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日本の戦国時代の合戦の真相について論ず

1 :名無し三等兵:04/07/18 13:20 ID:???
大河ドラマ・司馬歴史小説等、さまざまに流布している戦国時代合戦のイメージは、不正確極まりないものとされています。
真実はどうなんでしょうか?
軍事的な知識を多くお持ちの皆さんで論じ合いましょう。
 ・日本だけではなく、同時代の他国の状況との対比
 ・前史としての 律令制→室町中期 との比較
 ・後史としての 江戸時代と黒船来航以降の幕末戦争 との対比

 などにも積極的に話題を提供してください。

2 :2:04/07/18 13:23 ID:dONdLZW8
2

3 :名無し三等兵:04/07/18 13:23 ID:???
阻止

4 :名無し三等兵:04/07/18 13:23 ID:???
自営業阻止

5 :名無し三等兵:04/07/18 13:24 ID:???
どうして「首取り」するのか?

6 :名無し三等兵:04/07/18 13:52 ID:???
足軽って?

7 :名無し三等兵:04/07/18 13:56 ID:uuWNEfS+
板違いではないのか?

8 :名無し三等兵:04/07/18 13:57 ID:???
こっちで語った方がいいと思うけど。

三国志・戦国
http://hobby5.2ch.net/warhis/

9 :名無し三等兵:04/07/18 14:27 ID:???
戦国時代の兵ってのはだいたい百姓だったんだろ?
ろくな訓練もなしに統率が取れたんだろうか?
それとも始まっちゃえば関係なしとか・・・・・

10 :名無し三等兵:04/07/18 14:37 ID:???
兵士を出す農家 と 兵士を出さない農家 に分かれていたみたいです。
当然出す農家のほうが年貢軽い。

 なお「百姓」も「すべての人民」または「あらゆる職業や階層の人」の意味で使われていたようです。


11 :名無し三等兵:04/07/18 14:43 ID:???
>>10
なるほど、それで「百姓」なんだ
ありがd
当時の職業割合を考えるとだいたい農家だから
農家=百姓になったわけなんだな
現代で考えると
サラリーマン=百姓だな

12 :Pz:04/07/18 15:10 ID:smM2V42v
かなり板違いな気がするので、
他の日本史板などでは語られる事が少ない話題や疑問だけならいいんじゃない
例えば、関が原で秀忠の軍勢を東山道に派遣したことと、補給現地徴発による味方領国の疲弊や
東海道の豊臣系諸大名が城と城の兵糧を提供しただけじゃ不足だったのかとか
あるいは、鉄砲や鎧などの兵器の性能や効果とか、軍版らしい話題ならいいんじゃないの


13 :名無し三等兵:04/07/18 15:18 ID:???
>>1
>大河ドラマ・司馬歴史小説等、さまざまに流布している戦国時代合戦のイメージは、不正確極まりないものとされています。

槍だの刀だので近接戦闘することも少なかったでしょうね。
徴兵制以前の雇われ兵士が命掛けで戦うはずもないですね。

14 :名無し三等兵:04/07/18 15:32 ID:???
>>13
鉄砲で撃ち合っても、テレビ的な「絵」にはならんしなあ


15 :名無し三等兵:04/07/18 15:36 ID:???
鉄砲撃ち合いなら相当良い方
弓矢でもかなりマシな方
ほとんどは投石合戦だ

16 :Pz:04/07/18 15:36 ID:smM2V42v
>>13
鈴木眞哉って人が幾つかの本で、散々そういうこと書いてますね
南北朝あたりからでも、出来るだけ飛び道具で攻撃しようという流れだったって
世界的にも、投射兵器に移行していくって、命かけての白兵戦好むなんて
国家に奉仕する徴兵制以降だって
領主や傭兵隊長も戦果より金かけて集めた兵隊や徴集した家臣や領民の損害の方を気にしてたとか

17 :Pz:04/07/18 15:46 ID:smM2V42v
>>15
武田勢では小山田隊の投石で戦闘が始まるってなんかで読んだが
当時の鎧って、投石でもそんなに殺傷されたのかな
面ぽうがなく胴丸のみの足軽の顔に当たればとは思うけど

18 :名無し三等兵:04/07/18 15:54 ID:???
>17
鎧着てたって拳大の石が当たれば死むほど痛いでしょう

19 :名無し三等兵:04/07/18 15:58 ID:???
この時代の鉄砲保有数は、日本が世界一。
ある意味日本の大国の始まりはこの頃からじゃないかな

20 :Pz:04/07/18 16:04 ID:smM2V42v
>>18
確かにあたり方によってはそうだけど、その後に石以外で攻撃されなきゃ殺傷されないよね
投石は印字射ちとも言うが、
印字射ちって、後には八方手裏剣みたいな武器の名にもなってる(記憶が不正確だが)
ってことは、本気で殺傷狙うにはただの石じゃなくて、成型や加工したもの用意したのでは?


21 :名無し三等兵:04/07/18 16:08 ID:???
間接武器の方が殺傷力があったみたいな意見が聞かれて。
僕もそう思うんだけども。
世界史板でバルタン氏がそれに異論を唱えてたな。

22 :名無し三等兵:04/07/18 16:11 ID:???
>>19
この時代の鉄砲はそこまで決定的な武器じゃない。
弓に劣る部分も多々あったし。

23 :名無し三等兵:04/07/18 16:11 ID:pCUm4X2j
そんなコストかかるもの大量に投射できないし訓練無しではむりぽ

24 :名無し三等兵:04/07/18 16:12 ID:???
名スレ
最強最古の兵器である石について語ろう!
ttp://hobby.2ch.net/test/read.cgi/army/1038889520/

25 :Pz:04/07/18 16:19 ID:smM2V42v
>>22
弓は曲射もできるしね、それに連射能力では鉄砲の比ではない
>>23
平たい形で手ごろの石を、選りすぐって集めるくらいはしたと思う
それでも鎧を貫くのは難しくない?
やっぱり、ひるんだり痛がってるうちに突撃したんだろうな

26 :名無し三等兵:04/07/18 16:30 ID:???
クレヨンしんちゃん>>>超えられない壁>>>大河

27 :名無し三等兵:04/07/18 16:31 ID:???
>>25
鎧着てても石で骨折や打撲ぐらいするし
殺傷する必要もないんだって
相手の士気を低下させれば勝ち

28 :なまこそ:04/07/18 16:53 ID:vOAKVV72
 私の理解は正しいのでしょうか。

 基本的に戦国時代の大名の直属軍は、大名の領地の中の直轄領の「農民兵」を官僚で
有る侍(いわゆる旗本)が指揮するものと、領地内の「豪族の領地の農民兵」の混合(というか
並列)部隊と考えて良いのでしょうか。
 徳川家に当てはめて見れば、本多忠勝・鳥居元忠なんかが前者で、水野家が酒井家などが
後者だと思い込んでます。
 
 織田家、徳川家など急速に拡張した大名は前者の占める割合が多く、旧態依然な大名は
後者の占める割合が多い。

 戦国期の戦争では豪族は自分もちで出兵しており、戦国前期などでは織田家とその他の
大名と直属軍とでは同程度の装備をたもてたが、戦国後期になるに従い鉄砲など金のかかる
部分での差異が現れたのではないのか。(ただしそれが現代の戦争のような、決定的な物か
どうかはわからないが。)

29 :なまこそ:04/07/18 17:19 ID:???
 えーなんかごちゃごちゃ書きましたが、つまり戦国初期の戦争では主力軍=
豪族連合なもんで、損害がダイレクトに大名(=盟主)の者になるわけで無いので
戦争自体がぬるい物になっていたのは仕方がないのではないかと考えます。

 敵対する大名自体も縁戚関係が多い日本の戦国時代では配下(指揮下)の
豪族同士も縁戚関係が有るでしょうしね。

 ここで私が疑問に思っていることですが、大名(=盟主)は配下の豪族から
みかじめ料かなんかもらってたのでしょうか?
 
 

30 :名無し三等兵:04/07/18 17:41 ID:???
貰うのは配下であって大名ではない
土着の豪族であってもその土地は大名に安堵してもらった土地であり
いわば頂き物である

31 :なまこそ:04/07/18 20:17 ID:???
 >>30
 レスどうも。「一所懸命」ってやつだね。
 それはわかるってるつもこりなんだが、その場合大名側のメリットって何だろう。

 徴税権のない行政権ってやつの利点ってやつだ。

 いやいやながらでも戦争につれて行ける権利のような気もするが、侵略戦争する気が
なければメリットにならないなって考えたわけで・・。
 大名の土地および配下の豪族の土地を防衛する場合大名も持ち出しで戦争するわけ
ですから・・。

 

32 :名無し三等兵:04/07/18 21:33 ID:???
>>31
大名側のメリットとしては、
戦争せずとも勢力圏が広がることだと思います。

秀吉や家康もそうやって天下統一してますし。

33 :Pz:04/07/18 22:01 ID:smM2V42v
>>31
>侵略戦争する気がなければ…
当時は天候不良などによる不作や飢饉が頻発していた
好むと好まざるにかかわらず、抗争の種がいっぱいあった時代
他国に軍勢を進めるだけで徴発により食うことが出来、領国の口減らしにもなる
謙信の関東出兵もそういう側面からみた説もアル


34 :名無し三等兵:04/07/18 22:24 ID:qshvF/Rw
> いやいやながらでも戦争につれて行ける権利のような気もするが、侵略戦争する気が
>なければメリットにならないなって考えたわけで・・。

 基本的に「何時でもあらゆるモノが人数分には足りない」って当然の理屈が分かってな
い。世の中は金持ちと貧乏人に分かれる事になってるし、その分かれ目を暴力で変えては
いけないって自然な道理もない。

 法律と裁判所と警察力の三位一体で無理やり秩序を維持してるだけ。当時の足利幕府に
そんな機能があるかね?

35 :名無し三等兵:04/07/18 22:27 ID:???
>>21
呼んだか?

36 :名無し三等兵:04/07/18 22:29 ID:???
間接武器のほうが殺傷力低いという根拠を

37 :名無し三等兵:04/07/18 22:32 ID:???
最初から石を使うと想定していたなら、盾や投石器といったものが
発展しても良かったと思うんだが

38 :名無し三等兵:04/07/18 22:34 ID:???
>間接武器のほうが殺傷力低いという根拠を

そんなことを言った記憶はないがな

39 :名無し三等兵:04/07/18 23:00 ID:???
>>37
その工数で弓を作ったほうがいいじゃん

40 :Pz:04/07/18 23:19 ID:smM2V42v
>>37
盾はもともとあるぞ、絵巻なんかでも良く出てくる
といっても、立てかけて並べる木製のだけど
あと、鉄砲対策の竹束も

41 :名無し三等兵:04/07/19 00:23 ID:???
投石というから、手で投げるような事を想像している奴が多いが、
「おっぱさみ」などのような、投石用の道具を使っていた。
西欧で言う所の「スリンガー」だ。

42 :名無し三等兵:04/07/19 00:32 ID:???
>>13 >>16
鈴木眞哉を鵜呑みにし過ぎて、勘違いしている奴も多いんじゃないか?
近接戦闘は少ないとは言っても、野戦の場合最終的に勝敗を決めるのは、
白兵戦だろ。
そりゃ、いきなり最初から突撃はせんだろ。
まずは遠距離からの、鉄砲、弓、投石合戦。
それで敵に隙ができたら、突撃敢行。
むろん、突撃を受けた側も、不利なら逃げ出す事になるなら、白兵戦
での死傷者は少ないかもしれん。
終始遠距離戦闘だったら、勝負がつかないだろ。

43 :名無し三等兵:04/07/19 00:35 ID:???
>>42
負けそうになった側が士気崩壊起こし、その時点で勝負がつきますが。

44 :名無し三等兵:04/07/19 00:39 ID:???
>>19
鉄砲の数こそ多かったのだが、実は火薬の備蓄がかなり少なかった
んで、実際の火力が世界一優れていた訳ではなかった。

あと、大砲の保有もかなり少なかった。
もっとも、火縄銃をそのままスケールアップした、大鉄砲(抱え大筒)
とかもあったんで、一概に比較はできないけど。

45 :名無し三等兵:04/07/19 00:42 ID:???
>>43
だから、互いに死傷を恐れて、遠戦やっている段階では、士気崩壊は
起きないよ。
まあ、唯一の例外は大阪冬の陣。
徳川方の大砲が、たまたま大阪城本丸に命中して、淀君の女中のひとりが
死んで、戦意喪失。徳川方に和平をもちかけた。

46 :名無し三等兵:04/07/19 00:48 ID:???
>>16
鈴木眞哉の説には、いささか疑問があるぞ。
戦国初期の山城の作りは、攻めて来る敵を、槍で突いて撃退するのに、
最適な作りになっている。
弓矢で迎撃するような作りには、なっていないのだ。
南北朝時代の楠木正成の篭城戦術も、敵が突撃してくるのが、前提。

日本の城が遠戦・・鉄砲での迎撃を前提とした設計になるのは、
戦国時代末期から。

47 :Pz:04/07/19 01:01 ID:+c9vyQ8n
>>42
鵜呑みにはしてないよ
ただ今まで語られなかった視点から一定の真実はついてると思う
確かに、勝負がつくまでずっと投射戦だけやってたら
いつか矢玉が尽きて戦にならなくなるなんてことも起こりえるはずだもんな

48 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/19 01:05 ID:???
中世前期を中心にやっている者ですが、どうも「楯突戦」と言って楯を挟んで
向かい合った状態で矢を射掛け合い、崩れたところを突いて白兵戦になった
ようです。鈴木先生の白兵戦云々は軍忠状に記された傷がほとんど矢傷や鉄
砲傷であったという事実によるもの。
刀などによる傷はそのまま討死に繋がっていたのかもしれませんが、それに
しても大振りな刃物の役割は敗走や牽制用の面が大きかったのではないかと。
時代が遡るほど矢戦中心の描写は多いですが、白兵戦用の武器や様式が発達
してからも廃れた訳では無かったでしょう。戦国期の史料からも、戦場で受
けた傷の56%を矢傷が占めていた事が窺えます。
もっとも地面に押し倒したら小刀で首を刎ねましたし、馬上から刀を振るっ
て相手の頭部を殴りつけて落とした場合には従者に首をかき切らせたようで
すが(但し室町時代からは主に下馬戦闘。『三河物語』によれば騎乗しての移
動は追撃時に限られた)。
印地打ちについてですが、下賎の者の行動とされた様です。木曽義仲が後白
河院を幽閉する直前、院の側が非人を動員して石を投げさせたらしい。
もっともこうした「賎しい振る舞い」が悪党の勃興した南北朝時代以降劇的に
広まる訳ですから、戦国期にはもっと普及していたのかもしれませんが。

49 :名無し三等兵:04/07/19 01:05 ID:???
>>47
そういう戦も、じっさいにあったんじゃないかな?
川中島の合戦なんか、まともに戦をせずに双方引き返した事が何度か
あったらしいが、そういうケースじゃないのかな?

50 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/19 01:10 ID:???
「矢が尽きたから戦が出来なくなった」という記述は、史書『日本三代実録』
や説話集『今昔物語集』に出て来ます。

51 :名無し三等兵:04/07/19 01:11 ID:???
>>49
どっちかというと川中島の4回目が例外なんでそ?
つーか天候不良による事故

52 :名無し三等兵:04/07/19 01:11 ID:???
当時の火縄銃の弾丸は、コーティング無しの鉛玉だから、いわゆる
ダムダム弾と同じ。
大型のものは20ミリくらいあったから、現代の銃と比べるとかなり
の大口径。
腕を撃たれたら、腕がまるごと吹っ飛ぶくらいの威力があったらしい。
むろん、鎧で防御していた訳だし、命中率は低かったのだろうが。

53 :なまこそ:04/07/19 01:11 ID:???
 >>33、34
 レスどうも。
 口減らしのですか。そう言えば謙信さんの話は聞いたことがあります。
 戦争が手段なのか目的なのかの違いですね。

 「何時でもあらゆるモノが人数分には足りない」てのは理解してたつもり
ですが、源平の世から戦国前期まで続いたある程度秩序だった世界が
それまでも何回も有った「飢饉や抗争の種」ってやつで大きく変わるっての
は、理屈はわかるがどうも納得できない。時代の雰囲気、ノリってやつでし
ょうか?。

 なんつーか、私が知りたいのは豪族の盟主だった大名が絶対権力者に
変わって行く過程というかプロセスを知りたいわけです。

 私は歴史を高校の日本史に以上に勉強したことがないわけですが、
イメージとして「信長=生まれつき絶対権力者」、「謙信=配下の豪族で
苦労した」つうのがあるわけです。(当然、小説からのイメージで事実とは
異なるかもしれない。)
 
 直轄領が増る=豪族ににらみが聞く→絶対権力者の道つう単純な物
なのでしょうか。

 すんません、寝ます。

54 :名無し三等兵:04/07/19 01:14 ID:???
副業で足軽やってる百姓が突撃なんかするかねぇ
遺族恩給・傷痍恩給があったって嫌なのに

55 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/19 01:17 ID:???
>「信長=生まれつき絶対権力者」
尾張時代には800人程度の人数を率いて駆けずり回っていますよ。
>なんつーか、私が知りたいのは豪族の盟主だった大名が絶対権力者に
>変わって行く過程というかプロセスを知りたいわけです。
2ちゃんねるで知ろうというのは難しいのではないかと。
信長の周囲の人間については『信長の親衛隊』などがあります。

56 :名無し三等兵:04/07/19 01:22 ID:???
>>53
>豪族の盟主だった大名が絶対権力者に変わって行く過程というかプロセス

そんな単純なもんじゃないんだけどな。
絶対権力者になった大名ってのは、織田信長と羽柴秀吉くらいなもんだが。

武田家の場合は、絶対権力者になったのは、あくまで武田信玄個人で
あって、しかも絶対権力は軍事面のみで、政治面のは及ばなかった。
武田勝頼には絶対権力者としての座は継承されず、それが武田家の
滅亡の原因になった。

毛利家の場合は、形式上は、国人領主の対等な同盟関係で終わった。

北条家の場合、土地と領主を切り離し、家臣があちこちの城主として
派遣されたり、昇格、降格があったりという、かなり近代的組織を
作り上げた。
ただし、北条家の独裁体制にせず、家臣による合議制を作った。

57 :Pz:04/07/19 01:27 ID:+c9vyQ8n
>>53
>それまでも何回もあった「飢饉や抗争の種」…

14〜16世紀は世界的にも一時的な低温期で、15世紀後半にピークになった後
急速に温暖化したらしいよ
当然、それまでより天候不順が頻発したでしょう
世界史的にはわからないが、確かに南北朝から戦国までの混乱期に合致してる
義満からしばらくの安定期でもいろいろな抗争があって平和ではない
日本史板の人が来てるから、これ以上言うと知ったかになるから止めるけど

58 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/19 01:34 ID:???
>>53
それと戦争の理由についてですが、中世というのは自力救済の時代です。
別に大名同士でなくとも、もっと小さな集団や個人が各々の権利を守護・
拡張していた事もお忘れなく。
臭い言い方をすれば「戦わなければ生き残れない」時代でした。
空き地があれば勝手に占拠・利用するし、止める者がいなければ大路に
家を張り出させて敷地を拡大する。それが可能だった時代です。
規制する権力があればまだマシですが、戦国期以前の時代でも小さな衝
突は絶えませんでしたからね。江戸時代は奇跡みたいなものですよ。
それでも初期には「村同士の境界・水争いに刀・槍・鉄砲などを持ち出
さないように」という法令が出されていましたが(刀狩は一時のもの)。

59 :名無し三等兵:04/07/19 01:35 ID:???
一般的な専制君主然としたお殿様というイメージは江戸期に成立したものだからね
戦国大名とはいっても地域の軍事同盟の盟主であったというのは皆が言ってる通り。
江戸幕府の支配下で御家騒動を起こしてしまうと幕府に取り潰されてしまう。
すると家臣一同路頭に迷うことになってしまう。
それを防ぐために家臣一同一致団結する必要があったから
武士道や御家大事なんてものが生まれたのさ。

60 :Pz:04/07/19 01:44 ID:+c9vyQ8n
ところで、日本の火縄銃ってアルクビュースでしょ
あれって、反動がうまく吸収できんのかね、いかにも狙いにくそうだが
(三野正洋が何かの本で散々けなしてたし)
日本にはムスケット系って伝わってこなかったのかな

61 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/19 01:45 ID:???
>>57
気候の変化についてですが、12世紀は最も温暖な時期に当っておりそれが
行き過ぎた12世紀末には高温による飢饉が多発。『方丈記』に見られるよう
な悲劇はこの時繰り広げられていたものです。
とりわけ西南日本の被害が大きく、平家滅亡の一因となったという。いずれ
にせよ時間の問題であったでしょうが。
その後は仰る通り低温による飢饉が多発しており、13世紀の人口は奈良時
代レベルにまで(600万人前後)落ち込んでいたという説もあります。
15・16世紀にはパリア海退という最寒冷期で、16世紀末にまた温暖に
成り出したようです(勿論気候だけで判断出来る問題ではありません)。
ただ食うや食わず(だけ)が原因で戦闘したというのはどうかと。

62 :Pz:04/07/19 02:01 ID:+c9vyQ8n
>>61
12世紀の干害と平家窮乏の関係は聞いた事があります
日本の場合、高温では西日本が旱魃で不作に、もともと寒冷な東日本では逆に豊作になる傾向があるのも
旱魃はため池などの治水の進歩で時代とともに改善されるでしょうが
冷夏の方は昭和初期まで打つ手がなかったので(今だって品種改良だけで本質的には対抗策はない)
より深刻では?(江戸時代の大飢饉も冷害だし)
気候の変化と、騒乱期や江戸時代の安定期が一致してるのは偶然とも思えない
もちろん、気候や不作にばかり原因を求めるのも単純すぎますが

63 :名無し三等兵:04/07/19 05:30 ID:???
中近世の戦闘における死傷の原因から遠戦指向だったとし、
更にその原因を当時の軍制に求める鈴木氏の主張はいささか強引すぎる
例えば、第2次大戦の陸戦における死傷原因のトップは砲撃によるものだが、
これをもって第2次大戦は砲撃戦に終始したと言えるだろうか?
死傷の原因のみでは戦闘の実相を規定することはできない
そもそも軍制と兵の戦意や戦術の指向には因果関係は低い

64 :某研究者:04/07/19 07:27 ID:0QCkI63f
まあ射撃戦の際は弓兵と鉄砲足軽以外は
後方に居り
弓兵と鉄砲足軽は竹束の背後から
弾が切れる迄射撃をしていたのかも知れぬが
全ての弓兵や鉄砲足軽が
竹束で守られていたのかだが

銃や弓を持つ騎兵は
下馬して竹束の背後から射撃していたのか
或いは敵の騎兵を迎撃する為に
歩兵とは別の場所で敵騎兵と戦っていたのかだが


65 :がんじー:04/07/19 07:29 ID:E1dy/7NA
暴力に暴力で対抗しても、暴力はなくならない、
かえって憎しみが深まるばかりであります。
自らが犠牲になることで、相手を改心させるのが最善の方法

http://homepage1.nifty.com/kayoko/ahimsa.htm

66 :名無し三等兵:04/07/19 07:30 ID:z0H5KZcX
>ただ食うや食わず(だけ)が原因で戦闘したというのはどうかと。

 だから、武士(武装農民)って階級が発生した原因でしょうが。その集団同士
の抗争を調停する機関が無力化した時には同じような状態になるの。動物は放っ
て置けば縄張り争いをするし、人間はその競争に勝つために組織を強化するよう
に出来てる。

 あらゆる国家ってのはそういうモノだし、そんな事を聞かれたって困るよ。秩
序は維持する機関が無くなれば崩壊するのが当然で、幕府のような「自警団連合
」でも司法機関、警察機関として機能すれば秩序は維持できるの。

 逆に言えば戦国期ってのはソレ(自警団連合)が草の根から再生していく過程
なのよ。

67 :がんじー:04/07/19 07:30 ID:E1dy/7NA
サテャーグラハ(真理の宣示)は決して報復を支持しません。破壊が良いことではなく、改心が良いことだと信じるからです。
サテャーグラヒ(心理の信奉者)の武器は愛です。そして揺らぐことのない確かさがその愛から生まれるのです。


68 :名無し三等兵:04/07/19 07:32 ID:z0H5KZcX
 勿論、ココでいう「自警団」ってのは無償奉仕のボランティアじゃなくて
、「兼強盗団」の事だよ。

69 :がんじー:04/07/19 07:34 ID:E1dy/7NA
江戸時代の農民は武士という重荷を背負い不幸であった
現代のサラリーマンは自衛隊という重荷を背負っている

1000年後の人は言うだろう
江戸時代も平成時代も平民は
なんてかわいそうな人たちなんだと

70 :名無し三等兵:04/07/19 07:51 ID:???
地域の生産力の向上が古代律令制の軍事統帥権の希薄化を促し、
更に両者が相互に相手を刺激しながら進行することによって
武士という地方軍事勢力が誕生し、やがて封建制が成立した
西欧のそれとの明らかな相違点は、日本では武士の発生当初には、
フェーデという概念が西欧に比べて非常に希薄だったことで、
これが最終的にはかろうじて朝廷を存続させることになる
この結果、日本ではラント・フリーデのような運動は起こらず、
その代替機能として幕府による封建制が成立する

71 :名無し三等兵:04/07/19 09:01 ID:???
おーい、政治まで論じるなら、三戦板か、日本史板に行けよ。
ここでは軍事限定。

72 :名無し三等兵:04/07/19 09:07 ID:???
軍事限定のネタすら振れない夏厨は黙ってな。

73 :名無し三等兵:04/07/19 09:51 ID:???
山野野衾氏(・∀・)イイ!!

