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皇甫嵩を語るスレ

1 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 01:16:19
三国志演義の影響で過小評価されている彼を見直してみましょう。

2 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 01:17:18
やなこった

3 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 01:19:30
字は義真。安定郡朝那の人。度遼将軍皇甫規の兄皇甫節の子である《後漢書皇甫嵩伝》。

若いころから文武を志し、『詩経』『書経』を好み、弓術・馬術を習った。はじめ孝廉・茂才に
推挙され、郎中・霸陵県令・臨汾県令となったが、父が亡くなったので官を去った。のち大
尉陳蕃や大将軍竇武に招かれたが固辞する。霊帝劉宏が官用車で召し寄せて議郎とし、
のちに北地太守に転任させた《後漢書皇甫嵩伝》。

黄巾賊の張角が叛乱を起こすと、皇甫嵩は会議の席で「党錮の禁を解き、国庫の銭や西園
の馬を出して軍用にあてましょう」と進言。霊帝はこれを許可し、国中から精鋭を集めて将帥
を選り抜き、皇甫嵩を左中郎将・持節とし、右中郎将朱儁とともに五校・三河の騎兵など都
合四万人余りを統率させ、おのおの一軍を率いて潁川郡の黄巾賊を討伐させた《後漢書皇甫嵩伝》。

賊の波才に敗れたので長社に退くと、波才は大軍を率いて城を囲んだ。皇甫嵩の軍勢が少
なかったので、軍人たちはみな恐れおののいたが、皇甫嵩は「戦いは臨機応変の策にあ
り、兵の多寡は問題ではない。いま敵は草原に陣取っているので、夜中に火を放ってやれ
ば驚くに違いない。城を出て四方から攻撃すれば、田単の功績を成し遂げられるぞ」と言っ
た。その日の夕方は強風が吹いた。皇甫嵩は兵士に松明を持たせ、精鋭部隊に城の包囲
を抜けさせ、放火して鬨の声を挙げさせた。城内でも松明を掲げて呼応し、皇甫嵩は太鼓
の音とともに敵陣に突撃した。賊は驚いて敗走した。ちょうど霊帝が派遣した騎都尉曹操が
やって来たので、皇甫嵩・曹操・朱儁は合流して敵を追撃し、数万の首級を挙げた。これに
より都郷侯に封ぜられる《後漢書皇甫嵩伝》。



4 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 01:20:28
童貞にへりくだってなかったけ?
鳳凰がなんだとか言って。

朱儁のほうがすごいと思うよ。

5 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 01:23:01
皇甫嵩と朱儁は、勝利の勢いに乗って汝南・陳国の黄巾賊を征討し、陽翟では波才を追撃
し、西華でも彭脱を攻撃し、すべて撃ち破った。残りの賊はみな降服し、三郡は完全に平定
された。さらに東郡に進んで、倉亭で黄巾賊の卜己を生け捕りにし、七千余りの首級を挙げた《後漢書皇甫嵩伝》。

北中郎将盧植・東中郎将董卓は張角を征討できずに帰還していたが、詔勅によって皇甫
嵩が討伐に当たることになった。張角の弟張梁と広宗で戦ったが、張梁軍は強力で勝つ
ことができなかった。翌日、軍門を閉鎖して兵士を休ませ、変化が起こるのを待っていると、敵
の士気が低下していることがわかったので、夜中に進軍して鶏の鳴き声とともに敵陣を襲っ
た。夕方まで戦って大勝し、張梁の首を挙げた。斬った首級は三万、河に落ちて死んだ敵
は五万人、焼き払った車両は三万に上り、彼らの妻や子供もすべて生け捕りにし、敵兵もみ
な捕縛した。張角はすでに病死していたので、棺を暴いて死体の首を斬り、それを都に送った《後漢書皇甫嵩伝》。


6 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 01:26:12
鉅鹿太守郭典とともに張角の弟張宝を下曲陽で攻撃し、張宝を斬った。首級十万余りを挙
げ、城の南で「京観」(死体を積み上げて土で埋めたもの)を築いた。すぐさま左車騎将軍となり、
冀州牧を領して槐里侯に封ぜられた。食邑は槐里・美陽の両県で、合わせて八千戸
であった。こうして黄巾賊が滅ぼされたので、皇甫嵩は冀州の年貢を一年間免除するように
申請した。百姓らは歌にして「天下の大乱で市場は廃墟になり、母は子供を棄て妻は夫を
失った。頼みにするのは皇甫さま、また安心して暮らせるだろう」と称えた《後漢書皇甫嵩伝》。

皇甫嵩は兵士を可愛がったので、彼らの信頼を勝ち得た。野営するときはいつも、全軍の
幔(テント)が完成するのを待ってから入り、兵士たちがみな食べ終わったのを見てから食事
を摂った。軍役人に賄賂を取った者がいたが、皇甫嵩がさらなる金品を彼にやると、その者
は恥ずかしく思って自殺した《後漢書皇甫嵩伝》。



7 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 01:29:13
皇甫嵩が黄巾賊を破って天下に威信を震わせた一方、朝廷の政治は日に日に乱れて天下
を困窮させていたので、もとの信都県令閻忠は皇甫嵩に説得して言った。「得がたく失いや
すいものは時節です。時がきて引き返すことのないのは機会です。だから聖人は時節に従
って行動し、智者は機会に拠って発起するのです。いま将軍は得がたい幸運に巡り会い、
乱れやすい機会に立ち会っておられるのに、機会に臨んでも発起しようとなさりません。いか
にして大いなる名誉を保とうというのですか」と。閻忠はさらに韓信の故事を引いて帝位に昇
ることを勧めたが、皇甫嵩は恐れを抱いて固く拒絶した。閻忠は亡命した《後漢書皇甫嵩伝》。

