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大坂の陣 3

1 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 18:14:35
巨城落城と共に「夢は終わった」
戦国時代最後の戦いにして最大の戦いを
じっくり語ろう。戦国総決算スレです。

前スレ
大坂の陣 2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1099234191/
前々スレ
大坂の陣
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1070287751/

2 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 18:17:52
可児死ねや!


3 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 18:18:23
蛇責め!

4 :可児@元文学従事 ◆R.hU2KhlIc :2005/04/11(月) 18:18:34
>>1さん!スレたて乙!
このスレでは心機一転、真面目に語ります!
みなさん、ニュー可児をご期待ください!
\(^O^)/ ガンバルゾー!

5 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 18:24:12
前スレ>>998
なんかクロスボーンバンガートガンダムのドゥガチ総統を思わせる話しだな。
地球不要論という恐ろしい選民主義的な名目で地球を破壊する大戦争を起こしたドゥガチ総統だが、
その地球を破壊する本当の理由はきわめて人間的な怨恨からくるものだった。

秀吉も天下人という地位にありながら、
その晩年は我が子のために狂ったような行動を取る一人の哀れな男でしかなかった。

6 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 18:27:14
>>4
おいダボ!お前そろそろ消えろダボ

7 :可児@元文学従事 ◆R.hU2KhlIc :2005/04/11(月) 18:28:10
おまいの例え、全然わかんないんですけどWWWWWWWWWWWWWWW

8 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 18:29:30
   可児@元文学従事 ◆R.hU2KhlIc

    /::::::::/ ノ::::::::ノ::::::::ヽ:人::::::::::(ヽ::::::::::ヽ
    (:::::::/o  ):::ノ::::ノ ) ソ ヾ:::::::::( 丶:::::::ヽ
   (::::::/  ・ノノ ノo ノ   ノノ ノ ・ ヽ:::::::)
   /:::::::| 彡彡彡彡彡 ・ ミミミミミミミ |:::::::)
  (:::::::/ / ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ |:::::::::|
  |::::===ロ '"●>   ‖・,‖  <●゛ ロ===|:::)
  (:::::/ ‖ |||||||| / /ノ  ヽ \ ||||||| ‖ ヽ|:::::)  おまいの例え、全然わかんないんですけどWWWWWWWWWWWWWWW
  (::::/。oヽ`=======/´⌒ ` =======ノ。o・|::::|
  ヽ/ 。 ・:・‘。c  ( ○ ,:○ )  ・u。*@・:‘)::ノ
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  (; 8@ ・。o:/:::_,-'ニニニヽ ::\.”・:。;・’0) 
   \。・:%,: )::;:::::::ヾニ二ン"::::;:::(ο:o`*:c/
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        \_::;::::::::o:::::::::::;::ο;::__/


9 :可児@元文学従事 ◆R.hU2KhlIc :2005/04/11(月) 18:31:12
>>6
だからニュー可児だっていってんだろ。
真面目にやるからまあ、見とけって。

10 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 18:34:17
例えがさっぱりわからんぞ、マジで

11 :可児@元文学従事 ◆R.hU2KhlIc :2005/04/11(月) 18:35:07
げぇ!?な、な、なぜ!( ̄□ ̄;)!!

12 :5:2005/04/11(月) 18:39:12
まあ天下人秀吉の晩年は
統治者もしくは政治家としてというよりも
我が子を溺愛するあまり狂ったような行動をとる
ただの一人の男に成り下がっていたという事。

13 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 18:41:40
でもここだけの話どーみても秀頼、秀吉の子じゃねーじゃん

14 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 18:45:18
13が秀頼をどう見たのか、ぜひ聞きたいところではある

15 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 19:04:47
鶴松・秀頼以外にも秀吉には秀勝と言う実子がいたからな
秀吉が種無しだから淀殿との子供は全部淀殿の不義によるものという決め付けは無理がある



16 :可児@元文学従事 ◆R.hU2KhlIc :2005/04/11(月) 19:05:33
>>13
秀吉『わしは天下を取った!足利氏以来の快挙じゃ!日の本のあるじ!わしより偉い奴は存在せん!・・・なのに・・・なぜわしに子種がないんじゃ!!
おお神よ!!わしほどの壮挙を成し遂げた男に、なぜ、かような罰を与えたもうたか!!ううう・・・』

女中『殿下!ご報告申し上げます!』
秀吉『なんじゃい!われ!』
女中『茶々さまが・・・茶々さまがご懐妊されました・・・』
秀吉『・・!!!!すりゃま、まことか!?』
女中『はい・・・』
秀吉『うほほーい!!そうじゃろう!そうじゃろう!そうじゃろう!そうじゃろう!そうじゃろう!そうじゃろ――う!
なんといってもワシは天下人じゃ!できぬわけがない!そこらの乞食でもできることができぬわけがぬぁーーーい!!おお神よ!!いたずらが過ぎようぞ!!
はっはは!わしの子じゃ!わしの子じゃ!だれがなんといおうと、ワシの子じゃーー!!!!!!』
おそらくこんな感じです。
こんな精神状態で秀吉が疑うわけもありません。てゆうか、疑うことを頭から削除もしくは逃避してます。
自分の子であって欲しいという願望もあるでしょう。



とにかく秀吉自身が自分の子と思い込めば、余人は、なにも否定できないのです。

17 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 19:07:29
かに消えろ。

18 :可児@植田まさし ◆R.hU2KhlIc :2005/04/11(月) 19:24:23
>>17
ンモー、ソユコトスルー

19 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 20:20:59
伊達の騎馬鉄砲隊ってほんとうに活躍したのか?
弾込めに早号使っても数十秒かかるだろ? その間手綱を握らずにパカパカ馬で走るのか、その場で待機か。



20 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 20:25:16
>>19
使い方が違うんじゃないか?
撃つときは地面に降りるんだと思うぞ。そもそも、騎馬鉄砲隊で突撃
かけるようなアホなことしないだろ。もしかしたら、戦闘時は馬は後方に
下げるかもしれないし。(馬は音に敏感だから、暴走する危険性が高い)

21 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 20:54:11
騎馬鉄砲隊の基本戦術は、鉄砲をぶっ放して敵が怯んだところにそのまま突撃。
もしくは機動力を活かして、敵の大将に近づいて狙撃。
要するに鉄砲を撃つのは一回。
真田軍との戦いでは、突撃しながら鉄砲をぶっ放したものの、敵は伏せていたために全く意味がなかったと言われている。

22 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 21:09:52
秀勝とその妹も不義の子かもしれんぞ同じ母だしさ。
なんせ、あれだけ色好みの秀吉の実子がたったの4人だけで、子をはらんだ女が二人だけというのは怪しい。

23 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 21:16:36
秀吉は女好きだったがセクース好きじゃなかったんだろ

24 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 21:39:22
>>1 乙!!

さ〜て みんなマッタリいこう〜や♪


25 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 21:40:12
>>21
おい それじゃあ全然活躍してないじゃねえか!

26 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 21:40:11
>>19-20
俺も馬から下りて撃ってたと思う
武田の騎馬隊論争なんかでもよくあるが、
「馬乗り」は身分であって兵科ではないから、
実際あったとしても、普通馬に乗らない足軽を移動時に乗せて機動性を持たせたとかそういうのでは

だいたい馬上で一発撃つごとに掃除して、早合とりだして、詰めて撃つなんて至難の業だぞ
しかも槍や刀と違って味方が入り乱れてたなら撃てないし、
かといって馬を整列させて撃つなんてやってられないでしょ

27 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 21:46:23
史料に残されている騎馬鉄砲隊は「部隊」。
大坂の陣のころは、武田騎馬軍団論争の時代とは異なり、軍制も整備されていた。
ちなみに、騎馬鉄砲隊は実効性よりも宣伝の意味合いのほうが強かったらしい。
大坂の陣は勝って当たり前の戦いであり、各大名達はいかに目立つかを考えていた。

28 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 22:50:47
てかマジで騎馬鉄砲隊大した事なかったの?
プギャー

29 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/11(月) 23:23:53
>>28
いちおう後藤またべえさん討ち取ったよ

30 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 10:22:16
>>28
普通の鉄砲隊くらいには役立つんじゃないのかな。
もともと、騎兵隊の最大の利点はその移動速度にあるわけで、騎馬突撃が強いと
いうのは二次的な利点だからな。敵の後方に高機動で出没させて、アウトレンジ
攻撃するってのは、使い方によってはかなり有効のはず。使い方難しいけど。

31 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 10:29:48
雑賀衆が最強

32 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 12:17:40
あのね、日本に騎馬兵なんてないの
馬に乗ってる歩兵なの
日本みたいに山と田んぼの土地柄では騎馬兵なんか運用できないの
武田騎馬隊なんかぜーーーんぶフィクション
みんな馬からおりて戦ってたの 歩兵なの

33 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 13:19:41
>>32
騎兵隊について言っているのか、単に「馬に乗って戦う兵」のことを言って
いるのか?
そもそも、騎兵ってのは移動速度が大きいの最大の特徴なわけであって。その
ためには歩卒まで馬に乗っていないといけない。だから、武田騎馬隊は騎兵隊
とは言いがたい。最大の利点を潰してしまっているから。
逆に言えば、全員が馬に乗ってれば戦闘時に馬から下りて戦っても、騎兵隊
は騎兵隊だろ。
もし、馬に乗って戦う兵って意味なら、士官クラスは馬上で戦っているわけで、
いないわけではない。

34 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 13:28:46
センゴクに影響されちゃったかあ?

35 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 13:46:38
伊達の鉄砲騎馬隊を、真田兵が地に伏せて果敢に迎撃したなんて話は、
結局、「真田の健闘」を讃えるために、捏造された講談話なんだろ?

36 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 17:56:27
>>32
騎馬隊なんてわんさか出てくるだろ。
もっと本読め。

37 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 17:57:36
つーか、日本の武士のデフォは騎馬だ。

38 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 18:26:54
騎馬鉄砲隊の存在を明示してる史料がないからね

ポニー兵は居たけど騎馬隊なんてのは存在せんわな

39 :可児@元文学従事 ◆R.hU2KhlIc :2005/04/12(火) 18:30:46
てか、話題ツマンネ。
そんな話は武田スレで語れや、おう?糞ニートどもがっ!!

40 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 18:59:06
武田騎馬軍団を引き合いに出して騎馬鉄砲隊を否定するのは間違い。
武田家は豪族の寄り合い所帯で、騎馬武者に歩兵数人が一単位となっていたが、
その頃とは時代が違う。
大名の領地替えなどもあり、豪族の寄り合いではなく、各大名家が一つの国という感じになっており、
兵制もより整えられている。
伊達軍は大坂の陣で兵力一万に三千四百もの鉄砲を装備しており、
「片倉重長大坂の陣覚書」には、槍騎兵隊が突撃攻撃をしかけたことも記されている。

41 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 19:09:09
伊達家は大阪の陣で
新軍制や戦法のテストをしたみたいだね。
それが「本当の意味での騎馬隊」や「鉄砲騎馬隊」なわけだ。

ただ、そのテストは結果的にはほとんど役立たずだったが。

42 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 19:58:43
>>41
政宗ってなんかやろうとしては大抵失敗してせこい言い訳してるだけのイメージがある

43 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 20:06:42
>>42
失敗も多いが成功も多く、その結果が仙台62万石。

44 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 20:40:16
鉄砲装備の騎馬隊のなんてのはヨーッロパの戦争を見ればわかる通りありなんだが。
当時の火縄銃の性能じゃ無理だね。

45 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 20:51:46
大坂の陣のころは西洋じゃとっくに騎乗銃兵が運用されているのにな。
なんで日本では育たなかったんだろう?

46 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 20:58:56
>>38
騎馬武者だけの部隊なら戦国期よりも以前の史料にいくらでも出てくるぞ。
もともと日本の武士ってのは騎馬が当然だったわけだしな。

47 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 21:07:01
>>41
そんな話、聞いたこともないな。何かの小説でも読んだのか? 豊臣方の最大の強敵真田相手に悠長に
「テスト」なんかしている場合かどうか。大体、片倉隊は午前4時から延々と後藤隊薄田隊と死闘を繰
り広げ、戦功も揚げており、疲労も極限に達していただろう。
戦場に遅刻して現れた真田隊と激突したのが午前11時。無傷状態の真田と激闘を繰り広げれば、さしも
の片倉隊も後退を余儀なくされても仕方ない。
で、その真田隊は、政宗本隊が投入された途端、退却に転じているわけだ。
伊達家の圧倒的な火力に恐れをなして遁走したのだろうが。

48 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 21:14:36
真田隊は政宗本隊を道明寺口まで押し込んでから引いただけ。
遁走とは言い難い。
槍騎兵も伝えられる騎馬鉄砲隊も片倉軍。
実験というより主力って感じだが、初めての実戦投入という意味では試したとも言えるだろう。
あと、伊達政宗にとってこの戦いは、勝って当然の余裕の戦いであったことは間違いないだろう。

49 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 21:22:23
>>46
騎馬武者だけの部隊はいたけど、騎兵隊としての運用の思想が
無いんだよな。馬に乗ってた方が強いから乗っているだけで。
騎兵の機動性を使って思わぬところに出現するという意識がない。
唯一その思想をもっていたのが義経。

50 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 21:27:11
と桶狭間における信長くらいか>日本における騎馬戦術の実用例
ていうか騎兵隊云々はいい加減スレ違いじゃないですかね?

51 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/12(火) 22:04:57
秀頼主役の安部龍太郎の「密室大坂城」読んだ人いる?
この本でも秀頼はなんかボヤけてるんだが・・・
もっと詳しく秀頼の事書かれてる本知ってる人いたら教えて
お願いします。

52 :可児@元文学従事 ◆R.hU2KhlIc :2005/04/12(火) 22:48:54
あるよ。ワレ、マドロミテってやつでしょ。清水宗治がスペシャルゲストの奴だよね。

けっこう、つまんなかったよ・・・(-_-)

53 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 00:30:21
>日本における騎馬戦術の実用例
ここで桶狭間がなぜ出てくるのかわからん
それいうなら、義経の一の谷とか屋島合戦かな?


54 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 00:41:09
槍隊、弓隊、小荷駄隊のように騎馬隊も普通にいるだろ。
馬上の戦闘は相手が右手に来るようにしないと、左にこられると死角で不利なんだよな。


55 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 00:44:48
槍隊や弓隊なるのが存在しとったのか微妙
例えば、小山田信茂の軍勢は投石隊だった訳だが、一人の国人の軍勢を部隊とするのか?
それとも部隊とはきちんとした大名が決めた軍制による部隊割の事を言うのか?
その辺の解釈からして、漏れみたいな低脳には分かりづらい

56 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/13(水) 14:21:15
後北条の例えになるが、
Aという武士が弓足軽・槍足軽・鉄砲足軽と軍役を課されて実際率いていったとする。
でそいつらをひとまとめにしてAが指揮するかというとそうではなく、
弓足軽なら他の弓足軽とひとまとめにされて弓隊を組織され、
槍足軽なら他の槍足軽とひとまとめにされて槍隊を組織され、
A本人は役職に応じた部署に着く(足軽大将など)。

57 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 15:20:33
少し話は変わるが、大坂の陣の時点で織田信包が生きてたらどうだったろうね
まあ豊臣家が家康を倒して再び天下に号令を、なんてことは考えられないが、
少なくとも秀吉の血筋と豊臣家が江戸時代でも存続した可能性が高いと思う
片桐且元の言うことを信じなくても信包の言うことなら淀殿も信用しそうだし、
信雄や有楽斎のように土壇場で秀頼を見捨てることもなさそうだが

58 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 15:25:15
>>57
ついでに清正と昌幸くらいは生きてなきゃお話にならんだろ

59 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 15:28:29
まあこの場合豊臣家が存続するっていうのは、
信包が淀殿を説得して、家康の屈辱的な勧告を受け入れて
小国の一大名の地位に甘んじるということだけど

60 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 15:33:56
誰であろうと、淀と秀頼を大坂城から出して家康・秀忠に平伏させる事はできないだろうな。
最後まで家康を家来と見てたようだし。プゲラ

61 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 16:01:58
最後の「プゲラ」って必要あったのか?

62 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 19:02:09
>>59
つうか、大坂の陣が始まった段階では無理だろ。
戦いが始まる前に臣従するってんなら別だけど。


63 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 19:05:01
家康が死ぬまでおとなしく待ってりゃよかったのに

64 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 19:12:18
大坂退去&淀を江戸送り、これで御家安泰

65 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 19:18:51
淀って批判の的にされることが多いけど、あくまで家の格式を守り続けたのは立派だよ。
死して名誉を守るなんて、そうできることではない。

66 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 19:35:36
でも淀さーん ほんとにヒデヨシの子なん?秀頼・・・・

67 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 19:39:53
格式守って家を滅ぼした

68 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 19:44:55
>>67
家って言ったって秀頼と淀しかいないし。
天下を取った豊臣家として、家康の傘下に入るよりも滅びの道を選んだ。
愚かとは言い切れないよ。

69 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 19:49:58
>>65
大砲にビビッってみすみす堀を埋め立てさせて
その直後に再び開戦→落城→自害
これで格式(そんなものがあるとして)を守ったんですか?

70 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 19:52:51
>>69
君は重箱の隅を突くのが好きなタイプの人だね。
別に淀が完璧なんて言う気はさらさらないんで。
まずいところはたくさんあったね。
それで?

71 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 19:56:04
家の存続が第一という常識から照らし合わせれば愚かとなりまふ>>68

72 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 19:58:36
>>71
そうだろうね。
でも普通の家とは違うからね。


73 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:01:34
>>68
時代の流れが読めず、思慮も足りないから、やはり「愚か」だろうね。

74 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:04:37
>>73
天下の豊臣家として、時代の流れに逆らって、あくまで家康の傘下に入るのを拒んだ。
それはそれで立派だよ。

75 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:07:26
最後の最後に蔵の中に逃げ込んで命乞いしているのに
格式云々言われてもな。
ようするに、世の中甘く見てただけでしょ。
最後の最後には、自分達だけは助かる、そういう特別な存在だと
思ってたんだろうな。

76 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:11:28
母子2人だけならそれでいい。しかしメンツに固執し、政治的なミスを連発した挙げ句、
開戦・落城を招き、大坂城に籠城した女中衆だけでも10000人以上が無惨に殺された。

統治者としては失格だろう。

77 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:13:04
>>75
よくそこまで思いつくな。
少し感心した。


78 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:16:53
>>76
滅びた家の君主が統治者として失格ならね。
でも仮に豊臣家が国替えを受け入れたとしても、それで済むとは到底思えない。

79 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:17:57
>>77
天皇家がそうだからな。
「あれは部下がやったこと」って言って、自分は責任を取らない。
まぁ、天皇家の場合は実際に責任取らされることは非常に稀なんだが。
これは、公家的と言い換えてもいいわけだが、豊臣家は関白のせいか、
公家的なんだよ。
というか、秀吉亡き後の豊臣家のメンタリティはどうみても武士では
ないからな。

80 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:20:23
>>79
なんか全然話があっちに行ってしまったな。


81 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:25:18
>>80
まぁ、それほど外れてもいまい。
つまり、秀頼の豊臣家はようするに公家であって、武士としての感覚で
あの家を見れば見誤るってこと。


82 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:25:38
騎馬云々から少しずれるが平将門は馬上槍ならぬ馬上太刀っていうのを
創ったらしいよね?
そんときは馬から降りて戦わなかったの?


83 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:26:07
秀頼母子の命乞いについて
阿部家譜では、秀頼のいる蔵を囲んだ際に豊臣家臣の加賀爪忠澄から
助命嘆願が出たとある、これが秀頼母子からなのか、本人からなのかは謎

永日記では千姫が返された際に、命乞いがされたとあって
その際に家康が助命しようか悩んだとある

ので、秀頼母子かその側近が命乞いしたのは確か

84 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:28:21
>>83
細かいことはどうでもいいんよ。
普通の武士なら、炎上する天守閣で腹を切るんだから。


85 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:28:27
武家ですが>>81

86 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:29:53
炎上する城を放置して逃げた武将は数知れず


87 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:30:17
>>85
なら、武士の風上にもおけないような連中だわな。

88 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:31:36
秀頼は炎上する蔵で切腹しました
解釈に使った刀は吉光骨喰

89 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:32:11
批判的な人に逆に聞きたいんだが、
それじゃあ淀はどうすれば良かったと思う?
家康の言うとおりにし続けても追い詰められていく一方だし、最終的には潰されるのがオチだろう。

90 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:32:48
>>86
戦機がまだあるんならな。大坂の陣みたいに配下がことごとく
死に戦を行い、自分に殉じている状況で、主将だけが生き残ろう
とするよう感覚は日本の武士にはないよ。
要するに、サムライがその倫理観の根底に置いた潔さが全然ない。

91 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:34:55
>>89
完全に臣従して自分達は無害な存在だと家康にアピールし、家の存続を
目指す。
そうでなければ、恫喝に屈して小出しに妥協なぞせず、天下に家康の非
を打ち鳴らして、堂々と戦い、こと敗れれば潔く滅びる。


92 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:35:20
そりゃ本人が軟弱なだけ


93 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:36:37
>>91
下のほうは実践してるだろ

94 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:38:41
家康の態度が急変したのは1605年の、秀忠将軍就任時の上洛拒否。
淀は上洛を強要するなら「親子ともども自害する」と言い張り、家康
を呆れさせた。淀という女は浅はかだということだ。

95 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:38:50
家康が死ぬまでは土下座して耐える
家康が死んでからじわじわおきあがる

96 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:39:04
大坂から出て行って、10万石くらい貰って
淀君が江戸で人質になっとけば潰されなかったな

天下人秀吉の居城大坂城で、従二位の位階を持ち、徳川幕府の課役に一切従事せず
幕府制外の家として居続けたから滅ぼされたんだから

97 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:39:21
>>93
全然してねえって。開戦したはいいが大筒打ち込まれた程度であたふたして
和議はするし、和議になったのにまた浪人集めて開戦の理由作らせるし、
最後に負けたのに、まだ自分達だけは生き残ろうとこそこそ蔵に隠れるし。


98 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:41:12
まあ徳川慶喜みてーのもいるし、最後ってのは悲惨な奴らが多いな。

99 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:41:16
>>94
だから、それに従ってそれで済む話じゃないだろって。


100 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:46:36
>>97
君はとことん完璧を求めるんだな。

101 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:47:18
>>99
どうも、根本的に間違っているな。
臣従した後に徳川家につぶされる口実を作らせないってのは、
豊臣家側の政略と努力に帰すべきものだろうに。
どの大名だってそうしているし、秀吉に臣従した後の家康なんて
一切の口実が作られないように、とてつもなく慎重に行動している。
臣従するなら、相手の靴を舐めるつもりで、自分達の無害をアピール
すべきだろうに。それをしないで、マグロ状態で横たわってりゃ、
相手は好きに料理するよ。


102 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:49:29
>>100
完璧じゃねえって。ごく普通の政略感覚と大抵の武士が持っている
気概がありゃ、和議なんぞしないし、堀も埋められないし、最後に
天守で腹切るくらいことはできるわ。


103 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:52:48
マグロ上手いから横にありゃ誰でも食うさとわけわかんない事ほざいてみる

豊臣には普通の武士の家にはない「天下人の家」という誇りがあった
仮に秀頼が生き延びて幕府傘下に入り、江戸城で諸大名の前で頭を下げてみろ
「元天下人も落ちたものだ」「あのような者の為に死んだ者が報われない」とか
さんざん馬鹿にされるだろう。それに秀頼や淀が耐えられなかったんだろ


104 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:52:48
>>99
徳川への政権委譲を淀が認めればそれで済んで話だよ。中小大名か
高家で生き残れる道を用意していたのは家康の方。
結局「太閤秀吉の偉功」をいつまでもふりかざした淀に、豊臣の滅亡の
遠因がある。

105 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:53:52
>>101
いや、家康にとっても豊臣家は他の家とはわけが違う。どんな理由をつけても潰すさ。

あと、さっきから俺が言っているのは天下の豊臣家として、あくまで家康に臣従を拒んだのはそれはそれで立派だと言うこと。

106 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:54:10
>>103
名誉に殉ずるなら、潔く一戦して散ってみせるのが武士だがな。
少なくとも、蔵に逃げこまねえよ。

107 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:56:25
>>105
臣従を突っぱねるにしたって、腹が全然据わってないからな。
とても立派とは思えんが。
あれだけ大量の死者を出した戦を引き起こしておきながら、自分達だけ
は生き残ろうと考える連中の行為がとても立派とは思えない。

108 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:59:21
>>107
徳川慶喜「呼んだ?」

109 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 20:59:36
>>107
やけに最後にこだわるな。
最後は弱さが出てしまったんだろう。
そのくらいは許してやれよ。

110 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 21:13:59
終わりよければ全て良し
立つ鳥後を濁さず
竜頭蛇尾

最後は重要なんだよと言って見る

111 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 21:15:40
いいじゃないか。結局は自害したんだから。

112 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 21:16:02
>>109
最後にこそ潔さを見せるのが、鎌倉以来の武士の姿だろ。
だいたい、秀頼のやってたことは、相手は下手に出ているときは、
プライド爆発させまくって高飛車な態度に収支し、いざってときに
なると、プライド捨てまくって命乞いしているわけじゃん。
こういう香具師は、普通なら軽蔑の対象だろ。


113 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 21:17:57
最後は自害したというより温情で(恩情?)自害させて貰ったようだが

114 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 21:32:17
自分で腹切ったかどうかすら不明だがな。
多分、周囲の人間が手にかけたんだろ。自分で腹切る根性があったかね。
最後については、あれだけ悪評の高い秀次の方がはるかに見事だわな。
少なくとも秀次は武士であろうとしていたし、それなりに努力もしていた
からな。

115 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 21:38:53
最後よければ全て良しとはまさにその通りだ
義元だって戦死してなけりゃ名君といわれたろうし
信長だって本能寺で死んだから神秘的とか思う香具師がいるんだし

116 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 21:48:42
>>115
最後が多少へたれでも、その以前に評価されるべき実績があれば、
さほどに言わないがな。
秀頼親子は関が原以降、やったことといえば、財力蕩尽してんも寺社の
修復だけだろ。他には、天下人の実質もなきゃ、天下人になったときに
自分達がどういう政治をするという抱負もない。それでいながら、近代
以前で最も犠牲者の多い合戦の一方の当事者でありながら、最後には、
敗戦の責任を取ろうともしない。
まあ、クズと言ってもいいくらいだわな。

117 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 21:54:39
どこをどう考えても淀殿に対して「立派」という評価は出来ないわなあ。
せめて冬の陣で安易に講和をしたりしなければ、
まだ意地を貫き通したという評価も出来るんだが、簡単に折れてしまったからな。

幼い頃に落城を経験したこともあったのだから戦を想像することも出来ただろうに、
それをもう一度経験する覚悟が出来ていなかったなら、
最初から意地なぞ張らずに臣従の道を模索すればよかったのだよ。

118 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 22:57:54
織田信雄は秀吉・家康に屈して明治まで家名を残したが、歴史上の評判は振るわないな
後世の勝手な立場で言わせて貰うと大坂の陣での豊臣家滅亡はそれなりに美しく、意義のあるものだったと思うけどね
ただ残念なのは淀殿に関しては未だにあまりに一方的な見方しかされないこと
江戸時代は豊臣家を滅ぼした淫婦という幕府による刷り込みがなされたし、
明治に入ってからは真田幸村以下大坂城の浪人の引き立て役としてことさら頑迷に描かれがち
豊臣家の財力を食いつぶしての寺社復興もそもそも家康の警戒をそらすための豊臣家なりの必死の策だったんだろう
その結果家康に方広寺の鐘銘でいちゃもんをつけられたのは哀れとしか言いようがないけど

119 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 23:05:07
>>118
確かに哀れではあるが、立派ではないね。

それから、傍目で見る分には美しいかも知れないが意義はないな。
で、さきほどから言われているように、
滅びの美学的なもの言うなら半端に講和なぞするべきではなかったね。

120 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 23:15:59
いや、別に淀殿が政治家として一流だったと主張するつもりはないよ
日本人的な「滅びの美学」のメンタリティーで言うと確かに淀殿・秀頼の最期は平凡で物足りないね
あくまで講和を拒否して松永久秀みたいに大坂城ごと爆死すればかっこよかったかもね
ただ、そんなことは今更言っても仕様がない

121 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 23:23:52
>>120
だれも政治家としてなんて評価しようともしていないし、
そもそも評価するにあたわないと思うが。

122 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 23:25:17
久秀は一回の人生で弾けまくってる感じが好きだわ
しかも最後は天下の名品と心中なんてもう(・∀・)カコイイ!!