もっと教えを乞いたい。


確か、東郷隆とか言う人が、上田信を絵描に迎えて
戦国時代の合戦などについて一筆書いていたと思うんだが。

74 :名無し三等兵:04/07/19 12:29 ID:Awg4tp4I
>>60
>ところで、日本の火縄銃ってアルクビュースでしょ
>あれって、反動がうまく吸収できんのかね、いかにも狙いにくそうだが
>(三野正洋が何かの本で散々けなしてたし)
>日本にはムスケット系って伝わってこなかったのかな

ショルダー・ショット と チーク・ショットの違いですね。
これは、「胸甲」というか、「胴丸」を装着するかどうか によると思われます。
戦国時代は、足軽や中間・小者まで、一応「笠」と「胴丸」を装着していたようです。
よって、肩付の射撃姿勢(ショルダー・ショット)が取れなかったのが、実情でしょう。


75 :名無し三等兵:04/07/19 12:49 ID:Awg4tp4I
軍事シミュレーションゲーム雑誌「コマンド・マガジン日本版」のvol54
付録ゲームの「決戦! 関ヶ原」をデザインしたリチャード・バーグ氏のデザイナーズ・ノート「日本の戦術」
「日本の合戦は、集団による大乱戦に終始する。
 合戦に先立つ陣形については精巧な取り決めがなされていたが、戦いが始まってしまえば、それはほとんど関係がなかった。
 例えばファランクスと騎兵の間で構築されていったような、勝利を追及した陣形の応用がほとんど見られなかったようなのだ。
 いわば、誰もが自分のためだけに戦っている、そういう戦闘だった。」



76 :名無し三等兵:04/07/19 13:03 ID:Awg4tp4I
>>75 同じ本に載っている反論
 福田誠「安土桃山合戦模様」
「戦機が熟すと騎馬隊が馬を進めた。」
「足軽が鉄砲・弓・長柄の順に行軍している様子が描かれている。
 これはこの時代、日本においても軍勢が各兵科に分かれて運用されていたことを示す」
「騎馬は一段となって疾駆しており、その騎馬突撃の際には随伴の若党が追いつけず、後方に取り残されている」



77 :名無し三等兵:04/07/19 13:15 ID:???
>75
一番槍、一番首て抜け駆けの功名でもなけれれば、難しいと思うが。

78 :名無し三等兵:04/07/19 13:28 ID:???
乱戦に終始するのは日本だけに限った話ではない
古代ギリシアのファランクスやローマのレギオンも、戦闘加入したら
堅確な陣形などどうでもよくなる
スペインのテルシオでも、ひとたび近接戦闘に巻き込まれてしまえば、
隊列の幾何学的な特徴は失われてしまう

79 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/19 14:14 ID:???
>>62
ええ、最後の一行が申し上げたかった事です。ただ因果関係を突き止めるの
には慎重な作業が必要だという点も確かな訳で、マクロな視点とミクロな視
点を併用して行く必要があると考えます。失礼、軍事向きじゃありませんね。
>>66
武士=「武装農民」というのは四半世紀前の説ですよ。現在では中・下層貴族
の家職として発達したのが武士であり、一種の芸能に堪能と見做されたもの
から生じたとされています。
「東国武士が本家本元」とするのは近世以降明治になって喧伝された事で、こ
の観念の支えの一つであった斎藤実盛の台詞自体、彼が富士川の合戦に参加
していた可能性の低い事から疑問視されています。
「放って置けば縄張り争い」という御意見には同意出来ますが、ただ餓えのみ
で捉えようとする傾向にはブレーキをかけた方が良いと考えただけの事です。
荘園などの面から、その時代の政治・経済などの傾向を見て行きませんと。
ただ軍事板向きではありませんので、この話はこの辺にさせて頂きます。
>>73
買ってはいませんが、かなり詳細でしたね。小説も面白い先生ですよ。
>>76
>「戦機が熟すと騎馬隊が馬を進めた。」
「騎馬隊」というのは何を指したものなのでしょうか。近世以前は乗馬も美々
しい鎧も特定の身分の「侍」に限定されたもので、それに歩兵が従うという形
式であった為、騎馬だけで構成された隊の登場は近代からであった筈。
幕末に幕府の役人がフランス人に「騎馬隊の編成」の指導を受けた際には「騎乗
出来る身分だけで編成されたもの」と勘違いしてしまい、五百石取り以上の旗
本だけを集めて来させていました。つまり「騎馬隊」という概念が無かった。
五百石というのはかなりの大禄で、例えば長谷川平蔵でも四百石でした。
西欧でも重い甲冑(+騎士の体重)を支えさせる為に俊敏な馬よりもとにかく馬
体のよい馬が選ばれ、乗馬しての突撃が敢行される様になったのは18世紀以
降だそうです。それまでは日欧ともにやや速い程度。
日本の甲冑を着た人間が馬に乗った場合、一時的に時速9kmを出せる位で、
それも長時間もつようなものではありませんでした。

80 :名無し三等兵:04/07/19 14:28 ID:???
>西欧でも重い甲冑(+騎士の体重)を支えさせる為に俊敏な馬よりもとにかく馬
>体のよい馬が選ばれ、乗馬しての突撃が敢行される様になったのは18世紀以
>降だそうです。
これは流石に違うだろ

81 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/19 14:44 ID:???
『日本騎兵史』という古い本で読んだもので、今手元にありませんが・・・。
「違う」と仰られるからには、根拠がおありなのでしょうから、お聞かせ願
いたいのですが(煽り抜きです)。

82 :名無し三等兵:04/07/19 14:45 ID:???
関係ないが、関が原に行った時、
近くの高速を走る車の音が反響して、鬨の声の様に聞こえた。
目をつぶると、タイムスリップしたかの様に感じた。

83 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/19 14:46 ID:???
なお馬上射撃でない白兵突撃の事です。

84 :名無し三等兵:04/07/19 14:52 ID:???
>>76
戦国時代〜江戸時代最初期にかけて、兵科があったという断言はおかしいと思います。
福田誠が言うように、日本の戦国時代に「騎兵隊」が存在するとしても、それは「戦場で(合戦場で)」「臨時に」皆で合わせて「戦う」ものでしかない。
ナポレオン1世が言うような「会戦前、会戦中、会戦後に役立つ」騎兵隊ではない。
 会戦前には、騎兵スクリーンと、スカーミッション(街道の重要拠点を先に占拠して相手の集結を妨害すること)、偵察
 会戦中には、側面防備と突撃
 会戦後には、追撃と、相手に先回りしての集結点占領
このうち、福田が言っているのはせいぜい偵察と突撃?

つまり兵科としての騎兵は存在しないということ


85 :名無し三等兵:04/07/19 14:55 ID:???
伊達鉄砲騎馬隊の実態は、鎌倉武士が弓のかわりに鉄砲撃つようなものでしょうか?

86 :名無し三等兵:04/07/19 14:57 ID:???
白兵突撃が何を指しているのかは知らんが、
騎兵突撃なら中世以降でもビザンティンのカタフラクトやクリヴァノフォロス、
フランクのカバラリウス、フランスやドイツの重装槍騎兵等々、
枚挙に暇がないが・・・・

87 :Pz:04/07/19 15:03 ID:+c9vyQ8n
>>81
僕も少し変に思った
中世騎士のトーナメントやビザンツの重装騎兵とか十字軍とかあるし
もともと、日本の馬より大柄だっただろうし(フロイスかザビエルもそんな記述残してる)
ギャロップ程度の速さだろうけど突撃したんじゃないの?
百年戦争時のブルゴーニュのジャン無怖公てのも
対オスマン十字軍でのアドリアノープル戦で、押し寄せるオスマン軍に突撃してついたあだ名だし

88 :名無し三等兵:04/07/19 15:05 ID:???
>>84
偵察と突撃ができれば十分だと思うが、
封建軍制では編制は存在していたとしても、
実情はどの兵科でも戦闘編成である場合が多い
「兵科でない」と断言するのは興味深い
詳細を希望したい

89 :名無し三等兵:04/07/19 15:07 ID:???
>>81 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM さん

>>80ではないのですが、
「18世紀以降(1701年〜)」はやや異なるのではという気がします。
スウェーデン王グスタフ2世(位1611〜32)の軍制改革のときに、サーベルを主武器とする突撃用騎兵隊が作られています。
サーベルは、片刃の武器です。馬上で刃のついていない一方の刀身を肩に載せて(つまり、密集して、ある程度の振動が乗馬者を揺らすほど速く、移動しているときに、隣の人を傷つけないように)移動しながら使用する武器で、これは「突撃」を意味します。

また仏王ルイ14世(位1643〜1715)時代の軍制改革のときも、騎兵が重視されてます。

「17世紀」ならまだ話がとおりそうな気がしますが・・・




90 :名無し三等兵:04/07/19 15:11 ID:???
>一時的に時速9kmを出せる位で、
>それも長時間もつようなものではありませんでした。

中世西欧の槍騎兵の突撃の際の速度もせいぜい時速10キロ程度
時速9キロという数字は騎兵の価値を否定する数値とはなりえない
また、当時の騎兵突撃の躍進距離はせいぜい百数十メートル
別に長時間走らせる必要性も意義もない

91 :Pz:04/07/19 15:20 ID:+c9vyQ8n
>>90
時速10キロでも、装甲した人と馬の重量のかかった鑓で突かれたら
充分殺傷されるよね(鐙で踏ん張るだろうし)
相手も突撃してれば、相対速度2倍だし

92 :名無し三等兵:04/07/19 15:22 ID:???
山野野衾氏のイメエジする騎兵突撃がいかなるものなのかは
本人の説明がないので判りかねるが、西欧でも時代によって
騎兵突撃の様相は変容している
18世紀という時代は重騎兵がむしろ軽装化が更に進行した時期にあたる
この時期には騎兵突撃の価値を疑問視する向きも少なくなく、
特にプロイセンのフリードリヒ2世は七年戦争の経験から重騎兵の価値を
ほとんど認めていなかった

93 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/19 15:30 ID:???
おお、しばらく見ない間にこんなにレスが!ありがとうございます。
とりあえず教えて頂くばかりなのですが・・・
>90,91
乗馬したままの突撃というのはあまり歓迎されていなかった節があります。
『三河物語』には乗馬して行くのは追撃時にせよと書かれており、ルイス・
フロイスの『日欧文化比較』や柳成竜の『懲ヒ録』には、
「欧州の騎士は馬に乗って戦う。日本では戦う時には馬を下りる。」
「賊(日本軍)は全て歩兵で云々」
と書かれています。もっとも『信長公記』は長篠の合戦条で、
「関東衆、馬上の巧者にて、是れ又、馬入るべき行(てだて)にて、推し
太鼓を打ちて、懸かり来たる。」
とありますので、少数の例外はあったかも。

94 :名無し三等兵:04/07/19 15:32 ID:???
>>88 多分こういうことを、言いたいんじゃないかな。

編成[一般的な用語]
  集めて、まとめること。「編成する」という言い方をしても可。

編制[本来は軍事専門用語]
  制度上[法的なと言い換えられる]の軍隊区分とその構成のこと。旧軍では「編制する」とは言わなかった。
  もっともこの用語は一般化しており、現在では「学校のクラス編制」「編制する」などという言い方をする。

以上を踏まえて、

 封建的軍隊で、足軽の『編制』は、具体的には江戸時代の城下町の長屋の名に残るように、「長柄組、鉄砲組、弓組」などとなっていたのだと思います。
 しかし、実際の合戦場では、これは組み合わせ『編成』されて、さらに指揮官および突撃戦用の乗馬武士とその従者が、合わさって「備え」という戦闘グループが構成されることがあたりまえになっていました。

という意味ですか?

 
 

95 :名無し三等兵:04/07/19 15:36 ID:???
>>94
概ねその通りでつ

96 :某研究者:04/07/19 15:40 ID:rKosM58Z
絵を見ると騎馬武者は騎乗して戦闘しているが
此れは追撃時なのだろうか
(行軍時も無論乗馬はしているだろうが
 行軍用と戦闘用の馬は西欧の様に
 分かれているのだろうか
 足軽より重い甲冑を装備する徒歩武者が
 西欧の重装歩兵の様に乗馬して移動した可能性は
 無いのかだが)

97 :某研究者:04/07/19 15:42 ID:rKosM58Z
足軽は甲冑は着て居ない者も居るとの
意見も有るだろうが
徒歩武者・騎馬武者は流石に全て甲冑を
着ているだろうか


98 :名無し三等兵:04/07/19 15:45 ID:???
また湧いたか・・・

99 :名無し三等兵:04/07/19 15:51 ID:???
騎兵による突撃は、陣前突撃が主だろう
並足で戦場間を機動し、駆け足もしくは早足で突撃。

いつでもどこでも騎兵が襲歩していると思うのは、競馬の見過ぎ。

100 :某研究者:04/07/19 15:53 ID:rKosM58Z
時速10kmしか出ない騎兵で歩兵が追撃出来るのかだが
甲冑を着ている歩兵は兎も角
着ていない者は無理かも知れないが
(敗走した時に鎧を着ていない彼等のみが
 生き延びたと言う可能性も有るのかも知れないが
 同じ鎧を着ていない足軽に追撃された可能性も
 有ると言う事なのだろうか)

101 :名無し三等兵:04/07/19 15:53 ID:???
>いつでもどこでも騎兵が襲歩していると思うのは、競馬の見過ぎ。
そんなこと誰も言ってませんが?

102 :某研究者:04/07/19 15:59 ID:rKosM58Z
ローマ等の様に敵の騎兵を排除した後に
敵歩兵の背後に突撃すると言うのが
主流では無いと言う事なのだろうか
(まあ長篠の様な全周に土塁の有る陣地なら
 騎兵の背後からの突入は無理だろうが)

103 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/19 16:02 ID:???
馬についてですが、『雑兵物語』に馬取の話として
「兎角お侍は伯楽だの生喰の乗り手だのの真似をしたがって頑馬を好む
もんだが、「駆走が自由で遠路に疲れない馬」が一番だ」
と書かれていました。「ただほんにお侍衆の足」であるのに、わざわざ頑
馬にするのが好まれているというのが下っ端の愚痴。
頑馬=敢馬でしょうが、格好つけが多かったのでしょう。
また「歩行立の合戦」の時には主を見つけて馬に乗せて追撃をかけるのが
大変だとも書いてありますが、「歩行立の合戦」というからには騎乗した
まま戦う事もあったものでしょうか。

104 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/19 16:04 ID:???
「悍馬」の間違い。馬鹿馬鹿しい真似を重ねてしまった。

105 :某研究者:04/07/19 16:06 ID:rKosM58Z
騎馬武者は追撃時だけでは無く敗走時も
乗馬して戦闘していたと言う可能性は
有るだろうが

106 :名無し三等兵:04/07/19 16:07 ID:???
軍馬がきわめて高価で、騎乗身分の侍は自費で馬を用立てることを考えると
損害の少ない追撃戦以外では下馬していたのもうなずけますね。
お家の存亡がかかった決戦的意味合いのある戦闘では乗馬戦闘していたかもしれませんが。

107 :某研究者:04/07/19 16:11 ID:rKosM58Z
敗走する騎兵も鎧を着ていない足軽や
敵騎兵に追い付かれてやられていた可能性は
有るだろうか

108 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/19 16:15 ID:???
『源平盛衰記』に、「近頃の合戦ではすぐに馬を射て組打に持ち込んでいる」
という老武者の歎き(武士の本分は「弓馬の道」という通り騎射)が記され
ていますが、『雑兵物語』にも鉄砲足軽小頭の「まず馬を射てから乗り手を狙う
事。或いは、状況によっては乗り手を落として馬を暴れさせて敵を混乱させ
るのも良い」というコメントが記されています。
南北朝時代以降は馬鎧も発達していますが、侍の中には自分の館に使いを出
して「大至急、下人を馬に乗せて来させて欲しい。馬が足りなければ歩かせ
てもいい。」という手紙を送ったものもいましたから、戦場で不足する事も
多かったのでしょう。騎乗は一種の特権でしたが、この場合は特別か。

109 :名無し三等兵:04/07/19 16:17 ID:???
>絵を見ると騎馬武者は騎乗して戦闘しているが

騎乗で弓の射程圏まで敵陣に接近して、騎走のまま弓を射たんじゃないでしょうか?

110 :名無し三等兵:04/07/19 16:18 ID:???
ところで、西欧で騎兵突撃が行われたのは18世紀以降って話は?

111 :某研究者:04/07/19 16:18 ID:rKosM58Z
まあ鎧を着ていない足軽も
敵の足軽では無く
騎馬武者を追撃した方が手柄と成ると見做すかも知れぬし
敵の騎馬武者のみを追うと言う事も有っただろうが
(まあ騎馬武者も同様に騎馬武者のみを追ったと言う事は
 無いのかだが)
鎧を着た足軽は騎馬武者や鎧の無い足軽は追えないだろうし
鎧を着た足軽を主に追撃していたと言う
事かも知れないが
敵が鎧を脱ぎ捨てて逃げると言う様な描写も有っただろうから
敵を簡単に追撃出来るのかだが
足軽は兎も角騎馬武者迄鎧を脱ぎ捨てていたのかだろうし
脱ぎ捨てていたなら此れは同様に鎧の無い騎馬武者以外は
追撃出来なかっただろうか

112 :名無し三等兵:04/07/19 16:20 ID:???
ピストル騎兵が発達して従来の槍騎兵が駆逐されたって話では?

113 :名無し三等兵:04/07/19 16:22 ID:???
ピストル騎兵の発展は18世紀よりも前の話だよ。

114 :名無し三等兵:04/07/19 16:24 ID:???
>>113
西欧全部にすぐさまピストル騎兵が発達したわけでもないでしょ。

115 :某研究者:04/07/19 16:25 ID:rKosM58Z
>騎乗で弓の射程圏まで敵陣に接近して、騎走のまま弓を射たんじゃないでしょうか?

まあ戦国時代の場合弓や銃を持たない騎兵の方が
多いだろうし
敵歩兵の射撃も有るだろうから
果たして敵の騎兵以外に射撃をしていたのかだが
(まあ敵歩兵の追撃時は歩兵に対しても
 放たれていた可能性も有るだろうし
 敵騎兵を撃破して敵歩兵の背後から突入する事が
 有ったのならこの際にも射撃をしていた可能性は
 有るだろうが
 敵が矢や銃弾を残していれば反撃は受けただろうが)
鎌倉時代の騎馬武者も騎兵に対してのみ矢を放ち
歩兵には放たなかったと言う事は無いのかだが
(戦国時代同様に追撃時や背後からの突入時以外は
 歩兵には射撃はしなかった可能性も有るだろうが)

116 :名無し三等兵:04/07/19 16:25 ID:???
>>114
すまんが何が言いたいのかよくわからないのだが。
ピストル騎兵と18世紀の騎兵突撃にどんな関係があるの?

117 :名無し三等兵:04/07/19 16:28 ID:???
>まあ戦国時代の場合弓や銃を持たない騎兵の方が
>多いだろうし

それは騎兵ではなく指揮官ではないのでしょうか?

118 :某研究者:04/07/19 16:29 ID:rKosM58Z
>ピストル騎兵が発達して従来の槍騎兵が駆逐されたって話では?

騎銃兵やピストル騎兵も銃を撃ち合った後は
恐らく騎兵や歩兵に突撃していただろうし
サーベル騎兵や復活した槍騎兵と言うのは
彼等より近接戦の能力が高いと言う事に
過ぎないだろうが

119 :某研究者:04/07/19 16:31 ID:rKosM58Z
>それは騎兵ではなく指揮官ではないのでしょうか?

まあ絵を見ると槍や長刀を構えている騎兵が非常に多いし
弓や銃を持つ騎兵は少数だった可能性が
高いかも知れないが
実際はどうだったのだろうか
(恐らく騎馬鉄砲隊成る物は少数だった以上は
 槍を持つ騎兵が仮に少なく共弓を持つ騎兵が
 大半だったと言う事なのだろうか)

120 :名無し三等兵:04/07/19 16:32 ID:???
>>114
ホイールロックピストルが発明されたのは16世紀初頭。
2世紀近く後の18世紀までピストル騎兵が普及しなかったとする根拠は?