そのころ辺章・韓遂が隴右で叛乱を起こしたので、翌年春、詔勅によって長安を警護し、辺
章らがふたたび三輔地方に侵攻した場合は、皇甫嵩が彼らを討伐することになった。それ
以前、張角を討つため鄴を通過したとき、中常侍趙忠が身分に不相応な邸宅を持っている
ことを見て、没収するように上奏したことがあった。また中常侍張譲が五千万銭を賄賂として
求めたのを拒絶したこともあり、趙忠と張譲の二人は皇甫嵩を恨み、彼が連戦連敗している
うえ軍費がかさんでいると上奏した。そのため秋になると召し返され、左車騎将軍の印綬と
所領六千戸を没収され、都郷侯二千戸に戻された《後漢書皇甫嵩伝》。


8 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 01:31:57
中平五年(一八八)、涼州の賊王国が陳倉城を包囲したので、皇甫嵩は左将軍に復帰し、
前将軍董卓を引き連れ、おのおの二万人を統率して王国を防いだ。董卓は「智者は時節に
おくれず、勇者は決断にためらわないものだ。急げば城は安泰だが、急がなければ城は破
滅してしまうぞ」と、急いで陳倉に駆け付けるべきだと主張したが、皇甫嵩は「違う。百戦百
勝するのは、戦わずして敵を屈服させるほど立派なことではない。不敗の原因は我らにあり、
勝利の原因は奴らにある。陳倉城は小さいが、城の守りが堅固だし、王国軍は強いが、
救援のない城を攻めあぐねている。救援する必要はない」と言って斥けた《後漢書皇甫嵩伝》。

王国は陳倉城を八十日余りにわたって包囲しつづけたが、とうとう陥落させることができずに
包囲を解いた。そこで皇甫嵩は追撃することにした。董卓が「だめだ。兵法は困窮した敵を
追ってはならない、帰ろうとする軍に近付いてはならないと言っているぞ」と諫めたが、皇甫
嵩は「違う。以前私が攻撃しなかったのは鋭鋒を避けるためだった。いま攻撃するのは彼ら
の矛先が鈍っているからだ。奴らは疲れているのであって帰ろうとしているのではないし、
戦意をなくしたのであって困窮しているのではない」と言い、董卓には殿軍を任せて一人で追
撃した。何度も戦って大勝利を収め、一万余りの首級を挙げた。王国は逃走したが死亡した。
董卓は非常に恥ずかしく思い、皇甫嵩を憎むようになった《後漢書皇甫嵩伝》。


9 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 01:35:00
翌六年、董卓は幷州牧となり、詔勅が下って所属の兵士を皇甫嵩に預けるよう命令されたの
に、董卓は従わなかった。皇甫嵩の従子皇甫酈が軍中にいて、叔父を説得した。「朝廷の
失政によって天下は逆さまになっていますが、これを安定させられるのは大人(皇甫嵩)と董
卓だけです。しかし仲違いしてしまって並び立つことは不可能です。董卓は上書して詔勅を
拒んだのですから、勅命違反になります。それに都の混乱を理由に軍を動かそうともしてな
いので、叛逆の心を持っていると言えます。大人は元帥なのですから董卓を誅殺すべきで
す」。皇甫嵩は言った。「勅命違反は罪悪であるが、勝手に処罰するのも責任を問われるこ
とになる。彼のことを報告して朝廷の裁きを待とう」。その結果、董卓は霊帝より厳しいお叱り
を受け、ますます皇甫嵩への憎悪を強くした《後漢書皇甫嵩伝》。

初平元年(一九〇)、すでに董卓が政治の実権を握っていたが、皇甫嵩を城門校尉に任命
するという口実で呼び寄せ、彼を殺そうとした。皇甫嵩が出かけようとしたとき、長史梁衍が
説得して「漢王朝が衰退して宦官が朝廷を混乱させたとき、董卓は彼らを誅殺しましたが、
国家に忠誠を尽くす奴ではありません。都を略奪して天子のすげ替えも思い通りにしている
有様。いま将軍(皇甫嵩)が出頭すれば、殺されるか侮辱されるかどちらかです。いま董卓
は洛陽におりますが、天子は西方におわしますから、将軍の手勢三万を率いて天子をお迎え
し、勅命を奉じて逆賊を討つことにすれば、袁氏(袁紹)が東から、将軍が西から迫ること
になり、奴を生け捕りにすることもできますぞ」と言った。しかし皇甫嵩は聞き入れずに出頭した《後漢書皇甫嵩伝》。


10 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 01:37:39
董卓の内意を受けた係官は彼を処刑しようとした。皇甫嵩の子皇甫堅寿はもともと董卓と仲
が良かったが、長安から洛陽の董卓のもとまで駆け付けた。董卓は宴会を開こうとしていた
ところだったが、皇甫堅寿が進み出て大義を掲げて責めなじり、頭を叩いて涙を流した。居
合わせた人々も感動し、みな席を立って懇願してやった。とうとう董卓も立ち上がり、皇甫堅
寿の手を引いて一緒に坐った。皇甫嵩は釈放され、また議郎に任じられ、御史中丞に転任した。

董卓が長安に入ったとき、公卿百官は道中まで彼を出迎えたが、董卓は御史中丞以下は
みな拝礼せよと命じ、皇甫嵩を打ち負かした。董卓が彼の手を取って「義真よ、参ったか」
と言うと、皇甫嵩は笑って彼に陳謝した。皇甫嵩「明公(とのさま)がここまで出世するとは思い
ませんでした」、董卓「鴻鵠はもともと遠大な志を持っていたのだが、燕雀が知らなかっただ
けさ」、皇甫嵩「いえ、むかし私と明公はともに鴻鵠だったのですが、今日になって明公が鳳
凰になられたのですよ」。こうして董卓の気持ちも解けた《後漢書皇甫嵩伝》。



