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石川数正が寝返ったらしいけど

1 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 02:04:38
本心から裏切ったのでは無く
秀吉を内部から押さえる為というのはホント?

2 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 02:05:39
ニダ

3 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 02:05:41
2

4 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 02:07:03
>>3
(・∀・)

5 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/04/21(木) 14:29:14
それは信虎・信玄の密約駿河奪取説より信憑性がないな。アフォの三河武士にそんな発想はなさそう・・・

6 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 15:02:09
そもそも石川なんかが、秀吉側に信用されるわけ無いでしょ
徳川の内部システムを公開 の見返りに保護
と、釣られとくか・・・。

7 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 15:10:28
美濃三人衆の降伏が斎藤龍興の策略だったら凄かったんだけどな

8 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 15:56:57
徳川家内の派閥争いじゃないのか?

9 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 16:21:45
まあ彼も清く正しい戦国武将だったということでしょうな。

10 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 17:33:02
( )
( )
( )
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( )
()


11 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 11:39:50
穴山梅雪が寝返ったらしいけど
本心から裏切ったのでは無く
織田家を内部から押さえる為というのはホント?

12 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 01:43:55
小早川秀秋が寝返ったらしいけど
本心から裏切ったのでは無く
徳川家を内部から押さえる為というのはホント?

13 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 19:01:37
うそ

14 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/25(月) 11:38:45
前田利家が寝返ったらしいけど
本心から裏切ったのでは無く
羽柴家を内部から押さえる為というのはホント?

15 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/25(月) 16:28:05
うそ

16 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 00:16:00
               ∧弁∧
             ( ;゚ 0゚ ) <あ、あ・る・こ・ー!(ここどこ?)
  ズリズリ       ノ ⊃酒O
  , ─‐ 、    〜(_つ
(( | 重 |∞∞∞∞(/
   ̄ ̄ ̄

17 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 15:18:28
山岡家康に影響されたのかな。

18 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/24(火) 07:26:38
【日本の食卓にまたもよ危機! 忍び寄るアメリカの魔の手】

これだけ世界中でBSE(狂牛病)が問題となり、
日本でも肉骨紛の使用を規制しているのに、
未だ肉骨紛を与えて牛などの草食動物に与え飼育しているアメリカ…


珍しく日本政府が危険過ぎると判断してアメリカの危険な牛肉の輸入を規制したのは記憶に新しい。

輸入再開の条件として日本がアメリカに要求したものは、ただBSE感染の全頭検査だけだった。

しかし横暴なアメリカ政府はこれを却下、
『日本人などアメリカの下僕なのだから、どうなろうが知った事ではない!』かのように無責任にも、
『全頭検査の必要はない! BSEなど恐れ騒ぐほどの事ではないだろ!』と、
これ以上文句を言うなら経済制裁をもしかねない用に突っぱねて輸入再開を強要してきた…

(自国が輸入する牛肉でアメリカ自身は、BSEが出た国からは輸入規制しているのに自分勝手なのでぃす!)

極悪非道+自分勝手+戦争好き+死の商人×卑怯者=アメリカ

やぁ〜い♪ 世界の人達に代わって言ってやったのでぃす☆

そりではバイバイ ではでは〜。


http://www.asyura2.com/0403/gm10/msg/374.html

↑資料 参考として分かりやすいURL(面白さ推奨)

19 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/27(金) 00:20:29
ttp://www7a.biglobe.ne.jp~hiyonoQMA_Player

20 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/28(土) 13:25:52
家康の密命を受けた・・なわけない!!!

21 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/28(土) 15:40:42
>>10
何様だてめぇ

22 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/28(土) 15:46:52
数正の晩年ってどうだったの?

23 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/28(土) 19:30:35
>>22
禿鷹に突かれて死亡。

24 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 06:52:05
なんで息子が改易されたの?

25 :勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/06/03(金) 22:12:42
酒井忠次の晩年を考えると、何か陰湿な土壌を感じるなあ

26 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 03:47:34
そうだね・・

27 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:03:54
>>18
輸入再開時は
"農水省が寝返ったらしいけど
本心から裏切ったのでは無く
米畜産業ロビイストを内部から押さえる為というのはホント?"
とでも書くつもりなのでつか?