121 :名無し三等兵:04/07/19 16:32 ID:???
>>118
ちょっと資料が手元に無いんだが、ピストルは今考えているような火器というより、
槍より間合いの遠い武器みたいな使い方だった希ガス。と、だけ書いて逃げる。

122 :名無し三等兵:04/07/19 16:33 ID:???
誰か、「長篠の合戦と〜」を引用汁。
漏れはウロオボエだからダメだけど。

123 :某研究者:04/07/19 16:36 ID:rKosM58Z
ピストルも馬を狙ったのでは無く
騎兵を狙ったのであるなら
胸甲で弾かれていた可能性も有るだろうが
騎兵銃なら貫かれていただろうか
(まあ馬を狙わないなら近距離で無いと馬上からでは
 当たらなかった可能性も有るだろうが)

124 :某研究者:04/07/19 16:37 ID:rKosM58Z
近距離ならピストルでも胸甲は貫通する様な気もするが
果たして近距離でピストルと言うのは
撃たれていたのかだが

125 :某研究者:04/07/19 16:40 ID:rKosM58Z
17世紀には西欧では胸甲は廃れていたと言う意見も有るだろうが
(18世紀には復活すると言う事だろうが)
一応17世紀の甲冑と言うのは多数残っているが
此れは少数の指揮官のみが着用していたと言う可能性も
有るのだろうか
(グスタフアドルフのサーベル騎兵も
 胸甲は装備していないと言う事なのだろうか)

126 :Pz:04/07/19 16:48 ID:+c9vyQ8n
>>118
>騎銃兵やピストル騎兵も銃を撃ち合った後は
 恐らく騎兵や歩兵に突撃していただろうし

レイター騎兵のカラコール戦法って、
2丁短銃を発射後は入れ替わって半回転して後方につく
突撃しないんじゃないの?
ブライテンフェルトじゃその戦法をスエーデン軍の抜刀騎兵突撃に破られている



127 :名無し三等兵:04/07/19 16:50 ID:???
某研究者 さんは知識あるのだから、怖がらずに、きちんと自分の見解を書いてみたらいいと思います。
質問調の変な書きかたは、良くないのではありませんか。

ぜひ、知識のない我等を啓蒙していただきたいものです。

128 :某研究者:04/07/19 17:03 ID:rKosM58Z
http://www.knightsedge.com/armor/17th-century-war-armor.htm
目の部分の隙間が大きく成っているのは
矢張り銃を扱う為なのだろうか

http://www.arms-armor.cz/gallery_window.php?code=ga038&pic=1&heading=Black%20cuirassier&PHPSESSID=d1288ad4687069775715223c9a8ecb60
http://www.arms-armor.cz/gallery_window.php?code=ga022&pic=1&heading=Cavalry
http://www.arms-armor.cz/gallery_window.php?code=ga019&pic=1&heading=Cavalry
http://www.arms-armor.cz/gallery_window.php?code=ga023&pic=1&heading=Black%20cuirassier
http://www.arms-armor.cz/gallery_window.php?code=ga037&pic=1&heading=Cuirassier
http://www.arms-armor.cz/gallery_window.php?code=ga024&pic=1&heading=Cuirassiers
http://www.arms-armor.cz/gallery_window.php?code=ga059&pic=1&heading=Infantryman
http://www.arms-armor.cz/gallery_window.php?code=ga020&pic=1&heading=Pikemen
17世紀に上の様な甲冑は何処迄使われたのかだが
中世に鎧を着ていた連中は基本的に全て
使用していたと言う事は無いのかだが



129 :某研究者:04/07/19 17:07 ID:rKosM58Z
>ブライテンフェルトじゃその戦法をスエーデン軍の抜刀騎兵突撃に破られている

まあピストル騎兵も剣は持っているだろうが
錬度はサーベル騎兵には全く及ばなかったと言う
事なのだろうか
(騎兵の銃と言うのは馬上からの射撃である事も有り
 余り当たらないのだろうか)

130 :某研究者:04/07/19 17:15 ID:rKosM58Z
>間接武器の方が殺傷力があったみたいな意見が聞かれて。
>僕もそう思うんだけども。

長篠の際も信長軍の損害は銃や弓・石でやられた物が
大半だったと言う事なのだろうか
(武田軍の方が鉄砲を持つ兵の比率は
 確か多かっただろうから
 信長軍の銃での損害も馬鹿には
 成らなかったと言う事かも知れないが
 武田軍は泥沼を行軍した為に疲労でやられたと言うが
 疲労で銃や弓を高速で連射出来なく成ったが為に
 敗れたと言う事なのだろうか)

131 :某研究者:04/07/19 17:18 ID:rKosM58Z
>レイター騎兵のカラコール戦法って、
>2丁短銃を発射後は入れ替わって半回転して後方につく
>突撃しないんじゃないの?

まあ只銃弾を撃ち尽くした後はどうしていたのかだろうし
騎兵や歩兵に対して剣で戦ったと言う事は
無いのかだが

132 :某研究者:04/07/19 17:26 ID:rKosM58Z
>長篠の際も信長軍の損害は銃や弓・石でやられた物が
>大半だったと言う事なのだろうか

まあ土塁の銃眼から銃を放つ敵に対して
銃を放っても効果は有るのかだろうし
土塁に上る際此れを迎撃する為に土塁の上に上がった
槍を持つ歩兵に対して
武田軍も銃撃や投石をしていたと言う事かも知れぬし
この際に信長軍は銃や石で多数やられた可能性も有るだろうが
(まあ土塁を上った後に土塁の上から陣地内部の兵に対して
 銃撃や投石が加えられたかも知れぬし
 銃眼を利用して陣地内部を射撃していた兵も居るかも知れないが
 土塁の構造上外側から果たして内部が射撃出来たのかだが)

133 :名無し三等兵:04/07/19 17:32 ID:???
おお、何時の間にやらこのスレに猊下が降臨されておる。

134 :某研究者:04/07/19 17:34 ID:rKosM58Z
無論銃眼からの信長軍の銃撃でやられた者も
多数居るだろうが
車竹束等を利用すれば
損害は余り出なかったかも知れぬが
壕の部分には車竹束等は持ち込めたのかだろうし
至近距離からの銃眼からの銃撃でやられた可能性は有るだろうが
銃眼を上手く塞ぐ事等は
出来なかったのかだが
車竹束にも銃眼が有る物は有る様であるし
この銃眼を用いて土塁を上る兵を迎撃する為に
土塁の上に出て来た兵を銃撃すれば
一方的に打撃が与えられた可能性も有るだろうが
土塁を上る兵が土塁の銃眼からの射撃で
相当程度やられていたのも事実だろうが

135 :某研究者:04/07/19 17:40 ID:rKosM58Z
竹束の盾成る物も武田軍には有った様であるし
大阪夏の陣で使われた様な鉄の盾も
有ったかも知れぬし
此れで車竹束から出て壕を超え土塁を上る兵を守りつつ
銃眼を塞ぐと言う方向も有っただろうが
竹束の盾には石や土は詰められていたのかだろうし
無ければ防弾効果は半減するだろうし
土塁の銃眼から撃たれる銃弾と言うのは
大筒の様にかなり強力な物も有ったかも知れぬし
車竹束でさえ防げない物も有っただろうが
数はそう多くは無いのなら矢張り車竹束や竹束の盾を使用した方が
損害は出ないと言う事かも知れないが
武田側の大筒では土塁を打ち抜いて背後の兵に
打撃を与える事は矢張り無理だったのだろうか

136 :某研究者:04/07/19 17:46 ID:rKosM58Z
大筒を使える銃眼と言うのはそう多くは無いだろうし
武田軍の兵力が一点に集中したとしても
信長軍の大筒が集中する事は
無かったと言う事なのだろうか
(まあ土塁の上から大筒での射撃を試みる者も
 恐らく居たかも知れぬが
 此れは車竹束の銃眼等からの銃撃で
 撃つ前にやられた場合も有るのかも知れないが)

137 :名無し三等兵:04/07/19 17:50 ID:???
戦国時代は無かったというのが今の定説。
お前らが教えられてきたことは三国志演義のようなもの。

138 :某研究者:04/07/19 18:00 ID:rKosM58Z
車竹束が土塁周辺に到達しても
至近距離からの大筒の攻撃は止められるのかだろうし
竹束の後ろの兵もかなり損害を受ける可能性も有るだろうが
何も無ければ通常の銃でやられるだろうし
無いよりはましであると言う事かも知れないが
(まあ後は竹束や土塁の背後への
 手投げ弾の攻撃等も有る訳だろうし
 大筒が使える銃眼の背後に手投げ弾を集中して
 此れを止めると言う方向も有るだろうし
 (まあ竹束の背後や土塁を上る兵に対しても
  此れは使われ得るだろうが)
 近距離であれば大筒の銃眼に対しても
 銃撃は加えられる可能性も有るだろうが)

139 :名無し三等兵:04/07/19 18:04 ID:???
>>127
それマジ?

140 :名無し三等兵:04/07/19 18:13 ID:???
>>138
防御側が数的劣勢で攻勢側の車竹束と足軽が土塁に近づけば、
防御側は壊走するか後退するのではないでしょうか?

槍の届く距離になれば逃げるが難しくなりますし。

141 :某研究者:04/07/19 18:22 ID:rKosM58Z
数は信長軍の方が倍以上は有るだろうが
武田軍の質を考えれば或いはだろうし
泥沼を通って疲労しなければ或いはかも
知れなかっただろうか
(まあ野戦築城自体が雨が降らねば無理との意見も有るだろうし
 信長軍が確実に勝てたかは
 疑問も有ると言う事かも知れないが)

まあ武田信玄に信長が負けていた場合は
信長は殺されていたかも知れないが
秀吉や家康は生かされた可能性も有るだろうし
武田信玄死亡後に彼等が実権を握っていた可能性も
有る訳だろうか

142 :某研究者:04/07/19 18:27 ID:rKosM58Z
今川義元が生き信長が死んだ場合
今川義元は武田信玄に果たして
勝てたのかだが

143 :某研究者:04/07/19 18:28 ID:rKosM58Z
家康や秀吉が義元の側に付いたとしても
武田には果たして勝てたのかだが

144 :名無し三等兵:04/07/19 18:39 ID:???
>>142-143
今川義元はほぼ負け知らずの武将ですよ、最後を除いて。

145 :名無し三等兵:04/07/19 18:42 ID:???
天運無い人間に勝利なし。クラウゼヴィッツじゃないが運が一番

146 :名無し三等兵:04/07/19 18:49 ID:???
レスが伸びてると思って覗いたら「今川と武田はどっちが強いか?」か。
何か急にレベルダウンしてないか?

147 :名無し三等兵:04/07/19 18:53 ID:???
厨な質問で申し訳ありませんが、日本で弩弓(いしゆみ)が使われなかったのには、
何か訳があるのでしょうか?
中国より渡ってきた文献等によりその存在は知っていたと思うのですが・・・。

148 :名無し三等兵:04/07/19 18:55 ID:???
西三河在住だけど、近所の神社の神域はまるごと中世の砦跡だと言われてる。
松林の中に土壁みたいな痕跡があるけど何の保護もしてない。調査の有無も不明。

伝承ではここで戦いがあり、江戸時代初めに死んだ侍を祭るために勧請された
のが今の神社らしい。知る限り、ここでの合戦は文章記録には残ってない。

地元の人間にも存在さえ忘れられてしまう死人の戦死って、何なのだろう。
神社の謂れを調べるまでは自分も知らなかった。


149 :某研究者:04/07/19 18:55 ID:rKosM58Z
>今川義元はほぼ負け知らずの武将ですよ、最後を除いて。

此れに秀吉・家康が加われば
武田も勝てたのかだが
兵の質自体は武田軍の方が
恐らく上だろうか


まあ竹束の盾で銃眼を塞いでから上れば
土塁上の兵は車竹束の銃眼から銃撃可能なら
余り損害は出ないかも知れぬが
大筒や手投げ弾の攻撃は防げないかも知れぬし
大筒は土塁背後への手投げ弾の攻撃や銃眼への至近近距離からの銃撃
(まあ銃眼に槍等を突き込むと言う方向も有るだろうが)
手投げ弾は土塁内部に早期に侵入して止める以外は
無いと言う事かも知れないが
まあ銃の銃眼に対しても10m程度の距離なら
狙撃出来無いのかだが
相手も同様に車竹束の銃眼に対して
直接狙って来る可能性は有るだろうが
(まあ其れで土塁上の兵を銃撃出来なく成る事を恐れ
 車竹束は余り土塁近くには接近しない可能性も有るだろうし
 大筒は接近した別の兵に
 始末させると言う方向も有るだろうが)

150 :名無し三等兵:04/07/19 19:04 ID:???
>>147
弩を必要とするほどの大規模な攻城戦の需要が無かったため、
弩を製造できるだけの工業力が育成されなかった

151 :某研究者:04/07/19 19:15 ID:rKosM58Z
城の場合は門から攻めれば
銃眼からの大筒や側面からの銃撃で
竹束の盾や鉄の盾を用いてもやられるだろうし
側面からの銃撃を受けない場所から
竹束の盾等を構えて上ると言う方向も有るだろうが
側面からの銃撃を受けないのは櫓の部分だろうし
この部分の内部に侵入しても待ち構えている敵に
やられる危険は有るだろうが
其れは門でも同じだろうか

152 :名無し三等兵:04/07/19 19:17 ID:???
>>151
落城の原因はほとんど内通ですよ。

153 :名無し三等兵:04/07/19 19:17 ID:???
某研の攻勢止まず

154 :名無し三等兵:04/07/19 19:19 ID:???
>>147
弩はかなりの技術が必要とされる武器だけど
北方騎馬民族に対抗するために、中央政府が技術を保護してきた中国ならともかく
日本では需要が少なかった。

155 :某研究者:04/07/19 19:21 ID:rKosM58Z
門の側面の銃眼を塞ぎつつ
前進すると言う様な方向も有るだろうが
これは正面や背後からの銃撃でやられ得るだろうし
門は避けて櫓から上ると言うのが
正解なのだろうか
(まあ壕が有る場合壕に浮かべた筏から梯子でも
 掛けると言う手も有るだろうが
 万一手筏に手投げ弾でも落とされたらアウトかも知れぬだろうか)

156 :名無し三等兵:04/07/19 19:23 ID:???
>>146
その話してるの某研だけだしw

157 :某研究者:04/07/19 19:26 ID:rKosM58Z
櫓の部分も良く見ると側面或いは斜め側面から
銃撃される様な気もするし
死角と言うのは中々
無いと言う事かも知れないが

158 :某研究者:04/07/19 19:27 ID:rKosM58Z
まあ只櫓の部分の窓は銃眼では無いだろうし
この部分を銃撃する事で
敵の銃撃は阻止出来るかも知れないが

159 :147:04/07/19 19:31 ID:???
>150、154
なるほど、技術とそれを行使すべき敵の存在ですか。
有難う御座います。

160 :名無し三等兵:04/07/19 19:32 ID:???
>>150
いや平安期までは大量に使用されている。
刀伊の入寇がその例。
単に欧州でも同じように速射性の有効性から、
弩よりも長弓に移行したのだと考える。

161 :名無し三等兵:04/07/19 19:34 ID:???
欧州では長弓に移行してはいないぞ


162 :名無し三等兵:04/07/19 19:36 ID:???
長弓を大量に使用したのはイングランドだけ
当時のイングランドも経済的には後進国だった
そして、そのイングランドでさえ、弩兵の調達に努力を払っている
薔薇戦争当時の給料は弩兵>長弓兵

163 :名無し三等兵:04/07/19 19:36 ID:???
>>161
英軍は?

164 :名無し三等兵:04/07/19 19:37 ID:???
>>162
フランスとの戦訓からそれはおかしいのでは?

165 :名無し三等兵:04/07/19 19:39 ID:???
>>164
どこがおかしいのかな?

166 :某研究者:04/07/19 19:39 ID:rKosM58Z
櫓の部分の壁を貫くには
かなり大型の大筒で無いと無理なのかも知れないが
窓からでも打ち込めば内部に密集している兵に対して
打撃は与えられないのかだが
味方が櫓に侵入した後は敵も同様の事を
考え得るだろうか
(櫓の窓から手投げ弾を投げ込むと言うのは
 窓は格子状なので無理だろうか)

167 :名無し三等兵:04/07/19 19:41 ID:???
>>165
百年戦争

168 :名無し三等兵:04/07/19 19:43 ID:sD+WfF9/
戦国の騎馬戦術ですが、北条五代記によると、
最初騎乗で駆け、弓矢で攻撃。敵に近接したところで下馬。追ってきた轡取りに馬を
預け、その轡取りが持ってきた槍やら長刀やらと交換。馬は戦闘現場からやや離して待機。
ひとしきり白兵戦を演じた後頃合を見計らって馬を呼び乗馬、弓で攻撃。これを何度か繰り返す。

というのが当時の関東における戦い方だったようです。朝倉犬也はこの戦術の名人?だったようで
結城秀康に絶賛される場面がこの書物に乗っています。

某研さん、今川より武田の方が強いですよ。ていうか貪欲過ぎて恐ろしいほどです。
連中の生国甲斐信濃ではしょっちゅう冷害がおきて食う為には戦しかありませんでしたから
足軽の士気が違います。それに比べて駿河は温暖で作物がよく実りますから別に戦しなくても
やっていける。大阪八連隊ですな。

169 :名無し三等兵:04/07/19 19:44 ID:???
弩兵の産地はイタリア
100年戦争では良質の弩兵をジェノバから雇っている。
>>163
英軍が長弓兵を多数動員できたのは、平時から養成に血道を上げていたため
他国ではそれほどの動員はできない。

170 :名無し三等兵:04/07/19 19:45 ID:???
>>168

武田は長篠の戦一回で1万人を殺されています。
桶狭間で今川は5000人を殺害されています。
織田信長は異常に強い事だけは否定できません。

171 :名無し三等兵:04/07/19 19:46 ID:???
>>169
そりゃそうだろうが、クレーシーの戦いを見ると。

172 :某研究者:04/07/19 19:50 ID:rKosM58Z
クロスボウ兵等訓練は弓兵より不要だろうし
雑兵では無いのかだが


>ひとしきり白兵戦を演じた後頃合を見計らって馬を呼び乗馬、弓で攻撃。これを何度か繰り返す。

弓を放ちつつ敵に接近した後
下馬して槍を用いて白兵戦を行い
敵が敗走した後で
弓を用いて追撃を行うと言う
事なのだろうか
(まあ敵も馬で逃げる者は居るだろうし
 彼等も同様に矢を放って来る可能性は無いのかだが)
TV等に出て来る馬上で槍を振るう騎兵と言うのは
誤りと言う事なのだろうか

173 :名無し三等兵:04/07/19 19:50 ID:???
>>167
百年戦争におけるイングランド長弓戦術の戦訓
1 長弓戦術は野戦でしかも防勢の場合にのみ威力を発揮する
2 ただし、そのためには火力集中が前提であり、圧倒的な大量に投入する必要がある
3 敵が野砲を持っていた場合、長弓戦術の優位性は喪われる(フォルミニー戦)
4 砲がない場合でも、騎兵の徒歩突撃はある程度効果を見込める
  このため薔薇戦争では両軍はしばしば騎兵を下馬戦闘させている

百年戦争後、イングランドに倣って長弓兵を大量に整備した国はどこにもない

174 :名無し三等兵:04/07/19 19:53 ID:???
>百年戦争後、イングランドに倣って長弓兵を大量に整備した国はどこにもない
そりゃそうだ、一人前の長弓兵になるためには子供の頃から手の骨が変形するほど訓練する必要がある
そんな熟練兵を数そろえるならば、弩兵を雇うなり大砲揃えた方がまし。

175 :名無し三等兵:04/07/19 19:54 ID:???
イングランドが長弓兵を大量に整備できたのは、産業的に後進国であったため
大量の余剰労働力を長弓兵に転用可能だったから
羊毛産業の発展とともに、イングランドの長弓兵は衰退することになる

176 :名無し三等兵:04/07/19 19:55 ID:???
>>174
わかっているではないか
長弓兵の育成コストは高い
故に長弓は弩にかわって主流になることができなかった

177 :名無し三等兵:04/07/19 19:56 ID:???
>>173
となると、日本は早い時期に野砲は入ってきていなかったのが、
大きな要因かな?
火砲に関しては少なくとも元寇以後だから。

178 :名無し三等兵:04/07/19 19:57 ID:???
>>176
どちらもコストは似たようなものだと思うが。

179 :名無し三等兵:04/07/19 19:57 ID:???
イングランドの対スコットランド戦と百年戦争で、長弓兵はその戦術的威力を
示したが、同時にその克服しがたい限界も露呈した
これが百年戦争で得られた教訓だ

180 :名無し三等兵:04/07/19 20:00 ID:???
>>178
幼少期から骨格に変形をきたすほどに訓練を必要とする長弓兵と、
矢の装填動作と撃発動作の修得のみで要請可能な弩兵とでは
育成コストで天と地ほども違う

181 :名無し三等兵:04/07/19 20:02 ID:???
>>177
元寇のてつはうは大砲とは言い難い
また、日本でイングランドの長弓戦術に似たような戦術が行われていたことを示唆する
史料は存在しない
弩が普及しなかった理由は上述の通り

182 :名無し三等兵:04/07/19 20:02 ID:???
>>180
弩兵も訓練が必要では?

183 :名無し三等兵:04/07/19 20:03 ID:???
>>182
何度も言うが、矢の装填動作と撃発動作の修得は必要

184 :名無し三等兵:04/07/19 20:04 ID:???
>>181
だから、火砲でさえ元寇以後だからということ。
日本の場合、似たような戦術が行われにくいのは野戦では騎射戦が主だからでしょう。

185 :名無し三等兵:04/07/19 20:05 ID:???
>>183
それもコストが必要。

186 :名無し三等兵:04/07/19 20:06 ID:???
>>179
打撃力はあるけど、舞台を整えなければ威力を発揮できないし
接近されると脆いので、護衛や障害物で防護しなけりゃいけないし
通常の散兵として使うにはもったいないし、集中しなければ効果が無い。

ツボにはまると強いけど、使い方が難しい兵科だよね。


187 :名無し三等兵:04/07/19 20:07 ID:???
>>184
日本で火器の使用は16世紀中期以降
ただし、応仁の乱で細川勢が大陸から輸入した火器を
使用していたという説もあることを付記しておこう

イングランドの長弓戦術は戦史上でも極めて特異な戦術であることを認識すべき

188 :名無し三等兵:04/07/19 20:08 ID:???
>>185
弩兵も長弓兵も訓練は必要だが、長弓兵は比べものにならないほどに訓練期間が必要
訓練期間=コストになるわけだが、理解できるか?