11 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 01:39:06
董卓が誅殺されると征西将軍となり、また車騎将軍に昇進した。その年の秋に大尉となった
が、冬になると流星があったとして罷免され、のちにまた光禄大夫に任じられ、太常に転任し
た。まもなく李傕が混乱を巻き起こすと、皇甫嵩は病没した。驃騎将軍の印綬を追贈される
《後漢書皇甫嵩伝》。

皇甫嵩の人となりは愛情深く慎重で、極めて真面目であった。諫言したりして国益を保った
上表文は五百余りにもなり、すべて彼自身が筆を執り、草稿は破り捨てて他人に知られない
ようにした。また立派な人物にへりくだり、門の外に訪問者を待たせることもなかった。当時
の人々はみな彼を称えて付き従った《後漢書皇甫嵩伝》。


12 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 02:29:22
思いっきり後漢の人って感じだから語りにくい

13 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 02:51:48
かっけーな

14 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 10:24:43
間違いなく後漢末期の名臣であり名将なんだけど、正史(『三国志』)厨には
あまり評価されない感じ。

史料といっても『三国志』だけに終始してる人間には興味はもたれにくいのかも。
能力値スレの住民あたりは典型的な例だったし。

15 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 16:36:02
>>14
だな。能力値スレでは間違いなく好評価になると踏んで話題に出したことがあるんだが…
あんなに荒れるとは思ってなかった。

16 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 17:08:16
皇甫嵩と盧植はどっちが将才が上だろう
朱儁の能力は伝を読む限り上記の二人には一歩引くような印象を受けた

17 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 21:20:22
皇ホスウオタが、統率100とかアホなこと言ってるから荒れたんだろ。
せいぜい88ってとこだろう。

18 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 21:37:37
>>17
あれはオタじゃなくて煽り。
まともなオタは普通に93、94あたりを推していたが。

19 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 21:42:11
88は過小評価。上記の皇甫嵩伝を読め
ゲームの能力値に引っ掛けて語るのはナンセンスかもしれないが
統率は91〜94、魅力は92以上くらいが妥当。

20 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 21:50:30
PKで能力あげてみました(*^ー゚)b

21 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:10:59
能力値スレでは普通に統率トップ15に選ばれてたんだが。

22 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:19:52
>>21
時々統率100だとか80程度だとか極端な意見も出たってことだろ。

23 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 02:19:49
皇甫氏って名家?

24 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 03:24:06
>>23
安定皇甫氏は、代々二千石や将軍を輩出した名門。
曽祖父は度遼将軍、祖父は扶風郡都尉、父は雁門太守。
父の弟の度遼将軍皇甫規は、後漢書に伝が立つほどの大物。

25 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 11:11:58
『三国志』(正史)だけにとどまり他の正史や二次史料あたりを全く読まない
人間は、『三国志』に立伝されてない人物を挙げたくらいでオタ扱いするような
のも多い。
後漢末や三国末期〜晋代の人物を過小評価する様は見ていて呆れる。

26 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 13:38:07
そうは言っても和訳されてない正史を読むのは難しい

27 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 15:29:53
『三国志』読んでるだけでヲタであり、『晋書』、『後漢書』読んでたら二段くらいレベル上がって
ヲタ中のヲタと呼ばれるのも当然。

28 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 17:15:18
>>26-27
まあ、後漢書を読んでる自分がオタだってのは認めるよ
だが、それを蔑むような姿勢を取ったり
>>25が挙げてるが『三国志』に無い時代の人達を見下すような意見を吐いたりするのは良くないんじゃないか

29 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 18:00:02
>>28
三国志を歴史としてみる人と、物語としてみる人がいるからねえ。
さらに、物語としてみてるのに、歴史として見ていると思ってる人もいる。
そこらへんの、見方の違いがあるってのは片方だけ見ていると分かりにくいんだよ。

>だが、それを蔑むような姿勢を取ったり
これは三国志関係なく、人間としての姿勢の問題でおかしなことだが。

30 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 18:10:34
過小評価は確かによくないが
「皇甫嵩は統率90だ!」とか言われても「いや知らないし」ってなるだろ、やっぱ
「後漢書ぐらい読んで当然だ」と言われても困るぞ

そもそも
> 『三国志』(正史)だけにとどまり他の正史や二次史料あたりを全く読まない人間
が大多数じゃないのか
そんな高いハードルを設定されてしまうと
「世界史板にお帰りください」といわざるを得ないぞ

31 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 18:17:17
おまいら、にわか三国志ファンをぶったたくスレに移動汁!