123 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 23:25:53
まぁ千姫を無事に返した所だけは男を認めてもいいと思う

124 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 23:29:02
借りたもんは返すのは当然の事

125 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 23:29:20
千姫は命乞いの条件で返したんですよ。
千姫無事に帰すから命助けてとな。

126 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 23:29:37
淀は天下をとるため命がけで浮気して子供つくった
その根性は認める

127 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 23:30:03
じゃお前も結婚した嫁今すぐ実家に帰せよな
まあ嫁どころか彼女もいないかもしれないが

128 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 23:30:57
>>125
・・・ソースは?

129 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 23:31:39
永日記>>128
この程度も知らんか。

130 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 23:57:31
永日記ってよく千姫の除名嘆願を受け入れるか家康が悩んだが、
結局聞き入れずに秀頼を切腹させたと書いてる史料だっけ(いや、自分も読んでないが)
千姫の除名嘆願って彼女自身の意思じゃなく秀頼の差し金によるものなのか?
今史料を確認できるとこにいないので、できれば該当部分の抄出をしてくれると有り難いんだけど

131 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 23:59:23
除名嘆願→助命嘆願ね

132 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:12:27
秀頼って太ってたの?

133 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:12:57
>>130
今は行けないなら後から行けるんだな。
ただで長々と書くのはメンドイから、史料確認できるところに行って自分で見れ。

134 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:16:53
>>133
甘えるようで悪いが、もう随分海外暮らしが長く、帰国の予定も無いんだ
別に原文そのままとは言わない、軽くまとめたものでもいい

135 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:19:15
限りなく胡散臭い。
だったらIPでも出して海外生活証明してくれ。
串だったら即刻OUTな。

136 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:19:53
メール欄にfusianasanって入れればいいんだよな

137 :fushianasan :2005/04/16(土) 00:20:48
名前欄か

138 :pcp061679pcs.unl.edu:2005/04/16(土) 00:22:36
すまん
もう一回

139 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:25:31
ほんとうだz!!

140 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:26:18
しばしお待ちを・・・。

141 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:49:51
>>140
お前潔いね。

142 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:52:46
淀殿に天下人の〜って誇りがあったのは間違いないだろうね。
ただその方向性が間違っていたというか・・・。
その時の感情だけで行動し、政治的駆け引きなんて無いに等しいからな。
てか大坂の陣は豊臣側からすれば絶対に起こしてはならなかったわけで。

143 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:01:17
淀なんて虎の威を借る狐に過ぎない。
だれも淀に頭を下げていた訳じゃないのに、秀吉や秀頼の側にいる内に
自分も偉いんだと勘違いしてしまったのだろう。

現代でもこういう人いるから面白い。社長夫人が自分も偉い気でいる奴。
野村さちよとかね。

144 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 06:45:59
>>118
>江戸時代は豊臣家を滅ぼした淫婦という幕府による刷り込みがなされたし

それは一体いつ頃の話?270年の長きにわたる江戸時代「全般」と誤解されかねないよう
な言い方をされても困るよ。淀がいわゆる列婦型のキャラとして描かれ、人心に影響を
与えたのは幕末から近代じゃない? 特に坪内逍遙の「桐一葉」「沓手鳥狐城落月」が、
強烈に淀君=列婦のステロタイプ化の役割を果たしたといわれる。

145 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 07:12:28
>>118
毀誉褒貶度にかけては、家康の妻「築山殿」の方が遙かに酷いよ。

146 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 08:44:29
>>118
淫婦云々を話題にしている人間は少数派だろ。
歴史に出た事実だけを見てみても、淀がまともに政治をやったこと
など一度もないし、行動はすべて自分達親子の利害と天下人の後継者
であるというプライドから出ている。そして、そのプライドの殉ずる
のかと思えばそんなことは全然なく、ちょっと情勢が悪くなると、
筋を通すこともなく相手に擦り寄る。それで、他の誰かが苦しむこと
なんかなんとも思ってない。

立派でもなきゃ、後世の評価もほとんど間違ってないよ。

147 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 13:09:05
淀殿には石田三成や大野治長らとの浮気説が存在し、江戸時代から現代に至るまでに
「世間知らずのお嬢様」「わがまま女」「正室を追い出した妾」等、
否定的評価や悪女としてのイメージが知られている。
淀殿に悪女的評価がされているのは幕府による陰謀説も考えられており、
大坂の役から元禄時代にかけての江戸時代初期の日本では、
真田信繁(幸村)など大坂方の武将たちが、大名から庶民に至るまで幅広く
多くの人々から英雄として扱われていたが、大坂を攻め滅ぼした幕府としては
このような事態を放っておく訳にもいかず、かと言って全部を取り締まることも事実上不可能であった為、
大坂方に悪役が必要となったとも考えられている。

Wikipediaの「淀殿」の項目からの引用だけど、幕府の陰謀云々はともかく淀殿の否定的な世評は江戸時代から
近年では再評価もされつつあるよ(NHKでも好意的な特集が組まれてた)

148 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 13:32:01
>>118
豊臣滅亡にはかなさを感じるのは秀吉がたった一代で成り上がって天下を取ったのに、
またたった一代で滅んだところにあると思う
つまり秀吉のおかげ


149 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 13:33:10
>>147
上記の文章はどうもフェミ臭が臭うなあ。それだと淀「君」のマイナス評価は江戸中期から
の幕府の捏造ということになる。しかし、幕府側の否定的な評価は、秀忠の将軍就任拒否から
大坂の陣の方が最も強烈だったと思うよ。淀は冬の陣の際には、甲冑に身をかためて城中を歩き
回って号令をかけたりしてるだろ?(信繁あたりは苦々しく感じていただろうな)
『駿府記』12月22日の記述では、

大坂の様体、軍備の体、万事母儀(=淀)指出たまい、これによって諸卒色を失う。

とある。大坂方からも浅はかな女として顰蹙を買っていたことがわかるけどね。

150 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 14:08:43
>>147
だから、その種の作られたっぽい話をすべて除いても十分ダメなんだって。
というか、歴史上に出ている確定的な面を総合しても、淀は建設的なことは
何もしていない。せずに秀吉の遺産を食い潰していただけ。
再三の家康の臣従要請もみんな断って、あたかも「さっさと死んでよネ」って
態度に終始し、こりゃ駄目だと判断した家康が大坂の陣を起こすと慌てふためき、
最後の最後には大量の死者が出ているのに、自分達親子だけは助かろうとする。

そこら辺の政治判断が女には酷だったっと1万歩譲ったとしても、秀頼を
どうしようもないほどの愚物に育て上げている。つまり、母親としての最低
の義務すら果たしていない。

どうみても、ダメだろ。

151 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 14:12:51
>>148
信雄はたわけはたわけなりに、青年期以降にだいぶ苦労しているからな。
最後の最後には執念で生き残った。俺はそれなりに評価しているが。
そもそも、信雄がやった悪事ってのは小さなことばっかで、大きいのは
せいぜい安土城を焼いたくらいだし。(本当に焼いたかどうか知らんけど)
たわけかもしれないが、まぁ、人畜無害なおっさんではあるがな。

152 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 14:22:20
>>143
戦国時代権力のあった女性はそこそこいるから、淀が特別という訳でもない。
家康の嫁とか、政宗の母とか・・まあ淀にくらべれば格下なんだけど

153 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 18:11:27
>>150
秀頼の教育問題で主に責められるべきは母親である淀殿じゃなく、傅役の片桐且元じゃないかな?
当時は武士の家の跡取りの教育は生母でなく、主君に任命された傅役の仕事と見做されていた
もちろん淀殿が秀頼をスポイルした可能性も否定できないけどね
後淀殿が大したことを何もしてないってのも尤もだと思うが、
当時の為政者の一体どれだけが「建設的」なことをやったかね?
建設的云々だったら日本を鎖国した挙句参勤交代なんて無意味な賦役を諸大名に課し、
日本の国力の低下と文化・技術・芸術の停滞を招いた家康以下徳川将軍の方が
よっぽど「非建設的」じゃないかな(淀殿のように無能だったとは思わないが)
それだったら大したこと何もしてない淀殿の方がまだマシだと言える

154 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 18:36:56
>>153
最初の2行以外はワケワカラン
アンチ徳川だと思うけど江戸時代に西洋文化やらは停滞したかもしれんが
国内独自の芸術や文化は大きく育ったぞ。一番大事な平和の代償と考えれば参勤交代も
当然の事だった。むしろ大名達が宿やらなんやらで金バンバン使うから経済が循環して
日本の為になった政策だと思うよ。それに比べ淀は秀吉の遺産空にするわ
時代も読まずに平和乱すわで日本史でも類を見ないくらい低いレベルじゃないの?

155 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 18:39:52
>>153
淀を再評価したい気持ちは分からないでもないが、江戸幕府の開設と270年の平和と安定をもたらした
家康の功績を相対化・矮小化するのは、はっきり言って筋違い。どこが「淀殿の方がまだマシ」なのか…。
江戸期時代が「低下」「停滞」「非建設的」ってのも、単なる君の主観だよ。


156 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 18:43:16
参勤交代の齎す経済効果を指摘するなら
淀殿の寺社復興の齎した経済効果も考慮しないと不公平だと思うよ
文化・芸術の問題は主観が入るので議論はしないが、
江戸時代260年の平和の後、日本が極東の最貧国にまで転落したのは事実でしょ

157 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 19:43:00
>>156
でも今は極東の最富国になってるから無問題
それに淀の寺社復興には莫大な秀吉の遺産が使われて豊臣の衰退の遠因と言える

158 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 19:49:43
日本が帝国主義への道に乗り遅れのが徳川のせいという曲解はよく見かけるが
日本が極東の最貧国だったというやつは初めて見た

159 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 19:50:50
>>156
>江戸時代260年の平和の後、日本が極東の最貧国にまで転落したのは事実でしょ

違うな。東アジアや東南アジアの同じような状況におかれた他の国々に比べれば、
日本の国力は他を凌駕していたよ(中国は除く)。
それに、明治の富国強兵策の成功は、明治の元勲達の苦労だけによるものではない。
それを成功させるためのエネルギーは、江戸時代を通じて養われたものだ。
例を挙げれば……全国的に広く設置された寺子屋による教育の普及は、
国民国家の形成に大いに貢献した。

歴史は流れで見ないとな。
明治政府がゼロからスタートしたと思ったら大間違い。


160 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 20:30:21
>>156
こういう糞のような論調はマジに嫌になるな。
家康は歴史を前に進ませようとした。そのために、封建制度を精密に
構築し、自分の家の利害と世の中の利害との双方を考え、できるだけ
両立させようとした。そして、その結果が江戸300年だ。
その時代の日本人は平和であったし、文化も発達した。武士という
存在を江戸三百年間で濾過し、純粋化し、「サムライ」という言葉は
今でも人類が持ったもっとも高貴な魂の持ち主として、世界中の人間
が憧憬を持っている。
それに比べて、秀頼親子が何をしたってんだよ?


161 :160:2005/04/16(土) 20:35:03
さらに言えば、秀頼親子の天下になった方がよかったとでもいうのか?
あの愚劣な親子が家康を倒し、その末に日本を統治した場合、家康以上の
政治ができたとでもいうのか。
天下を取るということは、日本の将来を決めるということだ。
天下人であると主張することは、日本の将来像を自分が決めるという宣言だ。
それを秀頼親子が欠片としてでも提示したとでもいうのか。

家康の個々の権謀術数の優劣や汚さをいうのはかまわない。
それをもって秀頼親子の正当性を言い出すものいいだろう。
だが、江戸300年を汚すのはやめろ。

162 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 20:53:35
>130
秀頼じゃなく大野治長の差し金。
私は大野治長という人物こそ見直すべきだと思うよ。
加藤や片桐ばかりが持てはやされるが、
大野のように秀頼母子への愛のために生きた男が居ても良いじゃないかと。
最後は秀頼母子と共に切腹して果てたし。
これも一つの立派な男の生き様だよね。
隆慶ふうに言えば彼も一種の「いくさ人」だったと。

163 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 20:59:17
>>162
大局が見えたわけでもないし、武略があったわけでもないが、
忠義者ではあったな。身の丈に会わない政略を受け持たされたが、
当人なりに必死にやってたと思うよ。最後の最後までな。
(だからこそ、こういう純粋な連中使い捨てにしてた秀頼親子って
何って思いが強いんだがね)

164 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 21:01:46
なぜならば大野治長こそが秀頼の真の・・・

165 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 21:05:03
>>159
いや、東アジアや東南アジアの他の国に比べれば十分江戸時代の日本が裕福だったのは知ってるよ
「極東の最貧国」というのは別にアジアの中でも一番貧乏という意味じゃなくて
西欧列強から見てアジアにある弱小国という意味で使ったんだけど通じなかったみたいだね
江戸時代の寺子屋による庶民への初等教育の普及は確かに大したものだけど、
その他の技術面・軍事面での発達は江戸時代はずっと停滞していたと思うがどうよ?
人口は江戸時代中期からずっと100年以上3000万で頭打ち、
1700年→1800年の世界の人口が6億人から9億人と1.5倍になり、
西欧諸国が次々とアフリカ・アジアに植民地を拡げていったのを見ると、
江戸時代以前と比べて日本の国際的な地位が相対的に大きく低下したのは明らか
明治の元勲が「徳川幕府のままでは日本は滅びる」という深刻な危機感を抱いたのも理解できるはず

166 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 21:05:44
>>164
それでもよかろうに。秀頼が秀吉の実子でなくっても、立派な人間なら
何の問題なかったたんだ。

167 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 21:06:38
>>162
言いたい事は分かるがアンカー付けといてくれわざわざ過去スレ見んのメンド

つまり大阪には忠義しかないような香具師しか生き残っていないという事だな
関ヶ原で多少生き残ってるのがいりゃまだマシに事が運んだかもしれん

168 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 21:07:53
>>165
だからなんだというのだ?
それが、家康の責任で、秀頼親子が天下を取っていれば日本や英国以上
の産業革命を成し遂げて、全世界に植民地を持った世界最大の帝国に
なっていたとでも言うのか?

169 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 21:19:32
>>168
現実問題として家康が天下をとり、秀頼が一度も政治の実権を握ることなく若くして大坂城で自刃してしまった以上、
その問いには「わからない」としか答えようが無いな
ただ、司馬遼太郎や西尾幹二は江戸幕府による鎖国が無かった場合、
日本人がもっと早くから海外へ進出し、広大な植民地圏を形成した可能性が高いと言っているけどね
実際に戦国時代から日本人はタイやカンボジアなどに日本人町を形成して一勢力を築いていたからね
幕府の海禁令によって日本人の海外進出への情熱が阻害されたのは残念なことだったとも

170 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 21:30:22
まあ鎖国というのはちっと間違ったやり方かは知れんが、
徳川幕府によって一応戦国時代が終わり、三百年近く平和だったのはよい事だ。

171 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 21:32:36
徳川家康は功罪半ば。
天下統一をして日本に太平をもたらしたのは大きな功績だが、
そこで日本は長い足踏み状態に入り、そのツケが今現在にまでまわっている。
清もそうだけど、強力な統一政権のもとに国が安定すると、戦乱の時代より国が弱くなるってのは歴史の皮肉だな。

172 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 21:34:38
俺は>>165の言う国際的地位なんかよりも、
日本独自の文化が発達し、それが守られたことの方が国益だと思うんだけど。

173 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 21:40:01
>>172
世界に進出したって独自の文化は残るよ。

174 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 21:41:25
ここまで完璧には残らない

175 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 21:45:54
>>169
君は植民地が欲しかったの? 日本列島だけじゃ足りんの?
日本が広大な植民地を形成し、大英帝国と世界を二分でもしていれば、君は嬉しいのか?

それから技術面で言えば、産業革命がイギリスで起こったのは18世紀後半。
フランスやベルギーで1830年代。ロシアでは1860年代。
一方、ペリーの黒船来航は1853年。明治維新が1868年。
鎖国していようといまいと、日本に産業革命が伝わるのは19世紀半ば〜後半になる。
別に大きな影響はないよ。

176 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 21:49:43
>>165
>「極東の最貧国」というのは別にアジアの中でも一番貧乏という意味じゃなくて西欧列強から
  見てアジアにある弱小国という意味で使ったんだけど通じなかったみたいだね

 「最貧国」という言い回しをした以上、ご都合主義と批判されても仕方あるまい。
 言いわけにしか聞こえないよ。残念だけど。

>>169
司馬や西尾の脳内の「可能性」以上に、逆に列強に植民地化されていた可能性も否定できないな。
岡本大八事件が示すように、家康の治世にも、アジアはキリスト教の布教の名を借りたイスパニ
ア、ポルトガルの侵略の危険性は常にあったからね。

177 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 21:50:22
文化が残ったのはいいことだけど、
結局、日本と中国の発展が停滞したのが今に至まで響いているからね。
モンゴル帝国のヨーッロパ遠征の中断と、日本中国の停滞。
これらが無ければ東アジアの地位は全然違ったものになっていただろう。

178 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 21:51:38
>>173
進出ってことは外国と交友することなわけで・・・。
そうすれば必然的にその国の文化が流入してくるでしょ?
江戸時代に発達した文化はそれそのものが育たなかった可能性があるし、
江戸期以前からの文化は外国の文化と混ざる可能性がある。
世界的に見てもこんだけ様々な文化を持つ国は稀だと思うが。

179 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 21:55:33
>>172
現在の日本の経済力はアメリカに次いで世界第二位なわけで、
江戸時代を経た我々が生きる今の日本だって、国際的な地位は非常に高いんだよね。


180 :172:2005/04/16(土) 21:57:31
>>179
いや、それ俺に言われても・・・。

181 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:02:07
>>180
補足してあげたんだよ……

182 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:03:53
>>178
文化という側面だけを見ればそうだけどね。

俺が言いたいのはそんなことよりも、
やりようによっては白人優位の世界を引っ繰り返せた可能性もあったと思うんだよ。
それが惜しい。

183 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:16:15
確かに江戸時代において特に産業革命以後と比べると、
軍事技術において大きな差をつけられてしまったことは事実だが。
軍事技術以外では全く引けをとらない。
江戸は当時最大の人口を誇る都市だったし、それを支える農業収入とその流通、
さらにそれによって発展する商業と為替等の商業技術。
また、権力者ではなく一般庶民が文化の担い手になった、
元禄及び化政文化の存在も忘れてはならない、当時の庶民にはそれだけの豊かさがあった。
犯罪者に対して社会復帰の為の職業訓練などということまでしており都市行政のレベルはかなり高い。

江戸時代をただの停滞と見るのは、
あまりにも近視眼的というか全くものが見えていないとしか言いようがない。

184 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:17:26
>>169
で、そのくだらない仮定を後生大事に持っているわけか。
司馬良の名を出せば相手がひれ伏すを思ってるのかもしれないがね。
大航海時代の世界に出た日本が、イスパニアと同様の搾取と衰退の歴史
を連ねた可能でだって十分にあった。
だがね、その歴史ですら秀頼親子じゃできなかっただろうよ。
大坂の陣で秀頼親子が勝った場合で、一番大きい可能性は、もう一度戦乱の
時代に戻るということだ。その混乱の乗じて、イスパニアの植民地になった
可能性すら高い。想像を逞しくすれば、秀頼一家が外国勢力を引き入れて
日本売ることすらあるな。

自分の理屈に都合のいい仮定を並べて実際にあった歴史を非難するのは
止めたらそうだ?


185 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:20:49
>>182
その可能性は否定しないが、それにはかなりのリスクを背負う事
はわかってるよな?
今更いうことじゃないがそのリスクを捨てるために鎖国したわけで
それがよくなかった、とかいうのはただの結果論
鎖国しなかったら江戸時代はもっと続いたかもしれないし
数十年で終わって植民地になってたかもしれない
そのとき後の人間はきっとこう言うぞ
「鎖国すればよかったのに」と

186 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:22:20
>>184
「自分の理屈に都合のいい仮定を並べて」
その言葉、そっくり自分に跳ね返ってくるのがわからないのか

187 :184:2005/04/16(土) 22:23:59
一つ、他の香具師らへ。
165は基本的に秀頼親子が世評ほどひどくはないという理屈を
強引に広げて、江戸時代自体がクズだから云々といいはじめている。
江戸時代の評価については各自いろいろあるが、それは時代史として
評価されるべきであって、家康の評価と秀頼親子の評価とは一致しな
いということは明確にしておいてくれ。

188 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:24:14
>>185
その可能性ももちろん否定しないよ。


189 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:27:02
>>182
それを実現するには産業革命を先に起こさなければならないがね。
あれは対外侵出すればそれで良いような単純なものではないのだよ。
近代資本主義精神の発展とそれへのキリスト教の関与とか、
それによる富の蓄積と市民階級の勢力伸張とか、
アメリカ大陸という広大で容易に侵出移民可能な新世界の発見とか。
とてもじゃあないが鎖国をしなければという単純なことだけでどうにかなるものではない。

それでも、いち早く日本が近代かを達成できたのは江戸時代における、
文化的・経済的蓄積のおかげと言える。

190 :184:2005/04/16(土) 22:28:13
>>186
どこかだ?
単にアンチテーゼぶつけただけのことだぜ。
大坂の陣を中心にして、江戸300年がダメだったという理屈を展開する
以上、165あたりで展開した、西洋に対して決定的に遅れたという理屈を
秀頼親子なら克服できたと言っているわけだろう。
だったら、その根拠を示しなよ。

191 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:28:46
>>186
しかし、「実際にあった歴史を非難する」という部分は全くかかってこないね。

192 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:28:59
>>184が何でそんなに必死になってるのかわからない
いくら2ちゃんと言えども誤字・脱字が多すぎる
もう少し落ち着いてレスしたらどうだ?

193 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:30:05
>>189
そんな単純なことだとは言ってないよ。

194 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:30:51
相手があまりにも馬鹿すぎると、
それに比例してエキサイトしてしまうというのは良くあること。
つまりそういうことだ。

195 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:32:06
>>184
>司馬良×

>杉良○


このスレは北条氏康が説教たれるスレですからWWWWWWWWWWWWWWWWWWW

196 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:32:07
>>192
誤字が多いのは、推敲しないからだがな。
それよりも、主張に対して反論したらどうだ。
枝葉末節に文句をつけるのは、論点ずらしの典型だがね。

197 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:32:32
>>193
それならば、淀・秀頼の天下の方が良かったかのような言い方は止めておきなさい。

198 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:32:37
まあ待て。なんか喧嘩腰になっている奴らがいるな。
所詮あくまで仮定の話だ。マターリと行こうぜ。

199 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:34:18
>>197
それを言ったのは俺じゃないよ。

200 :>>192:2005/04/16(土) 22:35:10
なんで>>169じゃない俺が>>169に宛てた>>184のレスに反論せにゃならんのだ
議論では論理の正当性以前に熱くなったほうの負けだぞ

201 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:37:22
馬鹿はもうだまっとれ。

202 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:39:11
少なくとも江戸時代は日本史の中で一番、二番の高い評価をするべき
それを小さな小さな仮定で貶めるのは強引すぎるし無茶だな

淀、秀頼母子が必要以上に貶められるのは江戸中期の話でほとんどが創作
その意味では165に通じるものもある、が母子が徳川家に完全に勝つには
時間がかかりすぎるし。
それこそ他国からしたら絶好の好機なわけで文明、文化以前に
日本は植民地化してた可能性が高い。
少なくともなんらかの形で介入してきたことには間違いない

>>153の言う淀殿のほうがマシ発言には失笑

203 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:41:14
まず第一に、
江戸時代は日本の歴史の中では最も安定発展した時代で、
もちろん飢饉とか悲惨なことは幾らでもあったから現代とは比べようもないし、
同時代に西欧において産業革命という正に革命的な出来事があったために、
見劣りするが、決して停滞していた時代ではないこと。

第二に、
当然、淀・秀頼が主導していた方がましだったとはとても言えないこと。

これだけ押さえておけばとりあえず大丈夫だ。

204 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:42:34
>>198
仮定の仕方が完全にルールに反しているんだよ。
後世から見た「完全な歴史」にもとづいて歴史現象を批評すりゃ、
そりゃ、幾らでも言えるよ。
家康を秀頼親子の時代のことで仮定を構築して短い歴史時間内での
議論にしていればせいぜい思考遊戯だが、江戸時代全体の歴史成果
を持ち出して、しかもその欠点だけだして「ここがダメ」なんてい
い出すのは単なる難癖つけでしかない。
だいたい、家康は江戸300年のすべての責任をとらなければいけ
ないのか? そういう理屈に持ち込むのなら、秀頼親子は大坂の陣
で勝った場合、後の300年で、世界最強国家を作り上げる基礎は
構築できるってことだろ。だったら、その根拠は示せってことだ。


205 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:43:43
大坂の陣では豊臣方に明石全澄を初めとして多くの切支丹が参加したという記録があるな
万が一大坂の陣で奇跡が起こって豊臣家が再び天下を獲るようになった場合、
功労者である切支丹たちに対して実際の幕府以上に過酷な処遇をとることは少し考えづらい
手厚く保護されるのではないとしても布教の容認はなされるんじゃないだろうか
その後豊臣家の海外政策がどうなるかは誰にもわからないけど

206 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:43:59
まあ、現状で本物の馬鹿は一人しかいないのだから、
マターリ行った方がいいのは事実だろう。

207 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:51:53
>>203
最初にも言った通り、別に江戸時代を完全に否定しているわけじゃあない。
ただ、鎖国をしていなければ、先に産業革命やそれに代わるようなものを起こしていた可能性もある。
軍事的には明らかに立ち遅れることはなかったろう。
それを言っているだけさ。

淀や秀頼の話は俺は無関係。

208 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:51:55
バカとか言わずにやんわりと接してやれよw
傍から見てるとどっちもどっちだぞw

209 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:55:22
>>207
産業革命をもっとよく勉強しなさい。

210 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:56:15
>>207
それは、江戸時代の評価して行われるべきであって、家康や秀頼親子の
評価と結びつけるのは間違っている。
お前さんが淀擁護の香具師とかどうかしらんが、
 江戸時代に問題があった = 家康はダメ = 淀は立派
という強引な主張は全く受け容れられない。
(そうじゃないと言いたいかもしれないが、実際には、そういう流れ
に自分から持ち込んでいる)

211 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:58:49
>>207
迷惑かけて悪いね
淀殿云々の話を振ったのは自分だ
ただ>>153のレスはそもそも>>150のレスに対する反論で、
淀殿の政策(といっていいレベルのものかわからないが)を
全否定する>>150に対して宛てたレスで、じゃあ家康のした「建設的な」政策って何よ?
そこまで言うなら何か具体例を挙げてほしいね、ぐらいのレスだったんだけどね
ここまでスレが荒れるとは思わなかった