28 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 03:22:07
あかひげ薬局にイケや

29 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 16:54:03
               ∧弁∧
             ( ;゚ 0゚ ) <あ、あ・る・こ・ー!(ここどこ?)
  ズリズリ       ノ ⊃酒O
  , ─‐ 、    〜(_つ
(( | 重 |∞∞∞∞(/
   ̄ ̄ ̄


30 :史疑徳川家康:2005/06/12(日) 17:24:07
家康が世良田二郎三郎である事をうっかりしゃべったせいで、
家康(二郎三郎)に睨まれて、このままじゃ殺される((((((;゚Д゚))))))
と思って寝返った

31 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 19:56:12
ヤレ、節約だ、気合だ、根性だ、忠節だ、交渉などは卑怯未練だ、などといって体育会系の、
はっきりいえば頭の良くない三河衆という集団は、
まっとうな財政や外交のセンスがある数正にとっては、
もともとそれほど居心地が良くなかったはず。

それでも一応根っこは三河武士だから我慢して忠節を尽くし続けてきたけれど、
秀吉との戦争準備で経済がぼろぼろになって戦争を続けられる状態じゃないこの期に及んで、
落としどころを探る自分の仕事の重要さが周囲から理解されないまま。
そりゃ、出奔したくもなろうというもの。

ああ、でも、もう少し我慢していれば・・・。

32 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 20:22:31
でも数正って筆頭家老まで行ったんじゃなかったっけ?
それほどの地位の人が武闘派から白眼視されたから
秀吉と通じていると疑われたからって逃げ出すのもなんだな
普通は派閥争いになるはず

てなわけで、秀吉が仕掛けた徳川内部分裂の計を察知した数正が
それを避ける為あっさりと身を引いた、に一票

33 :イ宅 金青ぷらっと ◆QqQquqqauQ :2005/06/17(金) 21:12:04
徳川の石川数正
毛利の小早川隆景
島津の伊集院忠棟
龍造寺の鍋島直茂
上杉の直江兼継
伊達の茂庭綱元

同じような境遇に置かれても、さまざまな結果は生まれるものだなと。

34 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 22:35:24
>>33
鍋島の独り勝ちやね

ただ、沖田畷の状況がが他の五主従におこったらと想像するとおもしろい
小早川ならなんとか立て直せそうだし島津にはスペアがいくらでもいるが他はなあ…

35 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 08:24:16
徳川家の待遇よりも好条件のオファーが秀吉側から提示されたから移籍した
戦国時代なんてそんな感じじゃん
主君に忠義を尽くす云々は江戸時代以降の侍像

36 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/19(日) 00:06:16
>>35
三河衆は、「おおむね」、戦国武士の中でも特異だったんじゃないの?
三河一向一揆のエピソードはわりと有名だし、対武田戦でも三河武士の働きは異色といってもいい。
姉川の戦いだって、普通は援軍てのは総じて戦意が低いものだが、
わざわざ遠路駆けつけて、朝倉勢を押し返すほどの働きを見せたわけだし。
他国の家臣団と比べると、割と忠義を重んじていたんじゃないかと。

その異色集団三河武士のなかでも、わりと当時としては数少ないまともな戦国武士の感覚の持ち主が、石川数正だったのでは、と。

石川数正が秀吉に好条件で誘われたのは事実だろうけど、
なぜ、その時期に、秀吉の、引き抜きに応じたか、という問題がある。
今川からの独立、織田家への半従属的な同盟関係と過酷な対武田戦。
その苦難の中、三河武士の多くは出奔もせず、引抜にも応じず、それは数正とて例外ではなかった。
それが、小牧長久手の後になって、出奔した、そのタイミングと政情・環境に、大きな意味がある。

陰謀の阻止か、とにかくやってられなかってキレたのか、とにかく数正が出奔した後も、
三河武士は、戦国期としては異常とも言える情熱で、忠義を尽くし続け、
むしろこうした三河武士の在り方が発展したのが、江戸時代以降の武士像ではないかともいえるのでは?
ひょっとすると、徳川幕府が成立していなければ、後世の武士像はまた違ったものになっていたかもしれない。

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