32 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 18:29:06
>>30
ここで言われてることは「読んで当然」という事じゃないんじゃ…?
「後漢書を読んでないと、そこに載ってる人達を過小評価しがち」という事であって。
もちろんそういったものを読む事を強制する権利は俺にはないし、読んでないのが一般的なのは分かってるよ。

ただ言いたいことは、実際に統率90に値する実績を持ってるんだから
知らないって理由だけで貶めるのはやめてほしいって事だけだ。

33 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 18:55:44
>>16
集団指揮能力は皇甫嵩、戦術戦略は盧植、というイメージがある。

34 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 23:08:16
>>32
すまないが上の事績は長くて読む気がしないので
統率90に値する実績だけ抜粋して書き出してくれんか
皇甫嵩伝だけ載せられてるせいで負け戦があったかどうかも分からんし

35 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 23:28:38
>>34

>>3より
波才は大軍を率いて城を囲んだ。皇甫嵩の軍勢が少なかったので、
軍人たちはみな恐れおののいたが、皇甫嵩は「戦いは臨機応変の策にあり、兵の多寡は問題ではない。
いま敵は草原に陣取っているので、夜中に火を放ってやれば驚くに違いない。
城を出て四方から攻撃すれば、田単の功績を成し遂げられるぞ」と言った。
その日の夕方は強風が吹いた。皇甫嵩は兵士に松明を持たせ、精鋭部隊に城の包囲を抜けさせ、
放火して鬨の声を挙げさせた。城内でも松明を掲げて呼応し、皇甫嵩は太鼓の音とともに敵陣に突撃した。
賊は驚いて敗走した。ちょうど霊帝が派遣した騎都尉曹操がやって来たので、
皇甫嵩・曹操・朱儁は合流して敵を追撃し、数万の首級を挙げた。これにより都郷侯に封ぜられる。

>>5より
皇甫嵩と朱儁は、勝利の勢いに乗って汝南・陳国の黄巾賊を征討し、陽翟では波才を追撃
し、西華でも彭脱を攻撃し、すべて撃ち破った。残りの賊はみな降服し、三郡は完全に平定
された。さらに東郡に進んで、倉亭で黄巾賊の卜己を生け捕りにし、七千余りの首級を挙げた。

張角の弟張梁と広宗で戦ったが、張梁軍は強力で勝つことができなかった。
翌日、軍門を閉鎖して兵士を休ませ、変化が起こるのを待っていると、
敵の士気が低下していることがわかったので、夜中に進軍して鶏の鳴き声とともに敵陣を襲った。
夕方まで戦って大勝し、張梁の首を挙げた。斬った首級は三万、河に落ちて死んだ敵は五万人、
焼き払った車両は三万に上り、彼らの妻や子供もすべて生け捕りにし、敵兵もみな捕縛した。
張角はすでに病死していたので、棺を暴いて死体の首を斬り、それを都に送った。

36 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 23:30:54
>>6より
鉅鹿太守郭典とともに張角の弟張宝を下曲陽で攻撃し、張宝を斬った。首級十万余りを挙
げ、城の南で「京観」(死体を積み上げて土で埋めたもの)を築いた。

>>8の全文

37 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 23:34:12
実績とは違うかもしれないが、このあたり皇甫嵩のカリスマ性や統率能力を表してるような

皇甫嵩が黄巾賊を破って天下に威信を震わせた一方、朝廷の政治は日に日に乱れて天下
を困窮させていたので、もとの信都県令閻忠は皇甫嵩に説得して言った。「得がたく失いや
すいものは時節です。時がきて引き返すことのないのは機会です。だから聖人は時節に従
って行動し、智者は機会に拠って発起するのです。いま将軍は得がたい幸運に巡り会い、
乱れやすい機会に立ち会っておられるのに、機会に臨んでも発起しようとなさりません。いか
にして大いなる名誉を保とうというのですか」と。閻忠はさらに韓信の故事を引いて帝位に昇
ることを勧めた。

初平元年(一九〇)、すでに董卓が政治の実権を握っていたが、皇甫嵩を城門校尉に任命
するという口実で呼び寄せ、彼を殺そうとした。皇甫嵩が出かけようとしたとき、長史梁衍が
説得して「漢王朝が衰退して宦官が朝廷を混乱させたとき、董卓は彼らを誅殺しましたが、
国家に忠誠を尽くす奴ではありません。都を略奪して天子のすげ替えも思い通りにしている
有様。いま将軍(皇甫嵩)が出頭すれば、殺されるか侮辱されるかどちらかです。いま董卓
は洛陽におりますが、天子は西方におわしますから、将軍の手勢三万を率いて天子をお迎え
し、勅命を奉じて逆賊を討つことにすれば、袁氏(袁紹)が東から、将軍が西から迫ること
になり、奴を生け捕りにすることもできますぞ」と言った。

38 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 01:11:37
age

39 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 01:27:28
>>33 能力値にして

40 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 01:31:41
>>39

皇甫嵩
統率:93 武力:62 知力:80 政治:68 魅力:92

盧植
統率:89 武力:47 知力:91 政治:88 魅力:85

くらいか?

41 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 01:33:19
サンクス(*^ー゚)b

42 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 01:38:11
ついでに朱シュンも お願いしますm(__)m

43 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 01:40:46
ランラランララランラララランララララ




44 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 01:41:07
>>42

朱儁
統率:87 武力:62 知力:79 政治:85 魅力:83

個人的にはこう。

朱儁伝おいておく。
http://mujin.parfait.ne.jp/mujins/sanguo/s.html#Shu-Shun1

45 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 01:45:29
ありがとう(*^ー゚)b

46 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 01:59:55
戦績の陰に隠れがちだけど、党錮の禁を解くべきと進言したのは何気に功績じゃない?

47 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 02:28:59
後漢末を語るスレって感じだな
盧植伝もどっかにないの?