212 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 23:03:36
>>207
鉄砲の保有数をもって、
戦国時代の日本は世界有数の軍事大国って言い方をする者もいるが。
確かに数は多かったかもしれないが、
結局日本は西洋から鉄砲や大砲が渡ってくるまで,
そういうものを独力では作れなかったわけで、
この点で既に軍事技術は立ち遅れている。
にも係わらず、「明らかに立ち遅れることはなかったろう。」
などということを無責任に断言されても困るね。

213 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 23:04:27
>>209
君は卑屈すぎ。
アジアで産業革命以上のものを起こせた可能性だってあったよ。

>>210
それを俺に言われても困る。

214 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 23:05:27
>>211
全てあなたの無知が原因ということだな。
よく日本史を勉強しなおすように。

215 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 23:06:41
>>211
ああ、じゃあお前が悪いな。
150も俺だが。
お前は、大坂の陣に関して、家康と秀頼親子の対比をしているのに、
後世の歴史を全部引き合いに出してみせた。
この結果、双方に関が原以降400年間の評価を強引に載せた。
この時点に、もうダメだ。

さらに、お前の上げた家康の「建設的でない」事例は、すべて、
江戸時代全体を通じたものだ。それを家康に集約させている。
それは、300年間その時代に生きていた人間達をまったく
ないがしろにしているよな。

秀頼親子への批判的なレスに対して反発を持つのはかまわない。
だからといって、長い歴史を自分の都合のいいように持ち出すな。



216 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 23:08:08
>>212
だから何で後追い思考なんだ?
それに仮に後追いとしても、国を開いていれば新しい軍事技術をすぐに取り入れることができるから、
立ち遅れることはないのは明らかと断言できる。

217 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 23:11:13
戦国時代でも雑賀衆や稲富祐直は独自に銃・火薬の調合の改良を行ってたんじゃなかったっけ?
幕府はそういう兵器関係の研究は平和を乱すものだとして厳しく取り締まったらしいが
いい加減江戸時代の話はスレ違いだな

218 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 23:12:11
>>213
それは無論可能性ならね、地球上のどこにだってある。
当時の地球上では日本が結構良い線を行っていたともいえるだろう。
しかし、海外進出をすればそれだけで起こせたというほど簡単なものじゃあない。
あなたが安易に言い切った、
軍事面で立ち遅れることがなかったという点だけですら確実ではない。
そんな不確実な可能性に基づいて、
実際に国内的な安定と発展を実現した江戸時代や鎖国政策を非難するのはおかしいと言うこと。

219 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 23:19:11
不確実な可能性を根拠に歴史を見直し、反省することがなければ歴史を学ぶ意義は半減すると思うが。
おれはよく軍部の暴走による大東亜戦争がなければもっと日本は繁栄してただろうし、
中国や韓国に今に至るまでねちねち言われることもなかったと思うが、それもおかしいことなのか。

220 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 23:20:36
>>218
だから全否定ではないよ。功罪半ばと言っている
だだ鎖国政策が可能性を狭めたと思うし、
軍事的に大きく立ち遅れたのは明らかだろう。
国を開いていたほうが軍事的に立ち遅れていたなんて、可能性的にすらありえない話。
これは徳川幕府の罪の部分と思う。


221 :210:2005/04/16(土) 23:24:04
>>213
どうやら、江戸時代全体を通じての話で秀頼親子を擁護しようとした
のは別人だったようだ。その点は謝る。すまん。
だが、日本人の選択として、海外進出すれば世界的な強国であること
を維持できたとするのは、受け容れられない。
世界史全体を見てみれば、西洋がその強勢を誇っていたとはいうものの、
変転はあきらかであって、スペイン・ポルトガルから、イギリス・フラ
ンスと渡り、最終的にはアメリカに行き着いた。
スペイン風の西洋しか知らない日本が、当時の感覚のままに世界にでて
行っても、スペイン風に一時の隆盛でしかなかった可能性は高い。
それよりも、日本においては江戸時代に培われた、世界で最も高度な
教育主義とチームワークを重視する社会構造を作り上げたことに方を
評価すべき。
実際、日本は明治維新と終戦後にわずか2、30年程度の短期間に
世界の最先端に追いついている。それは、簡単なことでない。日本の
歴史、その中でも江戸時代に培われた教育を国の根本とし、知識を
共有し、さらに物事に当たってはチームワークを重視するという感覚
が徹底されたからこその結果だと言っていい。
これができるのは、今でも世界にアメリカだけだ。日本が世界で2番目
の経済大国である理由は、江戸時代にどの根源がある。

222 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 23:25:09
>>219
現に失敗して損害を出したことに対して、
もっとましな方法があったのではないか?
と可能性を元にいろいろ推測するのはともかく。
実際に一定の効果があったことまで、
出来たかどうかわからない可能性を基に批判するのはおかしいよ。

まあ、二次大戦についてはまた別の意見があるがここでは差し控える。

223 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 23:31:20
>>220
そんなことはない、
朝鮮や明との争いが続き、国力が減退して、
史実とことなり中国ともども植民地になっていた可能性も十分ある。
仮にそうなれば立ち遅れるどころの騒ぎではない。

可能性について言うなら、それによって良くなった可能性もあれば、
悪くなる可能性も同様にある。
だから、実際の歴史が極めて悪いものになってしまったなら、
まだ、ましだった可能性が高いという点で仮定を基に現実を批判するということもありえるが、
現実が比較的良いものになったのなら、
不確実な可能性によってそれを批判するのは無責任でおかしな行為だ。

224 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 23:37:01
>>223
そうかな?
別に江戸時代が悪かったと言う気は無いが、罪の部分が無かったといえるかな?
西洋優位の時代が続いたことを最上だったと言えるかな?

225 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 23:40:49
>>224
俺は223ではないが、江戸時代に罪の部分がなかったなんて言ってないだろ。
同様に、西洋だって多くの功罪を背負っている。
こんなことは、当たり前のことであって、功だけの存在も罪だけの存在も
双方存在しない。
大体、西洋中心の世界が続いたのは、日本の責任か?
さらに言えば、西洋中心の世界を打ち砕いたのは、明治維新後の日本だぞ?
そこら辺、まともに考えているか?

226 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 23:44:50
>>224
最上とも罪がないとも言わないが、
不確実な可能性に基づいて批判される筋はないということだよ。

対外侵出によって江戸時代以上に発展した可能性が圧倒的に高いと言うなら別だが、
逆にろくでもないことになる可能性もあるのに、
良くなる可能性のみをもって現実に対する批判の根拠とするのはおかしいってこと。
繰り返すが、現実が極めて悲惨な状況であったなら話は別だよ。
現状が悪い以上、他の選択肢により良くなる可能性のほうが高いとは十分いえるのだから。

227 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 23:50:29
>>225
西洋中心の世界を打ち砕いたのは日本だということはもちろん知っているさ。
だが結局、第二次大戦で辛酸を舐めることになった。
西洋優位の時代がなければ、日本がそんな思いも苦労をすることもなかったわけだ。

日本だけじゃなく、日本と中国に責任がある。
日本が江戸時代に鎖国をせずに、中国と緊張関係を保ちながら軍事技術を発展させていけば、西洋に立ち遅れることは無かったと思う。
そして西洋中心の世界が描かれることもなかったろう。

228 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 23:52:32
・・・今でも十分西洋中心の世界だと思うが違うのか
日本や中国の台頭で幾分マシになったとはいえ、
未だに世界の富や軍事力はほとんど白人が握っている
ていうかそろそろ1615年の話に戻りたいんだけど

229 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 23:53:44
>>227
だから、そうならない可能性も、
或いはもっと悲惨なことになる可能性も十分あるのに、
あなたの「思う」という主観的な思い込みに基づいて、
物事を語るのはおかしいでしょう?

230 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 23:56:49
>>229
仮定の話をしてるのに実も蓋もないな。

231 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 00:03:37
>>230
仮定というのは、
第三者にもある程度は納得できる根拠があってこそまともに成立するものだが、
個人の思い込みにのみ基づいてはまともな仮定にもならないよ。

例えば、繰り返し述べているように、
現実が極めて悲惨な状況だったから違う選択肢によって、
もっとましになったかもしれない。くらいの仮定なら結構納得し易いと思うが。
一方的に良くなる可能性のみを振りかざされてもちょっとね?

232 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 00:05:01
まあ、仮定と思い込みを一緒にされても困るってこと。

233 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 00:10:28
鎖国の影響
(1)鎖国によって、キリスト教の禁教や大名統制が強化され、
幕府は貿易の利益を独占し、幕藩体制が確立して、封建支配が長くつづいた。
(2)海外の進んだ文化や技術などが入らなくなり、世界の進歩からとりのこされた。
(3)日本独自の文化や産業が発達するようになった。

学研学習事典データベースからの転載(本当はいけないんだが・・・)だけど
(2)の「海外の進んだ文化や技術などが入らなくなり,世界の進歩からとりのこされた。」は
歴史を学ぶ人間の共通認識の一つだと思うがどうだろうか
>>220がそんな的外れなことを言ってるようには思えないが

234 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 00:14:03
>>233
そうであるにしても、
鎖国をしなかった場合の「良い可能性」のみを基にして、
その政策やひいては江戸時代を批判的に語るのはおかしいってこと。

235 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 00:19:06
秀吉なら鎖国はしなかったのか?

236 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 00:19:28
確かに無責任かもしれないが、現代人が歴史を振り返り
過去の事象を批判するときに多少無責任になるのはしょうがないんじゃないの?
「江戸時代で鎖国しなかった場合の可能性」なんて歴史学者や小説家の間で
幾度と無く語られてきたテーマだし、今更その是非を問うても仕方ないだろ?
江戸時代に対する批判は全く許されないとでも言うのか


237 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 00:19:57
>>235
してた可能性は高い。

238 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 00:24:19
というか>>227はまずはじめに理想ありきで、
その理想となるように仮定に仮定を重ねているんだから、
何とでも言えるわけ。
事実を突き詰めて結果にたどり着くのではなくて、
自分の理想を達成するため、仮定を重ねて結果を算出しているんだから、
結局ひとりよがりなものにしか聞こえてこないんだよね。

日本が鎖国していなければ、
海外に進出し、西洋列強と肩を並べるだけの軍事力・技術力・経済力を持てていた。

日本がそのような強国に成長していれば、
西洋列強との植民地争いに勝利し、世界に冠たる国家になる可能性もあった。

日本がそのような大国になっていれば、
現在のような白人優位の世界にはなっていなかった。

全部この調子なんだもん。お話にならないよ。

239 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 00:24:49
>>236
批判はいいが責任は持つべきだよ。
まあ、無責任な批判なんて2ちゃんではありふれているし、
世間でも似たようなものだが。
あなたが他がやっているのだから俺もやっていいと居直るならともかく、
そうでないなら差し控えるべきだ。

240 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 00:32:14
鎖国政策に功罪があるというだけなら別に良いが。
そこに、鎖国しなかった場合の都合の良い仮定、
というか、自分にとっての都合のいい願望や思い込みを乗せて、
批判するのはお門違いってことだ。

241 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 01:19:55
実際徳川幕府が鎖国と言う政策を過去に採った以上、
徳川幕府が鎖国をしなかったらどうなるか、と言った仮定の上になりたった
ifが実際の歴史に比べてあやふやで、根拠に乏しいように見えるのは仕方がない
どんなに緻密に組み立てられた論理でも実際の「歴史」を上回る説得力を持つことは出来ない
いずれにしても鎖国政策の是非はスレ違い
これ以上は日本史板の当該スレで議論すべきだな

鎖国について語ろう
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1082390223/

242 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 01:27:50
問題は根拠に乏しいことを自覚していないとこだね。

243 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 01:36:41
自分には>>238の流れが全く説得力に欠けるとは思えないけどね
少なくとも太平洋戦争で日本軍が勝利する仮想軍記や、
関ヶ原で西軍が勝利するif小説、大坂の陣で豊臣家が
家康を討ち取ったりする講談よりはずっと納得できるけどね
というわけで話は大坂の陣に戻るわけだが

244 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 01:46:37
いや、一つの合戦で勝利するif方がよほど可能性は高いと思うが。

まあ、とりあえず、
大坂の陣は戦力的には絶望的だが、
戦術的には兵力差は2分の1程度で必ずしも戦術的勝利の可能性もなかったわけではないと思うが。
いや、やっぱ無理か、まともな「総大将」がいないものなあ。

245 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 01:50:15
一応、お題を出してみるか。
冬の陣で大坂方が和睦に応じなたっからどうなったかね?
兵糧は1年分くらいあったと聞いたことがあるが。
そこまで包囲を続けるのは東軍としてもかなりきついのではあるまいか?

246 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 01:53:14
大坂の陣における豊臣家の「戦術的勝利」が何だったのかの定義づけが必要かね
講談の通りに真田幸村が家康を倒していたらそれで戦術的勝利と言えるのだろうか
そもそも大坂の陣は司馬の小説にあるように、各将兵自分の最期を
美しく飾るためにいたずらに死に急いだ印象がある

247 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 02:01:47
ある程度勝利を収め、徳川方を退けたとして
たぶんその後は
大坂方が浪人衆を統率しきれなくなり
大坂方−浪人衆、或いは浪人衆での対立になる。

で、結局徳川に潰されて終わり。

248 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 02:11:43
無様だな
そうなったら如何に後世の噺屋や歴史小説家が
大坂方を美化しようとしてもできるものではないだろうね
大坂の陣はやはり現実の通りが一番美しかったのかも

249 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 06:06:37
すべては>>153=211の無責任なレスが原因だったようだな。

家康のキリスト禁教令は1612年だが、当時の日本を取り巻く状況は相当物騒だったと
いえる。1609年には有馬晴信がポルトガル船マードレ・テ・デウス号を長崎港で撃沈
した事件が起こっている。海外に進出したり、植民地をもてば在留邦人がトラブルに
巻き込まれて殺害されたりという事件の象徴だ。対応を誤れば外交問題に発展し、植民
地化される可能性も高い。(なお、伊達政宗の遣欧使節派遣が1613年。政宗は幕府に
対して、共同事業という形をとりながら、相当危ない橋を渡っていることがわかる)

仮に家康が登場せず、天下平定が挫折し、戦乱が長引き、諸侯の乱立状態がつづいていれば
列強の角逐の場と化していた可能性すらある。これが秀頼・淀政権だと思うとぞっとするな。

250 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 10:29:31
「徳川幕府が鎖国しなければ日本は西欧列強に植民地化されてた可能性がある」
よく徳川信者はこう言って幕府の海禁策を正当化しようとするが本当にそうだろうか
自分には当時の西欧諸国がフィリピンや台湾ならともかく、
莫大な数の兵器と将兵を抱えていた日本を植民地化できたとは到底思えないけどね
そもそもいくら日本が海外との接触を極力断っても、相手の国が本気で
日本を植民地化できるくらいの兵力と意気込みがあれば連中は日本側の都合なんて気にしない
長年の平和で呆けた徳川幕府が幕末に開国を迫られ、屈辱的な条件で受け入れた事例を見るとそれは明らか

251 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 10:54:42
>>250
現に九州のキリシタン大名なんかが海外貿易の利益と引き換えに
西洋諸国へ日本の領土を差し出してた。
西洋諸国の領土となった地域の九州人の多くが奴隷として海外へ売買されてた事実があるわけだが?
この事実を無視して何を言うか。

252 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 10:56:13
キリシタン禁制してなきゃそれ以後も九州人は奴隷として海外へ売買されてたんだよ。

253 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 10:56:16
自作ジエン乙!

254 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 10:58:59
もう、いい加減鎖国の話は止めようや。

255 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 11:03:19
>>253
自演じゃなくてレスを付け足しただけだ。低能。
大村純忠、有馬晴信、大友宗麟は南蛮貿易の利益と引き換えに耶蘇教会へ領土を寄付し領民は奴隷として海外へ売買されていた。
国家と言う概念が気迫なあの当時に海外貿易を全国の大名へ解禁するのは極めて危険な行為だ。
幕府が主導で貿易統制するのはむしろ懸命な判断だ。

256 :可児@元文学従事 ◆R.hU2KhlIc :2005/04/17(日) 11:35:23
>>255
ツケたすな、そんな話誰も読んでないWWWWWWWWWWWW
書くときは『これは相手が読んでくれる内容だろうか?』
『スレ違いになってやしまいか?』
『興味をひく文章か?読みやすい文章になっているか?』
等に十分注意して書き込め、このオナニー野郎WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW

つチラシの裏

257 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 11:46:03
>>256
おまえこそレス読め文盲。
独り言はチラシの裏にかけ。小僧。

258 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 11:46:33
つーかちょっとむかついちゃったな。
暫く居座るか。

259 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 11:47:07
>>256
おい、出て来い。致傷。

260 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 11:47:41
暇そうだから話相手になってやるぞ。

261 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 11:48:30
おいまだか?糞固定?

262 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 11:48:44
早く出て来いっつーの

263 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 11:49:08
早く〜早く〜wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

264 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 11:51:31
おいまだでてこないのか?
はやくしろっつーの

265 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 11:52:06
うんかす可児公

266 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 11:53:03
           _∧_∧
        / ̄ ( ´,_ゝ`)⌒\  ガッ!!
   __    /  _|     |   |
   ヽヽ   /  /  \    |   |           ,,,,,,,iiiiillllll!!!!!!!lllllliiiii,,,,,,,
    \\|  |____|   .|   |           .,llll゙゙゙゙゙        ゙゙゙゙゙lllll,
     \/  \       |   |           .|!!!!,,,,,,,,       ,,,,,,,,,!!!!|
     | ヽ_「\      |   |、         |  ゙゙゙゙!!!!llllliiiiiiiiiilllll!!!!゙゙゙゙ .| 
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`ー― ̄          ヽ、__`/ー_,,,, ゙゙゙゙!!!!!!!lllllllliii|               |
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                              ゙゙!!!,,,,,,,,       ,,,,,,,,,!!!゙゙
                                   ゙゙゙゙!!!!llllliiiiiiiiiilllll!!!!゙゙゙゙ >>256
                                /.// ・l|∵ ヽ\


267 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 11:55:08
本日から毎日可児うんこのレスに返すことを日課にしますね。

268 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 12:13:04
可児は透明あぼ〜んして完全スルーしろ
あたかも初めから存在していないようにな
どんな形であれスレを返して構ってやるからいつまでも池沼の糞固定が居つくんだよ

269 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 12:15:45
結局、淀の功罪の「罪」は多々あれど、「功」の部分がさっぱり出てこないのは何故?
淀をことさら貶めた幕府の陰謀史観とやらも、江戸中期以降の産物らしく説得力に欠ける。

270 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 12:18:36
そりゃあ、「功」の部分なんてないものな。
過剰に貶められる面はあっても、
それを差し引いても罪はあるとしか言いようがないが、
功はないだろう。

271 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 12:18:49
可児より255の荒らしの方がウザイよ。

272 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 12:21:27
可児の自演なんじゃあないの?

273 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 12:22:59
うわ、今度は可児の自作自演に仕立て上げたよ。怖い荒らしだな。

274 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 12:38:09
単純にそう思ったから書いただけだが・・・
つーか何でもかんでも荒らし認定するのもどうよ?

275 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 12:44:19
258から267まではどーみても荒らし。

276 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 12:44:40
>>153が大分悔しそうだな。論破されて。

277 :可児@元文学従事 ◆R.hU2KhlIc :2005/04/17(日) 13:18:18
>>275
禿同ぉぉぉWWWWWWWWWWWWWWW
人間って『図星』を突かれると、つい取り乱しちゃうんだよねぇぇぇWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW


278 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 14:47:55
>>277そういうのは別にいいよ。


279 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 15:07:18
あらしをするなら名前に可児って入れておいてくれよ・・
そうすりゃ2chエディタでアボーンできてるから。

280 :可児@元文学従事 ◇R.hU2KhlIc:2005/04/17(日) 16:21:58
>>277
それでおまえはいつもとりみだしてんだなwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwWWWWWWWWWWWWWWWWWW
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WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
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WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
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281 :可児@元文学従事 ◇R.hU2KhlIc:2005/04/17(日) 16:22:46
ちょーうけるwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwWWWWWWWWWWWWWWWWWW
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WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
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282 :可児@元文学従事 ◇R.hU2KhlIc:2005/04/17(日) 16:24:10
>>277
ウエーハッハッハwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwWWWWWWWWWWWWWWWWWW
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283 :可児@元文学従事 ◇R.hU2KhlIc:2005/04/17(日) 16:27:02
うんこて待ち

284 :阿児@元文学従事 ◆R.hU2KhlIc :2005/04/17(日) 16:39:30
てか、目的は達したんで、あとは私のコテを使って好きにやってくれよWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
また新しいコテで生まれ変わりますからWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWけけWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWやっぱ>>256のレスは最高の出来栄えだったということが証明されたwwwwwWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
また新しいコテで生まれ変わりますかWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWけけWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW母里か渡辺礼か御宿か、なんかいいコテねーかなWWWWWWWWWWWWWWWWWWW

285 :可児@元文学従事 ◇R.hU2KhlIc:2005/04/17(日) 16:43:58
>>284
プギャーー糞コテすてるんかいwwwWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwさすが負け犬WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWまた一人糞コテを葬ってやったぜWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
めちゃくちゃ痛快WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
ええきみやなwwwwwwwwwwぷっはははははっははははははははははははああっははは

286 :可児@元文学従事 ◇R.hU2KhlIc勝利宣言:2005/04/17(日) 16:45:21
糞可児は俺が討ち取ったとったどーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
うひゃーーーーーーーーーーーーっWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWげららっらららららっらwwwwwwwwwwwww

287 :可児@元文学従事 ◇R.hU2KhlIc:2005/04/17(日) 16:46:56
今後出てくる泡沫固定もことごとく潰す。

288 :可児@元文学従事 ◇R.hU2KhlIc:2005/04/17(日) 16:48:01
コテ変えてもお前の臭いをかぎ分けてやるからな。

289 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 17:22:19
>>219
二次大戦のことも勉強した方がいい
あれをただの侵略戦争と見てるんならな

290 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 17:53:41
194 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2005/04/16(土) 22:30:51
相手があまりにも馬鹿すぎると、
それに比例してエキサイトしてしまうというのは良くあること。
つまりそういうことだ。

201 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2005/04/16(土) 22:37:22
馬鹿はもうだまっとれ。

206 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2005/04/16(土) 22:43:59
まあ、現状で本物の馬鹿は一人しかいないのだから、
マターリ行った方がいいのは事実だろう。

とりあえずこのスレに馬鹿が一人いるのは間違いない
こいつがいなければスレも荒れない(ついでに可児も)

291 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 18:04:30
このスレに常駐する家康ヲタはまじで危険
家康本人に対する批判を全く許さない
相手を論破するには人格批判も自作自演も厭わない
家康への盲目的忠誠心と敵に対する凶暴さは昔の三河武士以上

292 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 19:46:19
何をどうすればそうなるのやら。

293 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 21:31:02
可児って歴史に詳しいのか??


294 :阿児@元文学従事 ◆sIE1iUZVwE :2005/04/17(日) 23:04:48
可児@元文学従事◆R.hU2KhlIcのトリップが割れてしまいましたので上記になります。今後も皆さんのアイドルとして三戦板に貢献したいと思います。o(^-^)oヨシ、ガンバルゾ!

295 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 01:31:46
可児の歴史の知識は所詮歴史小説やゲームで得た雑学レベル
大体この板の住民の平均ぐらい

296 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 01:54:02
うぜえ 名前に可児って入れてから書けよ。
アボーンできないだろうが

297 :阿児@元文学従事 ◆sIE1iUZVwE :2005/04/18(月) 02:33:01
>>295
そのとおり。主に小説かな。とても日本史板に討って出る自信はないし、討って出るつもりも毛頭ないよん^^
この板にいるのが身分相応だとハナから思ってるよ(^^ゞ
で、きみは自分のレベルをどう評価してるんだい?WWWWWWWWWWWWW

298 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 02:57:39
>>295
この板の平均住人レベルを「所詮」と斬り捨てている。
可児を落としめるためとは言え、この板で言うセリフじゃないわなw

299 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 08:05:58
>>297和訳された信長公記のサイトがあるから一度みてみるといいぞ

てゆうか軍鑑にせよ公記せよ実物なんて見たことないんだが
図書館にいけばあるんかな?

300 :@元文学従事 ◆sIE1iUZVwE :2005/04/18(月) 08:43:13
>>299
はあ、わ、わかった。一応のぞいてみるよ・・・・・?

301 :阿児@元文学従事 ◆sIE1iUZVwE :2005/04/18(月) 08:45:05
あッ!「阿児」が抜けた。

302 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 12:07:18
話にならん無知だな。

303 :阿児@元文学従事 ◆sIE1iUZVwE :2005/04/18(月) 12:26:38
なんかネタないの?

304 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 12:35:29
>>303
ネタ探す前にハロワへ行って仕事探せ

305 :阿児@元文学従事 ◆sIE1iUZVwE :2005/04/18(月) 17:14:29
>>304
なんなら私があなたの職探しでもしてあげましょうか?
新橋駅付近のサンドイッチマンなんでドウデスカ?
きっとお似合いですよWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW

306 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 17:56:28
>>305
おまえはニートのママがお似合いそうだな

307 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 18:05:25
なんだ静かだな
漸くハロワにいったかw

308 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 18:09:43
>>305
お前が出るスレ全部で相手してやるよWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW

309 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 18:21:34
>>299
実物って・・・、信長公記は池田家本は岡山大学に、町田本は国立公文書館にあるよ
現代語訳とかの出版物なら出てるから図書館に行けばあると思われ
お薦めは、新人物往来社の信長公記、ただし4000円と高め

甲陽軍鑑は・・・、原本自体に色々種類あるし、どの出版社がどこまでを甲陽軍鑑として採用してるのかもあるので
甲陽軍鑑大成を探して読めばいいかと、これは高すぎて買えません
一冊が1万円以上もするのに全7巻・・・

310 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 18:26:06
>>305
自演はものすごく下等なレベルだな。

311 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 21:44:25
信長公記は角川から現代語訳付きの文庫本が出てるよね
今最も手に入りやすいのはこちらじゃないかな
甲陽軍艦は自分も読んだこと無いな
「三年は信玄の死を伏せ、国内の充実を図れ」とか隻腕隻眼の天才軍師山本勘助の元ネタとなった本だよね?
確かに興味を惹かれるが、一次史料としての価値は現在疑問視されてるようなので、
無理してまで原本を読むこともない気がする


312 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 22:42:30
軍鑑は徳間書店の2000円のやつをもってる
資料としてより小説感覚で読むものだな
三河物語も漫画の奴で読んだ
実際は老人の愚痴しか書かれてないらしいけどw

313 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/04/20(水) 12:26:34
すみません、みんな!またまたトリップが変わります!
阿児@元文学従事 ◆sIE1iUZVwEと名乗ってましたが、
『「阿児」はやはり「可児」とは意味が違うな』と達観しまして上記になりました!

これからの私のご活躍をご期待くださいねっ!
(一^)ニヤリ



314 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 01:12:24
↑ 敬語の使い方がおかしい。

315 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/04/21(木) 08:50:36
>>314
スレに沿って話しをしないといけないとおもうよ。^^

316 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 08:18:08
>>315
>>313のどこがスレに沿ってるんだ?基地害固定。

317 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 08:18:50
アホコテ晒しあげ

318 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/04/23(土) 00:23:28
しかしあれだな、大坂城内では籠城中に家康が寿命で死にさえすれば、ふたたび大乱となり、豊臣が返り咲くとする意見が大勢だったようですが、
実際にはどうだったんでしょうか?
本当に返り咲けたのかな?