189 :名無し三等兵:04/07/19 20:09 ID:???
>>185
少なくとも思春期から骨格が変形するほど訓練する必要はない

190 :名無し三等兵:04/07/19 20:09 ID:???
>>187
本論に戻すが、日本が弩兵を採用しなくなった要因は。

・野砲が入ってこなかった。
・騎射では弩は扱いにくい。

という要因が挙げられるということかな?

191 :名無し三等兵:04/07/19 20:10 ID:???
>>189
弩は道具が必要なほど力が必要で訓練も必要。

192 :名無し三等兵:04/07/19 20:12 ID:???
>>190
違うな
弩が日本に導入された律令兵制期には大砲はまだ存在していない
また、西欧には騎乗弩兵も存在する

弩が普及しなかった要因は、弩を必要とするほど大規模な攻城戦の需要がなかったから

193 :名無し三等兵:04/07/19 20:12 ID:???
>>190
精巧な弩が作れなくなっていたってのもあるのでは?
中国では国家が弩の生産をしていて、厳格に民間への流出を防いでいたらしいし。
豪族レベルの戦争では、弩を作れないし集中利用しなければ威力も薄い。
それに野戦での小競り合いなどでは使えないだろ>弩

194 :名無し三等兵:04/07/19 20:13 ID:???
>>191
弩は滑車や梃子を使って弦を引くことができる
単純に筋力のみに頼る長弓とは違う

195 :名無し三等兵:04/07/19 20:17 ID:???
弩は、発射速度を除けば威力、精度、射程、兵の育成コスト等で弓より勝っている
このため、ヨーロッパでは火器が主流となる16世紀まで投射兵器の主流であり続けた

196 :名無し三等兵:04/07/19 20:19 ID:???
>>192
西洋の騎乗弩兵って、たまにいたらしいけど
彼らはいわゆる「騎射」を行ったのかな?
再装填に激しく困難が伴いそうだけど……

197 :名無し三等兵:04/07/19 20:20 ID:???
>>196
騎兵用に作られた弩も存在する

198 :名無し三等兵:04/07/19 20:22 ID:???
>>196
>再装填に激しく困難が伴いそうだけど……
それは後のピストル騎兵や竜騎兵にも当てはまる

199 :某研究者:04/07/19 20:22 ID:rKosM58Z
>また、西欧には騎乗弩兵も存在する

まあ此れは騎乗して射撃をする兵ではなく
行軍時に下馬して射撃を行う兵なのだろうか

弓等半身に構えれば曲面で滑って
殆ど貫通しないかも知れぬが
銃では流石に貫かれるのだろうか

200 :某研究者:04/07/19 20:26 ID:rKosM58Z
>西洋の騎乗弩兵って、たまにいたらしいけど

まあ彼等は騎士の様な甲冑と言うのは
矢張り装備していないのだろうか
(まあ通常のクロスボウ兵よりは
 ましな鎧は着ているだろうが)

201 :某研究者:04/07/19 20:31 ID:rKosM58Z
>弩は、発射速度を除けば威力、精度、射程、兵の育成コスト等で弓より勝っている

同じ時間で同じ数の矢を撃つ為のコストは
クロスボウ兵・ロングボウ兵何れが安価なのかだが
クロスボウは密集して放てないと言う意見も有る様だが
広範囲から一点に向けて放てば
問題は無いのかも知れないが

202 :某研究者:04/07/19 20:33 ID:rKosM58Z
1分間にロングボウは6発
クロスボウは2発程度の射撃が可能だっただろうが
同じ時間内に同じ数の矢を放てる
ロングボウ兵と其の3倍のクロスボウ兵では
後者の方が安価と言う可能性も有るのだろうか


203 :名無し三等兵:04/07/19 20:39 ID:???
>>192
確か、律令制前にもほそぼそながら弩は使用していたらしい。
本格的に使用されるのは律令制定後だと思うが。

>>193
精巧な弩は大量に作られている。>>160参照。

204 :名無し三等兵:04/07/19 20:44 ID:???
当初は大陸の兵制の性格が色濃く残っていたからな
その後衰退したのは歴史が示すとおりで
平安中期以降にはほとんど使用されていない

205 :名無し三等兵:04/07/19 20:47 ID:???
刀伊の入寇は平安中期と考えてよいのか?

206 :名無し三等兵:04/07/19 20:48 ID:???
ひょっとしたら武家社会による戦争技術の独占といった問題が絡んでいるのでしょうか?


207 :名無し三等兵:04/07/19 20:49 ID:???
>>206
「武家」の定義とは?

208 :206:04/07/19 20:59 ID:???
>207
定義までは考えておりませんでしたが、この場合戦闘技術を持つプロ集団とでも
考えております。
国民軍的な組織のしやすい武器を締め出すことにより、軍事技術を一般に広めることなく
自分達で独占、政治的影響力を強めていったのかと愚考いたしました。

209 :名無し三等兵:04/07/19 21:03 ID:???
陰謀論っぽいな。
何故単純に必要性がなかったからと考えられないの?

210 :某研究者:04/07/19 21:07 ID:rKosM58Z
櫓や門・天守閣の部分には銃眼が無いが
窓の後ろに銃眼を装備した竹束でも
置かれていた可能性は無いのかだが
此れを用いれば真下に銃は放てないと言う事だろうか

211 :206:04/07/19 21:07 ID:???
>何故単純に必要性がなかったからと考えられないの?

単純なことです。

なぜだろう? という疑問(好奇心?)からです。

212 :某研究者:04/07/19 21:09 ID:rKosM58Z
矢を放つ銃眼は上下に長い物が多いが
四角い物も有るが
銃を撃つ銃眼からは矢は
放てなかったと言う事なのだろうか


213 :名無し三等兵:04/07/19 21:16 ID:???
>>211
ではまず「戦闘技術を持つプロ集団による軍事技術の独占」を示す
根拠なり史料なりを提示してください。

214 :206 ゛知るは一時の恥、・・・゛:04/07/19 21:38 ID:???
>資料
ありません。あったら疑問そのものが存在しません。
>根拠
これもインスピレーションからくるもので(軍板では嘲笑の対象でしょうが。)
前述された平安後期まで存在したという弩弓の衰退、同時期(やや後か?)の
武家の台頭にひょっとしたら関係があるのか?というきっかけ程度のものです。

疑問提起が駄目だというのならばRomに徹しますが。

215 :名無し三等兵:04/07/19 21:42 ID:???
ほんまかどうかは知らん。
源頼朝が奥州平泉に赴く途中の西行法師引き留めて
騎射の話を聞いていちいち記録したという話があるぞな。
それも40年も前に武士を辞めた人間捕まえてだよ。

216 :名無し三等兵:04/07/19 21:43 ID:???
弩が中国では国家に管理されていたように
刀伊の入寇あたりまでは、弩が律令国家によって管理されていたってことだろう。
その後の源平争乱あたりでは、弩のような集団技術を必要とする武器よりも
小規模な鍛冶屋でも整備できる弓矢や太刀が発達したのでは。



217 :名無し三等兵:04/07/19 21:53 ID:NxN1B5+n
召集された農民足軽は、互いに死んだふりをして、合戦が終わるのを待っていたとか、いないとか。

218 :名無し三等兵:04/07/19 21:55 ID:???
>>217
戦場清掃の時に殺されるだけ

219 :名無し三等兵:04/07/19 21:55 ID:???
良く訓練された弓騎兵には弩兵では敵わなかったからでしょ

220 :名無し三等兵:04/07/19 21:57 ID:???
>>219
いきなり何が言いたいんだ?

221 :名無し三等兵:04/07/19 21:58 ID:???
いきなりイングランドの話題を振られてもなあ。

222 :名無し三等兵:04/07/19 21:59 ID:???
ところで>>164の言う戦訓って結局一体何だったんだ?

223 :名無し三等兵:04/07/19 21:59 ID:???
>>219
弓騎兵と弩兵では有効射程に差がありすぎ
弩兵にアウトレンジされるぞ。

もちろん、良く整備された弩と訓練された弩兵の場合だがね。
障害物で防備された弩兵の集団に対して、源平スタイルの弓騎兵では相手にならない。

224 :名無し三等兵:04/07/19 22:00 ID:???
>>220
日本で弩が衰退した理由

225 :名無し三等兵:04/07/19 22:03 ID:???
まず単純に弓騎兵>弩兵という前提に問題がある
騎射の有効射程はせいぜい30メートル前後
射撃戦では弩兵にはまず勝てない
日本で弩が消滅した理由を弓騎兵に求めるのは無理があると
言わざるを得ない

226 :名無し三等兵:04/07/19 22:04 ID:???
>>223
失礼、カブった

227 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/19 22:26 ID:???
>>193
有名な『三善清行意見封事』の中に、
「弩師に任じられた者には近年無能が多く、蝦夷や新羅に備えようにもそも
そも扱い方を知らずにいる。ただ希望者に役目を売り渡しているだけで、甚
だ心もとない。」
といった事が書かれています。『続日本紀』には弩師が置かれた事が記されて
いますが、専門技術が必要とされたものらしい。
騎射についてですが、元々中央の行事に登場したもの。中央で生じた武士の
本分とされましたが、治承・寿永の内乱期には西国の打物・東国の組打とい
った技に取って代わられています。どうも技術の鍛錬の不確かな田舎者が大
量に登場する中でかすんでいったらしい。

228 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/19 22:29 ID:???
なお清行に言わせると日本の「弩」は神功皇后の発明品であり、唐土のそれ
もよりも一段と威力のあるものであったといいます。

229 :名無し三等兵:04/07/20 00:15 ID:???
弩といえば、映画「英雄」で出てきた足で弦を引っ張って発射するものが思い浮かぶわけだが。
もう一つのイメージは、弓より大きめで、紐を手車か何かで回して、それによって弦を引っ張り発射に至るもの。

弩が日本で普及しなかったのは、山がちで複雑な地形が関係あるのかね?
近代におきかえて見れば、弓=小銃 弩=重・軽機関銃のようなもので、
軽快な機動に向かず、また丘や山などを移動するのには不向きであったため、
淘汰されていった・・・みたいな。
機関銃と違って、発射速度にも問題ありそうだし。

230 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/20 00:30 ID:???
強弓が誇られる傾向があった様ですし、機械的な武器は馴染めなかったのでは。
生産と扱いにも問題があった様ですし、普通に弓を張っていた方が良かったと。
源為朝は一時期鎮西で暴れていましたが、彼は五人張りの大弓を引いたといい
ます。もっとも弓が大き過ぎて肝心の騎射の際には不便であった様ですが。
九州の武士は、騎射と打物戦(太刀で相手を殴りつけて落馬させる)が得意で
あったといいます。
武士が都で生じたものだという事は度々申し上げましたが、彼らの騎射は元々
都の年中行事の場で活かされていたもの。辺境で蛮族相手に使用されていた弩
は、本来扱うべきでない異質な存在であったのでしょう。

231 :某研究者:04/07/20 01:26 ID:7It7XROx
長弓を高台から放てばクロスボウの射程の優位は消えるだろうが
攻城戦は兎も角
平地での戦闘でクロスボウが使われなかったのは
何故なのかだが
クロスボウの射程が多少優位でも長弓の射程に踏み込めば長弓の方が
同じ人数であれば有利と言う事かも知れぬが



232 :某研究者:04/07/20 01:30 ID:7It7XROx
クロスボウは直ぐに故障して
使えなく成ったと言う様な
記述も見る訳だが
実際はどうだったのだろうか

233 :名無し三等兵:04/07/20 01:37 ID:???
朝廷による征夷と、武士とでは、武器の調達過程が違う=日本で石弓が廃れた理由では?とか書いてみる。

234 :名無し三等兵:04/07/20 02:00 ID:???
参考書籍
歴史図解 戦国合戦マニュアル 東郷隆著 上田信絵
戦国合戦事典 小和田哲男
目からウロコの戦国時代 谷口克広
弓矢と刀剣 近藤好和
鉄砲と日本人 鈴木真哉
鉄砲と戦国合戦 宇田川武久
人類にとって戦いとは4 攻撃と防衛の軌跡

番外篇
戦国の村を行く 藤木久志
雑兵たちの戦場 藤木久志

235 :名無し三等兵:04/07/20 07:45 ID:???
>>225
それは、時と場合によって一概に言えないのでは?
攻撃側と防戦側とでは全く状況も違うし。
地形にも左右されるのでは?

236 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/20 11:30 ID:???
>>233
『陸奥話記』には両軍が城攻めの際に使用した(内側からも外側からも使用した)
と書かれていますが、300人程度を率いて地方で小競り合いをする分には持
ち出す必要は無く、技術も無かったでしょうね。実用的・一般的では無かった。

237 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/20 11:45 ID:???
>実用的・一般的では無かった。
というより、馴染みにくかったという事で。
・元来辺境で蝦夷や新羅に対して用いられたもので、地方では長弓が発達していた。
・それまで長弓を使い、作る事によって地位を得てきた人々に受容されなかった。
・武士の本分である騎射(強弓含む)の腕が活かされにくかった。
『陸奥話記』には源八幡太郎義家らの武勇を称えた箇所がいくつかありますが、騎射
(うまゆみ)の上手であったというのが最初に来ています。
弩については、単に攻城戦用の機械的な武器という描写しかされていない。
個人の武勇が賞賛された時代には価値が認められにくかったのでしょう。もう少し時
代が下って南北朝時代に改めて出て来ていれば違ったかもしれませんが。

238 :名無し三等兵:04/07/20 13:27 ID:???
>>237
個人の武勇以前に、武士成立の頃の、武士の構成員を考えれば、
日本の武士が、弩の訓練を受けているとは思いづらいのですが…

弥生から産出する鏃の多さを考えれば、過去には弓をかなりつかっていた。
この弓を代替するほどの需要が無ければ、弩が地方レベルに敷衍しないような気がします。

239 :名無し三等兵:04/07/20 13:33 ID:???
朝鮮征伐では日本側の火縄銃と明側の弩の撃ち合いといった様相だったのだろうか?

240 :某研究者:04/07/20 16:12 ID:belo1KAz
クロスボウは盾で止まるのに対し
銃弾を止めるには竹束が必要かも知れぬし
日本側が盾を十分用意しておれば
明側はどうなっていたのかだが
明の大砲で盾が崩された可能性は有るだろうが
大砲を操作している人間に対して
銃撃を加えればどうだっただろうか

241 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/20 17:33 ID:???
>>238
>日本の武士が、弩の訓練を受けているとは思いづらいのですが…
ええ、そのつもりで
>それまで長弓を使い、作る事によって地位を得てきた人々に受容されなかった。
と書いたのですが、失礼しました。分かり難いわな。

242 :ハスケ ◆BnyPF68LQs :04/07/20 17:48 ID:???
>234殿
『戦国合戦マニュアル』(東郷隆 著)と、『雑兵達の戦場』『飢餓と戦争の戦国を行く』(藤木久志 著)は
持ってるな。あと、このスレに関連するもので、オレが持ってて皆に勧めるのは、笹間善彦先生の
『図説 日本戦陣作法辞典』と、『武士の誕生』(関幸彦 著)。

とくに、『武士の誕生』は、東国武士の発生過程を中心にしているんだけど、弩がどうして廃れたのか、
というような考察もされている。


ちなみに、東郷先生は、自分で鎖兜(タタミ鎧と同じように、板金を鎖で綴じて造る兜)や“えびら”、“うつぼ”
(ともに矢を入れて携帯する為の道具)を造ってしまう(または市販品を改造・改良)ような方です。
ファンキーで良い人ですよ〜。

243 :名無し三等兵:04/07/20 19:13 ID:???
>>237

>もう少し時代が下って南北朝時代に改めて出て来ていれば違ったかもしれませんが。

その頃すでに日本は火砲が入りつつあったので、
意味の無い考察では?

244 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/20 19:17 ID:???
火砲が採用された可能性があるのは、応仁・文明の乱あたりでは。

245 :名無し三等兵:04/07/20 19:36 ID:???
>>235

>それは、時と場合によって一概に言えないのでは?
>攻撃側と防戦側とでは全く状況も違うし。
>地形にも左右されるのでは?

確かにその通り
では考察してみよう
弓騎兵が攻撃側の場合:障害物に陰掩蔽された弩兵が弓騎兵をアウトレンジ
弓騎兵が防御側の場合:そもそも弓騎兵は防勢的に運用する兵科ではない
やはり弩兵の優位は動かしがたい
結論:弓騎兵は弩兵には勝てない


246 :名無し三等兵:04/07/20 19:40 ID:???
まず、弩という兵器は戦史上でも非常に特殊な兵器であると認識すべき
弩を大量に製造し運用したのはヨーロッパと中国だけで、
これは、両者の軍事戦略的な環境が最大の要因
故に日本が弩を装備化しなかったことは不思議でも何でもない

247 :名無し三等兵:04/07/20 19:49 ID:???
>>246
日本には弩を運用する必要性が無かったってこと?

248 :名無し三等兵:04/07/20 19:54 ID:???
>>247
換言すれば、弩のようなハイテク兵器の生産基盤を構築するだけの
需要を誰も認めなかった

249 :名無し三等兵:04/07/20 20:22 ID:???
当時の日本って短弓が作れたのかな?
動物の腱から作るんだよね、短弓作れないようじゃ弩作れないんじゃ・・・。

250 :名無し三等兵:04/07/20 20:24 ID:???
>>248
それくらいの生産基盤はその頃ある。
単に必要が無かった。
つまり弩がいくらあろうが無用のものだった。

251 :名無し三等兵:04/07/20 20:30 ID:???
>>250
「やればできる」ことと、実際に生産施設を建設して大量に製造することとは全然違う

252 :ハスケ ◆BnyPF68LQs :04/07/20 20:51 ID:???
弩に関して

前述の『武士の誕生』には、大和朝廷が九州から中国地方、新潟までの沿岸部と、
関東と東北地方の境に、防衛部隊として弩師を置いていたとあります。

この弩師というのは、弩を運用する部隊の隊長のようなものらしいです。

で、このように対エミシ、対新羅を念頭に置いて配備された弩と弩師は、ちゃんと刀伊の入寇に
おいて活躍しているようなんですよね。ということは効果がないわけでは無かった、と。

それなのになぜ廃れたか。既にこのスレでも述べている人がいますが、数十キロの負荷を支えて、
トリガーの動きで解放する、装置が必要だから(高い技術力が要る)、というのが理由にあるようです。

弩の製造には、負荷に耐える強さを持つ金属部品を核にして、発射装置を造る必要があります。
集権的な律令国家だからこそ、技術と材料を集結させて弩を造り、配備・実用化できていたのが、
その解体とともに出来なくなったのでしょう。


253 :名無し三等兵:04/07/20 20:56 ID:???
>>245
では、弩兵をベンゼンが指揮をし、
弓騎兵を某研究者が指揮をしたらどうなるか?

254 :名無し三等兵:04/07/20 21:01 ID:???
>>252
できないことはない。何故なら、
新たな集結地で生産をするだけだから。
必要性が重要。

255 :名無し三等兵:04/07/20 21:03 ID:???
>253
緒戦では便有利。しかし戦が長引くにつれ便陣営で指揮官に対する不満が鬱血。
組織の内部崩壊を招く。
某研側、緒戦で多数の犠牲を出すも、それを上回る志願兵が続々と参戦する。
某研を中心とした永遠とも思われる軍儀のすえ、一部の過激な支持者が未完の対便理論を
実践、勝利を得る。

256 :名無し三等兵:04/07/20 21:11 ID:???
>>252
中世フランスやイングランドでは、弩を製造できるだけの工業基盤がなく
イタリアやドイツに弩兵の供給を頼った
王権の強弱のみが要因だったとは言い難い

257 :名無し三等兵:04/07/20 21:14 ID:???
>>253
くだらん

258 :名無し三等兵:04/07/20 21:14 ID:???
では、弓騎兵を某研究者が指揮をし、
長弓兵をミリ哲が指揮をした場合どうなるか?

259 :名無し三等兵:04/07/20 21:32 ID:???
長弓兵を指揮するミリ哲は近隣の村落を襲撃、若い婦女子を略奪のうえ、
酒池肉林の大酒宴を催す。
そこを某研指揮下の弓騎兵が奇襲を敢行し、某研陣営の勝利となる。

260 :名無し三等兵:04/07/20 21:55 ID:???
実はミリと某研の中の人は同じだから全てが茶番(陰謀説)。

261 :名無し三等兵:04/07/20 22:04 ID:???
日本で弩が発達しなかったのは城の構造だと思ったが、違ったのか・・・

日本の城は少数の例外を除くと大きな家(中で補給が効かない)であるのに対し、
大陸や欧州の城は町を囲っているのが一般的なイメージ(中である程度の補給が効く)
日本の城は構造上長期間篭城できないので弩のような攻城戦で威力を発揮する武器は発達しなかったし、必要もなかったと考えていました。

262 :名無し三等兵:04/07/20 22:29 ID:???
根本的にガチンコの戦争が少なかったからの様な気がするが

263 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/20 22:30 ID:???
>>252
実際には鎧の配備などに関する記述を見てもかなり穴だらけであったようで
すが、大規模な外来のものを体面だけでも現実のものに出来た組織は地方
レベルでは手に余ったでしょうね。

264 :名無し三等兵:04/07/20 22:41 ID:???
>>256

イタリアなどの工業技術は常に優れており
プレートメイルなどの生産もイングランドではできず、最良の物はドイツだったらしい。
青銅砲も同じ。
イングランドが鉄製大砲生産で名を馳せるのは、かなり後になってから。

王権の存在が工業基盤に影響するのは、中国のように中央が技術を独占する場合
ヨーロッパにおいては権力が分散していたので、当てはまらないと思われ。

265 :名無し三等兵:04/07/20 22:45 ID:???
>>261
弩自体は城塞攻略で活躍する兵器だが、決定的な兵器では無い。
ローマ軍もバリスタなどを使って城壁の敵を攻撃していたが
決定的なのは土木作業や攻城塔などの大規模攻撃もしくは
包囲による兵糧攻めだった。

266 :名無し三等兵:04/07/20 22:48 ID:???
ヨーロッパで弩が普及するのは11世紀以降で、1139年には教会が禁令を出すほどに普及した
この時期は要塞の石造化が進行する時期と概ね軌を一にしており、
地方の聖俗有力者が石造要塞を中心とした領域支配圏を確立させていった
一方、日本では平安期から鎌倉期にかけては奥州で植杭による城柵が構築された以外では
防塞化された館程度で、南北朝期にようやく山城が築かれるようになるが、
これも戦時限定の応急陣地的な性格のもので、後の戦国期のような山城に比べて
要塞としての強度は低かった
このような状況では弩を必要とするような大規模な攻城戦は生起しなかった

267 :名無し三等兵:04/07/20 22:54 ID:???
>>264
14世紀から15世紀にかけて、フランスは封建危機を克服して絶対主義へと向かう
この時期にフランスは大規模な攻城放列の組織化と常備軍への端緒を開いたが、
権力は集中していく過程にあり、分散していたとは言い難い

268 :名無し三等兵:04/07/20 22:59 ID:???
>265
弩は防御(篭城)側が使うことはないのかな?
攻め手は包囲による兵糧攻め(日本ではこのパターンが多い)や土木作業で攻めれるけど、
篭城側の対抗手段は原則として飛び道具ぐらいしかないのでは?