48 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 07:53:20
朱儁が横山三国志で、調子の良い男として描かれてたのは
個人的にはあまり嬉しくなかった
三国志演義読んだときは、それなりに良い人に見えたから

黄巾討伐に召し出された三人の将軍は、やはり
どれもなかなかの名将だったんじゃないか

49 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 16:08:43
>>47
盧植伝、これしか見つけられなかった。
なんか中途半端なところで終わってるみたいだけど…

ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~dnak/sangoku/rosyoku.htm

その中から抜粋するが、このエピソードって演義では鄭玄に奪われてるよな。

>若くから鄭玄とともに馬融に師事し、よく古今の学問に通じ、心を磨く
>事を好み、章句にこだわらなかった。
>馬融は外戚の裕福な家柄であった。(※馬融は明徳皇后の従兄弟の子で
>ある。)芸妓を列べてその前で歌舞を披露させる事が多かったが、盧植
>は講義についていた数年間、一瞥もくれた事がなかった。馬融はこの事
>により盧植に目を掛けた。


50 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 16:51:03
>>49
そういえば、その馬融も凄い人だよな
後漢書持ってないからWikipediaで調べたんだけど、
著書がやばかった

『三伝異同』
『孝経』注
『論語』注
『詩経』注
『尚書』注
『三礼』注
『列女伝』注
『老子』注
『淮南子』注
『離騒』注


51 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 18:05:04
著書だけ並べられても分からんぞ

52 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 18:45:04
馬融って何した人だっけ。
当代を代表する大学者だったっていうのは知ってる。

53 :50:2005/04/28(木) 18:49:40
>>51
いや、俺は後漢書持ってないから詳しくは分かんないって書いたじゃん
馬融(字・季長)っていう名前は知ってたからちょっと検索して調べただけ
数々の有名な書物の注訳つけるぐらいだからかなりの権威と実力を兼ね揃えてたんだなってことくらい
想像つきますよ

54 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 21:00:26
>>48
朱儁、演技では普通にいい人だったのに
吉川でちょっと嫌な男にされて
横山では完全に偉いだけの無能にされていた
皇甫嵩はなんかキモいし、出番なかったし

55 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 21:08:55
>>54
吉川、横山は演義をさらに劉備贔屓に改変してるから、
正規軍は無能だというイメージを植え付けざるを得ないんだろうな。
唯一盧植だけは劉備が師事してたという理由で真っ当な人間にされてたが…

横山も吉川も面白いんだけど、後漢書とか正史とか知った後に読むと
無性に腹が立つところがあるんだよな。

56 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 22:19:44
そこから更に進んで世説新語とかあるいはもっとうさんくさい感じの奴とかを読んだ後に読むと
「あれ? 演義思ってたよりマトモ?」みたいな錯覚を起こして楽しく読めますよ

57 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 22:21:01
あ、でも世説新語は普通におもしろいのでうさんくさい感じの奴の代表みたいに
言うのはまずかった。今の無し

58 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 22:26:35
>>57
世説新語は曹丕が曹彰を毒殺するくだりとかはいただけなかったけど
全体的に見れば面白いな。

59 :51:2005/04/28(木) 22:30:25
>>53
そんなマジレスされても困っちゃうよ
でもお前、虞翻を「老子」注、「論語」注、「国語」注を書いた人だよって言われて
スゴイ人だよと紹介されても「もっと他に紹介すべきことあるじゃん」って思うだろ
だからそんな馬融の著作だけ紹介されても馬融については分からないだろう
と思って、まぁそんなことを長々と書くのもジャマくさいから、無視されやすいように
煽りっぽく一行でツッコミ入れたのよ
そんないい反応をもらえるとは思わなかったよ

60 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 09:52:21
>>37
皇甫嵩がその二つを却下したのは本当に惜しい。
野心とかは全く無い人だったんだろうけど。
皇帝はともかく反董卓軍の総帥は魅力的なポジションのはずなのにな。

61 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 11:45:28
>>60
閻忠の献策通り帝位についても面白かったとは思うけどな

62 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 12:33:50
要するに、有能な臣だが英雄の器では無かったということだな。
今が時代の変わり目であるということが読めなかったんだろう。


63 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 12:39:17
だがそれがいい

64 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 12:55:15
皇甫嵩ってやっぱり義理10の野望0なんだろうか…

65 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 13:03:36
>>62
少し手厳しい評価だな。
野心の有無は器の差なのか?

66 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 13:34:42
>>65
 皇帝にならないというなら、自分が生き延びて天下を平和を保つという条件を満たす代替案が必要。
 即位しなかったため、宦官ごときの謀略で失脚している時点で「智謀」は低い。

67 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 13:38:37
>>66
ほう、それならば宦官ごときの謀略で失脚した
竇武、陳蕃、李膺、そして数百人の清流名士は皆「智謀」が低かったんだな。

68 :ヾ(o・ω・o)ノ" ◆q5Vs46kmcM :2005/04/29(金) 14:02:20
皇甫嵩ってイメージ的には後漢のエリート肌の将軍って感じだよね。
伯父の皇甫規は異民族討伐のエキスパートかつ清流派の名士。
皇甫嵩も皇甫規の事を全く意識しなかったということはないだろうし、
皇甫規の如き後漢の名臣たろうと考えていたんじゃないかとは思う。
そうだとすると、後漢の枠組みの中で名臣たろうとしていた皇甫嵩にとって、
後漢に対して謀叛を起こそうなどとは思いもよらなかったんじゃないかな。

69 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 15:15:29
旧時代に属する人間だから新しい時代では活躍できない
明治維新の時の幕府の老中みたいな人と言えばいいのか

70 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 15:26:16
能力は当代でも傑出していたと思うけどな
ただただ時代の変化についていかなかっただけで

実際、即位にしろ反董卓連合にしろ皇甫嵩が決断してたら
勢力比が大きく変わっていただろう

71 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 15:29:06
そういえば朱儁も董卓の死後、陶謙らに太師に推挙されたのに
それを蹴って李カクの下へ行ってたな。
勅命とはいえ惜しいことをした…

72 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 15:59:40
>>71
けど、その後楊彪らと組んで内部から画策してただろ?
まあ、結局失敗したんだけど