319 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 00:26:07
>318
無理じゃないか?家康が死んでも秀忠が健在だし。

320 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 03:02:14
とかく秀忠は軽視されがちだが、
幕府の礎を築いたのは秀忠だからな。

それに寿命云々は大坂方の問題でもある訳で。
寿命が五十歳平均として、幸村ですら40代だからなあ。
浪人衆はバタバタ逝きそうだ。

321 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 08:01:54
>>318
馬鹿まるだし。

322 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 09:19:31
>>321
あおるな、話が進みはじめたんだ。

323 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 12:59:02
>>320
幸村も大阪の陣で49だから十分寿命

324 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 19:37:59
秀忠健在っても求心力は確実に落ちるだろう、
秀忠が幕府の基礎を築いた政治手腕の持ち主というのは
後世の俺等だから分る事であって、大坂の陣の時の秀忠は
戦の経験もまともに無い(関ヶ原では遅参するという大ポカしてるし)
ボンボンの二代目位のもんだろう、それにまだ家康が政務を取ってた時期なので、
政治手腕も周りには未知数。
で、家康が死んで徳川家から豊臣家にパワーバランスが再び傾けば、
当時はまだ豊臣恩顧の大名が健在だったし、関ヶ原の時に家康に減封された外様なんかや、
他に徳川から豊臣家に乗り換える連中が出てたりして、豊臣家に味方につけば、
あるいは豊臣が返り咲いたかもしれない(かなりご都合的ではあるが)

ただこの場合では各大名に領土を分配して、大量に大大名が誕生する可能性が高いので、
安定した政権は築き難いだろう、それ以前に返り咲く事が非常に難しいか。

325 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 19:41:58
伊達家は確実に領土伸ばすだろうな。多分

326 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 22:06:06
>>324
いや、無理だと思うぞ。
この時点(大坂の陣)で、豊臣恩顧は代替わりしまくってるからな。
彼らの大半は徳川恩顧になっているから。
また家康から見て見劣りするのは否定しないが、この場合秀忠と比べるのは秀頼で十分。
親の七光りだけで官僚機構も無く天下を治める名分もなく実績ゼロのボンボン秀頼と
征夷大将軍であり官僚機構を整え、
家康の後見の元とは言え諸大名の統制を実際に行っている秀忠を比べるまでもない。
もし、一族と家臣をもつ大名だったとして、君ならどちらにつく?
あえて大坂方につくのは毛利や数少ない秀吉世代の豊臣恩顧ぐらいだろう、また浪人衆も寿命問題がでてくる。
そしてその程度では潰される、あとが続かないからな。

327 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 22:28:02
>>326
家康は後見じゃなくて、この時期はまだ家康本人が政務をとってる、
いわゆる大御所政治ってやつ。
当時はまだ秀忠は征夷大将軍を譲られただけの存在。

浪人衆の寿命は大した問題じゃないだろう、当時でも普通は60歳位まで生きるのが多いし、
知行とかを考えればむしろ死んでくれた方が良いかもしれない。

まあ後は自分でも書いてるがかなりのご都合だからな、
各大名が野望に燃えてくれれば(大坂の陣で、徳川についても得られるものは少ない)
福島正則を筆頭に豊臣恩顧が秀頼につけば、
関ヶ原での敗戦側(上杉・毛利・島津なんか)が立ってくれれば、
という風に動けばあるいは、まあ秀頼にそれを纏めれる器があるとは思わんけど。

328 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 23:29:15
>>327
大御所政治で、全部家康がやっていたと思うのは間違いだぞ。
そもそも家康が将軍につく前から関東に置ける政務は嫡子たる秀忠が担当している。
また、主に東国の大名の統制は秀忠がしている事。
征夷大将軍を譲られただけの存在なら、何故本多正信をつける必要があるね。
自分が元気な内に少しずつ経験を積ませるのは、この時代の常套手段だよ。

後見してくれる父がおらず、また政務もほとんど執らなかった(執れなかった)秀頼は例外中の例外。

329 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 00:46:05
>>328
その政治も家康の意向に沿った物で、殆ど家康の傀儡みたいなもん、
本多正信は家康のお目付け役兼、家康の意向に沿うように政務をとらせる為の補佐役だろう、
家康の死後、その子であり家康に重用された本田正純を排除して、
自身の小姓であった土井利勝を重用してる事から、
家康の影響が強くあったのと、亡き家康影響力を排除したかった秀忠の意向が見える。

330 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 03:36:35
>本多正信は家康のお目付け役兼、家康の意向に沿うように政務をとらせる為の補佐役だろう
わかってるじゃないか。
親の監督下、経験を積む、これが重要だと言っているだろ。
家康の死後もさしたる混乱もなく政治を引き継いだ連続性を見れば、
大坂の陣の前後で家康が没しても、十分経験を積んでいる秀忠が
その後を継げると見るか否かであれば、その能力は既にあると見て差し支えないでしょう。
問題はその能力が平治向きで乱世向きではない事だが、
乱世を知ってる奴が減っているのであまり問題ではないと思うが。

あと正純排除は、文治派・武功派のバランスを取るという意味もあるという主張も存在する。
どちらが正しいかをここで論じるつもりはないが。

331 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 06:09:41
>>329
横レスですまんが、このスレには秀忠の政治手腕そのものを疑問視してる人はいないと思うよ
ここで問題となってるのは「大坂の陣の遠征中に家康が何らかの理由で死んでしまった」という仮定の下において、
秀忠が家康亡き後の諸大名を率いるに足る求心力を1615年の時点で持っていたか、ということでしょ?
大坂の陣で豊臣家が滅亡した後に無難な統治を行ったからといって、
豊臣家が畿内に六十万石の大大名として存続してる状態を秀忠一人で何とかするってのは難しいんじゃないかね
豊臣家滅亡後に武家諸法度・禁中並公家諸法度の制定を行い、
福島家、田中家、最上家、蒲生家といった有力外様大名の改易を断行した辣腕政治家秀忠でも、
大坂の陣の時点では将軍とは名ばかり、政治の実権を隠居した
家康に握られたままの頼りない凡庸篤実な二代目に過ぎない(と思われていた)
大坂方の目論見どおり家康が志半ばで斃れた場合、豊臣家にとって大きなチャンスだと思うけどね



332 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 07:01:43
>>331
豊臣家にとってチャンスが広がることは間違いない。
だけど、

>豊臣家が畿内に六十万石の大大名として存続してる状態を秀忠一人で何とかするってのは難しいんじゃないかね

秀忠ひとりでなんとかするわけじゃないよ。
家康だってひとりだけでやってたわけじゃない。
本多父子、天海といった極めて優秀なブレーンがいた。
秀忠はそのブレーンをそっくりそのまま受け継ぐことができるし、
土井利勝や酒井忠世といった人材もいる。
また、有事となれば文治派と武断派の間でいがみ合っていた三河衆も、
持ち前の強固な結束を発揮し、それを大いに支えるだろう。

大坂方にこれだけの人材がいるか?
大野修理程度がトップにいるようでは、とうてい太刀打ちできるとは思えないが。

333 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 12:42:12
徳川を見限って豊臣につくほどの決定的な要因にはなりそうもないわな。

334 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 14:50:05
天海は主に宗教政策に関わった人物、方広寺鐘銘事件にも関わってるが、
謀略方面があれでは今ひとつ。
土井利勝・酒井忠世も内治向きの人材で、徳川幕府の土台があって力を振るった人物、
あと共に大坂冬の陣では大野治房に背後を突かれ大混乱に陥っている、
戦場での働きはあんまり期待出来ない。
本田親子も家康が死んだ後の正純の末路を考えれば、そのまま重用されるかは疑問、
文治派と武断派の争いは1614年には大久保忠隣が失脚するほど激化しており、
本田正純の末路もこの揺り返しの部分も非常に大きい、
三河衆の結束が固いなんてのは半分後世の作り話、三河一向一揆では多数の人間が一向一揆についたし、
石川数正の出奔や、本田忠勝が信之の為に家康にきった啖呵なんかがあるしね。

335 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 15:19:23
本多正純が失脚させられたのは、政権にとって彼が不要になったからであって、
政権が安定するまでは、本多父子は当然重用されるべき人物。
本田父子が外交・謀略を担当し、土井や酒井が関東をしっかりと治める。
大坂方にこの陣容を突き崩せるほどの人材がいるか、というお話。

三河衆の結束については半分作り話も入っているのだが、
竹千代の頃の家康をひたすら支え続けたという実績もある。
関が原の合戦の後に武断派と文治派との対立が起こり、
大久保忠隣が失脚させられたりしてはいるが、だからといって
その対立を利用してつけこむといったような謀略を行える人物が大坂方にいるとは思えない。
また、そんな謀略に乗るほど三河衆の結束はゆるくない。


以上を総合して、幕府方に付くのは親藩と譜代のすべて。
外様大名だって、あれだけ決定的な国力差があるのに
あえて大坂方に付くような人物はほとんどいないだろう。
東国はほぼすべての外様大名が、
西国も半分以上の外様大名が幕府側に付くんじゃないかな。

336 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 17:27:20
秀吉政権全盛期でも引き抜かれたのは石川1人だし
大坂の陣の時の豊臣家に徳川の譜代を引っ掛けられるとは思えないなぁ
豊臣恩顧もほとんど代替わりしてるし期待できんなぁ・・・

337 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 18:01:32
前にも書かれているが、
東国の外様大名は秀忠が直に統率している。
幕府の根拠地に近く、豊臣政権の影響が少ないという事も働いて
大坂方にはつきがたいと思う、その点では335氏に同意。
まあ佐竹あたりが微妙だが。

西国は豊臣の影響が多いものの、進んで大坂方につく奴がいるかな。
単純に仰ぐ旗の国力だけ見ても、250万石と60万石だからな。
しかも現在進行形の統治組織と、過去のしかも官僚機構壊滅状態の統治組織だし。

338 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 18:08:16
豊臣恩顧が代替わりしているように、三河衆もだいぶ代替わりしてるよ、
井伊直政・本田忠勝・榊原康政は既に亡く、
竹千代時代なんかは家臣も殆ど死んでる(年齢を考えれば当然だが)

当時の徳川家はまだそれほど磐石じゃないしね、
徳川家総合で500万石位で、直轄領は250万石程度、残りは親藩と譜代、
徳川家が磐石の体制、天領400万石・譜代(旗本)300万石とかいうのになるのは、
秀忠・家光が大名を改易しまくった後。
まだ外様の動向しだいではどうなるかはわかない。

339 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 19:15:38
その外様の動向がね。
代がかわって恩だの義だのという関わりが薄くなれば、利で動こうとするのが当然。
当時の情勢で豊臣についた方が有益だと思うものはほとんどいないのでは?

確かに家康に比べると秀忠は大分見劣りがしたと思う、
実質はともかく心象的には、戦の面に関しては特そうだっただろう。
しかし、それでも大坂方と比べてどちらが有利かという観点で比べたなら、
普通に考えて大坂方を選ぶものはいない。

確かに家康がいなくなれば大坂方にとって実際よりも状況がマシになるのは事実だと思うが、
さほど決定的なことになるとは思えない。
事実上0だった勝利の可能性が1%くらいは出てきたかどうか?
って程度ではないかね。

340 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 22:22:53
簡単に言えば、時勢の勢いと主将の能力になるんだよ。
大坂の陣で家康が死んだという前提であれば、秀頼と秀忠ではなく、
家康を討ち取った誰か(幸村?)と秀頼、秀忠の三人をベースに考える
べき。
ただ、俺は最終的には徳川幕府の勝ちだと思うがね。
というのも、徳川方には家康が練りに練った天下統治の方法を持っている。
そして、秀忠にはその統治方法をブレインとともにしっかり受け継いでいる。
その政策は関が原の後、すでに浸透している。
信長、秀吉、家康と続いた戦乱の中で、大名達が家康が討ち取られたからと
いって、「では、秀頼について」もしくは「独立して」という大名がどれだけ
いるか。
実際、大坂の陣において豊臣方に味方した大名は0だった。
つまり、実際に土地を支配している大名とその家臣では、豊臣家の支持率は
0だったわけだ。これが、家康討ち取りであがったとしても、決定的な差に
なったとは思えない。
(っつーか、豊臣政権が復活したら、もう一度戦国だよな)

341 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/25(月) 05:18:16
家康がいない状態なら忠直か忠輝を将軍に替えるとかなら多少は可能性がでるんじゃないか

342 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/25(月) 16:10:38
それも微妙だな。
両者とも秀忠ほどの一族・譜代・外様の支持をえられないだろう。
内外公認の家康の後継者で、現将軍だからな。

仮に家康と秀忠が共に死んだのならば、
竹千代・国千代を交えてのお家騒動になる公算はあるが。

343 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/25(月) 21:09:24
>>341
誰かが忠直や忠輝を担ぎ出してもめれば、
大坂方に有利になる可能性がある。ってこと?

今更その目は完全にないよ。
秀忠が生きていれば跡取りになるのは間違いない、
既に家康存命の頃から後継者と言うよりも共同統治者って感じだったのだから、
これを覆せるほどの実力者は徳川家の中にも外にも存在しない。

344 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/25(月) 22:27:43
秀忠の程の支持っていっても、秀忠の支持はそんなに強くないだろう。
一時はこのまま秀忠が将軍を継ぐかどうかの重臣会議も開かれてるし、
本多正信は秀康を、井伊直正が忠吉を推して、大久保忠隣だけが秀忠を推したという状況だった。

そういえばその大久保忠隣が失脚して、秀康を推した本田正信が権勢を振るうわけだから、
ここにも後の本田正純が排除された複線があるな。

345 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/25(月) 22:39:30
そんな大昔の話を言われても・・・・
これは大坂の陣の頃の話でしょう?
既に10年以上家康と共同統治をしているという実績の前には意味ないですよ。

346 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/25(月) 23:04:37
>>345
共同統治と言えるほど、家康と権力を分割できてないし。
大久保長安の死後、自分を支持した大久保忠隣を処罰せざるを得ず、
(家康の死後秀忠が忠隣を許そうとした行動もあり、秀忠は忠隣を罰したくなかったと思われ)
家康が重用した本田正信と正純が権勢を振るった、意思決定や実権は家康が握っている。
秀忠がその手腕を発揮するのは家康の死後で、当時はそこまでの名声を得られてはいないだろう。
だからこそ家康も火種を潰すために、無理矢理な口実で豊臣家を滅ぶ戦を仕掛けた訳だし。

それに秀忠は大坂の陣でも無理な強行軍で家康に叱責され、
夏の陣では大野治房に攻撃され大混乱に陥っている、
例えば、大坂の陣で豊臣をそのまま滅ぼせず、家康が死んだという事で一旦軍を返したりすれば、
こいつで大丈夫か?というのが出てきてもおかしくない、忠隣が秀忠を推したのも
治世の世では秀忠という事だし。

347 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/25(月) 23:32:28
>>346
前から気になってたんだけど、あんたずっと「本田」って間違えてるよ。

>夏の陣では大野治房に攻撃され大混乱に陥っている、

夏の陣で徳川勢が押し捲られたのは、秀忠一人の責に帰すべきものではないからな。
城方が死兵ばかりなのに対し、攻め方は命を惜しむ輩ばかりだったからね。
むしろこの混乱の責任は総大将たる家康にあるんではないか。


そんでもって、政治の実験は家康が握っていた、とかいうことを物知り顔で言われてもねえ・・・。
そんなの誰だって知ってるよ。
しかし、秀忠が将軍に就任してから十年近くも経っているんだよ。
内外ともに家康の後継者は秀忠である、という見方が大勢を占めていただろうよ。
というか、徳川の家臣が二つに分裂するとか、松平忠輝が秀忠と将軍職を争うとか、
そういうことが豊臣の謀略によって成功するとでも思っているのか? 本気で?


348 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/25(月) 23:42:06
>>347
本当だ今気付いたorz、指摘ありがとう。

家康との共同統治、というあたかも同位の存在であった事を否定しただけだよ。
可能性は否定できない、そんなところ。

349 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 00:25:39
>>347
中途半端に書いて送信してしまった、続き。
家康は家康でかなり苦戦してるので問題だが、単に徳川勢が押されたというのではなく、
その中で、秀忠の軍が大野治房に攻撃を受けて大混乱に陥ってる、
あたりまえだが秀忠の軍は秀忠が率いてるものなので、当然秀忠の能力にも疑問を持たれるだろう。
意地の悪い見方をすれば、周りの武将達が、家康が苦戦してる大事な時に、
諸将の統制をとれない秀忠の指導力を疑っても不思議は無い。

350 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 03:10:50
>>348-349
わからない人だね。
糸で操られていようが、部下を用いて統治を実際に行っているのだから共同統治者といっても差し支えない、347氏の言うように。
そもそもイレギュラーな事態が起こらない限り、隠居した親と家督を継いだ息子が共に統治するのは極常識。
この場合、家臣の統率をはじめ通常の事は息子に任せ、通常外の事を親が担当することが多い。
例えば毛利元就も家督を譲ってからは定例の評定は顔を出さなくなった。
譜代の統率や、直轄領の統治、一部ではあるが外様の統制などは
家康の意向が働いたとしても、実際に処理していたのは秀忠とそのブレーン。
もちろん完全に任せきりではなかったろうが、後方を秀忠に任せたおかげで
上方や西方の油断のならない外様の統制に専念できたろうに。

指揮権が家康にあるのに家康本陣が苦戦しているからといって
勝手に指揮し始めるのはどうよ、余計な混乱を招きかねない。
あとな、劉邦やアウグストゥス、日本なら源頼朝は軍事的才能があったから天下を取ったわけではないよ。

351 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 07:51:53
ともかく、家康死亡で跡目争いが起きる可能性はほとんどない。
既に跡取りに決定して、現に将軍職を継いでしまってから10年以上たっているのに、
それを覆すようなことが出来るものはどこにもいない。

352 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 15:07:15
大坂の陣以後の本多正純の失脚、松平忠輝・松平忠直の改易or隠居を見ると
大坂の陣前後の徳川家が後に言われるように完全な一枚岩じゃなかったのはわかるが、
大坂方にその間隙を利用できるような人材がいなければどうにもならないね
ここでも何度か指摘されてるように、政略面でのトップが大野修理程度では話にならない



353 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 17:57:06
>>350
だからその統治は家康の意向を受けて、実行してるだけという部分が大きい、
つまり結局は家康に言われた実務をこなしてるだけで、
政局を左右する意思決定を問われるリーダーシップの発揮が必要とされる場面に立っていない、
そしてもう一つリーダーシップの発揮の場であった戦場では大失態をしてる、
それが他の大名に秀忠という存在がどう写るかが問題な訳だよ。

軍が大混乱に陥っている最中で、家康が苦戦して指揮をまともにとれず、
あやわ切腹という場面にまで追い込まれているのに、
指揮権は家康だから私は指揮をとりません、とかいうのは唯の馬鹿だろう、
二代目将軍として、次の天下人として当たり前にリーダーシップの発揮を
求められる場面である、だがその時秀忠の軍は大混乱に陥ってたわけ。

劉邦には韓信が、アウグストゥスにはアグリッパが、
源頼朝には義経が、それぞれ軍事面を受け持った人材が居た、
秀忠にはこのような人材は見当たらない。

>>352
まあ大坂方はそれが大問題だけどな、秀頼は未知数(多分駄目)だし。

354 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 18:33:42
秀忠は大坂の陣以前にも徳川軍の主力を率いていながら関ヶ原に遅参という大失態を犯してるしね
伊達政宗・藤堂高虎・福島正則といった歴戦の諸大名から見れば軍事面ではひよっこ同然だろう
ただ、秀忠がいくら頼りないからと言ってそれだけで諸大名が徳川家を見捨てて豊臣家につくということはやはり考えられない
家康・正信後見の下着々と政治の実績を積みつつあった秀忠に比べて秀頼は政治のせの字もわからないわけだからね
まあ家康が大坂の陣以前に横死していたなら何だかんだ理由をつけて大坂まで直接兵を出さないという大名もいるかもしれない
有力外様大名にとって豊臣家は徳川家に唯一対抗できる存在で、勢力均衡を考えると結構貴重
豊臣家が強力な野党として存在してる以上徳川家も好き勝手に出来ないわけだし、徳川家以外には豊臣家を無理して潰す理由など全くない


355 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 18:37:23
・・・実際問題そこらへんの隙を突いて上手いこと豊臣家が畿内の
大大名として存続できるかというとこれまた微妙だけどね
結局は>>352の「政略面でのトップが大野修理程度では話にならない」ということに話は戻るわけで

356 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 19:28:02
家康が大坂の陣で死んだ場合とあるが、どの場合?
1)大坂冬の陣で講和する前に寿命で死んだ。
2)大坂夏の陣で真田隊に討ち取られた。

1)だと大坂方の勝利の目が幾分増えるかもしれない。
徳川は明らかに大坂城を攻めあぐねていたからね。
家康はそれを外交でもって解決したけど。

2)の場合。たとえ家康を討ち取ったとしても、それは局地的勝利に過ぎないだろうな。
徳川方はいくらでも兵力の増援がきくけど、大坂方には代わりはもういないからね。
しかも、堅牢な大坂城はもはや防衛拠点としては殆ど役に立たない状態だし。
「大御所様の弔い合戦」ということで一気に攻められたら、その時こそジ・エンドになっちゃう。
落城が数日〜数週間伸びるだけ。

357 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 19:39:13
大坂夏の陣で家康が真田隊に討ち取られたら徳川家は弔い合戦どころではないと思うよ
一体誰が家康亡き後徳川20万の大軍を統率すると言うのか
家康を討ち取られた場合の諸大名の戦意喪失はもちろん、
そもそも秀忠本人が自身の軍事能力に自信を持っていなかった
秀忠ではせいぜい豊臣家と現状維持の和睦をするのが精一杯だろう




358 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 19:40:37
それこそ豊臣に転がる大名がいてもおかしくは無い

359 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 19:49:13
>>338
>徳川家総合で500万石位で、直轄領は250万石程度、残りは親藩と譜代、
>徳川家が磐石の体制、天領400万石・譜代(旗本)300万石とかいうのになるのは、
>秀忠・家光が大名を改易しまくった後。
>まだ外様の動向しだいではどうなるかはわかない。

大坂の役の頃の徳川家の領地は、関東に加え駿河、遠江、三河、甲斐(全域ではない)
をはじめとして各地に直轄地を持っており、すでに天領で400万石程度に達しているよ。
他に、尾張家が54万石、水戸家が28万石、越前忠直が67万石、越後忠輝が75万石。
それに彦根井伊家18万石、桑名本多家10万石など譜代大名が続く。
後世300万石にのぼる旗本知行地は、まだそれほど多くはないはず。
それでもなんやかや合わせて、徳川家総合で500万石しかないなんてありえない話だ。

それから、旗本知行地と、譜代大名領は別物だからな。君は一緒に考えてるようだが。
旗本と御家人、大名の違いをもう一度調べることをおすすめする。


360 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 20:10:28
>>357
指揮官が戦死しての勝利というのは、ありえない話ではないよ。
トラファルガーの海戦をはじめとして、例はいくらでもある。

家康が戦死して戦意喪失するのは、主に外様大名。
逆に譜代は報復に燃えるとは思わんかね?
譜代大名たちが態勢を立て直すだけで、大坂方をゆうに上回る兵力を集めることができるよ。

大坂夏の陣というのは、将棋で言えばすでに「詰み」になってしまっている状態。
この状態で勝ちを逃し和睦なんかするとすれば、秀忠はよっぽどのボンクラだわな。

361 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 21:42:08
そもそも、家康が不慮の死を遂げても大丈夫なように、
生前から隠居して将軍の位を秀忠に譲り、政治の実務も担当させていたわけだが。
繰り返し言われていたが、既に秀忠には10年の実績があり、
徳川家の国力は正に圧倒的。
今更徳川を見限って豊臣につくような決定的な要因にはならないよ。

362 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 21:52:43
結局

家康が死んでもさすがに豊臣が天下を取り返すって事はまずない、でよろしいのか?

363 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 21:58:28
>>360
秀忠は和睦して早いとこ国に帰らないと、徳川家を兄弟に乗っ取られる。
大きな家の宿命として、突然当主が死んだ場合、家はまとまるどころか分裂するね。

364 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:01:12
>徳川家を兄弟に乗っ取られる。
アホですか?後継者を明確にしてるのに、後継者争い?
誰が秀忠と争うの?

365 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:03:48
>>364
アホはおまえ。
後継者が決まっていれば争いは起こらない?
少しは歴史の勉強してこい。

366 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:04:46
>>363
兄弟って勘当された忠輝と幼児しかいないわけだが?
つーか、そういう騒動を起こさない為に生前から後継者を完全に定め、
実務的な経験を積ませ、内外にそのことを明らかにしているわけだが。

そういう事実を無視して無条件で跡目争いが起きると言い切るのは実にナンセンスだ。

367 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:05:54
>>365
誰が争うの?
勉強しなおした方がいいのはそちらの方では?

368 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:06:14
>>365


  誰  が  秀  忠  と  争  う  の  ?


歴史勉強してんだろ?

369 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:08:13
忠輝や忠直(秀康の子)も知らんのか。
無知ばかりだな。

370 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:11:48
勘当された忠輝や、
血縁があるとはいえ、明らかに家臣の立場になったものの息子が、
既に将軍として10年以上のキャリアをもつものの対抗馬になれるわけがないのだが。

なんとも、先に結論ありきという人とは話し難くてならないね。

371 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:13:02
忠輝と忠直しか名前挙げられないもんなw

で、どうやって争うの?
みな大坂にいて、徳川政権として秀忠が後継者と認知され10年
豊臣政権のときからで言えば、20年近くも徳川家の後継ぎとして認知されてきたのに

誰が支持してたのかな〜?>忠輝と忠直

372 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:14:23
政宗がとか言い出しそうな悪寒。

373 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:15:46
>>370
はいはい。
じゃあそれでいいよ。
家康が幸村に討ち取られても、それに付け込んで動くものは誰もいないと。
はいはいそうだね。

それはいいけど、忠直や忠輝の末路くらいは勉強しとこうね。

374 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:22:13
徳川姓すら名乗らせてもらえなかった忠輝と忠直が
20年も後継者決めて、後継者争いなくしてた徳川家を乗っ取るんだそうな

忠輝は家康の不興を買って改易
忠直に至っては、冬の陣での大失態で不興を買ってて、その後は乱行でドボン
誰でも知ってるが、それが後継者争いに何の関係が?


375 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:26:04
幕府の基礎は固まってた時期に、どう外様が動く気なんだろ?
徳川家の蔵入地だけで600万石、徳川家の親族譜代いれたら800万石超える勢力にねぇ

376 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:30:58
>>374
家康が討ち取られるという事態になっても誰も忠輝や忠直を利用しないと?
豊臣家を利用しないと?
外様はおろか、譜代にだって冷や飯を食わされている奴らはいるのに、そいつらはみんなおとなしくしていると。

徳川信者には何を言っても無駄みたいだな。
きりがないから消えるわ。

377 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:35:24
現に政権移譲が平穏に行われるような方策が採られているのに、
それについて具体的に語ることもなく、
最初からそれらの方策は無駄になる事が前提で、
無条件で跡目争いが起きるなどといわれても、まあ、話にならないわな。

378 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:38:23
忠輝や忠直を、どう利用できるってーの?状況的に
豊臣家をどう利用すると?外様や譜代がどう動けるの?

可能性は否定できないが、実現可能な程なのかと言えば、ほぼ無い
それぐらい決まってたんだよ、豊臣や織田と違って
政権を安定させ、後継者争いをなくし、尽く危険を潰してきて
その最終結果が冬の陣

思い込みだけの結論ありきだし、最後には信者と棄て台詞吐いて逃亡ね
そーしとけ、妄言聞いてもツマンネーから2度と来るなよ

379 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:41:24
典型的西軍厨のパターンだな
城塞とかの読みすぎか?