269 :名無し三等兵:04/07/20 22:59 ID:???
>>265
土木工事に従事する兵や攻城兵器を守備隊から防護するために弩は重要な役割を演じた
また、守備隊も城壁から包囲軍を射撃するために弩を使用していた
獅子心王が殺されたのも城壁からの弩による狙撃だった
中世ヨーロッパの都市では、防衛用の兵器として弩は必須のものだった
このような状況では、弩の先天的欠点である低い発射速度はそれほど大きな問題にはならない

270 :名無し三等兵:04/07/20 23:00 ID:???
>>267
ルイ14世の幼い頃は、大貴族が王権を危うくしていたし
フランスの場合、絶対王権って結構ふらついていたとおもったけど?

それにヨーロッパ全域で見れば、フランスの絶対主義と言っても
せいぜいフランスとイタリア北部の話
それ以外に権力が及んだわけでもないし、中国のように弩の生産技術を国家で集中
できたわけでもない。

271 :名無し三等兵:04/07/20 23:01 ID:???
>>270
だが大規模な攻城放列は組織できた

272 :名無し三等兵:04/07/20 23:01 ID:???
>>268
>>269
弩が城塞守備側にとって重要な武器であることは言わずもがな
春秋戦国時代から重要な武器だ。

273 :名無し三等兵:04/07/20 23:03 ID:???
>>272
「重要」だが「決定的」ではないか
よくわからんな

274 :名無し三等兵:04/07/20 23:03 ID:???
>>271
シャルル8世のイタリア征服とかね
しかし、>>270の後半を否定する根拠にはならない。

275 :名無し三等兵:04/07/20 23:05 ID:???
>>273
弩は攻城戦、籠城戦において重要な武器だけど
それが無くてはどうしようもないレベルの武器ではない。
普通の弓でも役に立つ。 矢の威力とか命中率は低いけどね。

276 :名無し三等兵:04/07/20 23:07 ID:???
>>274
弩の生産技術は国家で集中しなければできないようなものではない
ドイツやイタリアの工業都市は国家権力を集中して弩を生産していたわけではない

277 :名無し三等兵:04/07/20 23:09 ID:???
>>275
>普通の弓でも役に立つ。矢の威力とか命中率は低いけどね。

弓では役に立たないから弩が普及したのだが
特に、純粋に筋力に頼らざるを得ない弓では射程の問題は克服しがたい

278 :名無し三等兵:04/07/20 23:11 ID:???
攻城戦のような固定的な戦闘では兵器の射程がものを言う
このような状況では、弩はまさしく必須の装備と言える

279 :名無し三等兵:04/07/20 23:11 ID:???
>>276
中国の場合、国家で集中しなければ生産ができないわけではなく
国家以外の生産を排除しただけ。
ようするに反乱などで使用されることを恐れたわけ。

フランスの王権が、ドイツやイタリアの工房で生産される弩を
どんな理由で排除できるんだい?
彼らの作る兵器はヨーロッパ全土で需要があるのに。

その点が東アジアと大きく違うんだが。

280 :名無し三等兵:04/07/20 23:14 ID:???
>>277
弩でアウトレンジできました!! でも威力が足りません じゃあ意味がない。

ある程度接近しなければ防備された守備隊にダメージを与えられないのだよ。
それに守備兵は城壁や高台から撃ち下ろして威力を加算できるのだが。

281 :名無し三等兵:04/07/20 23:16 ID:???
>>279
論点は「フランスが何故自国内で弩を製造できなかったか」ではなかったのかな?

282 :名無し三等兵:04/07/20 23:17 ID:???
>>280
だからヨーロッパの弩は大型化する傾向にあった
あと、射程の意味を誤解しているようだな

283 :名無し三等兵:04/07/20 23:17 ID:???
>>281
できなかったっけ?
都市民兵とかクロスボウで武装してたような…

284 :名無し三等兵:04/07/20 23:18 ID:???
>>282
大型化したのは宋など中国の弩では?

285 :名無し三等兵:04/07/20 23:19 ID:???
>>283
主にイタリアから弩兵が高い報酬で雇用されていた

286 :名無し三等兵:04/07/20 23:19 ID:???
>>282
有効射程と最大射程? この場合は有効射程の話でしょう。

287 :名無し三等兵:04/07/20 23:20 ID:???
>>285
そら正規軍の場合でしょ。
都市民兵が正規の野戦に駆り出されることはあまり無いはず。

288 :名無し三等兵:04/07/20 23:21 ID:???
>有効射程と最大射程? この場合は有効射程の話でしょう。
では、
>でも威力が足りません じゃあ意味がない。
というレスは無意味だな

289 :名無し三等兵:04/07/20 23:21 ID:???
>>287
都市守備隊の話だ

290 :名無し三等兵:04/07/20 23:22 ID:???
>>288
だから、防御側は撃ち下ろしで威力が加算され
攻撃側は撃ち上げで減算されるんだが。

291 :名無し三等兵:04/07/20 23:23 ID:???
>>289
都市守備隊がイタリアから高い報酬払って弩兵雇う?
よほど金が余っている都市だな。
なんのために都市民兵が居るのやら。

292 :名無し三等兵:04/07/20 23:26 ID:???
>>290
>だから、防御側は撃ち下ろしで威力が加算され
>攻撃側は撃ち上げで減算されるんだが。
と、
>普通の弓でも役に立つ。
との因果関係がよくわからんな
11世紀以降のヨーロッパでは攻城戦において攻防双方で弩が多用されているのだが

293 :名無し三等兵:04/07/20 23:28 ID:???
>>291
都市の守備にあたる民兵は弩兵のみではない
民兵制については地域ごと都市ごとに大きく差異があるので
ひと括りに論ずるのはいささか乱暴だな

294 :名無し三等兵:04/07/20 23:29 ID:???
>>292
だ・か・ら、弩があれば攻城・籠城戦で役に立つけど
無くても他の武器で代用が効くって話なんだが。

この点については同意? 非同意?


295 :名無し三等兵:04/07/20 23:30 ID:???
>>293
そんなの当たり前だろ、弩兵だけのわけねーだろうが
話ずらすの止めてくれ、もうたくさんだ、寝る

296 :名無し三等兵:04/07/20 23:31 ID:???
なんつーか
知識はあるんだろうが
話をずらしまくるので、相手にするのが嫌になるな。

いままでいくつ話がずれたんだろう。

297 :名無し三等兵:04/07/20 23:33 ID:???
>>294
同意
後に銃が弩にとってかわることになる

298 :名無し三等兵:04/07/20 23:38 ID:???
>>295
なら
>よほど金が余っている都市だな。
>なんのために都市民兵が居るのやら。
のような言葉尻をつかまえた揚げ足取りはやめたほうがいいな

299 :名無し三等兵:04/07/21 00:20 ID:???
日本の山がちで遮蔽物の多い地形を考えれば,弩の長射程は生かせないのでは.
射程距離よりも発射速度の方が重要視されたと.

300 :名無し三等兵:04/07/21 00:28 ID:???
狩猟文化との関係は

301 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/21 01:09 ID:???
巻狩は勿論の事、犬追物や笠懸・流鏑馬にも不向きでしょうね。馬上での連射
も難しそうです。

302 :某研究者:04/07/21 03:19 ID:RNgBCvTb
>このような状況では、弩の先天的欠点である低い発射速度はそれほど大きな問題にはならない

相手が走って踏み込んで来れば
長弓との50m程度の射程の差は意味は無くなるかも知れぬし
梯子を上る兵を射撃する場合は発射速度の方が重要だったかも知れないが
西欧の城には銃眼は銃が出て来る迄恐らく無いなら
下からの射撃でやられていた兵も多いと言う事だろうか
(まあ壁越しに矢を放って来る兵を狙撃するには
 クロスボウの精度の方が意味は有ったかも知れないが
 梯子を上る兵を狙撃するのに精度は其れ程
 必要だったのかだが)


>では、弩兵をベンゼンが指揮をし、
>弓騎兵を某研究者が指揮をしたらどうなるか?

コサック兵の様に馬を盾にして
下馬して矢を放てば
或いはだろうか
(まあ歩兵側の盾も有るかも知れぬし
 馬を盾にしたから勝ったと言うのでは無く
 矢の精度の高さで勝負すると言う方向に
 成る可能性も有るだろうが)

303 :某研究者:04/07/21 03:31 ID:RNgBCvTb
梯子を上る兵以外は盾で守られており
余り射撃の効果は期待出来ず
故にクロスボウの射程は生きない可能性も
有るだろうか

304 :名無し三等兵:04/07/21 09:13 ID:???
日本でも、古代の城砦は、
中国のように版築で作った城壁で囲まれていた。

305 :名無し三等兵:04/07/21 16:50 ID:???
結論

某研究者率いる弓騎兵が最強

306 :名無し三等兵:04/07/22 00:08 ID:???
少しずれてきたのでちょっと別の話をしたいのですが・・・

少し前にも出ていたように日本の城は大阪城(旧本願寺)等の例外を除いて基本的には城の中に街がないつくりになっていますよね?
逆に中国、欧州では町を囲う形の城壁があります。
この点から日本の城攻めはあまり発達しなかったというのは本当でしょうか?
(囲めば城内のほうが圧倒的に早く物資が尽きるため)

このことが明治維新後の日本軍でも要塞などの攻略が苦手だった原因という説を見たことがあるので・・・

307 :名無し三等兵:04/07/22 00:49 ID:???
備蓄物資による要塞の継戦能力の強弱はそれこそ要塞各個に千差万別で、
一概に日本のほうが物資が早く尽きるとは断言できないのではないか

>このことが明治維新後の日本軍でも要塞などの攻略が苦手だった原因という説を見たことがあるので・・・
要塞攻略の得手不得手には諸論があって「苦手」とは決めつけられないし、
そもそも時間的隔差が大きすぎて直接の因果関係があるとは考えにくい

308 :Pz:04/07/22 01:59 ID:It3yA5Hp
>>306
城にもいろいろあるぞ、それなりの領主の本城は囲んでもそう簡単に物資は尽きないよ
大坂城や石山本願寺だけじゃないぞ
別所の三木城、荒木村重の有岡城、尼子の月山城なんてすげー長期戦じゃん
(もっとも海上補給もあったろうが)
小田原は言うに及ばず、大友の臼杵城とか篭城しても物資は尽きてはいないだろ


309 :名無し三等兵:04/07/22 03:06 ID:???
邑城型の城塞は大量の非戦闘員を抱えているはずだから、
却って早く物資が欠乏する気がするけど。

310 :名無し三等兵:04/07/22 07:39 ID:???
>>306

>中国、欧州では町を囲う形の城壁
中国では意外とそういう形の町は少ない。
また、日本にもそのような城砦はあった。
多賀城など東北の蝦夷をにらんだものが例。



311 :名無し三等兵:04/07/22 09:02 ID:???
日本の城も、非戦闘員を格納するスペースがあった。
また、村によっては砦を築き、自衛する向きをもとった。
その際重要になってくるのが、侵攻軍との契約である。
つまり、「あなたの軍の兵士が乱妨狼藉をしたときにやっちゃっても文句いわないでね」というものである。
この際、気をつけなければならないのは、「手を出すな」ではなく、
「手を出したら反撃するよ」の許可を求めていたことだろう。
大名たちは、戦場における雑兵たちの奴隷狩り・略奪等を容認する向きをとっていたため、
「手を出すな」という約束は出来なかったのである。
反撃する権利を与えられた民衆は、各々砦に閉じこもったり、武装したりして、
襲いくる敵を撃退することによって、自らの生存を確保していた。
つまり、農民は我々が考えるよりもずっと自衛的且つ自発的存在だったと言える。

312 :名無し三等兵:04/07/22 13:32 ID:???
山野さんが来ないと議論が進展しねーな

313 :名無し三等兵:04/07/22 19:10 ID:mb37PAsA
山野氏期待age

314 :Pz:04/07/22 19:13 ID:???
山野さんお呼びですよー、速く日本史板から戻ってきてーって
みんな待ってるみたいだよ

315 :名無し三等兵:04/07/22 19:26 ID:???
しかし、山野氏一人いなくなっただけで、
議論の進みが悪くなるっつーのも、軍板のこの分野における限界をあらわしているっつーかなんというか。

皆近代戦のほうが好きだモンねぇ。
論客ってたら、某研_| ̄|◯

316 :名無し三等兵:04/07/22 19:30 ID:MOybsUpp
確かに大宰府のあたりも、住民を守るように邑をとりかこんで城壁ができていたようです。
異民族による奴隷化の危険の少ない、日本中央部には街を囲う必要がなかったのではありませんか。


317 :名無し三等兵:04/07/22 19:31 ID:MOybsUpp
それより、何で首取りするのか教えてくだされ。
あと、足軽って何?


318 :名無し三等兵:04/07/22 19:34 ID:???
>>316
山が城壁の代わりになっていた。

319 :名無し三等兵:04/07/22 19:43 ID:???
>>316
ヨーロッパも日本も中国も同様だが、本城の外郭をなす支城が配置されて
地域を防衛していた
ヨーロッパで市街を城壁で囲むことが多いのは、それだけ攻城戦の重要性と
頻度が高かったから

320 :名無し三等兵:04/07/22 19:46 ID:???
>>319
というよりも城壁をつくると面で防御することになり、
人員、物資補給などの点で非効率な要素が出てくる。

321 :名無し三等兵:04/07/22 19:53 ID:???
>というよりも城壁をつくると面で防御することになり、
何を指して面というのかよくわからんが、
中世のヨーロッパも日本も線より面の防御が一般的
線の防御を行ってたのは帝政初期のローマくらいか

322 :名無し三等兵:04/07/22 19:58 ID:???
面の防御で徹底していたのが中国で、ステップ周辺の国境地帯を
一種の焦土地帯とし、慣用的に焦土戦術を行っていた
おかげで攻めるほうも守るほうも酷い目に遭うことになった
ローマですらこの必殺技は一度しか使っていない

323 :名無し三等兵:04/07/22 20:00 ID:???
>>321
戦術レベルでの面の防御。

>>322
中国でそれが徹底できていたのは、前漢時代。
それ以後は、烽火などの伝達手段が不完全で、
長城などは無用の長物となってしまった。

324 :名無し三等兵:04/07/22 20:01 ID:???
>>323
戦術レベルでの「面の防御」とはいかなるものなのか具体的な説明を希望します

325 :名無し三等兵:04/07/22 20:05 ID:???
長城のような城壁を考えなさい。
まず兵員はどのように配置しますか?

326 :名無し三等兵:04/07/22 20:06 ID:???
>中国でそれが徹底できていたのは、前漢時代。
>それ以後は、烽火などの伝達手段が不完全で、
>長城などは無用の長物となってしまった。

後漢時代にも屯田兵の配置等が行われている
長城は後の王朝によって何度も増改築が行われており、
前漢以降は無用の長物になってしまったとは思えないが

327 :名無し三等兵:04/07/22 20:07 ID:???
>>325
一人ずつ横一列に並べます。

328 :名無し三等兵:04/07/22 20:10 ID:???
>>325
長城には監視哨が間隔を取って配置されているが、
質問の意図がよくわからないな


329 :名無し三等兵:04/07/22 20:11 ID:???
つーか、そんなことより戦術レベルの「面の防御」の説明をよろしく

330 :名無し三等兵:04/07/22 20:11 ID:???
>>326

しかし、烽火などの伝達手段が不完全なため、
単なる時間稼ぎ以上のものでしかなかったそうです。
城壁を維持コストを考えると無用の長物でしょう。
明時代の女真族との戦いをみるとさほど役に立ったといえません。

>>327

そんなに兵員が十分あれば良いのですがね。


331 :名無し三等兵:04/07/22 20:13 ID:???
機動防御汁

332 :名無し三等兵:04/07/22 20:13 ID:???
>>328
基本的には烽火で情報伝達。
また兵士は各櫓で居るのが常。

333 :名無し三等兵:04/07/22 20:15 ID:???
>単なる時間稼ぎ以上のものでしかなかったそうです。

長城は前進陣地的な性格が強く、本来の戦術的意義は
敵情の早期収集と時間の余裕の獲得
長城は基本的に主防衛ラインではない
時間稼ぎが出来れば十分
主防御地域は国境周辺の城市が行う

334 :名無し三等兵:04/07/22 20:16 ID:???
「行う」ではなく「担う」だったな

335 :名無し三等兵:04/07/22 20:17 ID:???
あと頼むから早く戦術レベルの「面の防御」の具体的な説明をorz

336 :名無し三等兵:04/07/22 20:18 ID:???
>>333
いや、伝達手段が不完全ならばあまり意味が無い。

この辺のことは
「万里の長城」講談社新書
にあったはず。

337 :名無し三等兵:04/07/22 20:19 ID:???
>>335
すでに出ているだろ。325を読め。


338 :名無し三等兵:04/07/22 20:21 ID:???
>>336
長城による防衛システムが歴代中国王朝全てで完全に機能していたとは言わんが、
前漢以降で無用の長物となったとは思えない
その本では「無用の長物」と書かれているのかな?
それでは後の時代になっても増改築が繰り返されたことの理由が説明できないと思うのだが

339 :名無し三等兵:04/07/22 20:21 ID:???
>>333
>敵情の早期収集と時間の余裕の獲得

それが主な目的になったのは、後の時代になってから。

340 :名無し三等兵:04/07/22 20:23 ID:???
>>325は質問に質問で返してるだけだ
そもそも長城の防御配置と面の防御と関連性があるとは思えない
長城の防御要領はいわば「線の防御」だ
縦深のある「面の防御」ではない

341 :名無し三等兵:04/07/22 20:24 ID:???
>>338
厳密に言うと長城は必ずしも必要ではないという感じかな?
増改築が繰り返されたことはやはりもとあるのを利用しただけでは?
本格的に利用するなら、前漢時代のように伝達手段をまずは整備するはず。

342 :名無し三等兵:04/07/22 20:25 ID:???
>>340
ではお前のいう「面の防御」はどのような定義だ?

343 :名無し三等兵:04/07/22 20:28 ID:???
>>342
戦略レベルの面の防御については上のほうで述べた
戦術レベルでの面の防御を言い出したのは君だ
説明責任は君にある
質問に質問で返す癖はなおしたほうがいい

344 :名無し三等兵:04/07/22 20:31 ID:???
>>341
>厳密に言うと長城は必ずしも必要ではないという感じかな?
遊牧系騎兵に対抗するためには必要と中国の歴代為政者は認識していたと思う
その証拠に長城は延長され補修され改修されている

345 :名無し三等兵:04/07/22 20:33 ID:???
(´-`)。o0(日本の戦国時代なんだけどなぁ…)

346 :名無し三等兵:04/07/22 20:37 ID:???
前漢時代の長城防御は、警報装置としての小規模な烽火砦で敵の警戒部隊や
斥候を早期に排除し、大規模な部隊相手には烽火を上げ籠城して援軍を待つ。
その後方に中規模な基地を置き、さらに長城で食い止め、その後方に大規模な城邑を置き
野戦軍を駐屯させる。
いわば縦深防御であり、長城はその中の1システムにすぎない。

これを面の防御と呼ぶならば間違いではない。

347 :名無し三等兵:04/07/22 21:05 ID:MOybsUpp
>>340
とりあえず、竹刀を横にしてかまえる。

348 :名無し三等兵:04/07/22 21:07 ID:???
>>344
歴代為政者は認識していたというだけでは、
実際に必要だったかは別なのでは?

>>346
そのような感じでしょうね。

349 :名無し三等兵:04/07/22 21:09 ID:???
>>348
実際には必要でなければ誰が増改築を繰り返すだろうか

350 :名無し三等兵:04/07/22 21:10 ID:???
>>344
長城が無いと、遊牧民は各地から多点突破&浸透してきて
中央政府が中央野戦軍招集で対応する頃には大損害を受けているだろう。
長城が遊牧民の侵攻路を限定して、地方の野戦軍に拘束させる役にも立つし
撃退するのも容易になる。

351 :名無し三等兵:04/07/22 21:10 ID:???
>>349
実際には役に立たずよく侵攻されているのだが。

352 :名無し三等兵:04/07/22 21:12 ID:???
>>350
情報の伝達システムに不備があると役に立たないのだが。
事実、長城を破壊して突破するするのはそんなにかからない。

353 :名無し三等兵:04/07/22 21:13 ID:???
>>350
だから必要と言っているのだが

354 :名無し三等兵:04/07/22 21:15 ID:???
>>351
上でも述べたが長城はいわば前進陣地
主防御陣地ではない
しばしば突破を許したからといって役立たずと断定はできない
それは長城の本来の任務ではない

355 :名無し三等兵:04/07/22 21:17 ID:???
明代の長城防御は、長城自体に本格的な防御能力を持たせ
小規模な敵ならば単独で排除、大規模な敵を相手にしてもある程度の時間持久させ
中央の野戦軍が到着する時間を稼ぐといった戦略をとっていた。

北京が首都であり、遊牧民族の侵攻に対して比較的早期に野戦軍を編成することができた
明は、縦深が少ないけど強力な防御を持った北辺守備を構築していた。
しかし、土木の変などの見られるように野戦軍の敗北が即座に亡国に繋がりかねない
余裕のない国防だったとも評価できる。

356 :名無し三等兵:04/07/22 21:18 ID:???
>>354
そのようなものは情報の伝達システムが前提として必要。
しかし、逆にそれがあれば長城でなくとも良い。
また、君のいう「本来の目的」とは少なくとも後漢以降のもの。

357 :名無し三等兵:04/07/22 21:20 ID:???
長城の役目は
1 小規模な敵の侵攻に対しては独力で対応>浸透を防ぐ
2 時間稼ぎ
3 侵攻路の限定

要するに、現代戦における前哨陣地とほぼ同様の役目である
明代の場合、強化しているが本質的に変わらない。

侵攻されて陥落するのは当然、前哨陣地は主防御陣地では無い。


358 :名無し三等兵:04/07/22 21:21 ID:???
>>355
>>336の本では、長城自体には大規模な改修をし
本格的な防御能力を備えさせたが、
肝心の情報伝達システムがうまく整備されていなかったとある。

359 :名無し三等兵:04/07/22 21:22 ID:???
>>358
具体的にはどのように整備されなかったと?

360 :名無し三等兵:04/07/22 21:22 ID:???
>>357
それが長城の秦の時代からの役目ならね。

361 :347:04/07/22 21:23 ID:MOybsUpp
すみません
>>347
>>342へのレスです

362 :名無し三等兵:04/07/22 21:23 ID:???
>>359
まずは読んで見たら?読まずに言うのはいかがなものかと。議論の場では特に。

363 :名無し三等兵:04/07/22 21:24 ID:???
>>362
ネットの議論なんだから、異議申し立てた方が引用するのが当然だろう。
それぐらいできないの?