73 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 18:25:12
少なくとも、董卓という人について良く知っている人物の中でも、董卓の台頭を防ぐ力のあった
数少ない人々の一人であったことは確かだな。

74 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 22:20:33
>>68
皇甫規って確か党錮の禁の時に自首してたよな。
その時は捕らえられることが名士の証みたいになってたから
「自分を捕らえないとはどういう了見だ!」ってな感じだったと思うけど
やりすぎな気がしないでもない。

75 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 23:26:59
>>74
「清流派じゃないのに、名声目当てに自首した痛い奴」扱いで、
相手にされなかったはず。

76 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 19:22:56
皇甫嵩も朱儁も盧植も能力はあるのに処世術には暗かったようだな。
みんな最低一回ずつ罷免されてる。

ただ、それが清廉な名臣のイメージを漂わせていて
俺としては魅力的に感じる。

77 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 19:46:35
小栗上野介みたいだな

78 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 21:07:21
ここって皇甫嵩以外も語っていいんだよな?

皇甫嵩が討伐にあたった張角もかなりの器だったとみえる。
一斉蜂起したときにはすでに病床にあって、実質上の指揮は張宝に委ねられていたそうだが
存命中は官軍に劣らず、深刻化が進んでいたけど、張角が病死した途端に戦局は官軍側に動いた。
病床にあった傀儡のような存在だったにも関わらず生前と死後でこれだけ違うんだからな…
光栄シミュの統率ももう少し高めるべきなのでは…

79 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 21:09:16
張角は、三国志Xだと
武 50 知 95 政 88 魅 99 だった

80 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 21:12:52
>>79
統率の概念無いから仕方無い。

統率 95
武力 12
知力 92
政治 82
魅力 99

てな感じじゃないかな。
病気だし武力は減らしていいはず、知力、政治は宮中と裏工作してたから高めで。

81 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 21:26:13
三国志演義(吉川・横山)じゃ皇甫嵩はヘタレに描かれてるから
もっとカッコイイこの人を知って欲しい意味で、このスレは勉強になるね
正史準拠と謳っておる蒼天航路ですら胡散臭い親父だし…
シミュ三国志でも、もう少しパラ上げてもらいたいね
あれで名将凡将区別してると言っても過言で無いかもしれないくらい
影響力あるからあなどれん

82 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 21:32:34
>>81
シミュのパラメータは怖いな。
思い入れの無い人の能力値が過小評価だったり過大評価だったりすると
それだけで使える・使えないって判断しがちだからな。

顔グラもずっと変わってないけど、あれはお世辞にも「渋い」とはいえないからな…
配色も昔の作品のままだし、皇甫嵩が好きな人じゃないかぎり進んで彼を使おうとはしないと思う。
これも改善してほしい。

83 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 22:14:12
張角が天子や王ではなく天公将軍を自称したのはさすがだと思った。
教徒の階層と称号の影響力を理解してたからこその結果だしね。
農民に向かって天子だの何だのと言ったってピンとこないだろうが、
天・地・人が自分達を導いてくれると言われたら心強いだろうしな。

84 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 07:36:01
朱儁としては、太師に就いて四海の兵を糾合して外から李カクを攻めるのと
史実通り内から画策するのだったらどっちが献帝を助けやすくて成功率の高い
上策といえるんだろう

85 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 07:11:11
孫堅とこいつくらいしか当時の董卓に勝てる人材はいなかったんじゃないか?
曹操も袁紹も負けたわけだし

86 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 08:10:54
>>85
まあ、曹操は兵数が少なかったのと敵将が徐栄だったというのが大きいけどな。

そういや、孫堅や皇甫嵩は董卓と一緒に戦ったことがあるんだよな。
皇甫嵩は伝を読んでるとその時はどこまでも董卓より一枚上手な印象を受けた。

孫堅が董卓殺害を持ちかけた張温ってどんな人なんだっけ?

87 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 18:26:24
>>86
名士出身の官僚。三公を歴任し、韓遂の乱の鎮圧を指揮した。
将軍としては、統率力も軍事知識も皆無で、董卓や陶謙になめられてた。

88 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 20:44:41
>>87
ありがとう。
三国志8で「三公なのに何でこんなに能力低いんだ?」とか思ってたけど
そういう事だったのか。

89 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/04(水) 23:15:18
>>88
当時は渡る世間は金次第。三公の職も買って手に入れたっぽいね。
能力低くても仕方のないことかとw


90 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 00:04:12
>>89
皇甫嵩は売官なしで車騎将軍だから凄いな。

91 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 01:15:07
妹が皇后だからって大将軍になったのもいるもんな

92 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 01:17:13
>>91
そういう例は多いな。前漢の呂氏とか唐の楊氏とか。

93 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 06:42:15
金で官職を売り、宦官を寵愛した霊帝はホントのだめ人間だな
息子の献帝はどうだったんだろ
まともな人物に思えるけど

94 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 08:57:23
>>93
仕方無い。
諡号が「霊」帝であるところを見ると、
当時の人々にもだめ人間だと思われていたようだしな。
「野」「戻」「氏v「昏」「煬」「幽」「霊」「夷」
これらの諡号は暗君・暴君に対するものだし。

逆に「献」は上クラス(美諡)に分類される諡号。
決して「帝の位を献呈した」という意味ではない。

95 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 08:59:58
>>93
あ、宦官の寵愛は別に暗君の証明ではないぞ。
皇族にしたら、物心ついた時から身の回りで世話をしてくれている
宦官を頼りたくなるのは人情ってもんだろう。
「宦官を寵愛した」というより、「増長させた」というべきだな。

96 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 15:04:07
>>94
93ではないが、また一つ知識を得たよありがとう。
成る程、諡にそんな意味があったとは。

諡号は誰が決めるのかな。
みんなで話し合ってこれにしようって感じ?