380 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:51:38
せめて後継者候補になった事があり、秀忠が未だ後継者として指名されてただけならば、
跡目争いの可能性もあっただろうが・・・

後継者争いから完全に外された人間をいきなり引っ張ってこれ、後継者どころか
形式的には徳川家の家督相続し、完全に徳川政権を仕切ってた秀忠を追い落とすだけの
強力なパトロンを忠輝や忠直が持ってたか?

381 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:52:28
なんだ?
まだグダグダ言ってるのか?

家康を討ち取った豊臣家がおとなしくしていて、
忠輝や忠直の心にくすぶっているものが何もなく、
秀忠に重用されない譜代にもくすぶっているものが何もなく、
外様は完全に徳川家に心服していると。

やれやれ・・・もうレスつけるなよ。

382 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:56:39
>忠輝や忠直の心にくすぶっているものが何もなく、
>秀忠に重用されない譜代にもくすぶっているものが何もなく、

ぶはははははははは
なんだ、このアバウトな表現は!!!!!!


383 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:58:58
>>381から葉隠れ厨の臭いがする。

384 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:00:38
>>382
頭悪そうなレスだな。

やはり無知か。
忠輝や忠直のことも、
本多正純や大久保長安のことも知らないんだな。
まあ、君にとっては徳川家は磐石で、不満を持つ者は誰もいないんだもんな。

385 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:01:00
忠輝は状況次第では自発的に動いてもおかしくない、
元々松平性しか名乗らせて貰えなかったのに不満を持っていたのか、
大坂冬の陣では留守番役に不満を持ち、中々領国から動かなかったし、
夏の陣では秀忠の旗本を無礼討ちして、夏の陣終結後は無断で帰国してる。

忠輝は秀忠の名代で大坂城に行くなどそれなりの仕事をしてるし、
武勇に優れてたという話もあり、そして舅が伊達政宗なので後ろ盾もある、
秀忠の不和を考えればあるいは…という事も。

忠直は忠輝程ではないが、大坂の陣ではやる気なし(家康の叱責されて活躍したが)
制外の御家として特別待遇を受けてたりしてはいたが、
松平性のままだったり、元々父秀康は秀忠の兄にあたるのに、将軍になれなかった不満当は
あったと思われる、後の乱行も明らかな冷遇が原因だし。

386 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:04:45
>>384
不満は持ってるのはいましたよ、それで?
それが皆乱を起こすと?それとも連動して起こすとか?
そんなのが如何に不可能な事なのかは、歴史が証明してるけどな

387 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:07:39
もしかして大久保長安の名前がそこにあるのは、忠輝担いで謀反起こすというのが
死後に発覚したとか言う話でつか?>>384

388 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:09:13
>>380
伊達政宗くらいか?
宣教師とかの記録で政宗と忠輝の謀反の噂が流れたとかあったな。

389 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:10:14
大久保長安といえば、大久保長安事件の際に忠輝を担いで謀反を起そうとしてる、
という噂や、忠輝が政宗と組んで幕府と対決しようとしてる、
という噂も流れたらしいな。

390 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:10:23
>>385
それは忠輝や忠直が他の譜代から多少なりとも支持を受け
越後高田や越前の家臣が忠輝に忠誠を誓ってた場合にのみ有りえる事


391 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:10:38
>>386
連動なんかしなくても、
忠輝や忠直が幕府に従うのを拒み、それを担ぐ譜代もいて、豊臣家が強勢ともなれば、外様に対しての支配力も弱まるだろうね。
幕府は有名無実化する。
どんなに強い者でも、小さなほころびから始まり、滅びるときはあっという間だよ。

392 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:12:20
>>386
あれ?
家康が死んだらとかいうIFの話ではなかったのか?

393 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:12:34
噂が流れたんであって、大久保長安が忠輝を担いで謀反を
起こそうとしたので改易になったというのはネタです

394 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:16:07
>>391
それを連動というんだが?
忠輝や忠直が幕府に従うのを拒否出来るのは、担ぐ譜代がいなければ無理
豊臣家が勢力を増すには、家康の首を獲った以降の行動に関わってくる

>>392
そうだよ、死んだというIFだよ
死んだといって、不満を持った皆が手を叩いて扇動し始めるとでも?

395 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:19:37
>>393
徳川家が磐石ではないという一例だよ。

396 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:20:27
家康が討死した、忠輝や忠直が幕府の命令拒否した、それを多少の譜代が支持した
豊臣家がその間に活発な外交活動して多少の味方をつけて、外様への影響力が低下した

ここまでIF重ねれば、そりゃ江戸幕府だった有名無実化するっちゅーにw

397 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:22:07
>>395
磐石だったから噂だけで終わり
逆に噂をネタに伊達家の弱体化を図る程でしたが

398 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:22:54
>>394
馬鹿かおまえは?
秀忠だけで天下統一できるなら、冬の陣で家康が出陣する必要ねーだろ。

399 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:24:02
>>394
幕府に不満を持つ連中や、外様が忠輝や忠直と気脈を通じるだろうし、
家康を討ち取ったあと豊臣方は機内を押さえて、それに味方する大名や従わざるをえなくなる大名も出てくる。
豊臣家は兵力だけは多いし。

400 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:25:32
>>398
冬の陣でも夏の陣でも、すでに天下は統一されてましたが?


401 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:26:00
>>390
家臣にとっては他人事ではないだろう、忠輝が滅亡すれば自身も路頭に迷うかもしれないのだから、
とはいえ、秀忠が圧倒的に優位ならば家臣も着いて来ないだろうが。
譜代に関しては微妙だな、秀忠の軍才が無いのは明らかだから、
武勇に優れたという話のある忠輝(冬の陣では?だが)
大坂の陣では軍才を示した忠直(あ、でも家康が死んだというifでは示す場が無いのか?)
家康が死んで、秀忠が大坂で手こずったりして撤退すれば、譜代にも心動く連中が出てくるかもね。

大坂方の命運は、家康が死んで、秀忠がどう動くかにかかってるだろう。

402 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:27:30
>>396
家康が討ち死にした時点で、
秀忠の評価がそのままっていう間の抜けた推論ならべるのと同レベルで、
いいんじゃまいか?

403 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:27:47
>>397
不満を持つ者がいるという一例だってのに。


404 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:30:29
>幕府に不満を持つ連中や、外様が忠輝や忠直と気脈を通じる“だろう”し
>家康を討ち取ったあと豊臣方は“機内を押さえて”
>それに味方する大名や従わざるをえなくなる大名も“出てくる。”

は?どうやって気脈通じるの?その不満もった連中が忠輝や忠直なら
幕府に対向してくれると思って?
冬の陣で5万程度しかいない、外交感覚0の大坂方が、畿内を押さえ
大名を従えるのね、誰が?どうやって?

405 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:31:48
>>401
けっこう苦しいんじゃないの?
徳川家にとって失われるべきではない、神君、家康公なんだから。
徳川体勢を維持するにしても、
一緒に出陣した秀忠の責任を追及する動きが出ても不思議じゃないんじゃないか?

406 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:32:13
>>403にとっては、不満を持つ者がいたら政権は磐石じゃないらしい

407 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:36:11
アホなようだが、忠輝も忠直も徳川家から家臣を送られてるのを無視か?


408 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:36:45
>>404
で、家康公を戦場で殺された場合、
誰が家臣をまとめるの?

まさか一緒の戦場にいて父を助けることもできなかった秀忠が、
何の努力もないまま支配体制を築けるのですか?

409 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:37:38
>>404
気脈を通じる方法も知らんのか?
まあ、いい。

機内を押さえるのは軍事力でだよ。
5万の兵力は大きいし、
目の前で行なわれた合戦に勝った大坂方に、付近の大名のなかに従う者が出てくるのは当然。
浪人も集まってくるだろう。
かなりの軍勢になる。

410 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:37:42
忠直につきそうな譜代といえば本多親子とかどうだろうか。
正信は元々忠直の父である秀康を次の将軍に推していた人物だし、
秀忠を推して、江戸総奉行として秀忠を補佐した大久保忠隣を失脚させてる。
元々家康の権威あっての正信の権勢だし、家康亡き後の身の振り方に危険を感じれば、
これまたひょっとするかもねぇ…。

411 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:40:03
>>408
誰がとは?
家康は秀忠一人に全てを任せるようなシステムにはしてないが?
徳川政権は年寄衆というのがいて、彼等が秀忠を支えていたんだが
これが後の老中

これは日本史の基礎ですな

412 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:42:49
>>399
勘違いしているな。
浪人衆は豊臣家の臣下ではない。
しかも浪人衆も反徳川で集まっているがそれだけの存在、
大坂の陣以降の統一ビジョンは持っていない。
有力者同士の意見が対立すればそのまま空中分解する危険性があるし、
豊臣譜代と抗争に陥る危険性も高い。

そんな奴らをまとめ上げられるのか、政務経験0の秀頼は。
そして淀の意向を退けられるのか、秀頼は。
秀頼の足りないところを家臣が補えばいいが、大野ではな。

413 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:43:55
>>409
>付近の大名のなかに従う者が出てくるのは当然。
考え甘すぎる
大坂で家康が討死したとしても、豊臣と徳川では力の差が歴然としてる
なのに、そんなにホイホイと味方するかっての


つか、そんな滅茶苦茶な可能性が殆どないタラレバを繰り返すのだったら
家康が討死したとしても、大坂落城というのも有り得るんですが?


414 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:46:29
>>412
あるていどの領地を得れば浪人同士の争いも出てくるだろうが、
それはまだ先の話。


415 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:48:12
ある程度の領地さえなかった大坂冬の陣でさえ、豊臣譜代と浪人衆で
争ってるのは無視ですか、そうですか

416 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:49:01
>>411
家康が敵にやられた時点で歴史がかわる。

歴史を知っている者なら常識ですよ(w

417 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:51:13
>>413
甘すぎないっての。
大坂の陣に勝利した5万の軍勢が迫ってきてどう抵抗する?
徳川に忠誠を誓うために滅びの道を選ぶとでも?
合戦に勝利した側に付近の大名が従わざるをえなくなるのは歴史では当然。

418 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:52:40
>>414
領土の対立だけではなく、
主導権争い、利権争い、地位争い、派閥争いなどがあるのだが。
また作戦が決定的に食い違えば悪感情を持ってしまうしな。
反徳川でも対立があるのに、眼前の驚異がなくなれば凄いことになると見るのは自然ではなかろうか。

419 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:53:38
秀忠にとって最も怖いのが忠直と忠輝が結託する事だろう、
共に冷遇され気味の二人であり、忠輝なんかは秀忠との不和は決定的になってる、
忠直を本来将軍を継ぐべき存在だったと正当性を世間に喧伝して、
本多親子なんかがそれを支持して後押しに回り、外様では伊達政宗がそれを支持して、
徳川に不満のある外様(上杉・佐竹なんか)に共同戦線を持ちかける。
領土的にも越前越後と結託しやすい位置にあり、結託すれば一大勢力になる。
そして逆に秀忠の力は大きく削がれる。

…なんか忠直と忠輝の天下取りの仮想戦記みたいになってるなw

420 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 23:59:26
>>418
とりあえず領地を奪おうぜってなれば、
大坂の陣のように、諍いがありつつもそれなりに団結するさ。

421 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:00:41
五万の軍よりも、徳川の締め付けのしょっぱさに危機感を覚えて、
寝返る連中が出るんでないかね、特に元豊臣恩顧と呼ばれてる大名達、
福島正則なんて秀吉が死んで直に家康支持に回ってるのに、
大坂の陣では疑われて江戸で人質同然の留守番役、
豊臣家が滅びれば一層締め付けが厳しくなるのは予想できただろうしね。

422 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:02:33
>>413
横レスだが、
徳川家が磐石ってのも甘すぎ。
圧倒的優勢下にありながら神君家康公が殺された時点で、
幕府の権威も徳川家の武家集団としての地位も失墜するって。

423 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:03:44
楽観しすぎだろ。
明確な意思統一がなされないで失敗するのは
元亀争乱や西軍をみれば明かだろ。
それが出来ない公算が高い。

424 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:04:42
家康がいなくなっても幕府が維持できる体制ってのは、
あくまで史実どおりの展開になった場合であり、
家康がアボーンされた場合も同じになるとはいえんよな。

425 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:04:44
>>416
歴史が変わるのは結構、秀忠が年寄衆の制度まで止めるんですか
家光に譲った時に、老中制度にしたのは誰だったかなぁ

歴史を知っている者なら常識ですよ(w



426 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:07:21
>>417
家康の首獲った時に、まんま5万は健在なのか?

>合戦に勝利した側に付近の大名が従わざるをえなくなるのは歴史では当然。
従う大名って?局地戦での勝利に家康の首獲ったとしても、圧倒的に徳川家優勢なんですが?

427 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:08:41
>>425
総大将の家康を討たれた幕府やその軍に史実どおりの「権威」があるとでも?
寝言は寝てから言えよ。



428 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:10:43
>>426
5万どころかさらに浪人が集まってくるだろうね。
付近の大名も滅ぼされるよりは従う。

429 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:10:47
>>427
総大将は秀忠で、征夷大将軍は秀忠で、権威の移譲は済んでます
家康は院政状態です

それなのに、忠輝・忠直は後継者争い起こすとか
譜代の不満分子が結託するとか、寝言言われてもねぇ

430 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:11:02
>>425
政治システムをあの時代支えていたのは武力だよ。
圧倒的優勢下で総大将を討たれる軍なんぞ誰が恐れるか。

431 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:12:09
年寄衆の統治とて、まだ磐石じゃない時代でしょう。
当時において、家康の意向で動く本多親子が大いに権勢を振るってたし、
この二人は、武断派の長であり老中・江戸総奉行の大久保忠隣を追い落としてる、
此処で家康が死んだ事による武断派の揺り返しや、
秀忠の側近連中との軋轢が始まる事も十分考えれる。

432 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:13:29
>>429
権威の委譲なんか済んでません。
あくまで将軍の位を譲っただけで、権威は家康にあります。

433 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:14:05
>>428
5万でギリギリの統制だったのに、さらに増やすの?
指揮系統さえバラバラなんですが
その状態で、どうやって付近を制圧するんだろう?従うにしろ外交する人材いるけどね


434 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:14:59
>>429
秀忠が独力で天下を切り盛りできるなら、
家康が大坂の陣ででばらねーよ。

435 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:17:07
>>430
反論にもなってない

>>432
権威は秀忠にあります
その為の征夷大将軍であり、駿河での大御所体制だったわけで
権威とは何かをよく調べ、大坂役前後の秀忠と家康の書状でも調べましょう

436 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:18:02
>>434
>>411

437 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:18:42
>>433
指揮系統がバラバラとか寝言は寝てから言え。
その気になれば、道明寺合戦のように集団として作戦を展開できる。
外交は豊臣家譜代の家臣がいる。

438 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:19:05
>>433
どっちかっていうと戦国時代に逆戻りでしょう。
豊臣の天下は来ないのは同感だが、徳川政権が何の波乱も無しに存在し続けるとは思えん。

439 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/04/27(水) 00:19:18
>>434
禿同WWWWWWWWWWW

>>429は氏ねWWWWWW(^.^)bおK?

440 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:21:24
>>435
権威は家康にあるよ。
そんなこと君も知ってるだろうに。
秀忠にあったのなら忠長が将軍になれたろうね。

441 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:23:27
>>437
道明寺合戦!?それでいいのか?
豊臣譜代が、というか豊臣家が外交下手というより、外交感覚がなかったのは
歴史が証明してるが、それでも出来るとでも?

>>438
そこまでは行かないのでは?>戦国時代に逆戻り
但し、幕府の寿命が史実どおりの長命になったとは言い難いね

442 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:26:19
>>441
豊臣譜代の家臣でもできるよ。兵力という背景があるから。

443 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:27:18
>>440
そりゃ権力だ、権威と権力を混同砂
官位や役職で権威付して、後継者として内外に認知させたのが秀忠
家康は駿河で権力を持ってたって事だ

444 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:28:10
権威
1)他を支配し服従させる力。
「親の―を示す」「―が失墜する」
(2)ある方面でぬきんでてすぐれていると一般に認められていること。
 また、そのような人。オーソリティー。
「その道の―」「―ある学説」

官位的な権威と、実質的な権威はまた別物だろう。

445 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:28:53
>>442
出来るよ?出来ません、家康死んだというIFに更に兵力が増強した
とか纏めれたとか、都合の良いIFをどんどん加算すれば何でも出来るだろうが

446 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/04/27(水) 00:30:44
>>443
うむ、マックス・ウェーバーの論に照らし合わせても貴殿の論理、尤も尤も。

447 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:33:34
>>443
その家康が討ち取られたならば、秀忠の権威なんて有名無実になるね。
わかりやすい例は今川家。桶狭間合戦のときの当主は氏真。義元は隠居の身。
しかし、義元が討ち取られたことによって今川家の権威は失墜した。
いくら表面的に移譲していても、結局は実際の権力者しだい。

448 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:37:27
けど秀忠が征夷大将軍になって10年経ってるからもう秀忠は磐石、
というのはどうなんだろうねぇ。
兄である秀康が養子に行って、秀忠が嫡子と定められてから関ヶ原まで10年以上経ってるのに、
それでも関ヶ原のポカで秀忠は重臣会議まで開かれてる。
無論秀康が松平に復帰したというのもあるんだろうが、あろう事か弟である忠吉さえ押されてる始末だし。

もし家康が討ち取られでもしたら、秀忠も磐石とはいえないだろう。

449 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:38:11
>>447
義元と氏真の例えは当てはまらない
何故なら氏真への家督譲渡は、桶狭間の1年前であり
しかも義元は家督譲渡しながら、遠江と三河の上位命令権を保ったままだったから

しかし、今回そのようなケースにならないと言えるのは
権威譲渡した期間、またその後の家康の権力行使の仕方による
これが出来ずに同列に扱うなら、君と語ることは何もない

450 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:43:09
>>447
それは違うと思うぞ。
今川の権威が失墜したのは義元が死んだ以上に、
氏真が有効な策を打たなかったことにある。
織田や豊臣でも当てはまることだが、
権力者が死んだ時にきちんとした後継者がいないから権威が落ちる。
後継者が有能なら意外に基盤は揺るがない。

確かに秀忠は失点無しとは言わないが、及第点ではある。

451 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:48:29
>>449
じゃあ今川家の話だけは引っ込めよう。

>>450
氏真が手を打つ云々の前の段階に、松平元康は反旗を翻して勝手に岡崎に帰っている。
これはやはり権威の失墜によるものだろう。

452 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:51:07
けど氏真ってあれで治世ではまあ良いとこもあったんだよ、
楽市楽座をしたりしてるし、戦績でも堀越氏延と飯尾氏を滅ぼしたりしたみたい。
それに氏真の駿遠関連の発給の文書が見られたり、
義元の発給文書が三河中心になっていたりするらしいし、
家康と秀忠の関係に結構に似てるよ、関東の実務は秀忠が行ってるが、
上位命令権を家康が持ってるし。

453 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/04/27(水) 00:51:13
まあね、諸侯は機をみるに敏だからねぇ〜。
秀吉時代も秀次が関白に決まった途端、聚楽内に諸侯からの礼物がわんさか届いて、
秀吉も諸侯のその変わり身の早さになかば呆れてたっていうしねぇ〜。

「秀忠将軍」も案外心配なかったかも。

454 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 00:58:19
秀忠には権威があるのは何度も説明した
家康の討死によって、幕府としての権威が失墜とまではいかなくとも
暴落するだろう事は確実

だが、家康一人の討死によって幕府が崩壊するような組織にはしてない
家康が秀忠に政権譲って1〜2年なら兎も角、政権移譲から10年以上経っており
討死は予想外とはしても、家康死後への準備はある程度出来ていた
なので、(夢がなくて悪いけど)後継者争いなどは起こりようがなく、
そこまで混乱した事態には陥らないのではないか?という訳で
家康討死だけでは弱いと思うのよ、この当時ではもうね

455 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 01:01:41
>>452
>義元の発給文書が三河中心
そこですよ、そこが義元と家康の違い
家康は秀忠より上位命令権を有してたが、その指示・命令は全て
秀忠を介してから

これって結構重要

456 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 01:06:52
>>451
おいおい、家康は方々手をつくして撤退の了承を得ようと必死になっている。
また岡崎に入ったのも、岡崎の今川衆が俺たちゃ帰るからあとはよろ、と言われたから。
また氏真に仇打ちしよーぜと出陣の催促もしている、
尤も松平単体では織田に抗せ無いので後ろ盾として今川に動いて貰う必要があったのだが。
しかし、これに応じなかったのは氏真。
まあ、家康も二股をしていた形跡はあるので氏真だけが悪いわけではないが、
家臣、特に外様にとって自分を守ってくれない主君は仰ぐに足りない。

457 :357:2005/04/27(水) 01:26:56
随分スレの流れが早いね
亀レスで申し訳ないが一つだけ・・・

>>360
確かにありえない話ではないが、指揮官戦死で全軍総崩れor撤退といった例のほうが歴史上遥かに多いだろう
家康への忠誠心と勇猛さで知られた譜代の三河武士もこの時期には代替わりを起こして弱体化、家康を嘆かしている
こんな連中を率いて家康を討って士気の上がった(と思われる)大坂方を相手にするのは非常に危険
ここでは話に出てないが、家康が死んだ後秀忠にまで万一のことがあったらどうするんだ?
秀忠は凡愚ではない、そのことは重々承知しているが、
凡愚ではないからこそ自分の軍事能力を過信しなかったし、
戦意喪失著しい部下を率いての強攻策の愚かさはわかるだろう
家康討ち死にで豊臣家が天下を獲るとは思わないが、豊臣家が少なくない期間延命するのは間違いない



458 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 02:08:54
桶狭間の場合は義元本人に限らず、重臣一門も多く討死しちゃったってのがあるからな
逆にここが健在なら当主なんかだれでもいい
長篠で実質的に武田が滅んだのもそこ


大坂の陣の場合はどうかな
家康世代の家臣は大抵死んじゃってるからな
家康まで死んだらあとは小物だけっぽい希ガス

459 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 02:52:18
>>457
最後の天王寺の戦いで家康が死んでも既に大阪方は総崩れじゃない?

おそらく大名たちは家康が死んだことすら知るのに時間かかるし
知ったときは戦後処理あたりかと思う。
例え早く知ったとしても合戦が始まってるのに
家康が死んだ、撤退しようってのは無理
しかも勝ち戦寸前だよ?

460 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 03:13:42
真田・毛利を押し返したのは越前勢だから、これに戦死の報がつたわって崩れればなんとかなったかもしれん
あとパッとしたのは伊達しかいないし

461 :アーロン:2005/04/27(水) 03:27:02
/∴∵∴∵\
                                 /∴∵∴∵∴∵ヽ
                                 |∴(・)(・),∴∴∵ヽ
                                 |/ ○   \∵∵|
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                                 |  __|__   | ∵| < うるせー!
                                 \ ヘ_/   |/   \_____
                                   \____/
                                    (⌒ ̄ `ヽ    _
      ___________________    \  \ `ー'"´, -'⌒ヽ
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  ヽヽ________________ヽ_ //     \____>\___ノ
   ヽ___________________/        /__〉     `、__>

462 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 03:51:59
総大将の家康が死んだ時点で夏の陣は負け戦
徳川配下の諸大名は家康の死を知った時点で
自軍の損傷を如何に防ぐかで頭が一杯、大坂城を落とすなんてとんでもない
家康の死は直ちに真田隊・毛利隊によって豊臣・徳川両軍に喧伝されるだろう
大坂落城後の戦後処理で初めて家康の死を知る?
大名が余程低脳でない限りそんなことは有り得ない

463 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 09:33:19
家康の死が大坂落城後に伝わるというのは、さすがにないな。
討ち取った真田勢はここぞとばかりに全軍にアピールするだろう。
徳川勢は一旦は総崩れになる。

でも一方の大坂城はすでに要塞としての価値はない。
これは徳川勢の出陣に際して家康が「腰兵糧のみでよい」という
指令を出したことからも明らか。
徳川勢がすぐに態勢を立て直すことに成功しさえすれば、
大坂城は再び落城の危機に瀕することになるよ。

いずれにせよ戦力比では依然として徳川方の圧倒的有利なんだから、
あとは本多正信らがその戦機をどう見極めるか否かだ。
太平洋戦争のように緒戦で大打撃をこうむっても
その後物量で押し切って勝利するっていうのは非常にありふれたケースだからな。

464 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 12:34:18
好機到来とばかりに勝手に陣を離れて江戸へ向かって進撃する忠輝。
それを見た忠直も勝手に陣を離れて越前に帰還。本多親子も付き従う。
秀忠が慌てて全軍に江戸への進軍を命じるも外様は冷ややかな反応。
強引に撤退を開始した秀忠に大坂方の怒濤の追い打ち。秀忠軍は敗走。
江戸に秀忠の敗報が流れると、忠輝に付こうとするものが出始め幕府は大混乱。
秀頼自ら出馬して大坂方は団結し、近畿は震撼。
その情勢を見て上杉や佐竹、西国諸国が勝手に軍事行動を開始。
かくして徳川幕府は有名無実化して、再び戦乱の世に。

465 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 13:17:17
>>463
浅野が裏切ったって虚報でも崩れたぐらいだからな

466 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 16:15:53
>>464
無理蟻杉

467 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 17:52:26
>>458
んなこといったら、大坂方も含めて大物なんぞほとんどいないがな。
生き残りは戦国の自生え大名つったら、せいぜい、伊達政宗くらいなもんだ。
小物比べだったら、人望は将軍であり圧倒的最大勢力の秀忠中心に集まるよ。

特に大坂方は、関が原でぜんぜんも政治力発揮してない連中ばっかだしな。
合戦屋ばっかり。たとえ大坂の陣で勝っても周辺制圧する程度で、その後の
政略なんてほとんどできんだろう。



468 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 19:09:56
>>464
一行目からして終わってる

469 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 19:53:45
一度勝って撤退させたら形勢は変わるよ
まして全国の兵を集めておいて負けた日にゃあ

ただ天王寺の合戦でかろうじて勝っても城方もボロボロだからね
又兵衛とか死んでるし
まあ冬の陣でやることやってたら1対10が4対6ぐらいにはなったかも試練



470 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 19:57:20
そもそも家康が死んだとしてもそう簡単に前線離脱は無理だと思うぞ
合戦はもうはじまってるわけだし、後続もいるわけで

越前兵は健在だし圧倒的優勢な前田軍もいる。
一時的に混乱した秀忠軍も前田軍や後詰の義直軍が動けばすぐに巻き返せる。
(事実大野隊は撤退している)
真田か毛利が家康を討ったとしても、もうどっちも戦力としては期待できないだろうし
混戦だから家康討ち死にが全軍に伝わるのも結構時間かかるはず
この時、井伊、藤堂軍は既に動き出して毛利軍と衝突寸前、家康が死んだとしても
毛利隊は史実通り撤退か壊滅だろう。
越前兵が反撃に出てきたら真田隊も同じ事
(このあたりから家康死亡が両軍に伝わると思う)
結局あんまり変わらないかと思うぞ

471 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 19:57:36
>>468
だよなぁ。そもそも、江戸に向かって進軍してどうするつもりなのか?
首府って言ったって、せいぜい諸大名の人質が居る程度でしかないし、
留守の江戸城かっぱらって人質手に入れて立てこもるんじゃ、テロリスト
と同じだよなぁ。将軍と幕府首脳と諸大名が大坂にいる状態で、江戸に
進撃したって孤立するだけだろ。まだ、京都に立てこもって朝廷から
将軍宣下でも受けるほうがよっぽどまともな選択だわ。