364 :名無し三等兵:04/07/22 21:24 ID:???
>>347
くだらん。

365 :名無し三等兵:04/07/22 21:25 ID:???
>>363
読むことのほうが当然だろう。議論ならば。

366 :名無し三等兵:04/07/22 21:28 ID:???
>>365
ヲイヲイ、今即座にその本を購入できるわけ無いだろ。
もう一度指摘するが。

「ネットの議論なんだから、異議申し立てた方が引用するのが当然だろう。 」
内容を示さず、曖昧に反論するなら小学生でもできる
具体的に「○○のような情報伝達の不具合があるので、肝心の情報伝達システムがうまく整備されていなかったとある。
○×ページより引用」とやってくれ。

367 :名無し三等兵:04/07/22 21:29 ID:???
少なくとも「あった」というほうが、
挙証責任があるのだが。
完備された伝達システムがあったというのなら、
そのソースを出すべきでは?

368 :名無し三等兵:04/07/22 21:30 ID:???
>>366
だったら、後日読んでからすれば?
今日明日にこのスレが無くなるわけでもなし。

369 :名無し三等兵:04/07/22 21:30 ID:???
長城の建設と平行して秦は国境地域に郡県を置き、
漢は郡県に土城を建設し都市の要塞化を進めた
遊牧民が侵攻すると、長城の駐屯部隊が通報と遅滞を行い、
国境の住民は動産を抱えて近傍の都市に避難して国境地帯を焦土化した
更に状況により中央から野戦軍を繰り出して侵略軍を撃退した
この焦土戦略は貧乏な遊牧民が有力な攻城兵器を保有していないことが
前提となっており、この前提が崩れた晋はそのせいで滅亡している

370 :名無し三等兵:04/07/22 21:31 ID:???
>>367
今度は悪魔の証明か……
「ネットの議論なんだから、異議申し立てた方が引用するのが当然だろう。 」

烽火システムに不具合があったと主張する方が、その証拠を出してくれ。
無いことの証明はできない。

371 :名無し三等兵:04/07/22 21:32 ID:???
>>369
というか、晋の時代になると長城よりも内側に遊牧民は住んでいたわけだが。

372 :名無し三等兵:04/07/22 21:33 ID:???
>>368
君がその部分を引用すれば、その時点で終了なんだが?
他人に経済的出費を強要しないでくれ。

それとも、妄想なのでできないのか?

373 :名無し三等兵:04/07/22 21:34 ID:???
>370
お前が悪魔の証明を要求している。
完備されたシステムあるというのならばそのソースを。
それがないのならばそれがないということになる。

374 :名無し三等兵:04/07/22 21:35 ID:???
>>372
図書館がある。君が読んでくればそれで終了。粘着すぎる。

375 :名無し三等兵:04/07/22 21:37 ID:???
>>371
それは遊牧民は都市の城壁を崩す攻城兵器を調達し組織することができた一因
何度も言うが、長城は前進陣地で、要塞化された都市が主戦闘陣地

376 :名無し三等兵:04/07/22 21:38 ID:???
>>373
完備されたシステム?
前漢から烽火システムは完成されているんだが、それに異議を唱えるの?

ttp://h0402.human.niigata-u.ac.jp/~dunhuang/PDF/Woodstrips_of%20Han_era.pdf
とか、”烽火 システム 中国”などの言葉で検索すれば腐るほど出てくるんだが。


377 :名無し三等兵:04/07/22 21:39 ID:???
>>375
何度もいうが、それは後の役割。
秦前漢あたりでは前進陣地ではない。

378 :名無し三等兵:04/07/22 21:39 ID:???
>>374
だからー ページを示して数行引用すればいいじゃん
なんでその程度の手間もかけられないの?

379 :名無し三等兵:04/07/22 21:41 ID:???
>>377
前進陣地だぞ? 少なくても主防御陣地ではない。
長城で大規模な会戦が行われた例があるなら前進陣地じゃないと認めてもいいけど、あった?

380 :名無し三等兵:04/07/22 21:41 ID:???
>>376
だから何度もいうが、それは前漢まで。
後はそれを完備できず退化した。本を読むことはおろかスレも読めないのか?

381 :名無し三等兵:04/07/22 21:42 ID:???
359が読んでくるのを待ちだな。

382 :名無し三等兵:04/07/22 21:44 ID:???
>>379
無かったから、主防御陣地としてうまくいった。
まずは読んでからにしては?
新書とはいえ、読まないと話がすすまんだろ。

383 :名無し三等兵:04/07/22 21:44 ID:???
>>377
長城と平行して後方の防衛施設の整備が進められている
長城を主陣地とするならば、土城の建設のような工事こそ
上で誰かが言ってるように「必要ない」ことになる

384 :名無し三等兵:04/07/22 21:45 ID:???
>>383
そのように必要なものではない。

385 :名無し三等兵:04/07/22 21:46 ID:???
このスレはキモい香具師がいますね。
普通、本を紹介されたら自分で読むまで反論はしないのに。
それを執拗に読まずに反論している光景をはじめてみました。

386 :名無し三等兵:04/07/22 21:46 ID:???
件の本って前漢以降の長城は「無用の長物」って言ってるんでしょ?
まあちょっと読んでみるか。


387 :名無し三等兵:04/07/22 21:47 ID:???
>>380
烽火>候官>騎都尉、天田のようなシステムは前漢に完備されて
その後は退化したと主張したいの?

そのシステムと、烽火を中心とする警報システムについては
全く別の話なんだが、警報システムを否定するならば
それなりのサイトなり、引用なりを示して欲しいのだが。

北辺の警報システムがシステム的に不具合になったとの根拠は未だ示されていないな。

388 :名無し三等兵:04/07/22 21:47 ID:???
>>383
無かったから、前進陣地としてうまくいった。
とも言えるのでは?

389 :名無し三等兵:04/07/22 21:48 ID:???
後漢では屯田兵制も整備されている
何故烽火だけが退化したんだろう?

390 :名無し三等兵:04/07/22 21:49 ID:???
漢代の長城は版築なので、城壁と言うよりも塀のようなものが多いが。
だから後方に防衛施設があり、各所に詰め所も一定間隔である。

391 :名無し三等兵:04/07/22 21:50 ID:???
>漢代の長城は版築なので、城壁と言うよりも塀のようなものが多いが。
やっぱり前進陣地っぽいね。

392 :名無し三等兵:04/07/22 21:50 ID:???
>>389
内戦もあるのでは?長城で防御するより屯田兵で防御するほうに重点をおいたり。

393 :名無し三等兵:04/07/22 21:51 ID:???
>>382
主防御陣地で決戦しないでどこでするんだよ?
アホか

>無かったから、主防御陣地としてうまくいった。
主防御陣地で決戦していないなら、それは防御側の大失態だぞ
敵に迂回されたか突破されたってことだ。
_哲に罵倒されてこい。

394 :名無し三等兵:04/07/22 21:51 ID:???
>>391
苦し紛れの言い訳。むしろ主陣地だろ。
後方防御施設とも一体となってシステムが構築されているのだから。

395 :名無し三等兵:04/07/22 21:52 ID:???
後漢以後も北辺の警報システムがシステム的に完備されていた根拠は未だ示されていないな。


396 :名無し三等兵:04/07/22 21:53 ID:???
>>385
ネットで議論して、本を引用するんだから
名前だけでは無く、内容も引用しろと指摘しているだけなんだが。

あんたは論文で引用部分を、論文の名前だけですませるつもりか?


397 :名無し三等兵:04/07/22 21:54 ID:???
>>394
長城の建設と平行して後方の都市の要塞化等も行われている
何故、主陣地と主張するのかその根拠を伺いたい

398 :名無し三等兵:04/07/22 21:54 ID:???
>>393
前漢時代、そもそも突破された大きな侵入はない。アフォ。

399 :名無し三等兵:04/07/22 21:55 ID:???
>>395
それは悪魔の証明なんだが。
文句付けるなら、欠陥の証拠を示してくれ。

検察側が、相手の不備が無かった証拠を要求するようなものだぞ。
普通は欠陥の証拠を検察が示してなんぼだろうが。

400 :名無し三等兵:04/07/22 21:55 ID:???
>>396
そういう論文は多いぞ。論文を読んだこと無いのかもしれんが。

401 :名無し三等兵:04/07/22 21:56 ID:???
>>399
北辺の警報システムがシステム的に不具合になったという証明が悪魔の証明。
あるというほうが証拠を要求する。

402 :名無し三等兵:04/07/22 21:57 ID:???
>>397
迅速に長城に駆けつけれる駐屯地。

403 :名無し三等兵:04/07/22 21:58 ID:???
>>398
馬邑の役は?

404 :名無し三等兵:04/07/22 21:59 ID:???
>>401
ハイハイ、ああ馬鹿は困る

405 :名無し三等兵:04/07/22 21:59 ID:???
>>399
普通は完備されたシステムがあったという証拠が必要じゃないのか?

406 :名無し三等兵:04/07/22 22:00 ID:???
>>404
ハイハイ、ああ真性馬鹿は困る

407 :名無し三等兵:04/07/22 22:01 ID:???
前漢時代に大規模な侵略が無かったということは、長城を含めて防衛システムが
うまく機能したからであって、長城が主防衛陣地だったからとは言えない。
つか、暴論ってやつ?

408 :名無し三等兵:04/07/22 22:01 ID:???
>>403
大体、漢代の長城の完成をみるのが、武帝期なのだが。
それ以後か?

409 :名無し三等兵:04/07/22 22:03 ID:???
>>405
長城が突破されたが、中央は知らなかったと言う例が連続してあれば
警報システムが不具合だったと証明できる。

さあ、証明してくれ。
(どうせ、相手に証明を求めるんだろなあ‥‥)

410 :名無し三等兵:04/07/22 22:03 ID:???
>>407
なるほど暴論ですな。
長城を含めて防衛システムがうまく機能したから=長城が主防衛陣地だったからとはいえない
とはまさに。
もっとも長城のシステムとは烽火システムなどまで含むものだがな。

411 :名無し三等兵:04/07/22 22:03 ID:???
武帝って前漢の人じゃないの?

412 :名無し三等兵:04/07/22 22:05 ID:???
>>409
中央まで伝達がうまくいっていれば、
警報システムが完備だったと証明できる。

さあ、証明してくれ。
(どうせ、相手に証明を求めるんだろなあ‥‥)

413 :名無し三等兵:04/07/22 22:06 ID:???
>>411
だから>>408はそういっているのだろ。
日本語わかりませんか?

414 :名無し三等兵:04/07/22 22:06 ID:???
>>410
ttp://66.102.7.104/search?q=cache:oEyoyuh1txgJ:www.geocities.co.jp/HiTeens-Rabbit/1001/ea325china-60.html+%E9%A6%AC%E9%82%91%E3%81%AE%E5%BD%B9&hl=ja&lr=lang_ja
>馬邑の役は?


415 :名無し三等兵:04/07/22 22:06 ID:???
本を読まずにここまで不毛な議論ができるものだ。

416 :名無し三等兵:04/07/22 22:07 ID:???
>>414
大体、漢代の長城の完成をみるのが、武帝期なのだが。
それ以後か?

417 :名無し三等兵:04/07/22 22:08 ID:???
>>320
>というよりも城壁をつくると面で防御することになり、
>人員、物資補給などの点で非効率な要素が出てくる。

なんで城壁を作ると面の防御になるの?

418 :名無し三等兵:04/07/22 22:08 ID:???
>>412
あのー 答えられないからって火病るのは止めて下さい。

419 :名無し三等兵:04/07/22 22:09 ID:???
>>417
まず君の面の防御の定義とは?

420 :名無し三等兵:04/07/22 22:09 ID:???
>>415
だからその部分を引用してくれよ。
なんでできないの? 

421 :名無し三等兵:04/07/22 22:10 ID:???
>>420
だからその本を読んで来いよ。
なんでできないの? 

422 :名無し三等兵:04/07/22 22:10 ID:???
>前漢時代、そもそも突破された大きな侵入はない。アフォ。
と言って今度は
>大体、漢代の長城の完成をみるのが、武帝期なのだが。
と言い訳する。
なんだかな〜。

423 :名無し三等兵:04/07/22 22:10 ID:???
>>416
完成がなにを意味しているのか不明だが
長城自体は秦代からあるぞ

424 :名無し三等兵:04/07/22 22:11 ID:???
完成も何も漢の後の時代になっても長城ってどんどん延長されてるんだよね

425 :名無し三等兵:04/07/22 22:12 ID:???
>>421
夜は本屋がやっていないからですが何か?
偉そうに本の名前だけで説明したつもりにならず、『その部分を引用してくれ!!』

引用すれば一瞬で論破できるのに、なんでしないの???

426 :名無し三等兵:04/07/22 22:12 ID:???
>前漢から烽火システムは完成されている
と言って今度は
>長城を含めて防衛システムがうまく機能したからであって、長城が主防衛陣地だったからとは言えない
と言い訳する。
なんだかな〜。



427 :名無し三等兵:04/07/22 22:13 ID:???
>>426
人違いカコワルイ

428 :名無し三等兵:04/07/22 22:13 ID:???
>>423=424
「漢代の」と416は述べている。よく読め。

429 :名無し三等兵:04/07/22 22:14 ID:???
>>425
>>368を読め。

430 :名無し三等兵:04/07/22 22:14 ID:???
>>428
だから、「完成」とはなにを定義しての話?

431 :名無し三等兵:04/07/22 22:15 ID:???
>>427
自作自演はいいよw

432 :名無し三等兵:04/07/22 22:15 ID:???
>>429
もしかして、自分も本が無いのに騙ってみたわけですか。

433 :名無し三等兵:04/07/22 22:16 ID:???
武帝の後も建設は続いてるぞ

434 :名無し三等兵:04/07/22 22:16 ID:???
>>430
ではお前の完成の定義は?

435 :名無し三等兵:04/07/22 22:17 ID:???
>>434
君、質問に質問で返すのは駄目だよって上のほうでも言われてなかった?

436 :名無し三等兵:04/07/22 22:17 ID:???
>>431
もしかして、自分は読むのが面倒だからですか?

437 :名無し三等兵:04/07/22 22:17 ID:???
>>434
質問返しカコワルイ

438 :名無し三等兵:04/07/22 22:18 ID:???
>>431
もしかしてファビョった?

439 :名無し三等兵:04/07/22 22:18 ID:???
>>435
おまえもな(プ

440 :名無し三等兵:04/07/22 22:19 ID:???
反論できなくなると質問返し
これは敗北宣言ととってよろしいか?

441 :名無し三等兵:04/07/22 22:19 ID:???
>>433
大体という言葉は分かりませんか?

442 :名無し三等兵:04/07/22 22:19 ID:???
>>439
>引用すれば一瞬で論破できるのに、なんでしないの???


443 :名無し三等兵:04/07/22 22:20 ID:???
>>441
また質問返しですか

444 :名無し三等兵:04/07/22 22:20 ID:???
不毛な議論が続いていく。別に何日もかかってやっても良いのに。
所詮軍事板だし。

445 :名無し三等兵:04/07/22 22:21 ID:???
>>442
読んでくれば一瞬で決着するのに、なんでしないの???


446 :名無し三等兵:04/07/22 22:22 ID:???
>>443
まだ読まないのですか

447 :名無し三等兵:04/07/22 22:22 ID:???
コテハン相手なら、ペルソナの連続性があるので何日かかってもいいけど
名無し相手に時間かけられるか(w
特定できないだろうが。

448 :名無し三等兵:04/07/22 22:23 ID:???
まあ読むには読んだがよく理解できないから説明できないってのが本当のところでしょう。
説明できないから読めの一点張り。

449 :名無し三等兵:04/07/22 22:23 ID:???
>>445
>>446

引用した人間が示せよ
当たり前の常識だろうが

450 :名無し三等兵:04/07/22 22:24 ID:???
結局その本が最後の拠り所なわけだ
引用したら、自分の読解力が明白になるからな。

だから読め読めの一点張り、悲しいねえ。

451 :名無し三等兵:04/07/22 22:34 ID:???
情報伝達システムの退化というが伝達手段は烽火だけじゃない
烽火は天候次第では使えないから、早馬による伝令等も準備されていた
また、機能不全というが、長城から首都まで情報伝達が行われていなかったとすれば
それは国家機能が麻痺してることを意味しており、そのような状況では
長城があろうがなかろうが結果は同じで、こうなると万里の長城の
軍事的価値を論ずることなど全く意味をなさなくなっている
でも、長城ってずっと建設が続いてるんだよな
謎だ



452 :名無し三等兵:04/07/22 22:37 ID:???
>>451
漢代あたりの烽火システムの速度が実は早く
宋代や明代などでは遅くなったらしいが
それを針小棒大に、辺の警報システムがシステム的に不具合とか過大表現してるんでないの?
日本語の不自由な方だったとの落ち。

453 :名無し三等兵:04/07/22 22:41 ID:???
あと、長城が前漢までは主陣地だったという根拠も教えてもらえなかったな
主陣地だったと連呼一辺倒で

454 :名無し三等兵:04/07/22 22:48 ID:???
主防御陣地の意味すら理解していたかどうか

455 :名無し三等兵:04/07/23 00:56 ID:???
長城はピラミッド同様、単なる公共事業なのでありますよ。

456 :名無し三等兵:04/07/23 00:58 ID:???
長城が異民族の家畜避けだったって説は?

457 :名無し三等兵:04/07/23 01:01 ID:???
おまいらいい加減にしる。
長城スレでも立てるか、他スレ他板で続きをやってくれ。
ここはあくまで日本の戦国時代の合戦等について語るスレ。

例えで出された長城でスレ占領されたらたまらんわ。
ホントに・・・

458 :名無し三等兵:04/07/23 01:02 ID:???
山野氏・・・早く戻ってきてくれ・・・

459 :ハスケ ◆BnyPF68LQs :04/07/23 01:32 ID:???
じゃあ、話題振り。

皆さんは、戦国時代の戦闘員の武装、と聞いて何を思い浮かべます?

オレは南北朝〜戦国前期までの、武士や侍でない身分の者たちの武装や戦術
に一番興味があるんですけど、そういった人間達の姿っていうのは、なかなか明らかに
されてなくてねえ。
記述としての有名所だと、『峰相記』の悪党について述べた部分くらいしか今思い付かないし。

(ちなみに、混同されがちですが、鎌倉〜戦国時代頃の身分体系だと、武士≠侍です)

460 :名無し三等兵:04/07/23 02:03 ID:???
雑兵物語、だっけよまはった?

461 :名無し三等兵:04/07/23 04:47 ID:???
>>459
悪党とかあの辺り?

462 :名無し三等兵:04/07/23 07:39 ID:???
引用、引用といってた厨がいなくなったな。
そもそも主防御陣地の意味すら理解していたかどうかあやしい。
また、情報伝達システムの退化という意味も。
この厨はちゃんと本を読んでくるのかな?
まあ読むのが怖いのだろうがw

463 :名無し三等兵:04/07/23 08:04 ID:???
>>461
戦国末期だったと思う。

464 :名無し三等兵:04/07/23 09:58 ID:???
>>311ってどうなの?

なんかイメージと違うけど

465 :名無し三等兵:04/07/23 11:37 ID:???
藤木氏の奴を、誤抄訳した感じ。
×日本の城
○日本の城にも、大名に拠らない、民衆による城があった。それら民衆の城には、避難所としての機能をもつものがあり

466 :名無し三等兵:04/07/23 12:50 ID:???
>>465
( ・∀・)つヘェー
ところで・・・藤木氏って誰ですか?
素人でスマソ(´д⊂

コテハン?

467 :名無し三等兵:04/07/23 13:07 ID:???
>>466
上のレスのどっかに、参考文献があったと思う。その著者
藤木久志氏

468 :軍ヲタ死ね!:04/07/23 16:52 ID:ABzJoajL
ふふふ、生涯体育の成績が1の君達ではヨロイを着て500Mも走れば
ヘロヘロだよw

戦国の世に生まれなくてよかったね、脆弱なウサギさんたちww

469 :名無し三等兵:04/07/23 17:06 ID:???
>>468
当時の鎧を着て500Mも走れりゃ脅威だな

470 :名無し三等兵:04/07/23 17:28 ID:???
なんでこういう煽りって自己紹介にしかならんのかね。

それはそうと、西洋の古代史ネタになってしまうのだが、
各時代の、戦場で歩兵に突撃をさせるタイミングと兵士たちの
武装重量を比較してみると面白いかもしれない。

471 :ハスケ ◆BnyPF68LQs :04/07/23 17:53 ID:???
>469殿
そうそう、それに、鎧と言っても、大鎧から当世具足、腹当て、タタミ鎧と、
何種類も有るしねえ。

腹当てと小具足(篭手と脛当て)ぐらいの装備だったら、オレでも500Mくらい
走れるけど、大鎧じゃ、よほど屈強な人間でも、なかなかまともに走れないし。

ところで、そんな事を言うからには、468殿は鎧を着て動いた事があるのかな?
どうでした?動きにくかったでしょう?
オレは当世具足を初めて着用して動いたとき(軽くバトルしました)、素肌での剣術と、甲冑着た状態での
剣術(介者剣術という)では全く違う動きしないと戦えないんだな、と実感しましたよ。

まず、腕があまり上に上がらないし、兜もあるので、上段に構えられない。個人的には、八相か
脇構えが甲冑を着た状態では構えやすかったな。
さらに、体重が増加するので、不整地で動く場合、足腰をどっしり構えて落ち着かせないと、こけそうになる、
っていうこととか(昔の人は、腰を屈めて重心を低くして足腰を構えた上で、踵を上げていたそうな。やってみたけど、
きつかった。確かに足の反応は早くなるけどね、踵を地面につけない分)。
まあ、ここらへんは本で知識としては得られるものなのですが、体験する・実感する、ということは探求においては、
重要なことだと思ってます。皆さんも機会があったらぜひ。

472 :ハスケ ◆BnyPF68LQs :04/07/23 17:54 ID:???
あ、そうそう。戦国時代の槍足軽の刀の差し方が、帯に上から落すように差すのはどうしてか、というのもやってみて
わかったな(普通に差すと、槍が刀に当たる)。
あとは、武士や侍は手槍をメインウエポンにしてたけど、2本差しを左の腰に作法通り差すと、これまた槍の動きに干渉
するので、どうやってたんだろう?という疑問が生まれたり。(手槍をメインウエポンにしているときは、他には脇差しと鎧通し
くらいで、打ち刀は中間や下人などの従者に持たせた?それとも、前線では今伝わっている作法とは違う方法で差して携帯
していた?いや、そもそも当時の打ち刀は今一般的に日本刀と言われているものより、短めで直刀に近かったらしいぞ?とか、
仲間内で話たことがあります)

まあ、武士は2本差しで生まれる左側の死角に対応するため、援護の侍を自分の左OR左後方に配置するのが基本だったようなので、
戦術で不具合を解消しようとした、というのが正解なのかな?
でも、従者や家来を持たないような奴はどうしたんだろう…?