97 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 16:37:50
>>96
生前の行為をもとに、比較的高位の人間が決めるんだと思う。
だから嫌われていれば事実と反していても悪諡を与えられてしまうことも多い。
例えば于禁。一度関羽に降伏して曹丕に嫌われたばかりに
「疫病神」という意味の「氏v侯と諡されてしまった。

そういえば曹丕四友のひとり、呉質が権力をかさに着てやり放題だったので
醜侯と諡されたが、後に息子が「事実と違う」と上奏して
威侯に直してもらったというエピソードがあるな。

98 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 00:13:55
皇甫嵩の諡号って何?

99 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 00:32:02
>>98
無し。死後は驃騎将軍の印綬を贈られただけ。

100 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 00:34:12
>>99
上の事績にも載ってなかったからもしやと思ってたがやっぱりそうか。
何でだろうな…

101 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 00:34:35
>>96
諡号は基本的に朝廷お抱えの学者が決める。
皇帝が自ら選ぶことはごく稀。

102 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 00:36:00
>>101
勉強になった。ありがとう

103 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 00:38:44
>>100
諡号はよほどの人物で無いと贈られない。
建国の功臣か、中興の名臣か、皇帝の親族・寵臣じゃないと無理。
後漢は諡号を出し渋る風潮が強く、
正史に伝が立つような建国の功臣ですら、
二人に一人しか諡号を受けていない。

104 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 00:42:12
>>103
比較的三国志に近い時代の後漢では、誰が諡号を送られてたんだ?

105 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 00:52:56
>>103
なるほど、それじゃ于禁はひどい諡号を贈られたけど、贈ってもらっただけでも有難いことだったのか。
一応、建国の功臣としての評価はあったということか。

あと、朱霊伝で、正史には諡号が記されていないけれども、註の『九州春秋』で威侯という諡号が
記されているのは何でなんだろう。扱い自体正史はひどい感じもするけれど、曹操に嫌われて
いたから、わざと諡号を載せなかったんだろうか?

106 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 01:26:33
>>104
黄巾の乱で皇甫嵩の司馬として活躍し、
後に韓遂の乱で戦死した漢陽太守傅燮が壮節侯。
霊帝の信頼厚かった司空・臨晋侯楊賜(楊彪の父)が文烈侯。

107 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 01:30:57
>>106
北地傅氏はかなり先まで続いてるよな。
東晋のさらに先まで繁栄してたような。
楊彪の家は有名だから言うまでもないか。

108 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 01:32:56
>>105
>于禁
一度降伏しただけで、建国の功臣としての功績が取り消されるわけでもない。
悪い諡号を贈ったのは曹丕の趣味であり、
公正な君主なら威侯か壮侯か剛侯の諡号をもらえたと思われる。

>朱霊
単なる書き忘れと思われる。

109 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 12:30:21
>>67
皇甫嵩並みの軍事力を地方で持っていてそのていたらくならそうだね。
その条件に当てはまる奴がいるかどうか知らないけど、
少なくとも冒頭の三人は皇甫嵩よりは負けた言い訳がたつわな。

110 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 12:36:03
>>99
光禄大夫とかいうのも贈られてなかったっけ?
三公>驃騎将軍
という知識と、
三公>光禄大夫
という知識があるんだが、
光禄大夫と驃騎将軍ではどっちが偉いの?

111 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 13:47:26
>>109
理論云々の前に畏れ多いな、お前…
党錮の被害者、それも中核の三人にそんな事言うやつがいるとは…

112 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 15:01:21
何か、政争のせいで失脚するのって本人の能力関係無いような。
三国志や後漢史に限らず、歴史全体を見てたらそういう場面が腐るほど出て来るぞ。
しかも、殺されたり失脚するのは大概が物凄い能力を持った英雄や名臣だったりする。

113 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 13:23:45
三国志Xの皇甫嵩は統率93もあるから、第一線で使わせてもらった。
顔グラも有能そうでいい感じ。

114 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 14:02:07
>>110
ちくま学芸文庫の正史8巻付録の官職表によると
光禄大夫>三品・比二千石
驃騎将軍>二品

115 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 19:00:57
>>113
今まで不遇だった皇甫嵩が統率93になってたのには感動した。
あとは知力、政治だな…

116 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 19:56:21
大分鳥にー田の監督は皇甫官

117 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 00:47:57
>>113
ひっそりと鄒靖の評価が下がってる件について

118 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 16:39:56
>>111
まあこれはまだ三人を庇った発言だから。
皇甫嵩より党錮の被害者達は賢いという点では貴方と共通していると思うよ。
本当に酷いのは皇甫嵩が馬鹿なら党錮の禁食らった連中も皆馬鹿とかいう>>67の理論。

119 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 18:53:19
>>118
つーか、67は宦官の謀略ごときで失脚したから知謀は低いとか言う
アホな発言への煽りみたいなもんだろ。

後漢末期の政争を、現代倫理観でぶった斬って
馬鹿とか何とか言っても仕方ないってこった。

120 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 22:53:59
コー ホー スー

121 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 00:45:06
この人って奸臣童貞におもねって保身に汲々としてた小物でしょ。
知ってるよ。

122 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 00:50:42
董卓を褒めてるところは普通にいい話だと思うが

123 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 03:20:43
和解出来てるしな。


124 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 03:55:25
あの頃は董卓もそれなりに普通だったのになあ

125 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 19:21:04
>>124
それなりに普通とかいうレベルではない。
名士の再登用とか善政っぽいこともやってたし。