どうも、西軍厨という以前に>>464は戦略ってものもが理解できてない
ようだな。


472 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 20:54:44
>>464の内容が出来るとは思えんが、家康が死んだ状態で、
江戸及び関東を襲撃されて占拠されたら、関東を根拠地にして、
江戸に家族を住まわしている者が多い秀忠の軍は瓦解するだろう。
人質を取られた諸大名や譜代・旗本等が忠輝につくかもしれないし、
人質は秀忠の所には居ない、おまけに根拠地を失った
秀忠に着いて行く奴が居るのかもあやしい、むしろ秀忠が孤立する。

どちらかといえば京都に立て篭もった方が意味無いと思う、仮に将軍宣下されても、
箔が付くだけで実行力が伴わないので意味が無い、
せいぜい大坂で大軍抱えてる秀忠に囲まれてボコボコにされるのがオチ。

473 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 20:56:18
つまるところ冬の陣で講和したのが何より悪い
あと大和攻撃とか意味わからん

474 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 21:01:36
ifにifを重ねちゃうことになるけど、
昌幸が言い残したって言う「瀬田を抑えて云々」ってのはどれぐらい戦術的に有効だったんだろう?
東で踏ん張るのはいいけど池田とかが攻めてきたらどうすんだ

475 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 21:42:40
>>472
それは無理。末端を押さえてもしょうがない。中枢を潰さないと何もできない。
これは、戦略の基本。
このIfの場合、もっとも有効な戦術は、混乱に乗じて秀忠を殺すか、もしくは、
秀忠の身柄を拘束してしまうこと。できれば、秀忠の身柄を拘束して、その名で
一気に徳川勢力を大名を掌握する。用済みになった時点秀忠は、蟄居させ毒盛り。

もっとも、これをやられると、西軍が勝てないか。

476 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 22:48:20
>>475
江戸及び関東は徳川を支える最も大事な地盤、徳川の中枢も中枢だよ。
秀忠やその側近達はその地盤あればこそ力を発揮できる訳、
人だけでは何も出来ない、確固たる地盤と結びついてこその組織。
つか、戦略を語るんだったら根拠地を奪われる事の大きさ位分るだろう、
権威は失墜し、諸大名からとっていた人質や旗本・譜代の家族さえ忠輝の手中に収まる、
当然ながら軍の維持さえ困難な情況に陥る。

477 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 23:13:35
そもそも家康が死んですぐに忠輝が秀忠に反旗を翻すだろうか?
いくら秀忠と上手くいってなかったとしても既に家康=秀忠の後継者ラインは10年以上前に確定してるからね
いまさら家康の後継者に名乗りを上げたところで諸大名の賛成は得られないことぐらい忠輝もわかっているだろう
家康死亡後に豊臣家と和睦しようとする秀忠・正信に愛想を尽かしさっさと領国に帰ってしまうor勝手に豊臣家に攻撃して大損害
これぐらいならやりそう

478 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 23:49:56
長く続いた戦乱で武士も庶民も平和を望んでいるから、徳川政権の転覆は無理。
やる気たっぷりなのは一部の死に場所を求めてる奴くらい。

479 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 00:45:55
>>477
江戸に進撃、というのは流石に無いと思う。
しかし、天下を伺うというモノではなく、危機回避的に反旗を翻す事は有り得るだろう。
忠輝は家康から随分冷遇されてた、松平性のままだったり、
弟の義直・頼宣に官位で抜かれたり、明らかに徳川幕府の中心から遠ざけられてる。
そして冬の陣では留守番役に不満たらたら、夏の陣では秀忠の旗本無礼討ち、
ちょっと考えれば戦後自分がどうなるか位想像つくだろう、
現実では徳川は磐石だったため全く動けなかったが、チャンスが来れば、
自己防衛に動いてもおかしくない。

同じ意味では忠直も、少し考えれば自分の立場の危うさは分るだろう、
忠輝程ではないが可能性はあると思う。

480 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 00:48:53
忠直も忠輝も幕府から家臣送り込まれてるのでおいそれと謀反出来ません。
彼等は忠直や忠輝個人に忠誠を尽くしてるのではなく、徳川家、幕府に従ってるのだから・・・。

481 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 01:01:28
その最も忠誠を誓ってた家康が死んだというifだからね、だからチャンスな訳、
それに忠直・忠輝が破滅すれば家臣連中も終わり、大半が浪人になり路頭に迷う。
あと、忠直は父である秀康が召抱えた家臣も多数いる。

482 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 01:14:21
忠直忠輝の上位の家臣は徳川幕府から派遣。
浪人にはなりません、チャンスの意味もわからん。
取り潰された徳川親族の大名家の家臣の行く末を調べたらよろし。


483 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 01:17:10
忠直・忠輝「謀反起こすぞ」
家臣「へへーっ、殿に従います」

家臣も一致団結して謀反に参加
こんな都合の良い展開を希望してます

484 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 01:43:12
忠輝や忠直が謀反するとすれば

家康戦死→秀忠遁走→忠輝or忠直が大坂落として秀頼の首落とす

これぐらいのラッキーコンボが起きて、それで秀忠株が暴落して
忠輝or忠直株が急上昇して、譜代や外様の支持を取り付け
さらに、もう一回ぐらい政策上でもいいので秀忠が失態起こす

これぐらいで、謀反起こすのにもすんなり行きそう

485 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 01:44:28
>>482
ほんの一握りの上位だけな、当たり前だがそういう連中は排除しにかかるだろう。

486 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 01:53:35
>>485
へー、国政の実権握ってた幕府派遣の重臣排除して謀反ですか。
江戸襲撃どころか、途中で自壊しそうな謀反ですな。


487 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 02:05:27
そもそも忠輝や忠直が、大坂で家康戦死したからと言って謀反を起こした場合、
誰がそれを支持するのだろうか?

家臣?まさか、親や兄に対する不忠と諫められ、密告され、見放されるのがオチ
譜代?まさか、家臣以上に味方しない、謀反起こす大義名分すらないのだから
外様?こっそり支援はするかもしれない、しかし表立っての味方は皆無だな、我が身が大事

結局は、強引に謀反しても、家臣に裏切られるかして自滅っぽい

488 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 02:13:49
>>487
大義名分なんて関係ないようだよ、家康の死さえチャンスと言うのだから。
家臣も浪人になって路頭に迷うから、忠輝や忠直に賛同するらしい。>>481

489 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 02:38:06
なんで忠輝・忠直の謀反に本多親子が追従することになってるんだ?
息子はともかく親父の方はそうそう軽率なことはしないだろ?



490 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 03:24:03
>>479
忠輝が松平姓なのは格下だからなわけじゃないが
冷や飯食いになるところを長沢松平の家継いで大名にしてもらってるじゃん

491 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 04:28:56
松平忠輝に関しては舅の伊達政宗の動き次第かね
さすがに忠輝も単独では秀忠に反抗できまい
政宗が本多親子に敵対する武断派の譜代・大久保派の官僚たちを纏め上げて
「軟弱な秀忠頼むに足らず、家康様の跡継ぎは是非忠輝に」という空気を
幕閣の間に作り上げることができたらもしかしたら、ね
まあ百戦錬磨の政宗がそんな危険な賭けに乗るとは思えないし、
いくら当時の幕府の内実が紛糾していても外様の調略にみすみす踊らされる三河武士ではあるまい
いずれにしても忠輝造反は成功の可能性が著しく低いと言わざるを得ない


492 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 08:24:16
忠直なら成功の可能性はある。
合戦は滅法強いし、秀忠の兄である秀康の子ということで、正当性をアピールしやすい。

493 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 12:44:02
ただ二つほど欠点がある、忠直には。
一つは家康公認で譜代・外様に認めているのは秀忠であるという事と、
秀康は二回も他家に入っていること。

特に後者はその時点で嫡流ではない事が公にされてしまっている。
特殊な事情があれば多少は薄れるだろうが、無くなりはしない。

494 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 12:56:19
>>491
その政宗が秀忠と忠輝のどちらに付くかと考えると、秀忠だと思う。

495 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 19:05:14
>>486
江戸襲撃なんて一言も言ってないけど?
あくまで自己防衛的に、まずは自領に依って独立する可能性はあるだけ。
国政の実権を握ってた人物を斬るなんて、信雄でさえ三家老を斬ってる、
忠輝は広照との一件もあり、国政の実権を握られていたかも疑問だ。

>>487
密告しても意味ないな(せめて暗殺位しなければ)、徳川幕府が万全なら取り潰しもあるが、
家康が死亡して、大坂方が健在なら、混乱を鎮める為に秀忠はしばらく動きをとれんだろう、
おまけに軍事的な才能が皆無なので、その後もまともに動けるかは分らん。
大坂の陣でも無様な様子を見せた秀忠を見限る連中が出てもおかしくはない、
嫡子として認定されてから10年以上たった後でも、関ヶ原の大ポカで重臣会議を開かれてるしな。
忠輝の舅は伊達政宗、外様連中に働きかける事も可能だし、
天下の諸侯を集めての一大決戦に敗れ、最も怖い家康が死んで、
後を継いだのが軍才皆無の秀忠、外様連中もそのまま素直に従うかは疑問だね。

496 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 19:22:45
>>493
けど秀康は二回も養子に出されたにも関わらず、
関ヶ原後ではなお後継者として推されてる。
養子はあんまり問題では無いだろう、むしろ家康の意向が大きい。

しかし秀康の子供って忠昌・直政と軍事面に才能あるなぁ、
やっぱり父親に似たのかな。

497 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 19:51:49
ゲーム脳的発想はどーにかならんのか?

498 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 20:27:56
>>495
自己防衛的に自領に拠って独立する可能性?それは0ではいが、限りなく0に近いが。
信雄が切った三家老の一件と忠輝とを同じと考えてるとは厭きれるが、
それ以上に皆川広照との一件ってなんですか?
まさか小説ネタからではないでしょうね?

つか冬の陣のどこが一大決戦なのか、小一時間(ry

499 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 20:47:21
冬の陣ではなく、夏なのね。

皆川広照は改易にされたが、それも幕府の裁定があってからこそ。
重臣との対立があったのは、紛れもない事実で、改易になった時も
結局は重臣等からの素行不良の届けがあったから。
ちなみに、皆川広照等が改易になった時の真相は未だ不明。
現在わかってるのは、訴えた皆川広照と松平清直は改易、山田重辰は切腹。
訴えられた忠輝はお咎めなし、これだけ。

重臣との溝が深い事を表してるだけで、信雄の件と並べるとは噴飯物。

500 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 20:47:30
>>498
皆川広照は忠輝の傳役で、忠輝の家臣の筆頭だったと言っていい人物、
だが忠輝が成長してくるにつれ忠輝と不和になり、
広照は忠輝の行動を家康に訴え出るも、逆に改易される。
つまり忠輝は既にそういう人物を排除してる訳、
これで実権が全く無いとかちゃんちゃらおかしい。

家康・現将軍の秀忠の二名が出陣、
以下には忠直・忠輝等の親藩や、譜代・外様を動員する総合で20万以上の大軍。
これで家康が討ち死にで敗れれば、一大決戦に敗れたと言わずなんと言うかね。

501 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/28(木) 22:57:16
>>500
>>499で述べたが、忠輝が排除したのではなく、幕府によって重臣が排除されただけ。
後の改易の一件も重臣からの訴え、それだけ忠輝は素行に問題があり、家臣掌握できてなかった証明でもある。
この状態で忠輝が謀反起こせたというのはちゃんちゃらおかしい。

しかも忠輝が成長してくるにしたがって???
忠輝の普段の素行が問題であり、それが数々の問題になってるだけ。
そんな人物が家臣纏めて独立?家臣掌握して国政の実権握ってた?

大坂夏の陣をよく調べましょう>20万以上の大軍。
大坂からすれば一大決戦かも知れんが、幕府からすれば、ただの掃討作戦。


502 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 00:12:21
>>501
何故家康が忠輝を諌める&罰するという方向へ動かず、
逆に訴え出た広照が排除されたのか、そもそも何故訴えなければいけなかったのか、
分っていないな。この内紛は結局、成長して自己決定能力を持つにつれ、
広照の言う事を聞かなった忠輝との主導権争いが原因。
要は広照の訴えた忠輝の行動の問題点が説得力に欠けており、
内紛に過ぎないと明らかだから逆に広照が罰された訳。
しかもどっちであれ、結局は幕府付きの家臣の筆頭が排除された事実には変わりない。

後の乱行は秀忠との不和と、冷遇が原因で起きたものあり、
大坂の陣前後での忠輝の行動の問題点もハッキリしている、
訴えの内容さえハッキリしない広照の一件とは明らかに異なっている。

それより君は人の話を聞く事や、前提条件見る事を覚えた方がいいですよ、
>家康・現将軍の秀忠の二名が出陣、
>以下には忠直・忠輝等の親藩や、譜代・外様を動員する総合で20万以上の大軍。
>これで家康が討ち死にで敗れれば、一大決戦に敗れたと言わずなんと言うかね。
これが読めないんですか?ifの話をしてると理解できないんですか?
それとも↑の様な状態になっても、「大坂の陣は掃討戦に過ぎない」とか言ってるんですか?

503 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 00:27:36
>>502
>この内紛は結局、成長して自己決定能力を持つにつれ、
>広照の言う事を聞かなった忠輝との主導権争いが原因。
>要は広照の訴えた忠輝の行動の問題点が説得力に欠けており、
>内紛に過ぎないと明らかだから逆に広照が罰された訳。
ほう、この訴えの裁定内容すらわからないのに、こう言い切る根拠はなにかね?
わからないから真相不明と、俺はわざわざ書いてるんだが。

君には具体的な訴訟内容や経緯が詳細に書いてある史料が存在してるようなので
きちんと説明してね。

>後の乱行は秀忠との不和と、冷遇が原因で起きたものあり
嘘つくな、忠輝が改易受けたのは大坂で秀忠の旗本を手打ちにし、朝廷への戦勝報告に出席せず
夏の陣でまともに功績挙げなかったからだ。
だから翌年に伊勢に流されてるだろ、不和と冷遇の所為にするなよな。

夏の陣では20万以上もいませんし、夏の陣時点では既に掃討作戦に過ぎませんが?
大坂にとっては一大決戦だがね。
掃討作戦で家康が死んだからと言って、それは掃討作戦に失敗して家康が死んだのであって
幕府がこれを一大決戦だと認識してたという風にはなりません。
理解できますか?

504 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 00:35:18
まあねえ、家康が討ち死にしたらなんていう、
無茶苦茶有利な仮定を前提にしても、それでも大坂方に勝ち目なし、
なんていう結論では承服できないという気持ちも分からないではないが。
しかし、実際に大坂と幕府の実力にはそのくらいの圧倒的な差がついてしまっていたんだよね。
現に家康が討ち死にしたらという仮定も、
その上さらに忠輝や忠直が謀反を起こしたらという仮定まで付け加えなければ、
勝ち目は出てこないわけだからね。

505 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 00:50:24
大坂方の勝ち目って何だ?
家康討ち死にで豊臣家に再び天下が転がってくるとは思わないが
総大将の家康を討ち取った時点で戦術的には大坂方の勝利と見て良いだろう
少なくとも夏の陣で豊臣家が滅びることはない
それは忠輝や忠直が謀反を起こすか起こさないかには全く関係ない

506 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 00:57:19
>>505
勝ち目がないってのは、
最終的に豊臣家は滅ぼされるだろうって意味です。
仮に家康が討ち取られても、秀忠が体制を引き継いだなら、
結局豊臣は滅ぼされる公算が極めて高く、つまり勝ち目はないってこと。

というか戦術的勝利だったら、
史実でもいくつかの局面でそういえる状況は結構あったと思うよ?
全く無駄だったけど。

507 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 01:01:11
というか、今の謀反が云々という話は、
秀忠がすんなり後を継いでしまえば、
結局大坂方圧倒的不利と言う状況に変わりはないという意見に対して、
その反論として、いやきっと謀反が起きる、
という意見が出たのが始まりだったと思ったが。

508 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 01:06:51
>>507
そそ、謀反起きる条件があまりにも乏し過ぎるのに、
無理やりにでも起こさないと幕府に亀裂入らないから。
だから約1名が必死なんですよ。

509 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 01:08:49
ようするに家康は秀吉や信長のような天才じゃないから
代わりがいくらでもいると

510 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 01:12:03
>>503
嘘も何も、>秀忠の旗本無礼討ち
これが秀忠との不和でなくてなんのなの、それ以前から松平性のままで、
官位まで弟達に追い抜かれるのが冷遇でなくてなんなのか。

そうだな、20万は居なかったな、15万に訂正。あんまり変わらんけどな。
けど君はアレだな、総大将討ち死にで敗走、これが「掃討作戦で死んだだけ」とはね。
上のようになれば冬の陣自体は豊臣方の勝利で終わる、
そうなれば幕府も、世間の認識も変わってくるというのさえ理解できないとは…。
大坂の陣が“掃討作戦”という認識で終わるのは、歴史通りに勝利を収めた場合。

511 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 01:13:21
一人の独裁者によっての超強力な中央集中政権の崩壊っぷりを目の当りにしてるからね。

512 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 01:27:09
家康は凡人

513 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 01:28:48
>>508
俺以外のスレも見られるから、他にも人が居ると思うけどな。
まあ自分以外の意見の持ち主を一人に限定したいと思うのは理解できるけど、
そういうのはあんまり感心しないな。

幕府の不和は既にいくつか挙げれてる様に、顕在化してないだけで幾つもある。
駿府で実際にに諸大名に采配を振るっている家康と、
その側近である本多親子と秀忠側近・武断派との対立、
軍事的には才能が皆無といっていい秀忠、かつては将軍候補だった秀康の子である忠直と、
舅に伊達政宗を持つ、秀忠に反抗的な忠輝、関西に押し込めた不穏分子かもしれない諸大名達、
家康に危険視されてるかつての豊臣恩顧。
これらが幕府にとって不穏分子であるから、家康やその死後には秀忠が、
豊臣恩顧・忠直・忠輝等を処理していった訳だよ。

514 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 01:29:33
>>510
>これが秀忠との不和でなくてなんのなの
どう不和で切り捨てたのか?説明よろしく。
忠輝の前を秀忠の旗本が2人ほど(と言っても旗本だから従者いれたら・・・)
騎乗し追い越したので切ったというのはわかってる。
これを「秀忠との不和」で切ったときちんと証明してね。
他にも冬の陣の江戸留守居に中々出てこなかったり、これを秀忠だけの不仲と取るの?


>、それ以前から松平性のままで、 官位まで弟達に追い抜かれるのが冷遇
しょうがないじゃん、長沢松平継いだのだから。
下3人は養子に行かずに御三家となったのだから徳川家。
兄の忠吉から考えれば、出世は早い方で、それほど冷遇でもなかった。
それからは、自身の行動の結果だ。

つか、夏の陣の話してんのか、冬の陣の話してんのか?
>>503は答えられず無視ですか?自分の常識が史実だと思い込んでるの?

515 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 01:40:34
>>513
>本多親子と秀忠側近・武断派との対立
大久保事件は大坂陣以前。この大坂夏の陣の時には「武断派」というのは既に存在しません。
つか、武断派とは誰の事ですか?秀忠側近との対立とは具体的に誰?

>将軍候補だった秀康の子である忠直と、 舅に伊達政宗を持つ、秀忠に反抗的な忠輝
忠直は将軍候補になってませんし、忠輝は秀忠ではなく幕府そのものに反抗的だっただけ。
とはいっても、子供が駄々捏ねる程度の反抗。

>関西に押し込めた不穏分子かもしれない諸大名
関西に押し込めた不穏分子の諸大名とは?

>家康に危険視されてるかつての豊臣恩顧。
両加藤、福島?

>これらが幕府にとって不穏分子であるから
忠直も忠輝も自業自得、豊臣恩顧が処分されたのには依存無し。
でも、それが家康戦死で一斉に立ち上がるというIFには直結しませんがね。

516 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 01:49:53
>>514
15万って言ってるから冬じゃない?
しかし言っていることがめちゃめちゃだな、
冬の陣ってそもそも幕府方、否家康は一度危機に陥ってないんだよね。
攻めあぐねたのは事実だが、だからこその講和→堀埋めのコンボだったわけだしな。
とりあえず、その支離滅裂を何とかしていただきたい、510さん?

517 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 01:53:48
>>514
ああ、上の部分見落としてたスマンね、冬の陣は夏の陣の間違い。

推察だよ、当初広照が忠輝付となったのが12歳の時、まだ意思決定能力も無い子供の時、
当たり前だがそんな子供が国政を見れるわけ無いので、広照が見てた事は容易に推察出来る、
で、広照が失脚したのはその十年後、忠輝22歳の時、既に意思決定能力を持った大人である。
まず訴えの内容が不明確であり、ただ不行跡という言葉しか残っていない。
しかも訴えた筈の広照が逆に家康の怒りをかって罰せられる、
もし忠輝の乱行が本当なら、有り得ない自体、
それ以前に訴えただけで改易という自体が通常ではない。
まあそんなに忠輝のご存知なら、大坂の陣以前に挙げてみれば?
まあおまけに↓だしな。、
>しかもどっちであれ、結局は幕府付きの家臣の筆頭が排除された事実には変わりない。

まず忠輝は冬の陣では留守番役に不平不満言いまくり、
秀忠の先鋒が自分を追い抜いたという理由で無礼討ち、
戦後は秀忠の承諾も得ずにさっさと帰国、これで不和でない、というのが無理だね。

しょうがない、ですめば世の中誰だって不満は持たんさ、
そもそも養子に出される事自体が不満の一つであろう、
そして自分ではなく、弟達が徳川の中枢に座るのだから、当然の如く不満を持つだろう、
兄の忠吉は生まれた、生きた時代が違うでしょ、オマケに早世してるし。

518 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 02:07:32
>>506
それならまあ話はわかる
夏の陣で豊臣家が滅びなくても、十年以内に滅亡していた可能性が高い
ただ、夏の陣での家康殺害(所詮ifだけど)が他の大坂方の局地的勝利と決定的に違うのは、
敵の総大将を討ち取ることによって、大坂方は一時的に
戦略面での不利をちゃらにすることができるということ
この時代総大将が戦死した時点で戦は負けと言い切っていい

>>515
武断派とはこの場合大久保彦左衛門や渡辺半蔵のような三河以来の家康の譜代のことだろう
この時代の家康の政権の中心は本多親子や天海・崇伝のような胡散臭い(と古参は見ている)連中が占めていた
当時の影響力はほとんどなかったとはいえ、古参の譜代の不満は確実に存在した
あと毛利やら島津はこの時代徳川幕府に恭順していたとはいえ、
依然として気の抜けない勢力であるのは間違いない


519 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 02:15:17
ていうか>>513のレスには別に突っ込みどころはないと思うけど
当時の幕府が後世言われるような盤石な体制でなかったのは周知のことでしょ
家康戦死で忠輝・忠直が同時に秀忠に造反するとか言う話よりずっとわかりやすい

520 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 02:33:04
>>515
>忠直は将軍候補になってませんし〜
そこに係るんじゃなくて、将軍候補だったら、は秀康に係る。
秀忠が将軍である以上、幕府への反抗は秀忠への反抗であるし、逆も同じ。
大した事無かったのは、結局幕府が磐石だったところが大きいでしょう。

>大久保事件は大坂陣以前〜
以前どころか1613年、忠隣失脚は1614年だから、直前と言って良い、
武断派(というよりは武断派だった勢力というべきか)と関連深かったのが、
忠世・忠利・利勝・重信・忠元・正就・田政・利政、等だと思われる、
上記の人物は、忠隣と絶交するように誓詞を書かされてる。
秀忠の側近とは土井・酒井等、本多正純の改易事件とかあるしね。

>関西に押し込めた不穏分子の諸大名とは?
島津・毛利とか、まあこっちも殆ど警戒してたと見ていいんじゃないかい、
関東系大名に比べ、なにかと労役を課せられてたし、力を削ぐ狙いが大いに見える。
家康死去の際も、西国大名を強く警戒したという話もあるし。

>家康に危険視されてるかつての豊臣恩顧。
両加藤、福島もそうだし、黒田長政なんかも留守番役だから警戒されてたかもね、
その後改易された豊臣系大名の殆どが警戒されてたと言っていいんじゃないかな。

忠輝はともかく、忠直は大坂の陣後でも加増が無く冷遇されたし、
参勤交代で不手際を見せたが、改易とまでは行き過ぎの感はある、
乱行沙汰も後世の作り話が多いし。

521 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 02:46:00
皆川広照は与力大名であって家臣でも付け家老でもないのでは?
あの騒動に一枚かんだのは事実だけど

522 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 03:25:27
本多親子率いる駿府の家康の側近達と、大久保忠隣率いる
武断派(一応こういう呼称で)&秀忠の側近達との確執はかなり根深い。
既に周知の通り、徳川の後継者を話し合った重臣会議の際に、
秀康を推した正信、秀忠を推した大久保忠隣、
ここから既に対立が始まっていると言っていいだろう。
特に武断派の中でも忠勝・康政は正信を蛇蝎の如く嫌っていた。

その後秀忠付きの補佐役となった忠隣は江戸総奉行になったりする、
しかし大御所政治が始まると、駿府から江戸に正信が派遣され、
駿府の正純―江戸の正信ラインが駿府に居る家康の意向を反映させていた、
この時の本多親子の権勢は凄い物で、佐渡殿が〜という有名な言葉や、
駿府から正純の書状の多さからも分る、当たり前だが秀忠の側近はおもしろくなかっただろう、
で、しばらくして大久保長安事件・忠隣失脚が起きる訳だが、
その前に本多親子の不祥事が出た岡本大八事件が起きる、一旦は窮地に陥る訳だが、
次の年に大久保長安事件や忠隣の不祥事が起き、一挙に逆転して忠隣一派が改易される訳だが、
本多親子の不祥事は咎めれず、そのまま権勢を確かな者にした、元々正信を家康にとりなしたのは
忠世であった(らしい)ので、オマケに恩を仇で返した形、これには納得いかない人物も多かっただろう、
(亀姫なんかが激怒していたようだが)それの解決に家康が誓詞まで取ったりした。
そしてその不満が家康死後に正純失脚という形で出るわけだが、釣り天井という言い掛かりや、
失脚のプロセスが忠隣失脚のプロセスに似ており、意趣返しも見え、確執の深さを伺わせる。

523 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 03:36:36
>>521
皆川広照は忠輝の傳役だったらしいので、家老なんじゃないの?
特に家康に訴えたくらいだから、単なる与力というのも無いと思う。
ただ忠輝が信濃1川中島14万石の時に、信濃飯山7万5千石という、
忠輝に対すれば分不相応な領地を持ってるので与力という見方も出来るが、
その後越前まで付いて行ってるみたいなので、やっぱり家臣ではないんじゃないかな。

524 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 03:37:11
>>506
冬の陣・夏の陣に続く三度目の幕府による大坂遠征も上手くいくかどうかわからないけどね
1615年に徳川家に臣従していた大名がこぞって豊臣家につくとは思えないが、
なんだかんだ理由をつけて出兵を渋る大名は出るだろう
時代は違うが、二度の大坂遠征失敗は幕末の長州征伐失敗のように幕府の権威を失墜せしめるのに十分
冬の陣の後に埋め立てられた堀や破却された二の丸・三の丸も復活してるだろうし、
幕府が攻めあぐねるのは間違いない
ていうか家康が二十万の大軍を率いて落とせなかった大坂城を、
秀忠がそれより少ない兵で落とせるとは到底思えない
もう一回淀殿を騙して堀を埋め立てるつもりかね?