473 :軍オタ:04/07/23 19:18 ID:???
>>468
訓練しだいでその脆弱なウサギさんたちが屈強な兵士に変わります。
兵士として何の訓練もうけていない普通の人間に装備持たせて軍隊行軍させ
たらヘタルのは当たり前です。
常識で物事は考えなさいな。


474 :名無し三等兵:04/07/23 21:42 ID:???
引用厨は本を読んできたのかな?
引用厨自身>>451で長城の無意味さを説いているのが笑える。

475 :名無し三等兵:04/07/23 23:12 ID:???
粘着な厨房が住み着いちゃったなあ。

476 :名無し三等兵:04/07/23 23:22 ID:???
万里の長城 攻防三千年史162pより引用

通信といえば、漢代の頃で詳述した烽すい制度が第一に思い当たる。
烽すいに寄る通信は漢代以降も基本的には続けられていた。
後漢時代に置かれた塢候、北斉時代に置かれた戌などはいずれも烽すいの
施設を備えた要塞であった。そして唐王朝も烽すい制度を採用し、およそ30里ごとに烽すいを設けて
通信網を張った。


477 :名無し三等兵:04/07/23 23:27 ID:???
どこもかしこも厨房だらけだ…


478 :名無し三等兵:04/07/24 05:18 ID:???
>>476
都合よく引用してきたね。引用厨房ちゃんw

479 :名無し三等兵:04/07/24 06:59 ID:???
書名以外に何も引用もできない癖に何言ってるんだかw


480 :名無し三等兵:04/07/24 07:04 ID:???
読解できる知能が無いから仕方がない
引用なんてしたら赤っ恥かくし、煽るだけでオウム返し以外何もできない厨房だから。

481 :名無し三等兵:04/07/24 08:57 ID:???
>>479-480
自作自演までして恥をさらすのかい?引用厨。
「基本的には続けられていた」と
「システム的に完備されていた」とは天と地も言ってることが違う。
日本語が不自由なんだね、引用厨。

482 :名無し三等兵:04/07/24 11:56 ID:???
>>481
で、君はそれを具体的に説明できないんでしょ?
ひたすら書名のみを挙げ質問されると質問返し
論破されてレッテル貼り
挙句に朝早くから粘着に煽りとがご苦労なことだ

483 :名無し三等兵:04/07/24 15:21 ID:???
>>481
「システム的に完備されていた」じゃなくて、「システムに不具合がある」
じゃねーの? 粘着君の主張は。

で、それを説明できないと……
書名だけで根拠になるわけないし、この脳内変換具合を見るとかなり怪しい。

484 :名無し三等兵:04/07/24 17:04 ID:???
>>481
で、君はそれにソースもある反論できないのでしょ?ひたすら書名のみを挙げ質問されると質問返し
論破されてレッテル貼り
挙句に朝早くから粘着に煽りとがご苦労なことだ。


485 :名無し三等兵:04/07/24 18:21 ID:WTPSF/xk
首取りするのは、戦国時代に組織的戦闘がなかったためです。
首とってないヤローが、サボっていたことになります。


486 :名無し三等兵:04/07/24 19:12 ID:???
粘着引用厨は日本語が理解できないらしい。
粘着引用厨自身のレスである>>476は「基本的には続けられていた」と引用することで、
「システム的に完備されていた」と強引な脳内変換。
ひどいな。

487 :名無し三等兵:04/07/24 19:44 ID:wVRIbtbe


488 :名無し三等兵:04/07/24 19:46 ID:???
あの〜、ちょっと質問なんですが・・・。
「長城は主防御陣地だった」という方に質問なんですが
警戒線や主力部隊収容施設はどこにあったんですか?
主防御線として機能させるのであれば長城以北に警戒施設が必要で
そこからの警報によって主力部隊集結、予想敵侵攻軸付近の長城に布陣し
会戦か攻防戦が発生するのではないでしょうか?

489 :名無し三等兵:04/07/24 20:00 ID:???
>>488
長城にある。以北に必ずしも必要なし。
主防御陣地の意味分かります?

490 :名無し三等兵:04/07/24 20:06 ID:???
国境線を主防御陣地にできるわけねーべ
中国の帝国では、中央野戦軍は反乱を避けるために首都及びその付近に置いてあるんだから
長城に敵が接近した時点で迎え撃つなんて、物理的に不可能。

491 :488:04/07/24 20:16 ID:???
>>489
ありがとうございます。
長城は警戒/収容施設を兼ねた、たった一線の主防御線で、
中国人はそれを何世紀もかけて整備したのですね。
ご教授ありがとうございます。

ps彼らが警戒線を作った方が良いと気がついたのはいつごろなんですかね?

492 :名無し三等兵:04/07/24 20:22 ID:???
>>491
後漢時代に天田で足跡を示し、烽すいで烽火による警戒網を貼り
候官がそれらを束ね、都尉で地方野戦軍を管轄するというシステムは整備されていたが?
長城の前方に天田や烽すいがあるんだけど。

493 :名無し三等兵:04/07/24 20:38 ID:???
>>490
時代によって違う。
あくまでも前漢時代は烽すい制度が整備されていたから。
さほど問題なし。


>>491
もっとも何世紀もというのも修築の範疇だが。
少なくとも、清は長城を必要としなかった。

>>492
前方にある場合もあるが、基本的に長城にある各砦間の連携が
まずは要とされる。
天田は自軍兵士が逃亡したかどうか見る目的もあるから、内側にもある。


494 :名無し三等兵:04/07/24 20:42 ID:???
長城スレ建てたら?


495 :名無し三等兵:04/07/24 20:43 ID:???
>>494
必要なし。

496 :名無し三等兵:04/07/24 20:44 ID:???
ハスケ殿が鎧を着たのって、
長野だかで行われている川中島合戦模擬のときですか?

あれ参加してみたいんですよね・・・

497 :494:04/07/24 20:45 ID:???
>>495
そうか。
長城だけ問題にするんなら、『中国の防衛』とかスレ立てして
そっちでしてもらいたいと思ったもんで。
比較対照として出てくるんならまだしも、
ここまで議論が長引くとね・・・

498 :名無し三等兵:04/07/24 20:48 ID:???
>>497
いやだから、余計なスレを立てるなって。
別に長引くといってもほとんど終わりかけているのだから。

499 :名無し三等兵:04/07/24 20:49 ID:???
>>472
従者や家来を持たない人はそもそも、
その従者や家来くらいなのではないでしょうか。

しかし、鎧といえば大鎧くらいしか出てこないなぁ。
甲冑の本がPHPあたりで出てると思うんだが、あれは参考になるのかな?


500 :名無し三等兵:04/07/24 20:52 ID:???
>>491
情報伝達システムの重要性は理解していたが
できなかったということじゃないのか?

501 :名無し三等兵:04/07/24 21:06 ID:???
烽火があったところで召集して準備して出動して到着するまで
縦深のない長城が持ちこたえられるわけがない
物理的に不可能
だからこそ長城建設と並行して国境地帯の都市の囲壁化が行われた

502 :名無し三等兵:04/07/24 21:12 ID:2yO3mfdM
前近代に全軍突撃って概念がなかったとしたら武士団でありながら、それをやった
会津藩はバカだけど上出来じゃん。一流の武器を持たせてアラブ馬買って
立見、河合、土方、大鳥、榎本を各武士団から引き抜いて、奈翁の戦術学べば
アヘン戦争の清国軍とちがって国民軍と対等に喧嘩できるかも
(鈴木直哉のいってることが正しければ)

503 :名無し三等兵:04/07/24 21:14 ID:???
志茂田の仮想戦記みたいだな

504 :名無し三等兵:04/07/24 21:18 ID:???
>>501
それが都尉であり、騎兵野戦軍を管理する騎都尉であり
糧食を管理する農都尉だった。
これらが機能すると、敵を早期に迎撃できた。

505 :(V)o¥o(V):04/07/24 21:36 ID:???
漢代の長城は実質的には軽易な補強工事を施された土塁壁で、
発掘調査からは全高はせいぜい1.5メートルと推定されている
その後方で都市の要塞化が進展していたことを考慮すれば、
この程度の防御構築物では主抵抗線だったとは考えにくい
哨戒線と平時の警備線を兼ね備えた施設であったと考えてまず間違いない
主陣地よりも前進陣地と考えたほうが妥当だろう


506 :名無し三等兵:04/07/24 21:57 ID:???
>>505
4メートルあるというのもある。

507 :(V)o¥o(V):04/07/24 22:05 ID:???
中国の要塞は、端的に言えば山城式から城郭と外周に城壁を備えた
内城外郭式、ついで内城を持たない外郭式へと移行している
漢代には概ね第三段階への移行を完了しているが、こうした傾向は
時間的隔差を除けば概ね日本のそれと軌を一にしている
江戸幕府が要塞の破壊と建増築を制限しなければ、やかて日本の都市も
城壁で市街を囲むスタイルが一般的になっていただろう
事実、織豊期にはその萌芽が認められている

508 :(V)o¥o(V):04/07/24 22:15 ID:???
両者の差は時間的隔差が大きすぎることで、これには様々な要因が考えられる
一つには、中国王朝が最も脅威とみなしていたステップ系騎兵が都市の要塞化を促したことで、
圧倒的な機動力を有しながら、満足な攻城戦装備を持たないステップ系騎兵に対抗するには
堅固な築城構造物で対抗するのが最も安上がりだった
また、中国は戦争資源の集中を可能にする行政機構と経済基盤をいち早く整備することが出来た
日本では奥州の城柵の他には白村江役後に水城や朝鮮式山城、神籠石式山城を建造したが、
まだ都市を城壁で囲むまでには至らなかった

509 :(V)o¥o(V):04/07/24 22:23 ID:???
ヨーロッパでは、ローマのディオクレティアヌス帝の兵制改革と戦略方針の転換を契機に
4世紀以降、都市の要塞化が進展した
ただしこのムーブメントは6世紀に入ると一応終息し、封建制の整備と並行して
木造要塞が主流になる
再び要塞が石造化し、都市が城壁で囲まれるようになるのは10世紀以降

510 :名無し三等兵:04/07/24 22:26 ID:???
>>508
>まだ都市を城壁で囲むまでには至らなかった
大宰府や多賀城は?
また日本は城壁より堀を構築したほうが、
コスト的に良かっただけでは?

511 :名無し三等兵:04/07/24 22:30 ID:???
>>505
それならば、長城は主陣地だな。
そうでなければ長城にする必要性はあまりない。

512 :名無し三等兵:04/07/24 22:31 ID:???
地震国の日本でどの程度までの石造の建築物が可能でかというのも

513 :(V)o¥o(V):04/07/24 22:32 ID:???
軍事的観点から言えば、都市が城壁で囲まれることの利点は言を待たないが、
一方で、城壁は都市の拡大を阻害する物理的障害ともなった
例えば、パリは三度も市壁を拡大しなければならなかった
また、日本と大陸の都市の城壁の有無の違いの要因を、異民族の脅威のみならず、
(板違いながら)経済構造に求める説もある

514 :名無し三等兵:04/07/24 22:34 ID:???
>>512
あと、日本は気候が湿潤だから、
木造建築が主流になったと建築板にあったような。

515 :名無し三等兵:04/07/24 22:57 ID:???
とりあえず

長 城 の 話 は ス レ 違 い

なんでこれ以上は荒らしと同じでよろしく。

ところで日本のレーションの歴史ってどんな感じなんだろうか?
特に戦国以前のものはどんなのだったか非常に気になる。
やっぱり糒?

516 :名無し三等兵:04/07/24 23:05 ID:???
引用厨が粘着だったからねえ。

>>515
基本的に玄米と味噌が基本では?

517 :(V)o¥o(V):04/07/24 23:12 ID:???
日本では、平安時代から南北朝時代までは、本格的な軍事要塞の建設は停滞し、
せいぜい防塞化された館や関所程度のものだった
この時期の戦争はまた、大軍勢を結集して戦われるような大規模なものよりも、
集落単位の小競り合いが主流で、武士は朝廷や幕府に召集されて従軍するよりも、
水争いや土地を巡る小競り合いに従事するほうがはるかに多かった
このような争いでは、敵も味方も少数の場合が多く、戦闘の様相も
正面切っての野戦よりも襲撃や伏撃、略奪や焼討が一般的で、
このような戦闘では騎射の技術がものを言った
大軍勢同士の野戦の機会が増大した源平合戦以降、騎射の技術が衰退したのは
ある意味で当然の成り行きだったと言える
誰も騎射をしなくなったと嘆く老武士のエピソードは有名だが、
これは戦闘のみならず戦争の様相が変化したことを示唆している

518 :名無し三等兵:04/07/24 23:13 ID:???
>>515
永山久夫「たべもの戦国史」によれば、
戦国時代以前、古代兵食は、
肉醤(ししびしお)と云われる、魚肉や獣肉を細かく刻んで、山椒や塩などをすりこみ、
酒でつけて発酵させた、塩辛のようなものや、
他にも、穀醤(こくびしお)、[豆支](し)といわれる麹菌で寝かせた納豆があったらしい。
いずれも、保存性が高く、蛋白質が豊富だったようで、兵食として重宝したようだ。

中期になると、笹の葉で握り飯を包んだ屯食なども出てくるね

519 :名無し三等兵:04/07/24 23:14 ID:???
ししびしお
っていうと、人間の肉の塩漬を思い出してしまう。

かの孔子も好んで食したという・・・

520 :名無し三等兵:04/07/24 23:14 ID:???
>515
近代以前はあまり食料を持ち運ぶという思想がなかったのでは?
基本的に現地調達(略奪)だと思うのだが・・・・
日本の場合は違うのだろうか??

持ち運ぶ場合は>516の言うように
玄米+塩か味噌というのが基本だと思う。
肉食をしない日本人の保存食なんて限られているし。


521 :名無し三等兵:04/07/24 23:15 ID:???
>>516
ぐぐってみたら味噌オンラインなるページを発見。
そこによるとやっぱ基本はそうらしいねえ。
ttp://www.miso.or.jp/dictionary/history/history_05.html

それだけだとあまりにも当たり前すぎて面白くないんで珍しいレーション希望。
凍み豆腐みたいな。

522 :名無し三等兵:04/07/24 23:18 ID:???
>>520
食料を保持するための袋もあったようだ(糒袋)
また、食事をはやく終わらせるためにその袋に(干飯を)入れたままお湯につけて食べる
ということもしたようだ。

523 :名無し三等兵:04/07/24 23:21 ID:???
なので、恐らく数日分の食料は携行していたものと思われる。
足りなくなったら略奪するのかな?
だから、敵が来たら焼いたりするんだろうか

524 :名無し三等兵:04/07/24 23:23 ID:???
>>515
野戦でも陣で待機している間は、
近くの農民などが食料などものを売りにくるのが結構あったらしいが。

525 :名無し三等兵:04/07/24 23:34 ID:???
兵糧を買い集めるのは、本来は禁止だったんだけど、結局それに頼っていたらしいし。

526 :(V)o¥o(V):04/07/24 23:59 ID:???
>>506
漢代の都市の城壁の全高は一般的に10メートル程度
内部に地積を備え築城構造物としては長城よりも堅固

>>510
大宰府を囲っていたのも水城
多賀城は内城を有するものの基本的に城柵
城壁と堀のコストは地形次第で一概には決め付けられない

>>511
その意見は戦術的妥当性に欠ける
迂回浸透を防ぐのも前進陣地の役割の一つ

527 :名無し三等兵:04/07/25 00:15 ID:???
>>518
>肉醤(ししびしお)と云われる、魚肉や獣肉を細かく刻んで、山椒や塩などをすりこみ、
>酒でつけて発酵させた、塩辛のようなものや、

・・・この肉醤(ししびしお)、ビールのつまみに最高だよ、きっと!
焼酎にも合いそう。ああ〜唾液が止まらん〜ビール飲みてぇー!

528 :ハスケ ◆BnyPF68LQs :04/07/25 02:06 ID:???
>496殿
そういうお祭りに出たこと有るし(石和川中島合戦絵巻)、今年も
参加したけど(寄居北条祭り)、そういうときは着物とかタタミ鎧しか
着た事ないです。

甲冑着て動いた事があるのは、知人が個人的にやってる遊び
で、知人の当世具足借りたり、あとは海外向け甲冑写真集のモデルで、
鎌倉期の腹巻き(鎧の一種。胴丸)を着たときくらいです。

武者行列やるところは多いですが、戦国時代の合戦系の祭りは少ないですよね。
そういったお祭りに関してはここが参考になると思います
ttp://yoroiou.hp.infoseek.co.jp/index.htm

>499殿
身分的にはまっとうな武士でも、家来や従者がいないような場合もありますし、“悪党”と言われた
ような在地の武装集団(山賊、海賊、傭兵など)は、集団内でそういった主従関係があまり強くない
場合もあったと思われます。
そういった人間は、どうしてたのかな?ということです。

もっと言ってしまうと、戦場での2本差しが確立され、それが武士・侍身分の証しになるのは、戦国時代
後期からなので、その前はどうだったんだろう?という疑問もあるのですけどね。
あと、日本の甲冑について知りたかったら、中世日本の武具研究の第一人者である、笹間良彦先生の本がお勧めです。
アマゾンで“笹間良彦”で検索すると、けっこうでてきますよ。どれも高いですけど(数千円〜一万超え)


529 :ハスケ ◆BnyPF68LQs :04/07/25 02:20 ID:???
>515殿
戦国時代の携帯糧食として有名なのは、『雑兵物語』に描かれた、
芋茎でしょうね。味噌を芋茎に塗りこんで、乾燥させたものを荷物をまとめる
縄に使い、食べる時はそれを刻んで鍋に入れたそうです。

あと、代表的なものとしては、干飯ですね。水分を少なめにして炊いた米を、天日で
乾かしたもので、そのままでも食べられるし、余裕がある場合は煮て普通の米のようにして
食べました。(知人が試しに造ってみたものを、食ったことがありますが、確かにそのままで
食えるけど、美味しいものではありませんでした。水で戻すと違うのかもしれませんが)

あとは、既に述べられていますが、屯食(とんじき)と呼ばれた、いわゆる御握りがあります。
これも保存が効くように、水分を少なめにして炊いた米に、味噌を塗って焼いたりしたそうです。
(味噌ダレの焼きお握りかぁ、美味そうだなあ)

530 :ハスケ ◆BnyPF68LQs :04/07/25 02:38 ID:???
529の追記
529で述べた携帯糧食の話は、『雑兵物語』が出典ですので(屯食の部分は
違ったかも)戦国時代初期〜中期はまた違った可能性があります。

『雑兵物語』は、戦がほぼ無くなってから(江戸時代になってから)、「戦とはこういうものだ」
ということを伝える為に、元足軽だった人間が書いたものですので、そこに描かれている合戦様式
というのは、戦国時代後期のものなのです。
昔は技術・文化の進歩が今よりも遅かったから、火縄銃などの記述を除いて、初期も中期もあまり
変わらなかったかも知れませんが、成立したのがかなり近世であるということは、考慮する必要が
有るのでは、と思います。(あと、地域差というのもありますしね。雑兵物語の作者がいた地域では
Aという方法でやっていたことが、他の土地ではBだったかもしれません)

531 :名無し三等兵:04/07/25 02:54 ID:???
ぐぐってみると梅干しも戦国時代には重要なレーションの一つだったらしいね。
使われ方はむしろ薬みたいな感じのようだけど。

532 :名無し三等兵:04/07/25 03:16 ID:???
関が原の死者を検死したら、投石による打撲による死者が一番多かったってのはホント?

533 :名無し三等兵:04/07/25 06:27 ID:???
そもそも、どこの家中が最多の戦死者を出したのだろうか?
大谷家? 石田家?

534 :名無し三等兵:04/07/25 08:52 ID:???
そんなん、人数か人数比かで相当ちがってくるじゃん・・。


535 :名無し三等兵:04/07/25 10:59 ID:???
人数比だったら島津か?

関ヶ原は参戦兵力からして諸説あるからなあ。

536 :名無し三等兵:04/07/25 11:26 ID:???
関が原が出てきたところで一言。




大谷吉治と大谷頼継はヘタレ!

537 :名無し三等兵:04/07/25 14:07 ID:???
>ハスケ殿
そういえば、大河などを見ていても、
介者剣術をやってるのはほとんどないですね。皆鎧の上からばっさばっさと笑
まあ、あれはあれで見ていて気持ちいいので、割り切りますが。

高橋英樹主演の織田信長とか面白かったw

538 :533:04/07/26 00:19 ID:???
>>534
>人数か人数比かで相当ちがってくる
『最多の戦死者』と書いてある時点で、『人数』に
決まってるじゃん。『最大の損害』と書いてあるわけじゃ
ないんだから。読解力がねーなぁ。


539 :某研究者:04/07/26 01:30 ID:DDvKHT5g
>もっと言ってしまうと、戦場での2本差しが確立され、それが武士・侍身分の証しになるのは、戦国時代
>後期からなので、

高位の侍は脇差+打刀に加え
太刀迄持っていた様だが
太刀と打刀を構えて二刀流の様な事は
しなかったと言う事なのだろうか
(或いは太刀は飾りで打刀を主に
 用いていたのだろうか)

540 :某研究者:04/07/26 01:32 ID:DDvKHT5g
徒歩武者は太刀は持って居なかったのかも知れぬが
騎馬武者は全て太刀を持っていたと言う事は
無いのかだろうし
高位の徒歩武者にも太刀を持つ者は
居なかったのだろうか

541 :名無し三等兵:04/07/26 09:10 ID:???
>>516>>526
まだどっちも語り足りないみたいだから兄さんがスレを立ててやったぞ
ナニ礼には及ばんさ

万里の長城
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/army/1090800462/


542 :名無し三等兵:04/07/26 09:12 ID:???
そのかわりこれ以降このスレでは一切禁止だぞ
約束だ

543 :名無し三等兵:04/07/26 09:25 ID:???
>>541
糞スレ立てんなボケ!

544 :名無し三等兵:04/07/26 09:43 ID:???
おまえら農民をなめすぎ
ファミコンの一揆なんて青竹製の重い竹槍をりゅうりゅうとしごく速さ見ろよ
しかも神出鬼没に現れて攻撃してくる忍者を仕留めるし
鉄砲隊の前に躍り出ても弾道見切ってまったくの無傷
腰元までもメロメロさ

545 :名無し三等兵:04/07/26 13:29 ID:???
>>541
話が収束してからスレたててどうする?