126 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 19:37:28
どんなに頑張っても生まれでしか人を判断しないDQNどもが招いた悲劇だよな

127 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 20:07:31
>>126
当時はそれが常識だったわけだが。
それを踏まえて語るならまだしも、
そんな浅い読み方をされてもな・・・

128 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 21:06:27
漢王朝補正がきつい物語だしな、演義自体

129 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 21:44:39
演義は漢朝を重んじてるくせに
漢臣の扱いが軽いのはどうしてなんだろう。

130 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 21:56:16
伏完とか目立ってるじゃん

131 :118:2005/05/13(金) 13:40:53
>>119
途中参加かね?全体の議論が見えていないようだ。
>>62ぐらいから読み返してみれば何かしらの発見みたいなもんはあると思うよ。

132 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 13:57:35
>>131
俺は118じゃないが・・・君は読解力というか行間を読む力が無いんじゃないか

133 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 21:29:20
>>131
お前さんが流れをよーく読んでみろ。
62が唐突にアホな事言い出すから煽られてるって流れだろ。


134 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 23:39:13
>>132
行間は白紙だが・・・。

135 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 00:15:56
皇家の甫嵩氏ではなく皇甫家の嵩氏だということを今初めてこのスレで知った

136 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 01:11:53
62=66=109=118?

137 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 10:01:12
>>135
氏・姓・名 はそれぞれ違うからね



138 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 00:15:19
age

139 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 01:17:14
孫堅の出世って朱儁のおかげなんだよな
孫堅の賊討伐成り上がり人生も凄いが、見出した朱儁もなかなかのもんだ

140 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/23(月) 23:14:02
>>139
見いだしたって言うか、江南では孫堅は有名だったしなぁ。
実績もその頃にはあったし。

141 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/24(火) 06:38:12
孫堅は田舎のヒーローだろ
許昭の乱鎮圧に功績があったからといって司令でもなく部隊長だったはずだし
中央ではほとんど知られていないマイナーだったはず
見出したって表現は間違ってはいないと思うが

142 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/24(火) 14:57:22
>>108
諡号で粛候をもらったというのは好評価?

143 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/25(水) 10:34:36
>>142
誰を指して言ってるのか分からんが、粛侯は良い謚。
魏では謀臣・ブレーン系の人間がもらってる場合が多い。

144 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/25(水) 11:14:47
賈クや程c、辛毘なんかだね。
ちょっと癖のある奴ばっかだな

145 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/25(水) 17:15:39
粛…つつましい、の意だな。
郭嘉も粛侯だが、不品行の彼には最も遠い漢字のような気がする…

146 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/25(水) 22:04:17
>>145
諡号の場合、現代的な字義だけで解釈するわけにはいかない点に注意。

諡号としてみると「粛」には、”きびしい”、とか、”おごそか”、などという意味も
もっていて、少なからず激しい意味合いも。

147 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 18:05:08
>>145
待て、郭嘉は貞侯だぞ。

@ただしい(ただし)。ただす。=正。
Aまごころ。
Bみさおを守ること。
Cうらなう。
Dさだまる。=定。
E易の卦の一つ。

1と3じゃないことは確かとして、
一番近いのは2の意味かね。

148 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 18:10:50
皇甫嵩と戦ったのは張梁だっけ?張宝だっけ?

149 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 18:16:04
>>148
両方。三兄弟の首級は全て皇甫嵩が挙げてる。
張角は已に病死してたから「打ち破った」というのとは違うけどな。

150 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 18:51:38
S・K・ホ

151 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/28(土) 05:09:14
候補数

152 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 02:44:06
郭嘉は女癖悪かっただけで不品行というのとはまた違うと思うのだが。
俺の中では言わばシェーンコップやロイエンタールだ。
とスレ違いはどうでもよいとして、
皇甫嵩のオサーンはまず統率とカリスマの高さだよな、うん。
三国志大戦でも採用してほしいくらいだ。

153 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 08:49:40
>>152
武:5 知8の伏兵と魅力持ちかな?

っと、スレ違いか。

154 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 14:30:24
皇甫嵩-義真-
他 R 2.0 弓 6/8 魅 柵
計略:多勢の大号令 士気:6 範囲内の味方の多勢が強化される。

155 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 03:28:43
皇甫嵩こそメルカッツ

156 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 00:05:54
第1章『王朝の戦士たち』

中華大陸の漢王朝。
ある日、皇帝は皇甫嵩たち王朝の戦士を城に呼び出し、
最近ひんぱんに起こっている黄巾の乱の鎮圧を命じました。
皇甫嵩は乱を鎮圧するため、さっそく軍を出します。
果たして皇甫嵩は黄巾賊を無事鎮圧することができるのでしょうか?
そして憎き教祖の正体は・・・?


157 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 18:55:24
第2章『おてんば将軍の暴政』

漢王朝の将軍様、董卓は暴政が大好き。
いつかは中央に入り、ワクワクするような暴政をしたいと思っていました。
でも、同僚の皇甫嵩はそんな董卓のおてんばを許してくれません。
「どうしてお前はそうおてんばなのじゃ。少しは将軍らしくおとなしくしたらどうじゃ」と、
いつもお小言ばかりです。
ある日、董卓は実権を握り暴政を行うことを決意しました……。

158 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 22:17:48
大分トリニータの監督を語るスレはここか?

159 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 22:23:28
手柄欲しさに墓暴きか・・・。
最低だな。

160 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 23:26:38
>137
この時代も「氏」と「姓」と使い分けてるの?

161 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 00:16:15
>>160は知ったかで書いてるだけだから。いじめるなって。

162 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 20:13:31
((・∀・))ウズウズ

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