525 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 03:40:17
>>517
推察とは推論する根拠があって成り立つもの。
>訴えの内容が不明確であり、ただ不行跡という言葉しか残っていない
そう、だから家康が怒ってとか、忠輝と広照が対立したとかいうのは、何の根も葉もない話。

>それ以前に訴えただけで改易という自体が通常ではない。
はい?江戸幕府の訴訟とか調べれば?まだ軽い方ですが。 

>しかもどっちであれ、結局は幕府付きの家臣の筆頭が排除された事実には変わりない。
それも幕府の力でね、忠輝の力で排除出来た例はありませんよ?理解出来てますか?
君は織田信雄と一緒としてるのですよ?

>まず忠輝は冬の陣では留守番役に不平不満言いまくり
で根拠は?忠輝が留守居に中々来なかった、伊達政宗が説得した、これのみ。
留守居に不平不満言いまくってたのは何の史料によってでしょうかね?

君の忠輝が幕府に、秀忠に不満があったなんてのは、勝手に忠輝の不素行の理由に想像してるだけで
実際に忠輝が秀忠に対して不満を述べてるものは何一つない。
小説の読みすぎでは?

実際には忠輝は冷遇もされてなく、長沢松平継いだ後も
秀忠の名代として大坂に出向いたりしてるし、官位も順調だった。
弟たちに抜かれたのも、1616年で忠輝失脚以後の話。
自分の失態で失脚して自滅したから、弟が政権支える御三家になったんだよ。
よーく勉強しようね。

526 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 03:41:39
結論として自分の個人的な家康戦死のifストーリーは、
秀忠による幕府と豊臣家との宥和政策で決着する
おそらく第三の大坂出兵はないだろう
豊臣家を潰せない以上、他の有力な外様大名も無闇に改易できないし、
幕府の政権も現実よりずっと脆弱なものになる
おそらく史実のように260年も持たないだろう
鎌倉幕府や室町幕府のように100年程度で無力化するのではないだろうか?
そこから先のことはわからない

527 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 03:53:32
あー、ちょっとまってね
>>524
>冬の陣の後に埋め立てられた堀や破却された二の丸・三の丸も復活してるだろうし、
簡単に元に戻せるものかどうか考えればわかるはずだが。

528 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 03:59:51
>>524
冬の陣を失敗と言ってしまうのはどうかと思うが、まあそこはいいや。
日和見にでる大名が出るという見解は同意。
徳川方は巻き返しを謀るだろうが、しばらくは防衛で手一杯かと。

ただ豊臣方も大変と言う点では一緒。
大坂の修繕、堀を掘り返したり、破却された二の丸・三の丸を修繕するには
徳川が堀を埋めて二の丸・三の丸をぶっこわした数倍の労力と金が必要。
また浪人衆を処分するならまだしも、そうでないなら喰わせて逝かねばならないし、
軍事物資の費用も兵数云万となれば莫大な金がかかる。
太閤の遺産が莫大とは言え、こんなに出費を繰り返していたら底が見えてきそうだが。
しかも金がかかるという理由で浪人衆を粗末に扱えば後が恐いしな。
攻めるにしても、守るより攻める方が難しいし、
五万の兵站を維持できる軍官僚が大坂方にいるとも思えない。
もう何度も言われているが、内部抗争の火種をもろに抱えているしな。

徳川・豊臣共に余力は無いと見る、
ただ体制を早く立て直せるのは、徳川だろう。

529 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 04:51:52
>>527
夏の陣で家康が死んだと仮定する場合の話しでしょ?
もちろん堀や二の丸・三の丸の復旧に時間と金がかかるのはわかるが、
それまで徳川は動けないだろうと自分は見てるが

530 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 05:19:19
・・・確かに軍資金の問題は大坂方にとって頭が痛いね
夏の陣直前に大野修理が退出の前に功労金をせびろうとする浪人を
「そんな金はどこにもない」と一蹴した話が伝わってるくらいだし
夏の陣の後に豊臣家に有利な条件(領土の割譲や賠償金)で和睦できればいいけどこれも少し難しいかね
話は変わるがifとは言え方広寺で無茶な言いがかりをつけ開戦して冬の陣の和約を破って内堀を埋め立て、
倍以上の兵隊を率いて大坂城を落とせず挙句戦死する家康って相当格好悪いな
コーエーのゲームの能力値も三割引になりそう


531 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 05:49:20
なるほど、兵站の問題があったか。
豊臣家はたった67万石しかないわけで、それで5万の浪人を食わせていくのは
事実上不可能だなあ。
2〜3万で精一杯。それ以上兵力が多くなり、戦陣が長引くと、軍資金が空になるね。
領土の割譲や賠償金も、まずふんだくれないだろうしな。
財布が空に近い状況で、大坂城の修理なんてできるのか?

大坂方が和睦以降も上手くやっていくとすれば、
・5万人を養うだけの領土を武力でもって奪い取ること。
・浪人たちに十分な恩賞を与え、不満のないようにすること。
こういうことをしっかりとやった上でないと、成立していかないな。
特に浪人たちなんて恩賞目当てがほとんどなんだから、
この対策に失敗すると大坂は内部崩壊する。

532 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 06:21:22
大坂の陣がそもそも豊臣家にとって防衛戦で、
勝ったからといって領土が増えるわけじゃないのが難点だね
小大名が割拠する大和なら夏の陣の後勢いを持って奪い取れるかもしれない
もともと大和は秀長の領土だったし、寺社勢力は淀殿の寺社再建のおかげで豊臣家に対して好意的
実際に大坂方は大和郡山城を落として城主筒井定慶を自害に追い込んでいる
それでも余程上手にやらなければいけないが・・・


533 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 16:23:47
>>532
うーん、そこまで積極的にいくかな?
それこそ三度目の大坂遠征が起きると思うよ。
放置したらそれこそ幕府も見限られるし
俺的には一旦和議して幕府がいろいろ要求して断ってまた戦って感じ。

534 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 16:33:15
>>525
広照が忠輝を訴えてるのに、両者は対立していない、と?
訴え(これが正当なら)たのは、家康が忠輝に付けた家臣で傳役だった人物、
これが逆に改易された事態を通常とみなせるとはねぇ。
しかも信雄の件を誤読してるな、信雄でさえ、秀吉と対決するにあたり、
三家老を切った訳、幕府付きの高官がいるから絶対失敗する、という事への反論だよ、

命令されても動かず、政宗の説得があってやっと動いたのを、
不平不満に見えないのかい、なんで動かなかったと思ってるんだよ。
そして家康が忠輝の事を、「あいつの考えてる事は分らん、異心を持ってるかもしれない」
と疑い、旗本無礼討ちを秀忠が激怒してるので、二人の不和を心配してた事も知らんのか、

>弟たちに抜かれたのも、1616年で忠輝失脚以後の話。
なんだがっかりした…、義直・頼宣が1611年に権中将になってる事も知らないとは。
あまりに醜さに、棄てろと命じた話さえ残ってるのに、冷遇されてないとはねぇ…。

535 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 16:58:39
俺も和議は無いと思うな、大御所が討ち取られて、
秀忠が和議でも結ぼうものならそれこそ周りから見限られると思う。
やっぱり三度目の大坂遠征が起きるんじゃないかな。
秀忠にとってのベストは、家康が死んでも諸将を纏め上げて、
そのまま攻撃続行だと思うけど、家康が死ねばちょっと厳しいかな。

536 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 17:46:55
>>534
訴えたら対立ですか?改易されたら通常じゃないとは幕府の訴訟問題ぐらい調べたら?
信雄と違って、忠輝は幕府から派遣された家臣しかいない事実。
しかも越後高田に加増されたのは1610年と日が浅い、しかし信雄が切ったのは
北畠に入ってから延々と信雄に仕えてた家臣。
反論にもなってないのだが?忠輝の家臣はいない、いるのは徳川家からの家臣だけ。理解できてないね。

つか、変な小説読みすぎで不平不満があったと既成事実みたいに語ってるが
それを裏付ける史料は何もなし。
説得の一件でさえ、幕府や秀忠に不満があったとするより、大坂行きではなかったのが不満と見るべきですが?
しかも講談ネタを史実に取り入れますか?
>「あいつの考えてる事は分らん、異心を持ってるかもしれない」
これは何に書いてあるのですか?君は嘘でも真実っぽく語るが、史料名を出さないね。

>1616年で忠輝失脚以後の話。
これは失敬、慶長16年と混同してたな。

家康が捨ておけと言った逸話だとか、それも講談話。
忠輝が冷遇されたと言うより、忠輝が単なるボンボンだっただけ。
だから大坂以前以後も軽率な行動多く、それが広照改易にも出てる訳だが。
この時に忠輝が正しかったと見るより、徳川家親族が忠輝以外におらず(下3人は幼すぎ)
傳役だった3人が忠輝の行動の責を追わされたと見るべきだろ。

大坂夏の陣では、大和口を受け持つという待遇さえ受けてるのに
やった事は秀忠の旗本を無礼打ち、道明寺合戦遅参、天王寺合戦で首一つ挙げられなず手柄なし。
戦勝報告では参内せず舟遊び、挙句に勝手に帰国。
なのに忠輝は冷遇されたから、反抗した?

違うね、あまりに素行が悪いから政権支える立場から外され、チャンス貰いながら活かせず
逆に怒りを買う行動とって、蟄居改易。
忠輝は我儘な世情を知らないただのボンボン、徳川一門だから我儘が通用すると
行動しただけ、せめて小説ネタやめて史料的裏付けがあるもので反論欲しいね。

537 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 18:39:40
>>536
訴えてるのに対立してないとは、ちゃんと考えてるのか?
広照の件はその過程が尋常で無いと言ってるだろ、
分った、じゃあその幕府が付けた傳役だった家臣が、主君の乱行を訴えたが、
主君はお咎めなしに終わり、逆に訴えた側が改易で終わった例を挙げてみてくれ。
忠輝の家臣は居ないって、長谷川正之とか知ってる?
元々居た長沢松平家の家臣達は何処へ行ったのかなぁ?
全員が全員、忠輝失脚しても幕府に引き取ってもらえたと思ってるのかな?

棄てろという話も、>「あいつの考えてる事は分らん、異心を持ってるかもしれない」
という話も一代記に書いてある。

だから何度も書くけど、弟達は徳川性を許され、自身は許されず、
官位でも弟達に抜かれて、十分大坂の陣までに冷遇されてるだろ、
将軍の命令への不満はそのまま秀忠や家康への不満に繋がる、
そして秀忠の旗本を無礼打ちで秀忠との不和が決定的になった、
その後の行動はこの不和が原因で起きたものだろう。

お前は、絶対に忠輝は不満なんか持ってない、と固執し過ぎだな。
官位の件も冷遇されてた証拠なのに、勘違いで済ませるだけとはな…。

538 :可児 ◆O7LZYf7ocs :2005/04/29(金) 18:58:03
なにこの知ったか集団wwwwwwwwww

539 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 19:12:40
>>537
では、どう対立してたのだ?真相不明なこの件の過程が尋常じゃないとは?

>訴えた側が改易で終わった例を挙げてみてくれ。
広照は与力付けなので改易だが、訴えた側が罰を受ける例は、黒田騒動しかり佐竹騒動もか?
幕府の御家騒動でも調べれば?

>元々居た長沢松平家の家臣達は何処へ行ったのかなぁ?
>長沢松平家は、どれ全員が全員、忠輝失脚しても幕府に引き取ってもらえたと思ってるのかな?
だけの規模だったか?失脚は忠輝の所業が原因、つか引き取って貰えないから謀反するとでも?
だったら江戸時代、取り潰された藩は謀反だらけだなw

>一代記に書いてある。
え?一代記って何?何ですか?史料名?

>自身は許されず、
許されずではない、長沢松平継いだから松平姓なんだよ。
大坂陣までは、秀忠の名代勤めたり、徳川親藩の中で最大の石高貰ったりしてますが。
どこが冷遇なんですか?その後の行動はって、それ以前の行動は不問?

つか君のは勘違いどころか小説に感化されただけの思い込みしかないからねぇ。
不満を立証するのも、忠輝の行動原因は幕府への不満からだと思い込んでるだけ。
冷遇もなにも以前からも乱行騒ぎ起こしてるのに、勝手に秀忠との不和だとしてる。

忠輝は広照の件以前からも乱行騒ぎ起こしてる、これが重なって広照が責負わされた。
しかし忠輝のドキュン行為は、その後も続いてる。旗本無礼打ちの件もその延長。
それを秀忠や幕府への不満だと?冷遇されて、そういう行為を行いだしたのなら
そうと言えるだろうが、明らかに以前から乱行騒ぎ起こしてる人物だぞ?

君は小説読む前に、家譜やら読んだ方がいいのでは?


540 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 19:31:27
>元々居た長沢松平家の家臣達は何処へ行ったのかなぁ?
>長沢松平家は、どれ全員が全員、忠輝失脚しても幕府に引き取ってもらえたと思ってるのかな?
だけの規模だったか?失脚は忠輝の所業が原因、つか引き取って貰えないから謀反するとでも?
だったら江戸時代、取り潰された藩は謀反だらけだなw

これおかしいな、コピペ失敗してる

>全員が全員、忠輝失脚しても幕府に引き取ってもらえたと思ってるのかな?
長沢松平家は、どれだけの規模だったか?だね

541 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 19:51:45
>>539
既に何度も書いた、自分で探して読み直してくれ。

>じゃあその幕府が付けた傳役だった家臣が、主君の乱行を訴えたが、
>主君はお咎めなしに終わり、逆に訴えた側が改易で終わった例を挙げてみてくれ。
佐竹騒動も、黒田騒動もこれの回答になってませんが?
訴えた側だから罰せられる事だけを言ってるんではなくて、広照の立場を問題にしてるんだけど。

養子に行った後でも、元の苗字戻る事など多々ある。
秀康は徳川性こそ許されなかったが、松平性に復帰してる、信雄・秀次もその例だな。
名代は忠直と一緒にやってる、単に家康の息子で成人してるのが忠輝しかいなかったせいだろ。
あと長沢松平家は一万石くらいの家、忠輝の加増と同時に、それなりに加増されていったと思われる、

まず各藩の取り潰しは幕府が磐石の時の話なのに、今はifの話してると忘れてるなあんた。
しかも幕府が取り潰しまくった浪人が大量に出て、大坂の陣の浪人や、島原の乱、
由井小雪の乱とか重大事件に繋がっているのに、それも知らないの?

>忠輝は広照の件以前からも乱行騒ぎ起こしてる
史科をお願いね、広照の件の後に越前に加増されてるのにね、おかしな話だ。

しかし他人に偉そうに語るわりには、忠輝の一代記がある事さえ知らないのか…。
たしか諏訪史(名前は諏訪以外はちょっとあやふや)の二巻だったかな、それに忠輝関連史科の纏められている。

542 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 20:04:38
ああっとそれから、そういえば信雄の件を忘れてたが、
忠輝の家臣も長沢松平家を継いで、信濃川中島に入ってから10年以上たってる。

>広照の件の後に越前に加増されてるのにね
これはちょっと訂正。

543 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 20:27:24
>>541
>広照の立場を問題にしてるんだけど。
だったら広照が訴えたというのは何かね?
史実では忠輝に不行跡の訴えが出た、裁定は皆川広照と松平清直は改易、山田重辰は切腹。
広照が訴えたとも、忠輝の言分が認められたとも、何一つ分かってない。本人が処罰されず
傳役等が責任とって処罰されるなんてのは、定石ですが何か?

>養子に行った後でも、元の苗字戻る事など多々ある。
へー、だったら徳川親族である松平姓を捨てて徳川に戻るのが多々あるという事かい?
信雄は北畠という織田親族でもない家、秀次は三好という羽柴親族でもない家ですが?
分家から本家に戻らなかったら冷遇されてたという解釈するなら、他の具体例どうぞ。

>あと長沢松平家は一万石くらいの家、忠輝の加増と同時に、それなりに加増されていったと思われる、
忠輝継いだら何万石でしょうか?その後は?大坂陣前には?これでも冷遇されてましたか?
徳川宗家支える重要な家としての家格を与えられてますねぇ。

>大坂の陣の浪人や、島原の乱、 由井小雪の乱とか重大事件に繋がっているのに、それも知らないの?
大坂の浪人はそうだねぇ、で島原は?由井正雪では誰を担いでの謀反話でしたでしょうかね?
しかも、あれだけ仲悪かった神輿は承諾してたのですかね?人数はどれぐらいでしたかね?

>史科をお願いね、広照の件の後に越前に加増されてるのにね、おかしな話だ。
君にも見れる史料をお教えしよう、上越市史別編五・藩政史料一に収録されてるから。
公立図書館にでも行けば、一週間もかからず取り寄せできるぞ。金は300円もかからんしな。

忠輝の一代記なんて史料は存在しません。家譜の事かね?

544 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 20:29:52
はたから見てると本当にどうでもいいんですが。
「もし大坂方が勝ったら」→「越前や忠輝が謀反するかも?」という2重のifじゃあどうとでもいえる
あとはお互いに重箱の隅をつつきあってるだけじゃん

どっちにしても2人が主導的に謀反起こせるほどのタマとは思えない
よっぽど伊達や毛利のほうが怪しいよ

545 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 20:30:37
そういえば小和田哲男の「徳川秀忠」という本からの受け売りだが、
家康危篤の際に駿府に駆けつけた忠輝を、秀忠が家康に会わせなかったという事があったらしい、
作者によれば危篤の際に情にほろ出された家康が、謹慎中の忠輝に甘い処分を下すのを恐れたと推測している。
あとこの時平戸に居たコックスという人が書いたコックス日記では、
家康に対して、大坂の陣が原因で、忠輝が謀反を起そうとしている、
という風聞が流れた事が記されているらしく、忠輝の家康に対する不満を持っていた状況だった、
とも指摘している。

他にも大久保長安事件では、忠輝を帝王とし、長安は関白になろうとした、
という事が大久保家別集という史科に書かれてるらしい(けどこれは流石に信憑性が…)

546 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 20:56:42
>>543
既に書いたが不行跡という、黒田騒動の「主君の器にあらず」というのと似たようなもんだろう。
定石?傳役だけが責任を取るのが定石など聞いた事も無いが。

>へー、だったら徳川親族である松平姓を捨てて徳川に戻るのが多々あるという事かい?
曲解が好きだね、それが許されなかったから不満の思うんだろ。
重要?自身は養子に出され、弟達は徳川のままで、自分を超える官位を与えられてる、
相対的に見れば立派に冷遇ですが。領土でも越前、尾張、駿府・遠江・東三河と義直・頼宣との重要度でも劣る。
それに北畠・三好は名家であり、家格は長沢松平家とは比較にならん。

島原は改易された浪人達が多く参戦した乱で、由井正雪は未然に終わった反乱だったが、
これが原因で幕府は浪人江戸払や養子法を改正など、武断政治から文治政治に転換した程の影響力があった。

史科ありがとう、既に書いたが忠輝一代記は諏訪史(こんな名前だった筈)の第二巻に収録されている。
諏訪関連で探せば見つかる、これも図書館にでもいけばある。

547 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 22:32:57
>>546
>傳役だけが責任を取るのが定石
名前色々挙げてますね?読めませんか?付家老が責任とって本人にはお咎めなし。
由井正雪では、誰が関わりましたか?どうなりましたか?内書ありましたね?どうですか?
こっちが黒田騒動を例に挙げたら「黒田騒動とは違う」と書きながら、今度は似たようなもんだろう???
自分の書いてる内容ぐらい覚えとけよ、頼むから。

>それが許されなかったから不満の思うんだろ。
だからさ、徳川姓の名乗りの許しを乞うたとかあるのかと聞いてるんだが。
家督相続する後継者が既に決まっている状態で、分家継いだ八男が、本家姓名乗れなかったら不満としてるんだろ?
>養子に行った後でも、元の苗字戻る事など多々ある。
と書いてるのだから、忠輝と似た例を出して欲しいなぁ。
親族へ養子へ行って、宗家に戻った例をね。

>忠輝一代記は諏訪史(こんな名前だった筈)の第二巻
忠輝一代記と解釈されるようなものは、何度もいうが存在しない。
探せば見つかるとか、君は資料集というのを見たことが本当にあるのか?
諏訪史の第二巻←しかも名が正しいかも分からんのに、どう探せと言うのかね?
正式な名称分からなければ、こういう地方の資料集なんざ似たような名前で腐るほどあるんだぞ?
それを諏訪関連(これさえも膨大な数)で探せば見つかる、図書館にでもいけばある?
アホですか?

ちなみに『諏訪史』第二巻上下は、寺社関係、古代史関係だがね。

548 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 22:38:30
忠直や忠輝は、家臣に支持されておらず、それが結局は改易に繋がった訳。
不満を持ってたというのは、それは人間誰しも不満はあろうが、
謀反を起すほどのものではなく、それを強引に馬鹿一匹が謀反起すとしてるだけ。

特に忠輝は蟄居から改易受けた後、預かり拒否されるほど素行が悪く、嫌われてるのだがね。


549 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 23:03:25
みんな元気だな。

550 :藤巻:2005/04/29(金) 23:11:00
>>548
たしか預かり役は金森重頼でしたよね。
あまりの乱行に注意すると、
「余のすることに文句あれば、いつでも首を刎ねろ」と忠輝は言い放ったらしく、手に負えなかったとか。

551 :341:2005/04/30(土) 18:53:27
漏れが月曜に書いた忠輝か忠直にすげ替えるというレスから一気に伸びてるな。

まあ俺自身は家康が死んだところで長期的には豊臣家に勝ち目が無い、それどころか
外様全てが反徳川になっても徳川のほうが有利と思っているから、もし豊臣が勝つなら
徳川家が内部分裂でもしない限り無理と考えたから。将軍の交替であれば徳川の抵抗
はまだ少ないと思う。このIFでは秀忠は関ヶ原の遅参の他に大坂の陣での失態もある
から。

ちなみに忠輝忠直が謀反を起こす可能性は豊臣家が勝つ可能性に比べるならかなり高
いと思う。

まあ将軍交替の可能性も謀反起こす可能性も豊臣家が勝つ可能性も全部1%未満での
比較になるだろうけどな。

552 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 19:00:23
>>547
今さらながらもう一度調べたら、広照が訴え、訴えた後に忠輝が駿府に来て、
国老の清三郎が召し寄せれ、忠輝が勝訴した事は徳川実紀にちゃんと書いてある。

名前?佐竹・黒田騒動の事か?訴えた本人である大膳利章が、主に代わり責任を取ったと言うのか、
馬鹿馬鹿しい、佐竹騒動はそもそも傳役ですらなく、藩主の裁断だろうが。
しかも両者の何処が幕府の付け家老だ。あと両者が当て嵌まらないのは、
>幕府が付けた傳役だった家臣が、主君の乱行を訴えたが、
>主君はお咎めなしに終わり、逆に訴えた側が改易に終わった例、
この基準だ、俺が似てるといったのは「幕府に謀反の疑いあり、主君の器無し」
というのが、「不行跡」というと同じ、内容がはっきりしないという点だ、
まず曲解せずに、ちゃんと読め。

息子を養子に行かせればその家は主家の親族だろうが、例は既に書いた。
しかし相対的に見れば、それが少ない事も確かにそう、何故なら後継者から排除するのが狙いだから、
だからこそ不満に思うわけであり、特に忠輝は弟達は徳川性のまま許されてるからな。

由比正雪に誰が関わったなど、浪人を使おうとした反乱に変わりなく、
幕府の政策に方向転換を与えた事実など関わり無いと思うが、
仲悪かったというのは八左衛門の事かな?
後、忠弥・半兵衛・十郎兵衛・九郎衛門・作右衛門・善兵衛、他。
内書というのはちょっと知らないな、甚兵衛にあてた手紙・遺書・頼宣の判子を使っていた、
という位か、で、その内書は上に書いた、浪人関連の事を全て覆す程のものなのかい?

553 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 19:01:21
続き。
忠輝一代記もちゃんと調べた、本の名前は「諏訪史科叢書」の第二巻。
ここに「松平上総介源忠輝一代記」が収録されてる、
しかし手前の知らない史科は存在しない、か、人の話曲解するの好きだし、
なんかお前と話して無駄な気がしてきたよ。

554 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 19:13:19
連投スマンが、後。
>>534で書いた、
>「あいつの考えてる事は分らん、異心を持ってるかもしれない」
を「あいつの考えてる事は分らん、秀忠も異心を疑ってる」
に訂正、そしてこれも徳川実紀で似たようなニュアンスの文を見つけた、
「親子の間だって嫌疑が無いわけじゃない、ましてや秀忠は余計にそうだ、
 その上、長坂を手討ちにした事を、秀忠は無道だと怒っている」
「あいつは俺が死んだ後は、どうなるか分らん(謀反するかもしれん)」
という風な文章(意訳)が書いてあった。

555 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 01:19:25
>>552
残念ながら徳川実紀は幕末に成立した全く信憑性のない本。
それに何かと思えば、君の言う「松平上総介源忠輝一代記」は忠輝に関する史料を集め編纂して出来た資料集。
勿論、徳川実紀の引用もあるけどね。知ってましたか?
似たような物で、本能寺之変史料集と言うのも存在する
だから真相は不明だと書いてるのだがね。それとも何?徳川実紀に書かれてる事は史実とでも?
史実と違う話を例に挙げようか?

後、黒田騒動と佐竹騒動を混同するなよ。
つか栗山大膳が付家老とも書いてないが?訴えた側が罰せられたという似たような事跡を例に出したんだがね?
>「幕府に謀反の疑いあり、主君の器無し」というのが、
>「不行跡」というと同じ、内容がはっきりしないという点
は?黒田騒動は内容がはっきり書かれてるが、忠輝の一件は書かれてませんが?
忠輝は広照の一件で、「幕府に謀反の疑いあり、主君の器無し」と訴えられたとでも?

>それが少ない事も確かにそう
多々あると書いてるのは誰ですか?

>後継者から排除するのが狙いだから、だからこそ不満
後継者から排除されたのは弟も同じですが?いつ後継者扱いになった?
弟は徳川姓許されたのではなく、養子に行っていないだけ。
何度も書くが、忠輝が徳川姓の許しを乞うた事跡挙げてくれないかね?
信雄や秀次とは全然状況も立場も経緯も違って、例えになってないのは理解出来てるか?

>内書というのはちょっと知らないな
頼宣がこの後、江戸に10年も留め置かれた理由を調べようね。

つか、「松平上総介源忠輝一代記」と「徳川実紀」の書かれてる内容良く吟味した?
本当に内容読んだ?一週間以内に、両者ともここに挙げるね。
ホント、付け焼刃だなぁ。

556 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 01:44:56
まあ、GW終わるまでには決着をつけてくれ。
もういい加減うんざりだが、それまでは待つよ。

557 :555:2005/05/01(日) 01:53:18
>>556
すいません、終わったと思ったのですが、くどいのがいますもので・・・。
お詫びに徳川実紀取り寄せるにあたって、大坂の陣の記述でも挙げましょうか?

それと、〜業書というのは、例えば諏訪史科業書で言えば、多々ある史料から
諏訪に関係する人物・事跡の記述だけを集めた資料集と考えればいいかと。
玉石混同で読めば中々面白いですよ。>業書

558 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 02:22:59
>>555
出された史科は全く信憑性が無いか…。徳川実紀は江戸時代の基本史科だろうが、
しかも徳川実紀が信憑性が低いと?日記・幕府の記録から多く引用され信憑性は高いとされる。
おまけに徳川実紀が全て幕末に書かれたと思ってるのかい。
編纂を決めたのは1801年、完成は1843年当初の名前は御実紀、何処が幕末だ。
それ以降幕府も記録を続けたから徳川実紀という書物の成立が幕府が滅びた明治期なだけだ。
おまけに>忠輝に関する史料を集め編纂して出来た資料集。
これが史科でなくてなんだと言うのか、もはや呆れるばかり。
史記は司馬遷が史科を集めて編纂した本ですが、あれは史科ではありませんか?
それとも何か、史記は全て司馬遷が資料も集めず書いたんですか?