546 :名無し三等兵:04/07/27 18:59 ID:bKmQGBlA
きたいあげ

547 :名無し三等兵:04/07/27 19:15 ID:???
何やるにもタイミング悪いやつって
クラスに一人くらいいたよね。

548 :名無し三等兵:04/07/28 00:34 ID:???
>>540
徒歩武者とか騎馬武者というのが、軍人としての身分や兵科の違いを指して
いる様に思われるのですが
中世から近世における日本の内戦期特有の「身分が兵科に現れうる軍編成」
というのは、あくまで「馬に乗る事がある士官」「馬に乗る事は無い兵卒」と
いう位の区分であって、徒歩武者隊だとか騎馬武者隊という兵科区分があった
のか疑問です。

騎馬武者も徒歩武者の違いは、「武者」である以上は、「武士」という身分でしょう
から、軍団司令部にあたる部署から「馬に乗れ」とか「乗るな」とか「こういう武器
を使え」などと決められていたとは考えにくく、
単に「そのとき馬に乗っていたか、何かの理由で馬に乗っていなかったか」だけの
違いなんではないでしょうか?

何が言いたいかといいますと、今のように「○○式戦車隊」「爆撃機隊」と
いった様に、最初から兵科編成がなされていたわけではなく、
「武田の騎馬武者隊」であるとか「どこどこの鉄砲騎馬武者隊」というのは、
単に追撃命令を司令部から受けた各小隊が、戦況から、「こういう武器を携行
して乗馬して追撃に入るべきだ」と各自で判断した結果、軍団全体の乗馬率や
特定の武器使用率が一時的に上がったために、攻撃を受ける側や、それを傍観
する側やがそれをみて「どこどこの○○騎馬隊」などとして土産話などに語っ
たというレベルにすぎないのではないかと思います

549 :名無し三等兵:04/07/28 07:19 ID:???
>548
身分とか格式。

550 :名無し三等兵:04/07/28 14:51 ID:???
騎馬武者は馬を降りることがあるが、これとは別に馬には乗ることを認められてないが
足軽ではない武者がいるわけだ。そういう点で兵科ではないが身分ごとに指示や規定はあったろう。

また、時代が進んで騎馬武者数十騎を含んだ備単位で運用されることになれば
その指揮官の指示で馬から乗り降りしたはずだ。

551 :名無し三等兵:04/07/29 00:46 ID:???
>>549 550
ああ、そうでしたか。俺は戦国期の身分制度についてもそれほど勉強してる
わけでもなかったので、平家物語よろしく「武者」=「さむらい」と思って
いました。
ですので、「馬に乗っちゃだめなさむらいなどいるわけないではないか」と
思って書きこんだんですが、「馬に乗ってはいけないけど兵卒としての足軽でも
ない」という人達がいたんですね。知りませんでした。

ところでその「備」に関してなんですが、
今の時代なら、同じ「備」に属するものは兵舎も同じで寝食も共にしますから、
連帯感なども生まれますよね。
当時は寄親・寄子制が原則でしょうから、常に、同じ面子を「備」として
連帯意識を持たせて戦いに起用するのは、ちょっと無理があった様な気もする
んですが、どんなもんなんでしょうか。
それとも、「旗本のなにがしの家では、主人、家人から従者にいたるまですべて
同じ様な色の、同じ様な武器をもって戦いに行く」という感じに割り当てられて
いたんでしょうか?

552 :(V)o¥o(V):04/07/29 01:05 ID:???
>連帯意識を持たせて戦いに起用するのは、ちょっと無理があった様な気もする
>んですが、どんなもんなんでしょうか。

それは統率のスタイルの違いにしか過ぎない
同じ釜の飯を喰ってないから一緒に戦うのは無理というのは些か乱暴
現代の軍隊でも配属欠除支援等々さっきまで顔も知らなかった連中と
一緒に戦うことは全然珍しくない
むしろ足軽長屋で隣近所が家族ぐるみで付き合ってるような連中のほうが
連帯感が強いかもしれんぞ

553 :名無し三等兵:04/08/01 16:01 ID:e2Q+Hk5d
農民 + 石投げ 最強

宮本武蔵 原城で動けなくなる
 最低の殷売

554 :名無し三等兵:04/08/01 20:50 ID:???
戦国最強島津マンセー!半島で十倍以上の敵軍返り討ち!
鬼石曼子の名は伊達じゃない!





と荒れそうなことを言ってみる

555 :名無し三等兵:04/08/01 23:46 ID:???
>鬼石曼子の名は伊達じゃない!

鬼石 曼子・・・?

鬼 石曼子なのか
勉強になりました。

556 :名無し三等兵:04/08/02 22:05 ID:???
>石曼子の名は伊達じゃない
そりゃ薩摩は伊達じゃないなあ

557 :葉武者:04/08/02 23:07 ID:???
ていうかこのスレはいったいいつ頃の「戦国」の話をしているんだ。
応仁の乱の直後か小牧長久手のあたりか大阪の陣のあたりか。

558 :名無し三等兵:04/08/02 23:13 ID:???
>>554
すいません。
そのネタはどのスレでも否定されて完全に「納得のいく数字」になってます。

まさか書かれるとは思わなかった。

559 :名無し三等兵:04/08/02 23:14 ID:???
>>557
中国の戦国から明代までですがなにか?

560 :名無し三等兵:04/08/03 01:18 ID:???
>>559
スレタイ嫁

561 :名無し三等兵:04/08/03 12:34 ID:???
>>554
すいません戦国板にはいかない素人なんですが、よく島津の武勇伝として関が原と並んで例に挙げられますが
具体的にどのくらいの敵を討ち取ったんでしょうか?


562 :名無し三等兵:04/08/06 23:04 ID:Y1uRKjbP
良スレあげ



563 :名無し三等兵:04/08/06 23:38 ID:???
>>561
36000から37000(実数にいたか不明)を5000から7000で迎撃し勝利。
敵の死傷者は10000内は超えなかった模様。(後に星州で再集結し再度出撃している)

大昔の逸話では20万を1万で迎撃し38000の首を取り、
それ以外に戦死80000人の損害を与えたとある。
最近では5000で20万を破ったという説も出たが
36000前後説が広まったのでどちらも小説以外では見ない。(小説では多い・・・)

敵の半数は兵士ですらなく、北京の博徒や乞食などを
強制的に駆り立てたものでもある。
これが砲兵を担当したので、他の戦線で一度も起きた事がない
大規模な自爆かつ誘爆を引き起こした。
このあたりは大正時代の日本の書物でも触れたものがあるが
昭和になってから完璧に無視されている。
勝利の要因は↑「敵兵の低質と自爆」と「城が完璧なまでに整備されていた」点だな。

564 :名無し三等兵:04/08/06 23:51 ID:???
へーありがとうございます。つまり素人で突っ込んで精強な島津軍に返り討ちという事ですか。
そりゃぁ虐殺に近いものがありますね

565 :名無し三等兵:04/08/07 00:04 ID:???
>>564
負けて当然で完備された倭城に強攻すればこうなる。
しかも自爆というオプション付きではな。
この自爆を最大の理由にする人がいるが、実際は強攻を選んだ時点で壊滅してる。

ちなみに泗川城は2つあり、片方に500人程度の島津の一隊がいた。
数日前に彼らが攻撃された時は、なすすべもなく半数以上討ち取られ
義弘の元に逃げ込んでいる。
(樺山か誰かが救援したいと言ったが、義弘はもう一つの城は未完成なので
勝ち目はないという理由で却下している)

566 :名無し三等兵:04/08/08 18:54 ID:???
自分が疑問に思っていることを書いてみます。

戦国期の部隊編成について
「同心の下に何人かの寄子が集まり、一つの部隊として任務を遂行していた」
といった記述を読んだことがある。(小説だが)
実際の所、最小単位の部隊の構成はどのような形で行なわれていたのだろうか?

他にも侍大将ってどの程度の部隊を率いていたのか?とか
輜重隊の運用はどうなっていたのか?
他にも論功行賞の流れも良く分からない。
知っている人がいたら教えて欲しい。



567 :名無し三等兵:04/08/08 21:06 ID:???
そういえば騎兵隊と騎馬隊の違いとはなんぞや?

568 :ハスケ ◆BnyPF68LQs :04/08/09 00:28 ID:???
>566殿
最小戦闘単位は、武士を中心に、数人の侍と中間・下人といったものになるようです。

武士一人(大抵は自分の馬を持つ。貧乏だと馬無し)に侍が1〜2人、中間・下人が2〜3人という構成
になります。
侍は武士に雇われた(主従関係を結んだ)兵士なので、力のある武士なら、当然侍の数が多くなります。
中間(“ちゅうげん”と読む。武家身分と一般人の中間身分という意味らしい)や下人は、馬の世話や荷物運びをする、
武家そのものや侍に雇われている人間です(武家奉公人)。

ですので、貧乏な武士は侍一人だけしか従者がいなかったりしますが、大体騎馬武者一騎に侍・中間などの従者が5人
ほどいたようです。このうち、武士と侍が武家の構成員(武家身分)で、正規の兵士となります。中間や下人は、身分的に
戦闘員とはみなされず、後方支援が主な任務ですが、当然戦闘に参加することもあります。(武器は自衛用の打刀1本のみ
だったりしますが)。

ちなみに、平安〜南北朝期の頃の身分体系だと、侍も補助兵士であり、あくまで武士のみが正規兵になります。
戦国時代中期以降は逆に、中間も積極的に戦闘員として扱われるようになります。(でも身分的には非正規兵…)




569 :名無し三等兵:04/08/09 09:33 ID:???
中世日本にとって、軍隊とは武士のことを指しているが
律令には組み込まれていない。
(後付の法律で規定されているが、基本の法は変えられていない)

現代日本にとって、軍隊とは自衛隊のことであるが
憲法では規定されていない。

この辺り比較しても面白いのではないでしょうか?

570 :名無し三等兵:04/08/09 17:59 ID:HSOuAFlO
>>569
井沢元彦の読み過ぎ。(漏れモナー

571 :566:04/08/09 18:23 ID:???
おお、詳しい解説ありがとうございます。

でもそうなってくると、戦国物に良く出てくる「弓隊」「鉄砲隊」等の
単一兵科での部隊運用は難しくなりますね。
職業軍人の発生は近代になるまで無かったのでしょうか?

うろ覚えですが、武田信玄や織田信長辺りが実施していたような気がしたのですが。

572 :名無し三等兵:04/08/09 22:35 ID:???
>571
武田の騎馬隊も実際は騎乗の武士+侍・中間のパターン
騎馬だけの部隊(近代の騎兵のイメージ)とは異なる。

信長は詳しくないが、鉄砲足軽だけで部隊を編成できたかは疑問。
ただ、武田信玄と違って信長は経済力があったので編成しようと思えばできたのかも。

篭城以外では明治時代以前は騎馬武者+侍・中間のパターンが基本
強行軍などをやって結果的に騎馬武者だけになる(徒歩がついてこれなくなる)ことはあるらしいが・・・

573 :名無し三等兵:04/08/09 22:49 ID:???
信長軍の場合、主力となる武将の家臣団に直轄の与力武将を与えて軍隊編成するから
各武将の鉄砲隊なら鉄砲隊を抽出して、大規模な単一兵科部隊を編成できたとは思う
しかし統制が取れないだろうから、やらないだろうけどね

574 :名無し三等兵:04/08/09 23:05 ID:FmAykloL
今、「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ戦国大合戦」見てるんだけど、

合戦描写とか、攻城戦とか(・∀・)イイ!!ね

575 :名無し三等兵:04/08/09 23:30 ID:???
>573
長篠では諸将に鉄砲隊を供出させたらしい。
ただ、単一兵科の部隊といえるような運用をしたかどうかは良く判らない。


576 :ハスケ ◆BnyPF68LQs :04/08/10 00:02 ID:???
>571
実はそこらへんのことは、オレもまだよく分かってないのですが、
戦国時代中期以降は、足軽(中間を足軽として運用したり、支配地域から徴兵・募兵したもの)を
使っての兵科毎の編成が存在はするようです。
この場合、足軽頭や組頭と言われる、侍クラスの人間が、10人くらいを一組にして指揮します。


武士が戦う場合、侍や中間を支援兵士として、その場に応じた武器(もしくは好きな武器)で戦ったようなので、単一の武装で
の「部隊」としては運用されなかったでしょう。(※)

しかし、侍や足軽をある程度の数でまとめて、「部隊」として運用することは、戦国時代中期以降はあったようです。
それでも、多くて数十人単位だと思われます。戦国後期の鋒矢の陣(“ほうし”:矢の刃先の意)では、前面に鉄砲隊、
側面・後方に槍隊・弓隊を置き、その中心に大将や旗本勢を配置したようですが、この場合の鉄砲隊・弓隊・槍隊というのが、
足軽や侍で構成された単一兵科部隊にあたります。

(※ 騎馬武者一人、侍一人<メインウエポン:槍>、槍持ちの中間二人<打刀>、鉄砲持ちの中間一人<打刀>、子荷駄の下人一人<打刀>
といった編成で参戦した武士が居るとします。侍は武士の側で常に戦い、主人を援護し、中間や下人達は主人の替えの武装を持って待機・追従
して、主人が武器や装備品を求めたときに渡す役割を担います。とっさの場合には運んでいる武器で主人を助けることも当然あったでしょうが、
中間が持っている武装は自衛用の打刀や腰刀を除いて主人のものなので、彼等が勝手に使用する事は出来ません。ちなみに、この例では弓が
ありませんが、弓持ちが居る場合もあります。)

あと、武士・侍は職業軍人ですよ。特に、武士は領主クラス(小領主から大名まで幅広いですが)の軍人なので、どこかの組織に属さなくても
生きていける、自立した存在です。逆に侍は仕官する武家がないと生活できない人々ですが、彼等も別に自ら農業や商いをする必要はない
のです。主人から給金が貰えるんですから(中には副業しないと生きていけない地域・人もいたでしょうが)。

577 :ハスケ ◆BnyPF68LQs :04/08/10 00:13 ID:???
>574殿
『クレヨンしんちゃん あっぱれ!嵐を呼ぶ戦国大合戦』は、
個人的に、戦国時代後期の戦争形態を映像化した物のなかで、過去最高の出来だと思っています。

もっと前の、南北朝動乱期の戦争形態を映像化した物のなかで、良く出来ているのも、これまたアニメ
の『もののけ姫』なのですが、この二つの合戦描写・武装を比較すると、面白いですよ。
鎧のディティールが両方とも結構省略されちゃっているのが残念なんですけどね(形や構造はちゃんと描かれてる)。
まあ、鎧の細かいディティールまで描いて、それを動かすとなると、アニメーターが死にかねないので、しょうがないですが。




578 :名無し三等兵:04/08/10 00:17 ID:???
すいませんがもののけのどこがリアルかよくわらないんですけど?


579 :名無し三等兵:04/08/10 00:19 ID:???
>577
戦国しんちゃんは、合戦の間に食べてるオニギリが真っ白だったのが
ちょっと気になったぐらいでしたな。

580 :名無し三等兵:04/08/10 00:37 ID:???
>>578
それは困りましたね。

581 :名無し三等兵:04/08/10 00:38 ID:???
>>577
「火蓋を切る」シーンなんて、実写でも滅多に出てこないのに、
アニメであの描写は凄いと思いました。

582 :名無し三等兵:04/08/10 00:40 ID:???
>>578
鉄砲の弾が命中して炸裂するところ。


583 :ハスケ ◆BnyPF68LQs :04/08/10 02:09 ID:???
>578殿
小具足無しで腹巻きや腹当てのみを直に着こんだ雑兵や、当世具足を着込んだ、まっとうな武士達が混在して、
村、またはは小領主同士の境界争い、もしくは掠奪目当てと思われる小競り合いの合戦をしていて、
まだ弓と長巻きや薙刀、野太刀がメインウエポンという、応仁の乱前後の戦争様式を見事に表しています。

あと、タタラ場の人間が使っている、棒の先に前装填式の射出器を備えた銃がありますが、中国経由で
火縄銃伝来以前の15世紀中頃(ちょうど応仁の乱の頃)には日本に伝わって実用化されていたらしい(主に西国の
水軍によって)、と最近の研究では言われています。
あと、箙(“えびら”、矢を入れて形態するための道具)から矢を抜く時、ちゃんと腰の下から矢を抜いてます。

※和弓では、右腰に箙や空穂(“うつぼ”、箙にカバーを付けたような構造のもの)を着けて、矢を下から引き抜いて
弓につがえる。肩の上から抜くようなことはしない。

まあ、基本的にはファンタジーですが、そういった細かい描写の部分のリアリティが結構あるんですよ。
(職人や商人の格好等も、当時の絵巻物に残っているものをちゃんと研究して描いているのが良くわかります。
つうか、かなりそのまんまだったりするし)

584 :ハスケ ◆BnyPF68LQs :04/08/10 03:18 ID:???
>579殿 582殿
凄いですよね。鉄砲隊と投げ焙烙の足軽、全員右手に予備火縄をちゃんと巻いてるしね。
言葉もかなり当時のものに近づけてるし。(組頭の号令とか)

あとは、又兵衛の侍であるじいさんが、又兵衛の事を「殿」って呼んでて、城主の事は「〜様」(名前忘れた…)
って呼んでるのに気がついた時、感心しちゃったよ。

武士はより力のある武士(武将や大名)に仕えるから、武士にとっては城主などが“殿”になるけど、武士自体に
仕える侍は、その武士が“殿”であって、城主や武将は単に主人である武士より偉い人、でしかないんだけど、
そこらへんの違いをきちんと表現しきれてない時代劇のほうが多いからね。



585 :ハスケ ◆BnyPF68LQs :04/08/10 03:30 ID:???
でも、個人的に一番気に行ったシーンは、縄で編んだスリング使って、投石してるところ。
中世に成立した軍記ものや当時の記録とかでは、飛礫による負傷などが出てくるから、投石で攻撃していた
のは確実なんだけど、そういったものには飛礫と書いてあるだけで、手で投げたのか、スリングを使ったのか、
はっきり書いてない場合の方が多いのよ。

でも、戦国時代以前(平安時代に成立した絵巻物だったような)にスリングを使って石を投げ合う人間達を描いたものが
あるし、戦前まで縄で編んだスリングを使って石を飛ばす遊び・祭りが伝承してたらしいんだよね。
そこから考察すると、スリングを使って威力を上げた飛礫を、武器として活用していないはずはない、って事になるんだけど、
それをちゃんと描写した時代劇っていうのは、これが初めてなんじゃないかな。

それに、個人的に当時のスリングを造って試したことがあるんだけど(平安の頃から戦前まで、材質等や構造は特に変化
していないようだ)、上手く飛ばなかったこともあって、これは大変参考になったよ。上回しで投擲するんじゃなくて、下回しで下から放るように
投擲するものみたいね、これ見る限りは。オレは上回しでやってた…。



586 :名無し三等兵:04/08/10 05:00 ID:???
>>585
それは、体の使い方が違うから、とか言ってみる。

587 :名無し三等兵:04/08/10 05:03 ID:???
そういや南米に投石器で石を投げ合うお祭りをテレビで見たことがあるが
そのときはサイドスローとアンダースローの中間くらいで投げていたな。

588 :名無し三等兵:04/08/10 06:28 ID:???
合戦がそんなにぬるいわけないだろうよ。
川中島4thで7000人、関が原で10000人、耳川で20000人死んでるんだぞ。

童貞のまま、地獄の苦しみを味わって死んでいった足軽たちはかわいそうだなぁ。
一方で女は男に抱かれてものすごい快感を味わって天寿を全うする。
不公平極まりないな。

589 :名無し三等兵:04/08/10 08:26 ID:???
>>585
スリングって威力を増すためのものというより、飛距離を延ばすためのものだと思う
だから下回しで斜め上に投擲するのでは?

590 :某研究者:04/08/10 15:21 ID:aMFEbvug
http://pathfind.motion.ne.jp/sekigahara.htm
まあ西軍は琵琶湖周辺に海軍を置いて
進入して来る東軍の退路を遮断すれば
勝てた等と言う意見も有るだろうが
当時の軍の食料は現地調達だろうが
大兵力では現地の食料では
維持困難と成る可能性も有ると言う事だろうが
移動し乍ら略奪を働けばどうだっただろうか


591 :名無し三等兵:04/08/10 16:32 ID:???
>>588
アニメの中じゃ追撃してないからな。

592 :名無し三等兵:04/08/11 00:38 ID:???
>585
>589

漏れの考えだけど・・・・
スリングを使わないとまともなダメージを与えられなかったと言うことはないのかな?
平地での投石の場合(城などからの投げ下ろしを除く)体格がよく、球技に慣れた現代の人間でも
安定してダメージを与えられるのはよくて50M強ってところだろう。
戦国時代の人間だと素手の投石ではよくて20Mかそこらだったとも考えられる。
そうすると騎馬の突進が届く距離だし、投石より先に蹂躙されてしまう。

そのため飛距離をあげる必要に駆られてスリングを使ったと想定するのだが・・・

593 :名無し三等兵:04/08/11 01:25 ID:Kz2GWmaM
良スレあげ


594 :名無し三等兵:04/08/11 01:32 ID:???
球技に慣れるという要素は投石に慣れれば良いだけで関係なかろう。
体格はまだ影響あろうが、これも現代>戦国時代>江戸時代ともいわれるので
生活における運動量までかんがえて影響は少ないかもしれんと思う

595 :名無し三等兵:04/08/16 15:51 ID:???
一応結論が出ましたかね?

596 :名無し三等兵:04/08/18 19:00 ID:???
スリングと言わずに印地打ち(いんじうち)と言いましょう。
武田軍ではかなり組織化されていて瀝も算盤の弾の様にするどく尖らせていた。

597 :名無し三等兵:04/08/18 19:03 ID:d1+aWrwK
白川の石工たちのアルバイトでも印地うちはありました。

598 :名無し三等兵:04/08/18 23:17 ID:e0CL/LqW
三方ヶ原の戦いで、
織田徳川連合軍一万一千を、武田軍三万が迎え撃ち、騎馬軍団の展開に適した広大な草原を有効に活用、
織田徳川連合軍を打ち破り、浜松城まで追撃して、ほとんど無傷で敵兵の首一千余をあげる記録的な勝利を得た。

武田信玄と武田軍最強


織田徳川弱すぎ。

599 :名無し三等兵:04/08/18 23:20 ID:???
>>>598
織田(伊庭)軍+上杉謙信軍相手に、記録的勝利ですか?
もう一度資料を読み直して下さい。

600 :ましゅまろ:04/08/18 23:43 ID:???
600get♪

601 :名無し三等兵:04/08/19 00:52 ID:???
識者の方、教えてくだされ。

荷駄隊(補給部隊)が人力だけで、木製の台車を引いて一日に80〜100Km行軍したってホント?

602 :名無し三等兵:04/08/19 01:06 ID:???
無理だ

603 :名無し三等兵:04/08/19 08:30 ID:???
>>601
荷駄隊にも駄馬、輓馬はあったはずだがどの道無理。

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