

217 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 21:40:26
むじん氏も見ていることだし、右大将軍についての議論を再開するか。

218 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 21:53:35
さんざん過去スレでやったろ。
あの時出るべき考察は全て出た。
むしろ、むじん氏が分かってないようだから
過去スレ読んでから来てもらおう。

219 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 22:16:20
議論も何も、決定する程の材料なんてあったっけ?


220 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 22:30:45
むじんの掲示板で右大将軍についての議論があったはず。
議論してあれだから仕方が無い。

221 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 22:33:33
左大将軍は永久欠番。

222 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 22:35:06
どちらも確証はない
以上

223 :ウルトラリーグ:2005/06/22(水) 23:33:34
蜀って強い武将がたくさんいましたよね

224 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 23:48:33
どちらも確証なく断言できんのに、>>220の様な奴の程度がいちばん低そう

225 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/22(水) 23:56:23
214氏の言うように新しい記述でも出てこない限りは
お互いに個人の解釈として尊重するべきだろうね。
まして、議論する気が無いのならば、安易に否定するべきじゃないだろう。
どうしても自分の意見に従わせたいなら、ちゃんと議論すべきだと思うよ。

226 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 00:03:38
自分にはそこまで拘る理由が分からないな。
むじん氏が左大将軍だと思ってるならそれで良いと思う。
明らかに間違っていると言えるような史料は出てないわけだしね。

俺自身は、姜維は左大将軍ではないと思ってるけど、
万人を納得させられるような論は持ってないから、その事で食って掛かろうとは思わない。

まあ、認めさせたければ議論するしかないと思うよ。

227 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 00:20:02
間を取って、王平は異民族か否かを議論しようか

あいつ異民族じゃん?

228 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 00:41:34
ロシア人です

229 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 15:57:29
>>227
異民族だったかもしれないが、
貧乏な家の生まれだから、人脈も影響力も何も無かったんじゃ。

230 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/23(木) 16:31:10
つまり王平は蜀の人間から見ると
オレサマ オマエ マルカジリ
みたいに片言でしゃべる奴だったわけだ
バショクと合わなくて当然だな

231 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 03:23:52
>>230
何を受けて「つまり」なのか知らないが、
曹操の漢中遠征軍に同行していた理由は、
道案内のため。
つまり、漢中一体の地理に詳しい→出身地が漢中であるという推測が成り立つ。
何を以って異民族と定義するかは難しいところではあるが、
漢中に住んでいる人種は漢民族だったのではないのか?

232 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 04:06:12
>>231
嘘書くな。
王平は巴西郡の人。
もともとは張魯に従っていた巴夷の王杜獲・朴胡の(どちらかの)部下。
杜獲・朴胡が曹操に下った時に魏の校尉に取り立てられ、
漢中戦の最中に劉備に下った。

漢人か巴夷かは不明だが、少なくとも漢中生まれなどではない。

233 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 12:33:16
釣られてやんの

234 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 12:41:15
必死だなw




























といってみるテスト

235 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 13:11:34
うん・・・

236 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/24(金) 15:18:50
「王平=飛頭蛮」説

237 :劉備さん@お腹いっぱい。打倒!蜀:2005/06/24(金) 16:49:26
やっぱり打倒!蜀は呉の孫○香でしょ。
と言うことで、孫○香のエロゲームをつくちゃいました。
がんばって作ったので、感想下さい。
http://ax.misty.ne.jp/~z-realm/z_realm/cg_sonshoko_nakadasi.html

238 :>>237:2005/06/24(金) 16:58:32
このスレ遊びにおいで。
http://www.2chan.net/test/read.cgi?bbs=entert&key=1116746952


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