>多々あると書いてるのは誰ですか?
これは失敬、相対的に少ない、だった。

誰が後継者扱いしたと言ったんだよ、後継者から排除したいから養子に出すの、
>徳川姓許されたのではなく、養子に行っていないだけ。
これが何より徳川性を許されてる事であり、不満の元であるとも分らないのか、
許されないとはそう言う事だ、養子に出された時点で徳川を名乗る事を許されて無いんだよ。

はぁ、似てるのは内容がハッキリしない点と書いてありますが?
お前が嫌いな徳川実紀には、「忠輝が乱暴なので、国の上も下も困っています」
という忠輝が具体的にどういう乱行を働いたのかは記されていない。あとお前、俺が書いた事ちゃんと読んでるか?
何度も「幕府が付けた傳役だった家臣」と書いてるだろうが、
そしてお前も>>547で、付家老と言ってるだろ、そんで佐竹・黒田のどちらも付家老ではない。

>頼宣がこの後、江戸に10年も留め置かれた理由を調べようね。
それで、この件が浪人を集めて謀反を起そうとしたという事実を覆すのか、幕府の政策転換という事実が変わるのかよ。

手元に資料を買い求められる程裕福でもないので、当然ながら図書館行ってもう一度勉強したよ。
お前みたいに出された史科を、根拠もなく信憑性無いと一蹴する方が問題だ、
ここに至って分った、もうお前とは話するだけ無駄、このスレで終わりにする。
勝利宣言でもなんでもしたければ勝手にしろ。

559 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 05:28:29
>>558
>徳川実紀は江戸時代の基本史科だろうが、しかも徳川実紀が信憑性が低いと?
>日記・幕府の記録から多く引用され信憑性は高いとされる。
では具体的に誰の日記の引用?幕府の記録とは?嘘はいかんよ、嘘は。

幕末の件は言いすぎだね、江戸後期とでも言い直しますよ。
制作開始は1809年ね。

>これが史科でなくてなんだと言うのか、もはや呆れるばかり。
史料ではなく、資料集。漢字が違いますよ。誰がいつ編纂したのかもよーーーーーく調べようね。
何故なら、編纂した人物の注釈入ってたりしてますから。

>史記は司馬遷が史科を集めて編纂した本
史記と同等をお考えなのですか?例えが違いすぎますねぇ。

>後継者から排除したいから養子に出すの
排除したいから?では後の御三家は後継者から排除されてますが、養子に出されましたか?
矛盾してますねぇ。徳川姓を名乗る=後継者候補とでも?
徳川実紀読んだのでしょう?家康は後の御三家に対してどう言ってますか?
君は徳川実紀は「信憑性は高いとされる」と言ってますが、矛盾ですねぇ。
都合のいいとこだけ信憑性高いのでしょうかね?

>忠輝が具体的にどういう乱行を働いたのかは記されていない。
だから真相は不明、でも乱行をしていたのは疑いようのない事実。
それを君は最初になんと書いてた?>>517は?あれれ?


560 :続き:2005/05/01(日) 05:29:38
>幕府が付けた傳役だった家臣
>付家老と言ってるだろ、そんで佐竹・黒田のどちらも付家老ではない。
読解力のないですね。君が「傳役だけが責任を取るのが定石と聞いたことない」と
言うから、傳役の広照だけでなく、松平清直と山田重辰の名前を挙げて
付家老が責任とった書いたのだが?で、どこに栗山大膳を付家老と書いてますか?
頭に血が上りすぎてるのでは?

>浪人を集めて謀反を起そうとしたという事実を覆す
覆してませんし?浪人連中が謀反する為に使ったのは誰の名前かと聞いてるんですがね。
政策転換しました、はい、でも大坂の陣でどれだけ集まるとでも?
そんなに幕府に抵抗したければ、大坂城に入城してますが?大坂はどれくらいでしたか?
また由井正雪が乱起した時期は、幕府が様々な譜代と外様を取り潰してた時期ですが?
大坂陣のときと同一視するんですね、流石です。

>根拠もなく信憑性無いと一蹴する方が問題だ
はい、何度でもいいます、忠輝の記述は逸話集の域を出ず
全くと言っていいほど信用できません。
それとも逸話の出所知ってて書いてますか?

まぁ聞いても終わりにするらしいので、意味ないですね。
勝利宣言とか、勝ち負け判断しか出来ないから史料もまともに読めないのですよ。
とりあえず徳川実紀と忠輝の資料集は挙げますので。

561 :続き:2005/05/01(日) 05:34:27
>徳川実紀は江戸時代の基本史科だろうが、しかも徳川実紀が信憑性が低いと?
>日記・幕府の記録から多く引用され信憑性は高いとされる。
では具体的に誰の日記の引用?幕府の記録とは?嘘はいかんよ、嘘は。

これは俺が勘違いさせる書き方だったのが悪いね。
忠輝の記述部分の事ね。

562 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 14:15:35
>>559
まともに読んでないから流れがよく分からないが
>だから真相は不明、でも乱行をしていたのは疑いようのない事実
真相は不明なのに何で事実と言いきれるの?

563 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 16:52:21
横から失礼だと思うけど、
>>557を見ると徳川実紀とかいう本を取り寄せてる最中だと思うんだけど、
(まさか図書館とかに申請してから一日で着くとは思えないし)
どうやって>忠輝の記述は逸話集の域を出ず 、これを判断してるの?

それとどっちとも意固地になりすぎ。

564 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 19:56:55
>>562-563 御説明します。
真相というのは広照が不行跡で訴えを起し、どういう裁定内容になって
忠輝はお咎めなし、皆川広照・松平清直は改易、山田重辰は切腹となったかが不明と言うだけです。
訴えの不行跡の詳細な内容、裁定内容がわからないのです。

訴えの元が忠輝の不行跡だとあり、そして江戸幕府の訴訟では不行跡とは幕府の制度・法を無視した場合と、
当主の乱行の場合との2点を合わせて「不行跡」と称しており、忠輝の場合、
幕府の法を犯すというのが見受けられず(時期が時期だけに、江戸幕府としての明確な法制度が存在しなかった)、
そして以前に紹介した本では、以前からの忠輝の我儘な行動ぶりが記されており、
乱行を事実としてるものです。

>どうやって>忠輝の記述は逸話集の域を出ず 、これを判断してるの?
これは徳川実紀を読んでもらえれば分かりやすいのですが、
徳川実紀というのは家譜などを編纂して出来た本であり、色々な本からの引用をしてるのです。
そして忠輝に対する家康の言動も、きちんと何から引用したと書いてあります。
また徳川実紀は歴代将軍の事跡を記してるもので、忠輝に対しての会話等の記載は少数です。(ほぼ無いと見ていい)
そしてそれを補うのが徳川氏御実紀附録で、これは徳川実紀には記載されてない逸話等を収めてるものです。
忠輝に関する家康の発言等は、これに記載されており、だからこそ逸話集の域を出ないと述べたまでです。

納得頂けましたでしょうか?

565 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 20:04:27
まぁ、忠輝様なんぞ正直なところドーでもいいわな。
少なくとも、大坂の陣に徳川が負けても、徳川に衰退にはそうそう簡単には
向かわないってだけでね。むしろ、秀忠が江戸に戻って再戦の準備を始める
というのが、もっとも大きな可能性だわな。
で、このとき、大名達が徳川につくか豊臣につくかだ。
そして、豊臣につく大名が徳川より多いとする理由は何かってことだな。
一つの理由は、もう一度戦国に戻して自分が天下を取るということだろう。
で、他に豊臣を推す理由があるかどうかだな。
結局のところ、大坂の陣で勝っても豊臣家の天下にゃならんだろうとは
思うがね。

566 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 21:27:49
忠輝の乱行の記録って怪しくないか

567 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 21:45:10
>>564
>以前に紹介した本では、以前からの忠輝の我儘な行動ぶりが
何て本でそれは何を根拠としてるの?

それに忠輝って弟は長沢松平の養子になったのにたいし皆川の養子になってなかったか?
最初から冷遇されてると思うが。

568 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 21:46:18
>>566
忠輝忠直忠長の乱行の記録は皆怪しいと思うぞ。

569 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 22:19:01
>>565
秀忠が江戸に戻って戦の準備。
忠輝と忠直が反旗。
秀忠がそいつらの対処に手を焼いている間に、豊臣家が畿内を席巻。それに呼応する大名があらわれ始める。
戦上手の忠直は上杉と手を結び北陸を制圧。
忠輝は一度は破れて甲斐を追われるも、東北に落ち延び伊達政宗の元で再起。


570 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 22:25:52
忠直は家臣の嫁をくれといったり、断った家臣の家に軍を向かわせたりしてる、
ただ作り話が多いのも確か、妊婦の腹を割いたとか、いうのがそれだと思う。
忠輝はむしろ具体的な乱行の例はあんまり聞かないな、せいぜい旗本無礼討ち位か。
忠長も、侍女を酒で責め殺したとか、かなり怪しい話も多い、
まあ体良く葬るために、ある程度脚色はしてるだろうね。

571 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 22:27:17
>>565
忠輝組とは別にまったりいきましょうか。

秀忠の動向については巻き返しの準備で同意ですが、
場所に関しては三カ所ほど考えられると思います。
一つは江戸、一つは名古屋、一つは京(或いは伏見)。
私見ですが、京<名古屋<江戸が現実味がありそうだと考えます。
とは言うのも、大坂は言うに及ばず貴方の言うとおり諸大名の動向も気にかかる所。
江戸まで引いてしまうと西国に対する影響力を放棄する事に成りかねないかと。
パフォーマンスとして不退転の意志をアピールするためにも前線に近い方が良いですし、
江戸〜上方の連絡には大きなタイムラグが出てしまい、対応しきれないでしょう。
京で南は大坂を、西の大名達を統制しつつ、幕府方の建て直しを計るのがベター。
また天下普請で一代要塞と化した名古屋を詰めの城として活用出来るのも強みではないでしょうか。

572 :571:2005/05/01(日) 22:29:00
失礼、不等号間違ってますね
>京<名古屋<江戸

正しくは
京>名古屋>江戸
です

573 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 22:36:09
>>571
唯、家康が死んだ場合、葬儀とかの関係で一旦江戸に戻らざるを得ない状況が出るんじゃないだろうか。

574 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 22:38:06
京で再起とか厨房かよw
んなもん勝ちに乗じた大坂方に傾れ込まれて終わりだろうがw
再起するなら江戸しかねーよ。

575 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 22:47:26
脳内パラレルワールドの話はいつまで続くんですか?
ここはSF板ですか?

576 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 00:12:23
>>567
誰だったかの書状で、忠輝の行動が記載されてますよ。なんなら取り寄せて挙げましょうか?
ここには口だけで史料名さえ挙げてれば、答えになってると思ってるようなのがいますので。
ついでに長沢松平の養子に入ったのが忠輝で、皆川の養子に入ったというのは単なる講談です。

>>575
史実把握もイマイチなのでIF話でしか盛り上がれないのですよ。
というか三戦板なんだしね。


577 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 01:10:03
長いレスをまとめると
訴えた側の皆川広照らが処罰された。
訴えた内容は不行跡という曖昧で詳しくは不明
忠輝は咎め無し
乱行の記述は逸話の粋を出ず信憑性に欠ける。
これでFA?



578 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 04:24:17
自分も京都で再起は危険すぎる気がする
敵の本拠地である大坂に近すぎるし、
そもそも歴史を見てもわかるが京都は基本的に防戦には向いていない
冬の陣・夏の陣の両戦役で疲弊した国力の問題もある
秀忠の慎重な性格からして一度本拠地の江戸に戻り、
国力の充実を待ってしばらく雌伏するんじゃないでだろうか
家康の葬儀や諸事務の引継ぎもあるだろうし、五年は大規模な戦役は起こせないと見る
第三の大坂出兵があるかどうかは豊臣家の出方次第でしょ

579 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 10:14:35
大阪城と月影流忍者
ttp://www.nhk.or.jp/hassuru/figure.swf

580 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 12:39:55
皆川広照の件は附録ではなく、台徳院御実紀巻10に載ってる、
あと「我なからん後はいかなる事なし出さんもしるべからず」
という言葉も台徳院御実紀巻41に書いてたあったりする。

581 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 16:59:05
>>578
家康が戦死したなら、やること一杯あるだろうからすぐさま再戦は無理なんじゃね、それに
すぐさま再戦しなければならないような相手じゃないし、畿内の大名に牽制させて秀忠は江
戸に戻って、様々な雑務処理に終われるんじゃないか。

582 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 20:11:51
>>580
君の見た台徳院御実紀はどこの出版かね?
ものによっては実紀に付録を付してあるのがあるよ。

583 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 21:02:50
>>582
見たのは新訂増補国史大系、附録は東照宮御実紀附録という風に別に纏めてある。

584 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 22:17:43
家康が死ねば大坂の陣は一旦中止になってもおかしくはない。
ただ死ぬタイミングってのは極めて重要だな。

1:冬の陣開始前なのか、
2:冬の陣講和前なのか、
3:夏の陣開始前なのか、
4:幸村に討ち取られるのか・・・

1なら大坂の陣そのものの開始が遅れるな。
その間に大坂方と気脈を通じる者が出るかどうか。
正直戦中に死ぬよりは徳川方の動揺も少ないと思うが。

2の場合は大坂方が講和を承服する可能性が低くなるか?
でも城に篭ってる状態では大坂方にはどうすることも出来んよな。
徳川には指揮系統の移譲を行う時間があると考えられる。

3は夏の陣開始時期が遅れるだけ。
どうしようもなさそう。
(俺は戦中に死なない限り戦局は覆らないと予想)

俺は大坂方にとっては4が一番都合いいと思う。
いや、冬の陣で“討ち取れてたら”それが一番いいんだけど。
戦中に総大将が討たれるってのは相当ショックを与えるんじゃないか?
どっかで全軍に伝わるには時間が〜って言ってた人もいたけど、
俺は速攻で伝わると思うな。秘匿することの方がよっぽど難しいと思う。
この報で勝手に退却する軍が出てくる可能性だってあるしね。
でも真田隊に後詰がなければやっぱりどうしようもないかー。

585 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 22:23:35
>>584の続き

結局は家康が死んだ時に東軍諸大名がどう動くかだよね。
特に伊達政宗とか藤堂高虎あたり。
このあたりが組んで独自の行動取ったりするようなことがあれば乱世に逆戻りしちゃうかも。
高虎はともかく政宗なんて何しでかすか想像も出来ないし。
他人から見れば無謀ってことも平気でやってのけるもんwしかも白々しく弁解して。

586 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 22:30:24
神保隊全滅に追いやってるしなw

587 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 23:41:02
それよりも、大坂方が秀頼を錦として、どれだけリーダーシップを取れるかじゃないかな。
徳川は関東方面はかなり磐石だけど、元豊臣恩顧と西軍に属した大名を関西に押し込めた形になってるから、
関西方面はかなり不安定になると思う、それらを豊臣家が如何に取り込めるかが重要だと思う。
まあ秀頼はなんかボンクラっぽいのが悩みの種。

588 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 01:17:21
4だと大坂陥落寸前ですけど・・・>>584

忠輝や忠直が徳川家乗っ取りたければ、そのまま大坂落として秀頼の首挙げて
家康の仇取りましたと宣伝するのが一番ね
これで晴れて秀忠の対抗馬候補になれる
忠直なら出来そうだ

589 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 05:10:50
>>585
>他人から見れば無謀ってことも平気でやってのけるもんw
 しかも白々しく弁解して。

残念ながら、大坂の陣で、伊達は無謀なことなど「平気」でやっていないよ。
もう少し勉強してから書かないと恥をかくぞ。公然と無知をさらさない方がいい。
「白々しく弁解」とは、おまえが適当にそう思ってるだけだろ(w

>>586
>神保隊全滅に追いやってるしなw

新説だな。伊達が積極的に神保勢を全滅に「追いやった」という
ソースは一体何だ?w

590 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/03(火) 09:08:58
お、めずらしく私のスレがあがってるね!

横レス、スマソ
>>589、おまえほんと底意地悪い奴だなWWW
性格と顔の悪さがレスから滲みでてるぞWWW

人をたしなめる時はもっとやさしく言ったらどーなんだ?
それはたしかにおまえは彼女もいないし、顔もキモイし、取り柄はまるでない糞キモオタニートだ。
が、だからといって、そのような乱暴なレスをつけていい理由にならないぞ。
ついでいえば、おまえの文章はつまらんWWW
オナニー的な文章なんて誰も読まない、人が読んでよみやすい文章かどうかをたしかめてからカキコする癖をつけなさい。いいね?(^.^)b

591 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 09:46:42
>>590
>彼女もいないし、顔もキモイし、取り柄はまるでない糞キモオタニートだ。
>オナニー的な文章なんて誰も読まない、人が読んでよみやすい文章をたしかめてから

全部君のことじゃない?

592 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 10:30:49
大したことを書いてるわけでもないのにageて、
文末にwをつけてる奴らなんてどっちも同レベル
>>589>>590もどっちもこのスレに要らない人間

593 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 16:55:39
>>592同意

594 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 18:50:52
>>590-593が要らない。
589はカルシウムが足りなさそうだが、大坂の陣に関するレスなのでOK。
しかし伊達厨属性入ってそうなので注意。

586は神保隊を全滅に追いやったとしか書いてないだろうに。
積極的にという言葉は一体何処から・・・。
これは諸説あるから、伊達の言分も色々あって積極的とも消極的とも受け取れるからなぁ。

595 :585:2005/05/03(火) 20:13:59
>>589
え、釣りですか?
普通にレス返していいのか激しく悩むんだけど・・・。

>残念ながら、大坂の陣で、伊達は無謀なことなど「平気」でやっていないよ。

誰が大坂の陣でと言いましたか?
少しでも知ってる人なら“政宗の無謀な行動”“白々しい弁解”
この二つのキーワードから俺が何を言ってるか理解出来ると思うんですが。

>新説だな。伊達が積極的に神保勢を全滅に「追いやった」という
>ソースは一体何だ?w

・・・自分が知らないことはまず調べるべきですよ。

>もう少し勉強してから書かないと恥をかくぞ。公然と無知をさらさない方がいい。
この部分はそっくりそのままお返しします。
俺伊達厨なんで伊達家(政宗時代)に関してはあなたよりも明らかに詳しいですよ。

596 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 20:19:40
589が無知ってことはわかった

597 :585:2005/05/03(火) 20:21:23
あ、言い忘れてました。
586も俺なんで。

598 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 21:21:48
返り討ち>>589哀れ
そのうち自作自演で自己弁護しそう

599 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 22:20:23
理由はともかく伊達が味方の神保を叩いたのは事実なわけで・・・
こんな有名なエピソードも知らずに
「勉強してから書き込め」
「公然と無知を晒すな」とは・・・585の返しも含めて久しぶりに笑ったよ

600 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 23:17:47
585も容赦ないよな
最初に釣りですか?って言って逃げ道塞いでんだから

601 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 23:58:02
>>595
大分釣れたようだね(笑)>>595 ではレスしようか。

勘違いされても困るんだが、この事件は伊達家には定番中のエピソードだよな。
伊達軍の銃の集中砲火で神保勢が全滅したのは否定しようもない100%の事実だ。
なお、神保側の幕府軍監への訴え、伊達家の対幕府への弁明、最終的な幕府見解、
島津家に残る個人的感想等、主な資料は一通り目は通した上の発言だからね。
原因は戦功争いだとか、目の前を神保勢が遮っていたのが腹に据えかねたとか、
友崩れを防いだ等、諸説あるのも承知している。

しかし、考えてみるまでもなく伊達(先陣の片倉隊か)にとっては、神保を全滅さ
せてまで戦功に執着するメリットなど何一つない。ましてや用意周到で決してボロ
を出さない伊達が、東軍の面前で公開処刑にも等しい味方討ちなどという杜撰で乱
暴な危険行為に及ぶとは不可解極まりない。神保サイドの見方に立ったにせよ。

つまり、今ひとつ動機や経緯に確証が持てない以上、>>586のように「全滅に追いやったw」
と茶化しては書けない次第ということだ。予見・憶測と言われればそれまでの話。

伊達家に関する知識を持っているという君に、この事件の事情を詳しく説明して欲しいね。



602 :585:2005/05/04(水) 00:34:28
おお・・・この三戦板のノリ懐かしいな・・・。
>>601
さりげなく論点をずらすのは止めませんか。
俺が>>595で言ったことについての答えがないじゃないですか。

まず俺が政宗の無謀な云々と言った部分について指摘してくれたよね?
その件について、俺はあなたの読み違いを指摘してるわけだ。
それについて一言お願いします。
(出来ることならわざわざ俺をバカにした一文を入れたことについてもね)

二つ目は神保勢を全滅に追いやったという記述の件。
追いやったという表現に何か問題があったのでしょうか?
動機や経緯に諸説あることは承知しています。
それでも神保勢を全滅に追いやったことには変わりないはず。
新説という表現を使っていることから、あなたはこの件を知らないものだと判断したんですが。
>>601に書いてることを初めから知っていたら、>>589のような書き方はしていないのでは?

そして>>601の最後の文章は困りますね。意地悪だとしか言いようが・・・。

603 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/04(水) 02:08:21
伊達家というか政宗って用意周到でボロを出さないと言える程、用意周到では無いと思う。
奥羽の一揆勢の扇動は蒲生氏郷に証拠の書状を押さえられてるし、
関ヶ原の一揆扇動でも結局はばれて、二万石の加増に留まった。
むしろばれた後の言い訳こそが政宗の真骨頂では?

604 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/04(水) 03:36:29
事後処理(言い訳)をさせたら並ぶもの無しだな、政宗。
もっとも身から出た錆がほとんどだが。
ま、万が一を想定しての保身センスの賜かな。

そこら辺を考えると、ほいほい忠輝を担ぐマネはしなさそうだが、
或いはいざと成ったら忠輝を売る準備をしつつ、担ぐ位はしそうだ。

605 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/04(水) 07:06:27
>>602
レスを読む限り、君の発言に悪意はなさそうだな。てっきり前後の文脈から大坂の陣
における「神保の味方討ち」を指して、「無謀なことを平気でやってのけ」挙げ句に
「白々しく弁解」したと。つまり伊達軍は、神保を一種の無礼討ちのような形で葬り、
その上で厚かましくも開き直って強弁したというスタンスかと思ったもので。
漏れの誤解もあったようだ。酷い言葉使いをした点は悪かったので謝りたい。

>他人から見れば無謀ってことも平気でやってのけるもんwしかも白々しく弁解して。
>神保隊全滅に追いやってるしな

前半部分は実際その通りなわけで。小田原の役直前の侵略、葛西大崎一揆、和賀一揆
煽動等の一連の謀略と、それに対する人を食ったとしか思えない弁明等は、第三者か
ら見ると一見ズボラな思いつきに見え、よく非難と揶揄と、ついでに面白可笑しい戯
画化の対象にすらなる(一方権力者にはさらなる警戒心を抱かせるが)。

しかし「神保の味方討事件」は、前者とは性格を全く異にする。伊達の思考・行動
様式とはまるで別物の事件で、同じ俎上にのせること自体ナンセンスな話といえる。
仮に何か新しい「ソース」をつかんでの発言とすれば、教えて欲しいと思った。


606 :585:2005/05/04(水) 19:13:56
なるほど。あなたの言いたいことはわかりました。
もう一度言いますが俺は伊達厨なんで、政宗に対して悪意を滲ませた発言はしません。
(そう見えたのはまずかったですが)
それからこれは推論ですが、
俺は神保事件についてはあなたと同じ見解をしているんじゃないかと思います。
山岡荘八の描いたものが真実に近いかと。
無礼討ちというのも可能性は高いんですがね。

>>586で書いたことの真意を説明すると
神保隊を攻撃しなければ伊達軍に被害が及ぶことになったとしても、
それを実際にやってしまうことは(伊達家の立場を危うくしてしまうので)無謀だと
こう言いたかったんです。
この辺りは言葉が足りてなかったので申し訳なかったと思います。

607 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/04(水) 19:15:33
589の主張が正しいとかはどーでもいいが
>>596-600はあからさまな自演臭いんでヤメレ

608 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/04(水) 22:18:05
>>607
痛すぎる

609 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/04(水) 23:36:23
>>585
藤堂高虎も何をしでかすかわからん人物に思える。彼、一回出家?してるでしょ?
あんな俗物のかたまりみたいな男が仏門に入るなんでどう考えてもかんがえられないのだが・・・

610 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 00:59:51
>>608
自演してるかわからんけど、自演臭く見えるでしょ?
煽るだけならヤメレと言ってるのに・・・

煽り合い見ても本人は楽しかろうが読む側はツマランからさ

611 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 02:24:45
------------------------------------終了------------------------------------

612 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 04:10:31
>>609
当時の出家、仏門なんて名ばかりじゃないか?
特に信玄、謙信、道三なんかは出家、仏門を
政治的に利用してるだけな気がする。


613 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 20:11:36
国史大系第38巻と第39巻コピーしてるからしばし猶予を
コピーしんどい・・・

某所でこれをスキャンしてRに焼いたのを寄付金という形で売ってたが
いいのだろうか?著作権は切れてるようだが、版権で引っかかりそうなもんだが

614 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 18:25:07



615 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 15:11:33
保守age

616 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/27(金) 18:02:22
本多忠朝って家康に意図的に煽られて、自殺的突撃をしたっていうけど、
本当かな?
お気に入り忠勝の息子ですぜ。
なにもそんな「捨駒的」使い方せんでもって思う。
てか家康はそんなことする性格かな?
かつて三方が原で斬り死しようとする家康の馬の轡を引き、代わりに自分が家康の身代わりになった夏目某がいる。
その息子は不肖の息子で人を殺めて、出奔してグダグダになっている報告を家康は聞き、「夏目が子なら、仕方なし」
と知行を再び与えたという話を聞いたことがある。
その話から拡大類推すると、とても本多忠朝に自殺を強いたとは思えない。

617 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/27(金) 23:15:03
age

618 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 15:15:29
>>616
私は自殺を強いたというよりも、八つ当たり的に怒鳴っただけだと思います。
史実だと家康はかなり短気な性格だったし、最期の大戦というところで気が高ぶって、どれでつい強く叱責したのではと思う。
それを真面目な忠朝が、強く意識しすぎてしまい、あんな行動をとってしまったのだと思います。

619 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 15:50:10
実話かどうかしらんが、
忠朝戦死を聞いて、相当凹んだらしいからな、家康。
若武者の不甲斐なさというか、目立つことだけ考えた武装などを苦々しく思っていたらしい、
そういう最近の若者は・・・、という反感もつい怒鳴ってしまったのも一因だと思う。

620 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 20:31:16
>>619
全盛期の三河者の強さと質実剛健さを知っている家康なら、そうとも
思うだろうよ。関が原の時でさえ、三河者の質が落ちたのを苦々しく
思っていた様子だし。

621 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/02(木) 04:19:35
>>616
偉大な父親を持つと息子はプレッシャーで暴走しちゃうこともあるんだろう・・

622 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/02(木) 13:27:16
大坂の陣での若者の不甲斐なさと言えば、
でっかい位牌の飾り立てを作ったは良いが、重すぎて馬が動いてくれずてのがあったな。

家康でなくとも嘆きたくなるわ。

623 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/06/05(日) 22:40:02
>>622
徳川の軍の中にも甲州筋目の古武者がいて、徳川の若衆と違って粗末な具足だったが、それを見た家康はあえて誉め讃えたって話もあるよね。
この時期の家康はかなりノスタルジー状態だね。

624 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 01:50:17
人間年を取ればだれでも「昔は良かった」というもの

625 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 18:12:07
思い出は美化される。苦しい今よりも苦しいか否かなんて忘れちまった昔の方がいい

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